snp-00001
呂布なきあとの徐州・下邳城に本拠地を置く劉備は、関羽に留守を任せ、
袁紹の子、袁譚に援軍を頼みに行くため、兵を連れて城を出ました。

よもや、袁紹が息子の病気で動かないとは思っておらず、また曹操が
自ら徐州へ出陣してきているとは思いもよらず、出発したのです。

35-2
しかし、これは曹操の罠でした。
曹操は劉備を城から引きずり出し、その通路を予測して兵を伏せていました。
そして一斉に襲い掛かります。一目散に逃げる劉備。
「知恵は回るが、戦では話にならぬ」と曹操が笑ったように、
やはり軍才では曹操のほうが1枚も2枚も上手です。

そこへ、危険を察知した関羽が下邳城から援軍を連れて出てきました。
曹操はかねてより、関羽という武将に惚れ込んでいたため、
彼を生け捕りにしようと巧みに山上へと追い込みました。
その間に下邳城は別働隊に包囲させ、退路を閉ざすことも忘れません。

35-4
すでに劉備は逃亡し、下邳城は包囲されてしまい、
追い込まれた関羽は山上に柵を設けて立て籠もり抗戦を続けますが、
そこへ曹操が、張遼と荀彧を連れてたずねてきました。

35-6
曹操と関羽は問答を交わします。
劉備、曹操互いの正義の主張から、話は漢王朝のあり方へ・・・。
徐州での虐殺は父の仇討ちであったことや、
群雄が朝廷を軽んじている現状を憂いている曹操の考えを聞いて、
関羽は徐々に理解を示すようになってきます。

この場面、三国志演義では張遼が関羽のもとへ行き、説き伏せるのですが
本作においては曹操が自ら関羽と言葉を交わすという展開になっていて、
これはこれで面白いと思います。

35-7
関羽は、曹操が自分に降伏を勧めに来たことを察しているので、
なかなか降ろうとはしませんが、劉備の妻子がいる下邳城が楽進に
攻撃されているのを見て考えを改め、自軍の兵たちの願いを聞き入れる形で
下邳城の無血開城と自身の投降を決めます。

35-8
関羽は、「劉備の行方が分かれば出て行く」ということ、
投降はあくまで漢に対してであり、曹操自身へのものではないと念を押します。
曹操は関羽に、呂布の愛馬だった赤兎馬を与えますが、
それでも関羽の劉備に対する忠誠心を覆すことはできず、残念がるのでした。

35-9
さて、ようやく重い腰をあげた袁紹は、沮授を連れて曹操討伐に出ました。
そしてまず、曹操の拠点のひとつ白馬城を攻撃し、そこに曹操軍をおびき寄せておき、
その隙に河をわたって総攻撃をしかけるつもりでいましたが、
曹操はその裏をかいて、自らが少数の兵だけを連れて白馬に向かい、
他の諸将には河を渡るための訓練をさせ、いまにも渡河する構えを見せました。

35-10
曹操に付き従うのは、関羽と張遼および1万の兵だけですが、
果敢にも白馬城を攻めている顔良軍と激突します。
これが官渡の戦いの前哨戦ともいえる「白馬の戦い」です。

そして乱戦の中、屈強な顔良の攻撃の前に、曹操は危うく斬られそうになりますが、
その瞬間、助けに入った関羽が顔良を一刀のもとに斬り、窮地を救います。

snp-00012
袁紹軍の音に聞こえし猛将、顔良はあっさりと関羽に斬られます。
ある意味史実の記録通りですが、あっさり過ぎて、ビックリしてしまいました。

顔良の戦死を聞いた袁紹は、我が耳を疑いますが、
曹操が自ら白馬城に来ていたことを知り、
今度は文醜に5000の兵を率いさせ追撃を命じました。

35-12
一方、徐州から逃亡した劉備は袁紹を頼って河北へ来ていたのですが、
袁紹からは一人で逃げてきたことや、関羽が曹操に投降したことに対して
不信感を抱かれ、立場を危うくするのでした・・・。