みなさん、こんばんは!
ドラマ『曹操』、案内人の哲舟(てっしゅう)です。
いよいよ今日から1話ずつ、各話のあらすじを解説していきたいと思います。
なにしろ全41話。先は長いですが、どうか皆さん気長にお付き合いください。
なお、内容にネタバレを含んでいますので、視聴後の閲覧をおすすめします。
それは、ドラマ『曹操』のはじまり、はじまり。
本作は、幼い曹操(幼名・阿瞞 ~あまん)が洛陽の宮殿を訪れるところから始まります。
時は後漢末期、西暦169年。建寧2年のこと。

このとき阿瞞(あまん)は15歳。永寿元年(155年)の生まれで、
昔の人は生年を1歳と数えましたので、数え年で15歳ということになります。
今でいえば中学3年。それにしては幼く、9歳か10歳ぐらいにも見えますが・・・
幼さを強調するため、実年齢より幼い子役を使ったのかもしれません。

そのころ、宮中では朝議(朝廷の会議)が行なわれていました。
こちらが後漢の12代皇帝、劉弘(りゅうこう)。人には霊帝(れいてい)と呼ばれます。
曹操より1歳年下。この前年に36歳で死んだ桓帝(劉志)の跡を継いだばかり。
桓帝には息子がいなかったので、皇族の中から、
士人の竇武(とうぶ)、陳蕃(ちんばん)らが擁立した幼い帝でした。


幼い霊帝に、朝議の内容など分かるはずがありません。
毎日のように繰り返される朝議を適当に切り上げ、
霊帝は子供たちが待つ部屋へ走り去りました。
実は阿瞞は、霊帝の遊び相手として宮中に呼ばれた子供たちの一人でした。
ここで2人は初めて顔を合わせます。
皇帝に臣下から話しかけるのも失礼なのに、「歳はいくつですか?」と
いきなり聞いてしまう曹操を、霊帝はすっかり気に入ってしまいます。
その後、宦官(かんがん)たちを馬代わりにして騎馬戦のような遊びが始まりました。
宦官とは、去勢(性器を切除)した男性のことで、
宮殿の中で皇帝やその家族たちの身の回りを世話をするのが仕事でした。
しかし、皇帝の傍近くに仕えるため気に入られ、
次第に大きな権力をつける者たちが現れるようになります。

曹操の祖父である曹騰(そうとう)、
曾祖父の曹節(そうせつ)もその一人として大変な権勢をふるっていました。
しかし、この時は宮中は曹節ら宦官と、
竇武(とうぶ)、陳蕃(ちんばん)ら士人との内部抗争の真っ只中でした。
竇武、陳蕃たちが宦官の排斥を狙い、行動を起こそう画策していることを
いち早く察知した曹節は、先手を打ってまず陳蕃を罠にかけて殺しました。

白紙の書簡を詔勅(皇帝の手紙)と偽り、黄門令の山氷を捕え、
それを救おうと乗り込んできた陳蕃の一行を、侍衛(朝廷の護衛兵)に命じて殺させます。
陳蕃は勇敢な武人のはずですが、宮中では武器を持つことを禁じられていたので、
丸腰の彼らは侍衛たちの振るう木刀に抵抗する間もなく、撲殺されました。

さらに、その子供たちまでをも・・・。先ほどまで騎馬戦で楽しんでいた子供たちも、
まさかこんな運命が待っていようとは思いもしなかったでしょう。

曹節は、続けて大将軍の竇武の陣営を包囲し、兵の命と引き換えに彼に自害を命じます。
竇武はそれを条件に自害して果てますが、曹節は彼が死んだと見るや、
配下の兵たちまで殺害させてしまいました。

幼い阿瞞にとって、宮中での出来事とこの曹節の騙し討ちは、ただただショックでした。
普段は自分にとても優しい(と思っていた)ひいお爺ちゃんが、実はこんなに残虐な人だった。
今で言う「トラウマ」になったであろうことは想像に難くありません。

宿敵たちを首尾よく始末することに成功した曹節は、自邸で宴会を開きます。
美女たちを侍らせ、酒色にふける曹一族と宦官たち。
宦官には男性のシンボルがないので、このシーンに違和感を持つ人も
いらっしゃるかもしれませんが、宦官には性欲は残るんだそうです。
だから普通の権力者と同様、屋敷には美女もたくさん置いていたようですね。
このように、宦官が決起し、士人(士大夫とも呼ばれる)たちを
徹底的に弾圧した事件は「党錮の禁」(とうこのきん)と呼ばれ、
捕らわれたり殺されたりした士人は600~700人にも上ったといいます。
宦官たちの魔の手は士人本人のみならず、家族たちにまで忍び寄り、
多くの罪もない人たちが、その身内というだけで殺されていきました。

