こんにちは! ドラマ『曹操』案内役の哲舟です。
みなさん、新年あけましておめでとうございます!
今年もがんばって当ブログを綴ってまいりますので、よろしくお願いします。
そして、「チャンネル銀河」で、このドラマ『曹操』を見始めた、という方、はじめまして!
ここにはお年玉クイズの正解はありませんが(ヒントはあります)・・・これも何かのご縁。過去18話分の解説をお読みになると、本作をより興味深くご覧いただけるかと思いますので、よろしくお願いします。
では、さっそくですが第19話の解説に移ります。

韓馥(かんふく)から玉璽を差し出され、皇帝を名乗るよう勧められた劉虞(りゅうぐ)ですが「天子は健在。廃立は臣下がもくろむものではない」と拒絶。彼を担ぎ上げ、董卓に対抗しようとした韓馥のたくらみは失敗しました。実はこのプラン、袁紹の発案でもあったのです。
反・董卓連合が解散したあと、袁紹は董卓を兵力で倒すことは難しくなったため、政治的な力でもって諸侯を味方につけ、自分の勢力を拡大しようとします。しかし、それに「待った」をかけた者がいました。同じ袁家であり、弟の袁術です。

袁術は、「自分こそが名門・袁家の主」と自認し、袁紹に反旗を翻したのです。
だから董卓軍との戦いのときも、袁紹の下に付くことを好まず、軍営に姿を見せないままでした。(写真は第16話より)
袁紹と袁術。当面は、この2大勢力のどちらに味方するかで自分の運命が決まる・・・。そのため、諸侯は2人の動静に注目していました。ちなみに、曹操は兵を借りる目的もあったので袁紹に加担します。

まず、袁紹は韓馥(冀州牧)を危機に陥れようと、公孫瓚(こうそんさん)に冀州を攻めさせます。
この事態に、韓馥はあわてて配下の策士たちに意見を求めますが、すでに無能な韓馥を見限っている者たちの姿も現れます。沮授(そじゅ、写真右)は、献策もしないどころか、露骨に韓馥を批判したため、斬られそうになりますが、他の者たちのとりなしで一命をとりとめました。韓馥は公孫瓚を迎え撃ち、自力で彼らを見返してみせると息巻くのですが・・・。

袁紹と韓馥は表向き、同盟していましたが腹の中は互いに牽制しあっていました。
袁紹は、韓馥だけでは公孫瓚を防ぎきれないと考え、救援に行けるよう準備しておき、どさくさまぎれに冀州を奪おうとたくらんでいるのです・・・。
実際、さきほどの沮授だけでなく、多くの者が韓馥の無能さを見抜いており、荀諶(じゅんしん、荀彧の弟)も、冀州を袁紹に治めてもらいたいと思い、救援の要請に訪れるありさまでした。

荀諶たちは結託し、袁紹を冀州へ迎え入れ、譲り渡すことを韓馥に勧めます。実力、人望、名声ともにすべてにおいて上回る袁紹の圧力、そして側近たちの変節。さすがにプライドの高い韓馥も、折れるほかはなくなりました・・・。

そのころ、曹操は兗州(えんしゅう)の東郡(とうぐん)へ兵馬を連れて到着しました。
揚州で募集した新たな兵に、袁紹から借りた兵を加えての再出発といったところ。東郡は王肱(おうこう)という太守が治めていたのですが、黒山賊(こくざんぞく)という者たちに襲われ、戦闘に突入していたのです。
黒山賊は「賊」と呼ばれてはいますが、強いです。10万人(一説には100万)もの大軍を、張燕(ちょうえん)、眭固(すいこ)、于毒(うどく)、白繞(はくぎょう)といった猛将が率い、これまで朝廷が派遣した討伐軍を何度も撃退していた一大勢力でした。王肱(おうこう)は、必死にこれを食い止めようとしましたが、苦戦していました。
曹操は、その救援に来たわけですが、ひとつの思惑があります。ただ救援し、勝ってしまうだけでは何も得ることができません。曹操は新たな拠点を得るべく、東郡を王肱に成り代わって治めたいと考えました。そこで、すぐには戦闘に加わらず、両軍が疲れきるのを待ってから力を貸そうと考え、まずは静観を決め込むのです。

