2014年02月

第24話 天子奪還

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呂布と組んだ陳宮の罠にはまり、徐州城で大敗を喫した曹操。
しかし、曹操は辛くも逃げ切り、「大やけどを負った」と噂を流しておいて、
伏兵をしかけ、追撃してきた呂布軍に痛手を与えました。郭嘉の策略です。

このとき、曹操が「呂布は私の顔を知らぬから助かった」と言っていますが、確かにそのおかげで、曹操は呂布に見逃され、命拾いしました。これは、本作においては本当です。今まで曹操と呂布は同じシーンには絡んでいません。曹操が洛陽にいたときも、董卓の傍に居たのは、常に李傕(りかく)、郭汜(かくし)ばかりで、曹操は呂布とは顔を合わせていないのです。

今まで、呂布の出番が少なかったのは、このための伏線だったのですね。
いやはや、なんという深謀遠慮。フーメイ監督おそるべし?

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思わぬ痛撃を受け、呂布自身も負傷して痛々しい限り。
呂布は、「曹操が黒焦げになった」という虚報を流した田氏(でんし)の妻子を処刑し、見せしめとしました。非情な一面を見せます。

呂布軍に痛手を与えた曹操軍ですが、兗(えん)州のほとんどは呂布にくだり、わずか3県(鄄城・范・東阿)のみを程昱と荀彧が死守するという苦しい状況となり、陥落寸前にまで追い込んでいた徐州攻めを中断し、鄄城に引き揚げました。曹操軍にとってはかつてない危機ですが、本作ではそれほど危機感を持っているように描いておりません。まだ何とかなりそうな感じです。

一方の呂布ですが、出撃を願い出た陳宮の策に従わずに、一時、兵を休ませようと濮陽(ぼくよう)城に籠もってしまったことで曹操をやすやすと取り逃がし、戦機を逸してしまいます。これまでにも似たようなことはあったのでしょう。陳宮は呆れるあまり、呂布を突き飛ばし、その無策をなじります。

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勘違いしがちなのですが、この2人は君臣の関係ではないのです。
陳宮は呂布の部下ではなく、あくまで対等な「同盟者」の立場です。また、「軍師」という存在は、時として君主よりも偉い立場にありました。そうした事情を反映してか、呂布は陳宮に頭を下げて教えを乞うのですが、時すでに遅かったようです。

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果たして、その後、体勢を立て直した曹操軍によって呂布軍は濮陽から誘い出され、巨野の決戦で大敗を喫します。呂布と陳宮は徐州へ撤退。徐州では陶謙が亡くなり、劉備が下邳(かひ)を譲り受けていましたので、彼を頼って落ち延びていったのです。

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張邈(ばく)は袁術を頼って逃げようとしますが、途中で部下に裏切られて殺されました。ナレーションで済まされてしまいましたが、かつて反董卓連合軍の中心勢力として活躍した張邈のあえない最期でした。
ともかく、こうして曹操軍は1年足らずで兗州を奪い返したのです。

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袁紹も、のんびりと構えています。曹操、呂布、劉備が争って潰し合いをしているうちに
自分は兵力を蓄えていればいい、という考えのもとに。曹操の窮状を知り、袁紹は自分に降るよう書簡をしたため、沮授に持たせましたが、これはもちろん一蹴されました。曹操軍はそんなに甘い相手ではありません。

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息子・袁尚にデレデレの袁紹。しかも、長安で乱が起こり、献帝(けんてい)が
董承(とうじょう)たちによって連れ去られ、洛陽へ移動中という報告が入っても、「大勢に影響はない」と気にも留めませんでした。沮授は、献帝を迎えて大義名分を得る絶好の機会だと進言しますが、袁紹は実権のない皇帝に権威などない、としてこれを却下しました。

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一方、曹操のもとにも献帝の逃亡が伝わりました。曹操の軍師・郭嘉や荀彧は、
すぐさまこれを迎える手立てを考えるよう進言。曹操は曹洪、曹仁を洛陽へと派遣します。