父の曹嵩(そうすう。この人は宦官でありません)とともに外を歩いていた阿瞞は、
連行される士人の身内である女性や子供を見つけ、役人に賄賂を送らせて助けました。
その子供は陳宮(ちんきゅう)と名乗り、阿瞞に礼を言って走り去ります。
この出会いは、実に重要な意味を持ち、後々まで関係してきますから、
この子の名前と顔(役者かわっちゃうけど)をよく覚えておきましょう。

しかし、宦官たちから見れば罪人の女を助けたという重罪を犯した阿瞞は、
罰を受けます。といっても、臼を挽く軽い肉体労働ですが・・・。

「なぜ罪もない人を大勢殺すのです?」
問いかける阿瞞に、「そなたはまだ幼いから分からんのだ」と曹節は答えます。
さすがに幼い阿瞞には、まだ宮中の大人の抗争劇を理解させることは無理。
そう考えた曹節は、阿瞞を故郷(沛国譙県)に帰すことにしました。
阿瞞を帰す代わりに
「孝廉に挙げ、お前が出世する手はずを整えておいてやる」と曹節は言います。
大権力者の曾孫(ひまご)であることから、大罪を犯しても死罪にならず、
将来の出世もすでに約束されている・・・。
しかし、阿瞞には曾祖父の愛情を素直に受け取ることはできませんでした。
馬車を飛び出し、走り出す阿瞞。

「わしの話を覚えておくのだぞ!」と叫ぶ曹節を尻目に、
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
阿瞞は何度も何度も叫び、その場を走り去っていきました。
・
・
・
そして10年後。

場面は、仲間たちとともに狩りに興じている曹操(字・孟徳)の姿を映し出します。
NHK大河ドラマでもよくある切り替わり方ですね。
子役の曹操、なかなか利発そうな子だったのでもう少し見ていたかった気もしますが、
ここからは大人の曹操役、チャオ・リーシンさんに期待をかけましょう。
24歳になった曹操。隣には幼馴染の張邈(ちょうばく)、後ろに見えるのは
曹操のいとことされる、夏侯惇(左)、夏侯淵(右)。曹仁もいます。

そこへ、獲物の鹿を追ってやってきた、2人の若者がなにやら言い争いを始めます。
この2人こそ、後に曹操のライバルとして名を馳せる袁紹(右)と袁術(左)。

2人は、四世三公(4代続けて三公という重要な役職についた)の名族・袁家の御曹司たち。
兄弟ながら、この2人はとてつもなく仲が悪いのでした。
2人は腹ちがいの兄弟で、袁紹は兄ながら側室の子だったために叔父の養子となり、
正室の子である袁術が本家の跡を継いだのですが、
袁紹はそのことを恩に着せ、袁術は何かと言えば袁紹を「妾腹の子」と馬鹿にします。
立腹した袁紹が剣を抜き、一色即発となったとき、
曹操が「どぅどぅ」と馬を寄せ、仲介に入ろうとするのですが・・・。
さて、今回はこれまで。また次回、第2話でお会いしましょう。
第2話の解説は、今週中にはアップします。
~人物クローズアップ~

■曹節(そうせつ/生没年不詳)
曹操の義理の曾祖父(ひいおじいちゃん)。沛国譙県の出身。四男に曹騰がいる。
字は元偉。正史『三国志』では「曹萌」(そうぼう)が正しい名前とされ(※)、
また宦官であったとは記されていない。
同時代には「曹節」という権勢を誇った別人の宦官がいたが、
本作ではこの人物を「曹操の曾祖父だった宦官」として、
曹萌と曹節の2人の要素を合体させ、新たな人物を作ったようだ。
史実における曹節は、温厚な性格で知られていたという。
※(追記)正史の記述を確認したところ、曹操の曽祖父の名は「曹節」で合っているようです。
のちに、献帝に嫁いだ曹操の娘の名前も曹節といいますが、
曹操が娘の名に自分の曽祖父と同じ名をつけたのは不自然なので、
「曹節」は誤りで「曹萌」が正しいとの説があります。
が、説明不足のうえに、ここでは蛇足でした。訂正します。