戦闘が一段落し、王肱が曹操の陣営を訪ねてきます。黒山賊に苦戦するあまり、救援して欲しいと泣きつきに来たのです。「いつまで黙って見ている!」と。もちろん、曹操はそれを見越していました。自分から行くのではなく、「相手から頼まれ、しぶしぶ引き受ける」という状況を作ったのです。

曹操の狙いは、もちろん王肱から太守の座と兵権を奪うこと。
王肱はついに折れ、曹操に委ねることを決め、ひとまず太守の印綬を預けることにしました。事が成り、ほくそ笑む曹操。もちろん返す気などありません。王肱を本陣に戻らせず、自陣に留め置いてしまうことも忘れません。これで曹操は、太守の兵力をも取り込んで、心置きなく賊と戦うことができるようになりました。

そのころ、長安では・・・王允の養女となった貂蝉(ちょうせん)が、呂布の前で優美な舞を披露。彼を即座に魅了していました。

王允に酒を勧められても、なお貂蝉の姿に魅了される呂布。「頃合いよし」とみた王允は、呂布に貂蝉を娶わせたいと申し出ます。即座にOKし、「義父上」と喜ぶ呂布、極めて単純な頭の構造です。まあ、これだけ美しい美女が目の前で踊っていれば、心躍らせない男はなかなかいません(笑)。

そして、董卓。彼もまた貂蝉の舞に心を奪われ、上の空のまま、酒を飲む手を止めてしまいます。王允は同じく、董卓に貂蝉を献上することを申し出るや、即座に董卓もOK。王允の「連環の計」の第一段階は、あっさりと成功しました。タイトルの「連環の計」は、「美女連環の計」ともいわれるもので、鎖の環が連なり合うように、複数の策を連続して使い、敵を切り崩していくといった計略です。
呂布に続き、董卓をも罠にかけた王允。しかし、養女を犠牲にしなければならないジレンマもあり、グイッと酒をあおりました。

それから何日か経ち・・・董卓は貂蝉を連れて郿塢(びう)城に籠もってしまいました。
「太子は貂蝉を呂布将軍に娶わせるため連れ帰った」と説明する王允を信じ、呂布は董卓への怒りをあらわにします。これで策の第2段階も成功しました。王允はほくそ笑みます。はたして、呂布はこの先どう振舞うのか・・・。といったところで、第19話は終了。次回に続きます。
~このシーンに注目!~

王肱(おうこう)が訪ねてきたときに、曹操がいじっていたのは蹄鉄(ていてつ)。
馬 の蹄(ひづめ)に履かせる馬具です。現代でも競走馬が履いているので馴染みがありますね。馬蹄は一説によれば2500年前ごろにヨーロッパで生まれたとされますが、中国の三国時代に、はたして蹄鉄があったのかどうか。詳しくはわかっていません。

ちなみに日本にも長らく馬蹄は存在せず、使われるように なったのは明治時代からとか。野生の馬はもともと蹄が強く、馬蹄など必要ではなかったというのがその理由といいます。
ちなみに、馬蹄だけでなく、足をかける鐙(あぶみ)も、当時は馬に乗るときに足をかけるために使う片側だけにしか付いておらず、乗馬のさいは外していたようです。鐙がないということは足先を踏ん張れないために、両股で馬の背をしっかり締め付ける必要があります。だから自由に馬を駆るには相当な技量が必要で、ましてや馬上で武器を振るったり、弓を射たりという芸当はごく限られた人しかできなかったと考えられています。
しかし、中国に限らず日本のドラマで も鐙がなければ役者は乗馬できませんし、家畜用に慣らされた馬の足を保護する意味でも馬蹄を使っています。フーメイ監督が、このシーンを敢えて撮影した理由は何か、ちょっと興味深いところです。
みなさん、新年あけましておめでとうございます!
今年もがんばって当ブログを綴ってまいりますので、よろしくお願いします。
そして、「チャンネル銀河」で、このドラマ『曹操』を見始めた、という方、はじめまして!
ここにはお年玉クイズの正解はありませんが(ヒントはあります)・・・これも何かのご縁。過去18話分の解説をお読みになると、本作をより興味深くご覧いただけるかと思いますので、よろしくお願いします。
では、さっそくですが第19話の解説に移ります。