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このとき、曹操たちは焼肉を食べていました。さすまたのような棒で肉を焼き、
食べるときはそれから肉を外して、あいかわらず手で肉を口に運んでいます。このように綺麗なバーベキューセットのような道具があったのかどうかは、ドラマなので是非を問うても仕方ないですが、ここでも頑なに箸は使っていません。何はともあれ、美味しそうです。

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かくして、曹仁(右)、曹洪(左)は兵糧を携えて洛陽へと向かいました。
献帝に食料を届けるという名目をもって、洛陽へ入り、献帝の身柄を確保しようという狙いですが、洛陽では韓暹、楊奉、張楊といった輩による妨害が予想されます。はたして、うまく行くでしょうか?

第23話 共鳴

こんにちは! ドラマ『曹操』案内役の哲舟です!
また1週間、開いてしまいましたが、皆さんお元気ですか?

2月に入りました。実は昨日から、CS放送「チャンネル銀河」で
本作・ドラマ『曹操』の放映が開始されました。『曹操』のファンが一人でも増えてくれることを祈りつつ、第23話の解説を綴ってみたいと思います。

さて、曹操の陣営を訪れた劉備が袋に入れてきたのは、曹操の父を殺した張本人・張闓(ちょうがい)でした。
劉備は、密かに張闓一味を捕らえていたのです。仇敵を曹操に献上してその処分を任せようというのですが・・・。

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父の仇を目の前にして、さすがに少し顔色を変える曹操。しかし、頭は冷静でした。
「父の死は徐州を攻める口実に過ぎない」と本音を口にします。
劉備は曹操に撤退要求をして立ち去りました。

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「劉備は残忍で腹黒い。いずれ頭角を現すだろう」と、曹操は予言めいたことを郭嘉に言いました。そして、この場は劉備の顔を立てて撤兵し、彼に恩を売ることを決めます。曹操軍が撤退すれば、劉備は陶謙に感謝され、徐州に勢力を張ることができるからです。

陶謙は、撤兵する曹操軍を追撃すべきでは?と劉備に問いますが、劉備は「伏兵に遭う恐れがある」といってそれを留めました。陶謙には曹操との裏取引は秘したまま。はたして陶謙は、彼を徐州に留め置きました。これで劉備は兵も城も得たことになります。なんとも腹黒い劉備。今までにない劉備像といえましょう。

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場面は変わって、冀州の鄴城(ぎょうじょう)。袁紹の居城に、呂布が戻ってきました。
呂布は宣言どおり、わずか3千の手勢で10万の黒山賊を撃破し、大将・張燕の首を手土産に持ち帰ってきたのです。袁紹は驚きながらも呂布を歓待すべく出迎えたのですが・・・。

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その夜、呂布は城内で自分の帰りを待っていた、愛妻・貂蝉と再会。
董卓が死んだとき以来、久々に登場の貂蝉。しっかりと「呂布の妻」を続けているようです。呂布は貂蝉を抱えて寝所へ入りますが、その屋敷を袁紹の兵が取り囲んでいました。

袁紹は呂布を恐れると同時に、手なづけるのは難しいと考え、密かに始末してしまおうと考えたのです。袁紹の刺客たちはいっせいに踏み込みますが、呂布と貂蝉の姿はすでにありません。危険を察した呂布は、いち早く逃げ去っていたのでした。

さて、徐州に戻り、兵糧を確保して体勢を立て直した曹操は、再び徐州に攻め入ります。
曹操軍は瞬く間に5つの城を落とすという速攻を見せますが、陶謙軍は逃げ散って民の中にまぎれ、壊滅的な打撃を与えるには至っていませんでした。曹操はそれを聞いて民もろとも皆殺しにするよう命じます。これに対し、とくに夏侯惇、夏侯淵らは難色を示しますが、曹操は「奪わねばならぬ」と厳命します。