(参考)本作品における、曹一族の相関図
ドラマ『曹操』、案内人の哲舟(てっしゅう)です。
いよいよ今日から1話ずつ、各話のあらすじを解説していきたいと思います。
なにしろ全41話。先は長いですが、どうか皆さん気長にお付き合いください。
なお、内容にネタバレを含んでいますので、視聴後の閲覧をおすすめします。
それは、ドラマ『曹操』のはじまり、はじまり。
本作は、幼い曹操(幼名・阿瞞 ~あまん)が洛陽の宮殿を訪れるところから始まります。
時は後漢末期、西暦169年。建寧2年のこと。

このとき阿瞞(あまん)は15歳。永寿元年(155年)の生まれで、
昔の人は生年を1歳と数えましたので、数え年で15歳ということになります。
今でいえば中学3年。それにしては幼く、9歳か10歳ぐらいにも見えますが・・・
幼さを強調するため、実年齢より幼い子役を使ったのかもしれません。

そのころ、宮中では朝議(朝廷の会議)が行なわれていました。
こちらが後漢の12代皇帝、劉弘(りゅうこう)。人には霊帝(れいてい)と呼ばれます。
曹操より1歳年下。この前年に36歳で死んだ桓帝(劉志)の跡を継いだばかり。
桓帝には息子がいなかったので、皇族の中から、
士人の竇武(とうぶ)、陳蕃(ちんばん)らが擁立した幼い帝でした。


幼い霊帝に、朝議の内容など分かるはずがありません。
毎日のように繰り返される朝議を適当に切り上げ、
霊帝は子供たちが待つ部屋へ走り去りました。
実は阿瞞は、霊帝の遊び相手として宮中に呼ばれた子供たちの一人でした。
ここで2人は初めて顔を合わせます。
皇帝に臣下から話しかけるのも失礼なのに、「歳はいくつですか?」と
いきなり聞いてしまう曹操を、霊帝はすっかり気に入ってしまいます。
その後、宦官(かんがん)たちを馬代わりにして騎馬戦のような遊びが始まりました。
宦官とは、去勢(性器を切除)した男性のことで、
宮殿の中で皇帝やその家族たちの身の回りを世話をするのが仕事でした。
しかし、皇帝の傍近くに仕えるため気に入られ、
次第に大きな権力をつける者たちが現れるようになります。

曹操の祖父である曹騰(そうとう)、
曾祖父の曹節(そうせつ)もその一人として大変な権勢をふるっていました。
しかし、この時は宮中は曹節ら宦官と、
竇武(とうぶ)、陳蕃(ちんばん)ら士人との内部抗争の真っ只中でした。
竇武、陳蕃たちが宦官の排斥を狙い、行動を起こそう画策していることを
いち早く察知した曹節は、先手を打ってまず陳蕃を罠にかけて殺しました。

白紙の書簡を詔勅(皇帝の手紙)と偽り、黄門令の山氷を捕え、
それを救おうと乗り込んできた陳蕃の一行を、侍衛(朝廷の護衛兵)に命じて殺させます。
陳蕃は勇敢な武人のはずですが、宮中では武器を持つことを禁じられていたので、
丸腰の彼らは侍衛たちの振るう木刀に抵抗する間もなく、撲殺されました。

さらに、その子供たちまでをも・・・。先ほどまで騎馬戦で楽しんでいた子供たちも、
まさかこんな運命が待っていようとは思いもしなかったでしょう。

曹節は、続けて大将軍の竇武の陣営を包囲し、兵の命と引き換えに彼に自害を命じます。
竇武はそれを条件に自害して果てますが、曹節は彼が死んだと見るや、
配下の兵たちまで殺害させてしまいました。

幼い阿瞞にとって、宮中での出来事とこの曹節の騙し討ちは、ただただショックでした。
普段は自分にとても優しい(と思っていた)ひいお爺ちゃんが、実はこんなに残虐な人だった。
今で言う「トラウマ」になったであろうことは想像に難くありません。

宿敵たちを首尾よく始末することに成功した曹節は、自邸で宴会を開きます。
美女たちを侍らせ、酒色にふける曹一族と宦官たち。
宦官には男性のシンボルがないので、このシーンに違和感を持つ人も
いらっしゃるかもしれませんが、宦官には性欲は残るんだそうです。
だから普通の権力者と同様、屋敷には美女もたくさん置いていたようですね。
このように、宦官が決起し、士人(士大夫とも呼ばれる)たちを
徹底的に弾圧した事件は「党錮の禁」(とうこのきん)と呼ばれ、
捕らわれたり殺されたりした士人は600~700人にも上ったといいます。
宦官たちの魔の手は士人本人のみならず、家族たちにまで忍び寄り、
多くの罪もない人たちが、その身内というだけで殺されていきました。

