呂布の討伐に成功した曹操は、従軍した劉備を許都へ連れ帰り、
なにかと面倒をみているようです。
ある日、曹操は劉備を呼び出し、酒席に誘いました。
男2人だけで杯を交わす。いわゆる、サシ呑みというやつですね。

これは三国志演義では、「青梅、酒を煮て英雄を論ず」という
おなじみの名シーンですが、実は正史・三国志の先主伝(劉備伝)
にも記されている場面です。
曹操自慢の九醞春酒を飲みながら、色々と語り合います。
「青梅、酒を煮て・・・」とあるように、梅の実をつまみに酒を飲むという
場面なのですが、本作では「青梅を煮た酒ですな」と劉備が言っています。
曹操が九醞春酒で梅を煮て、梅酒のように特別なものにしたのかもしれません。
実際、つまみに青梅は見当たりません。

杯を合わせた後、曹操が先に口をつけるのを待ってから
毒が入っていないことを確かめ、用心深く自分も酒を呑んだ劉備。
このへんは、抜かりがありません。まさに腹の探りあいです。
さて、会話の中で「龍」の話を持ち出した曹操。
英雄を龍にたとえ、今の諸侯の中で誰が龍で、誰が虫ケラかを尋ねます。
劉備は、謙遜しながらも知っている名前を次々挙げていきます。
袁術、袁紹、張繍、張魯、韓遂・・・。

それらを曹操はいずれも否定します。
袁術は墓の中の骨、袁紹は小心者で優柔不断、
張繍、張魯、韓遂など、どれも話にもならないと、歯牙にもかけません。
劉表や孫策の名前は、出ませんでした。
そして曹操は一気にたたみかけます。
「天下に英雄は、貴公・・・と、私だけだ」
その言葉に冷やりとした劉備。図ったように雷鳴が轟き、
劉備は持っていた柄杓を取り落としてしまいます。
この場面、本来は「箸」を取り落とすのですが、
本作では箸が使われていないため、酒を汲む柄杓が用いられているのですね。
劉備はもちろん、自分を小人物に見せるためにひと芝居打ったのですが、
それを曹操はどう見たでしょうか・・・。

そこへ、関羽と張飛が迎えにきて、その場はお開きになりました。
その後、劉備は、董承(とうじょう)から曹操暗殺の計画を打ち明けられ、
一員になって欲しいと頼まれるのですが、董承が見せた「詔」は、
献帝に無理矢理書かせたもの、あるいは偽造したものと見破り、
しかも兵権を持つものが署名していないことを冷静に指摘します。

劉備はリスクが大きすぎるため、これを断りますが、
董承は名のある劉備をどうしても仲間に引き入れたいがため、
「漢の忠臣・左将軍」であることを持ち出し、半ば強引に署名させます。
そのため、劉備は一刻も早く許都を離れようと機会を伺うようになるのです。
その後、満寵(まんちょう)がもたらした報告により、
袁術が袁紹を頼って河北へ向かうことを知った曹操は、
劉備にそれを相談し、徐州へ出兵し、討伐に行ってもらうことを決めました。
かくして、劉備は5万の兵を連れて許を離れていきました。
曹操がこのとき、何故劉備を行かせてしまったのかは、史実通りなのですが、
明確な理由については謎です。本作では、他の将軍はそれぞれに軍務が忙しく
適任者がいないためだったとしています。

果たして、それを聞いた郭嘉と程昱は、「虎を野に放つようなものです」と諌めます。
曹操は珍しく慌てて、許褚(きょちょ)を遣わしますが・・・。

しかし、すでに後の祭り。劉備は許褚が追いつけないほど遠くまで進軍していました。
そして袁術の行軍を阻むことに成功し、これを病死に追い込んだ後、
徐州刺史の車冑(しゃちゅう)を討って、まんまと徐州を手に入れてしまいます。
劉備は地元の富豪、糜竺の娘をめとり、陳珪、陳登親子と利害を一致させ、
たちまち徐州に根を張ることに成功しました。
このあたり、実にしたたかで、曹操は見事に出し抜かれたのです。
呂布よりもよほどに手強くしぶとい。劉備の真骨頂です。

ここで、病死する直前の袁術の回想が出てきます。
袁術は死に臨み、ようやく今までに自分がしてきた過ちの数々を悔やみ、
それを手紙にしたためた後、玉璽を添えて兄の袁紹へ託したのです。

弟の絶筆を受け取った袁紹、さすがに感慨にとらわれた様子です。
しかし、相変わらず妻や末子の袁尚を溺愛する日々を過ごしており、
曹操を積極的に攻めようという行動も起こさず、後詰になると言い出す始末。
公孫瓚(さん)を討伐したことで、すっかり安心しきったのでしょうか。
劉備、張繍が曹操を攻めようとしているこの時に、自ら先陣になれば、
曹操を討てたかもしれません。そう進言する沮授(そじゅ)の言葉にも、まったく耳を貸さず。
これで一体何度、沮授は首を振って去ったことでしょうか・・・(笑)。
さて、袁紹の援軍が見込めなくなった張繍、劉備の動向は・・・?
なにかと面倒をみているようです。
ある日、曹操は劉備を呼び出し、酒席に誘いました。
男2人だけで杯を交わす。いわゆる、サシ呑みというやつですね。