「今やつらを殺さねば、いずれ自分が殺されることになる」
曹操は、まだ幼い頃に曽祖父の曹節が自分の目の前で士人たちを虐殺したことを思い返し、それと同様の言葉を口にしました。かつては、曹節の行いにただ衝撃を受けただけの曹操が、いまやそれと同じ行為を命じ、同じ言葉を発しています。運命というものを感じずにはいられません。

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こうなっては夏侯惇、夏侯淵もいよいよ覚悟を決め、徐州の民兵たちを討つために出陣するしかなく、「虐殺」を実行したのです。胸の痛む出兵ですが、曹操への絶対の信頼が、彼らをその行為へと駆り立てました。

そんな曹操の行いを聞いて、他の群雄たちはさまざまな反応をします。
いや、反応どころか行動に出た者たちがいました。兗州(えんしゅう)の張邈(ちょうばく)、陳宮です。彼らは一応、兗州牧となった曹操の部下におさまった格好になったのですが、兗州の外にばかり目を向ける曹操に反感を持っていました。

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そんな折、2人を劉備の使者・簡雍(かんよう)が訪ねてきます。
関羽・張飛の影に隠れていますが、この人も劉備が決起した頃から従う最古参の人物。簡雍は張邈たちをそそのかし、曹操が留守の間に反旗をひるがえすよう要請しに来たのです。そうやって曹操軍の退路を断ったうえで、徐州の下邳城(かひじょう)に誘い込むという策略でした。

そのころ、近くには袁紹のもとを脱出してきた呂布がいました。張邈たちは、今こそ千載一遇の好機とみて、これに乗ります。呂布を盟主として担ぎ上げ、反・曹操の兵をあげて兗州を乗っ取ってしまったのです。

徐州城を攻めていた曹操と郭嘉、この報にはさすがに驚きました。
正史にも記されているとおり、張邈と曹操とは古くからの付き合いで、どちらかが死んだ時には、残された家族の面倒を見ると約束したほどの仲だったといいます。曹操は、愕然としたようです。本作ではあまり動揺していたようには見えませんでしたが。李典と楽進も、命令を受けて慌てて城攻めを中止。兗州を奪回するため、兵を退きます。

そのころ曹操は、下邳城へ入ろうとしていました。呂布の配下である田氏(でんし)が寝返り、下邳城へと道案内をするというので、その後をついてきたのですが、これは陳宮の策略でした。たちまち呂布の軍勢が現れ、包囲されて奇襲を受けた曹操軍は大混乱に陥ります。呂布と、その部下の張遼に、曹操軍は散々に討ち減らされます。

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しかし、曹操は雑兵の格好をしてまぎれ込んでいたので、呂布は曹操だと気付かずに見逃してしまいます。
呂布の戟(げき)を頭に押し当てられたときは、生きた心地もしなかったに違いありません。
が、一難去ってまた一難、焼け落ちてきた家屋が、曹操の頭上に降ってきました・・・。
さて、曹操は無事生き延びれるのでしょうか?


~このひとに注目!~
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陶謙(とうけん) 132~194年(63歳)
字は恭祖(きょうそ)。揚州丹陽郡の出身。
次回で病死したことが語られるので、今回が最後の出番となる。「黄巾の乱」の後、その残党が徐州で暴れ始めたため、鎮圧を命じられ派遣された人物。以後、徐州の刺史として割拠するが、董卓討伐軍には加わらず静観していたため、徐州は一時平穏となり、多くの人が流れ住んで栄えたという。曹操や袁紹が台頭してくると、陶謙は公孫瓚(さん)と組んで曹操に対抗する。徐州で曹操の父(曹嵩)を殺害したのは部下の仕業とされるが、陶謙自身の指示だったという説もある。その後、曹操にたびたび侵攻を受けた徐州は民を大勢殺され、疲弊していく。曹操との戦いの中で神経を減らしたか、自身も病にかかり、客将ながら人心を掴んでいた劉備に後事を託して亡くなる。
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