韓馥(かんふく)から玉璽を差し出され、皇帝を名乗るよう勧められた劉虞(りゅうぐ)ですが「天子は健在。廃立は臣下がもくろむものではない」と拒絶。彼を担ぎ上げ、董卓に対抗しようとした韓馥のたくらみは失敗しました。実はこのプラン、袁紹の発案でもあったのです。
反・董卓連合が解散したあと、袁紹は董卓を兵力で倒すことは難しくなったため、政治的な力でもって諸侯を味方につけ、自分の勢力を拡大しようとします。しかし、それに「待った」をかけた者がいました。同じ袁家であり、弟の袁術です。

袁術は、「自分こそが名門・袁家の主」と自認し、袁紹に反旗を翻したのです。
だから董卓軍との戦いのときも、袁紹の下に付くことを好まず、軍営に姿を見せないままでした。(写真は第16話より)
袁紹と袁術。当面は、この2大勢力のどちらに味方するかで自分の運命が決まる・・・。そのため、諸侯は2人の動静に注目していました。ちなみに、曹操は兵を借りる目的もあったので袁紹に加担します。

まず、袁紹は韓馥(冀州牧)を危機に陥れようと、公孫瓚(こうそんさん)に冀州を攻めさせます。
この事態に、韓馥はあわてて配下の策士たちに意見を求めますが、すでに無能な韓馥を見限っている者たちの姿も現れます。沮授(そじゅ、写真右)は、献策もしないどころか、露骨に韓馥を批判したため、斬られそうになりますが、他の者たちのとりなしで一命をとりとめました。韓馥は公孫瓚を迎え撃ち、自力で彼らを見返してみせると息巻くのですが・・・。

袁紹と韓馥は表向き、同盟していましたが腹の中は互いに牽制しあっていました。
袁紹は、韓馥だけでは公孫瓚を防ぎきれないと考え、救援に行けるよう準備しておき、どさくさまぎれに冀州を奪おうとたくらんでいるのです・・・。
実際、さきほどの沮授だけでなく、多くの者が韓馥の無能さを見抜いており、荀諶(じゅんしん、荀彧の弟)も、冀州を袁紹に治めてもらいたいと思い、救援の要請に訪れるありさまでした。

荀諶たちは結託し、袁紹を冀州へ迎え入れ、譲り渡すことを韓馥に勧めます。実力、人望、名声ともにすべてにおいて上回る袁紹の圧力、そして側近たちの変節。さすがにプライドの高い韓馥も、折れるほかはなくなりました・・・。

そのころ、曹操は兗州(えんしゅう)の東郡(とうぐん)へ兵馬を連れて到着しました。
揚州で募集した新たな兵に、袁紹から借りた兵を加えての再出発といったところ。東郡は王肱(おうこう)という太守が治めていたのですが、黒山賊(こくざんぞく)という者たちに襲われ、戦闘に突入していたのです。
黒山賊は「賊」と呼ばれてはいますが、強いです。10万人(一説には100万)もの大軍を、張燕(ちょうえん)、眭固(すいこ)、于毒(うどく)、白繞(はくぎょう)といった猛将が率い、これまで朝廷が派遣した討伐軍を何度も撃退していた一大勢力でした。王肱(おうこう)は、必死にこれを食い止めようとしましたが、苦戦していました。
曹操は、その救援に来たわけですが、ひとつの思惑があります。ただ救援し、勝ってしまうだけでは何も得ることができません。曹操は新たな拠点を得るべく、東郡を王肱に成り代わって治めたいと考えました。そこで、すぐには戦闘に加わらず、両軍が疲れきるのを待ってから力を貸そうと考え、まずは静観を決め込むのです。