これは三国志演義では、「青梅、酒を煮て英雄を論ず」という
おなじみの名シーンですが、実は正史・三国志の先主伝(劉備伝)
にも記されている場面です。
曹操自慢の九醞春酒を飲みながら、色々と語り合います。
「青梅、酒を煮て・・・」とあるように、梅の実をつまみに酒を飲むという
場面なのですが、本作では「青梅を煮た酒ですな」と劉備が言っています。
曹操が九醞春酒で梅を煮て、梅酒のように特別なものにしたのかもしれません。
実際、つまみに青梅は見当たりません。

杯を合わせた後、曹操が先に口をつけるのを待ってから
毒が入っていないことを確かめ、用心深く自分も酒を呑んだ劉備。
このへんは、抜かりがありません。まさに腹の探りあいです。
さて、会話の中で「龍」の話を持ち出した曹操。
英雄を龍にたとえ、今の諸侯の中で誰が龍で、誰が虫ケラかを尋ねます。
劉備は、謙遜しながらも知っている名前を次々挙げていきます。
袁術、袁紹、張繍、張魯、韓遂・・・。

それらを曹操はいずれも否定します。
袁術は墓の中の骨、袁紹は小心者で優柔不断、
張繍、張魯、韓遂など、どれも話にもならないと、歯牙にもかけません。
劉表や孫策の名前は、出ませんでした。
そして曹操は一気にたたみかけます。
「天下に英雄は、貴公・・・と、私だけだ」
その言葉に冷やりとした劉備。図ったように雷鳴が轟き、
劉備は持っていた柄杓を取り落としてしまいます。
この場面、本来は「箸」を取り落とすのですが、
本作では箸が使われていないため、酒を汲む柄杓が用いられているのですね。
劉備はもちろん、自分を小人物に見せるためにひと芝居打ったのですが、
それを曹操はどう見たでしょうか・・・。

そこへ、関羽と張飛が迎えにきて、その場はお開きになりました。
その後、劉備は、董承(とうじょう)から曹操暗殺の計画を打ち明けられ、
一員になって欲しいと頼まれるのですが、董承が見せた「詔」は、
献帝に無理矢理書かせたもの、あるいは偽造したものと見破り、
しかも兵権を持つものが署名していないことを冷静に指摘します。

劉備はリスクが大きすぎるため、これを断りますが、
董承は名のある劉備をどうしても仲間に引き入れたいがため、
「漢の忠臣・左将軍」であることを持ち出し、半ば強引に署名させます。
そのため、劉備は一刻も早く許都を離れようと機会を伺うようになるのです。
その後、満寵(まんちょう)がもたらした報告により、
袁術が袁紹を頼って河北へ向かうことを知った曹操は、
劉備にそれを相談し、徐州へ出兵し、討伐に行ってもらうことを決めました。
かくして、劉備は5万の兵を連れて許を離れていきました。
曹操がこのとき、何故劉備を行かせてしまったのかは、史実通りなのですが、
明確な理由については謎です。本作では、他の将軍はそれぞれに軍務が忙しく
適任者がいないためだったとしています。

果たして、それを聞いた郭嘉と程昱は、「虎を野に放つようなものです」と諌めます。
曹操は珍しく慌てて、許褚(きょちょ)を遣わしますが・・・。

しかし、すでに後の祭り。劉備は許褚が追いつけないほど遠くまで進軍していました。
そして袁術の行軍を阻むことに成功し、これを病死に追い込んだ後、
徐州刺史の車冑(しゃちゅう)を討って、まんまと徐州を手に入れてしまいます。
劉備は地元の富豪、糜竺の娘をめとり、陳珪、陳登親子と利害を一致させ、
たちまち徐州に根を張ることに成功しました。
このあたり、実にしたたかで、曹操は見事に出し抜かれたのです。
呂布よりもよほどに手強くしぶとい。劉備の真骨頂です。

ここで、病死する直前の袁術の回想が出てきます。
袁術は死に臨み、ようやく今までに自分がしてきた過ちの数々を悔やみ、
それを手紙にしたためた後、玉璽を添えて兄の袁紹へ託したのです。

弟の絶筆を受け取った袁紹、さすがに感慨にとらわれた様子です。
しかし、相変わらず妻や末子の袁尚を溺愛する日々を過ごしており、
曹操を積極的に攻めようという行動も起こさず、後詰になると言い出す始末。
公孫瓚(さん)を討伐したことで、すっかり安心しきったのでしょうか。
劉備、張繍が曹操を攻めようとしているこの時に、自ら先陣になれば、
曹操を討てたかもしれません。そう進言する沮授(そじゅ)の言葉にも、まったく耳を貸さず。
これで一体何度、沮授は首を振って去ったことでしょうか・・・(笑)。
さて、袁紹の援軍が見込めなくなった張繍、劉備の動向は・・・?