父の曹嵩(そうすう。この人は宦官でありません)とともに外を歩いていた阿瞞は、
連行される士人の身内である女性や子供を見つけ、役人に賄賂を送らせて助けました。
その子供は陳宮(ちんきゅう)と名乗り、阿瞞に礼を言って走り去ります。
この出会いは、実に重要な意味を持ち、後々まで関係してきますから、
この子の名前と顔(役者かわっちゃうけど)をよく覚えておきましょう。

しかし、宦官たちから見れば罪人の女を助けたという重罪を犯した阿瞞は、
罰を受けます。といっても、臼を挽く軽い肉体労働ですが・・・。

「なぜ罪もない人を大勢殺すのです?」
問いかける阿瞞に、「そなたはまだ幼いから分からんのだ」と曹節は答えます。
さすがに幼い阿瞞には、まだ宮中の大人の抗争劇を理解させることは無理。
そう考えた曹節は、阿瞞を故郷(沛国譙県)に帰すことにしました。
阿瞞を帰す代わりに
「孝廉に挙げ、お前が出世する手はずを整えておいてやる」と曹節は言います。
大権力者の曾孫(ひまご)であることから、大罪を犯しても死罪にならず、
将来の出世もすでに約束されている・・・。
しかし、阿瞞には曾祖父の愛情を素直に受け取ることはできませんでした。
馬車を飛び出し、走り出す阿瞞。

「わしの話を覚えておくのだぞ!」と叫ぶ曹節を尻目に、
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
「自己的路!」(自分の道を自分で歩きたい!)
阿瞞は何度も何度も叫び、その場を走り去っていきました。
・
・
・
そして10年後。

場面は、仲間たちとともに狩りに興じている曹操(字・孟徳)の姿を映し出します。
NHK大河ドラマでもよくある切り替わり方ですね。
子役の曹操、なかなか利発そうな子だったのでもう少し見ていたかった気もしますが、
ここからは大人の曹操役、チャオ・リーシンさんに期待をかけましょう。
24歳になった曹操。隣には幼馴染の張邈(ちょうばく)、後ろに見えるのは
曹操のいとことされる、夏侯惇(左)、夏侯淵(右)。曹仁もいます。

そこへ、獲物の鹿を追ってやってきた、2人の若者がなにやら言い争いを始めます。
この2人こそ、後に曹操のライバルとして名を馳せる袁紹(右)と袁術(左)。

2人は、四世三公(4代続けて三公という重要な役職についた)の名族・袁家の御曹司たち。
兄弟ながら、この2人はとてつもなく仲が悪いのでした。
2人は腹ちがいの兄弟で、袁紹は兄ながら側室の子だったために叔父の養子となり、
正室の子である袁術が本家の跡を継いだのですが、
袁紹はそのことを恩に着せ、袁術は何かと言えば袁紹を「妾腹の子」と馬鹿にします。
立腹した袁紹が剣を抜き、一色即発となったとき、
曹操が「どぅどぅ」と馬を寄せ、仲介に入ろうとするのですが・・・。
さて、今回はこれまで。また次回、第2話でお会いしましょう。
第2話の解説は、今週中にはアップします。
~人物クローズアップ~

■曹節(そうせつ/生没年不詳)
曹操の義理の曾祖父(ひいおじいちゃん)。沛国譙県の出身。四男に曹騰がいる。
字は元偉。正史『三国志』では「曹萌」(そうぼう)が正しい名前とされ(※)、
また宦官であったとは記されていない。
同時代には「曹節」という権勢を誇った別人の宦官がいたが、
本作ではこの人物を「曹操の曾祖父だった宦官」として、
曹萌と曹節の2人の要素を合体させ、新たな人物を作ったようだ。
史実における曹節は、温厚な性格で知られていたという。
※(追記)正史の記述を確認したところ、曹操の曽祖父の名は「曹節」で合っているようです。
のちに、献帝に嫁いだ曹操の娘の名前も曹節といいますが、
曹操が娘の名に自分の曽祖父と同じ名をつけたのは不自然なので、
「曹節」は誤りで「曹萌」が正しいとの説があります。
が、説明不足のうえに、ここでは蛇足でした。訂正します。

(参考)本作品における、曹一族の相関図
しかし最近このドラマがあるとこを知りました!
そして哲舟さんのこのブログを読んでいたら・・・
面白そおおお~!!
もっとこいいうドラマの知名度が上がってほしいです