戦闘が一段落し、王肱が曹操の陣営を訪ねてきます。黒山賊に苦戦するあまり、救援して欲しいと泣きつきに来たのです。「いつまで黙って見ている!」と。もちろん、曹操はそれを見越していました。自分から行くのではなく、「相手から頼まれ、しぶしぶ引き受ける」という状況を作ったのです。

曹操の狙いは、もちろん王肱から太守の座と兵権を奪うこと。
王肱はついに折れ、曹操に委ねることを決め、ひとまず太守の印綬を預けることにしました。事が成り、ほくそ笑む曹操。もちろん返す気などありません。王肱を本陣に戻らせず、自陣に留め置いてしまうことも忘れません。これで曹操は、太守の兵力をも取り込んで、心置きなく賊と戦うことができるようになりました。

そのころ、長安では・・・王允の養女となった貂蝉(ちょうせん)が、呂布の前で優美な舞を披露。彼を即座に魅了していました。

王允に酒を勧められても、なお貂蝉の姿に魅了される呂布。「頃合いよし」とみた王允は、呂布に貂蝉を娶わせたいと申し出ます。即座にOKし、「義父上」と喜ぶ呂布、極めて単純な頭の構造です。まあ、これだけ美しい美女が目の前で踊っていれば、心躍らせない男はなかなかいません(笑)。

そして、董卓。彼もまた貂蝉の舞に心を奪われ、上の空のまま、酒を飲む手を止めてしまいます。王允は同じく、董卓に貂蝉を献上することを申し出るや、即座に董卓もOK。王允の「連環の計」の第一段階は、あっさりと成功しました。タイトルの「連環の計」は、「美女連環の計」ともいわれるもので、鎖の環が連なり合うように、複数の策を連続して使い、敵を切り崩していくといった計略です。
呂布に続き、董卓をも罠にかけた王允。しかし、養女を犠牲にしなければならないジレンマもあり、グイッと酒をあおりました。

それから何日か経ち・・・董卓は貂蝉を連れて郿塢(びう)城に籠もってしまいました。
「太子は貂蝉を呂布将軍に娶わせるため連れ帰った」と説明する王允を信じ、呂布は董卓への怒りをあらわにします。これで策の第2段階も成功しました。王允はほくそ笑みます。はたして、呂布はこの先どう振舞うのか・・・。といったところで、第19話は終了。次回に続きます。
~このシーンに注目!~

王肱(おうこう)が訪ねてきたときに、曹操がいじっていたのは蹄鉄(ていてつ)。
馬 の蹄(ひづめ)に履かせる馬具です。現代でも競走馬が履いているので馴染みがありますね。馬蹄は一説によれば2500年前ごろにヨーロッパで生まれたとされますが、中国の三国時代に、はたして蹄鉄があったのかどうか。詳しくはわかっていません。

ちなみに日本にも長らく馬蹄は存在せず、使われるように なったのは明治時代からとか。野生の馬はもともと蹄が強く、馬蹄など必要ではなかったというのがその理由といいます。
ちなみに、馬蹄だけでなく、足をかける鐙(あぶみ)も、当時は馬に乗るときに足をかけるために使う片側だけにしか付いておらず、乗馬のさいは外していたようです。鐙がないということは足先を踏ん張れないために、両股で馬の背をしっかり締め付ける必要があります。だから自由に馬を駆るには相当な技量が必要で、ましてや馬上で武器を振るったり、弓を射たりという芸当はごく限られた人しかできなかったと考えられています。
しかし、中国に限らず日本のドラマで も鐙がなければ役者は乗馬できませんし、家畜用に慣らされた馬の足を保護する意味でも馬蹄を使っています。フーメイ監督が、このシーンを敢えて撮影した理由は何か、ちょっと興味深いところです。