こんばんは! ドラマ『曹操』案内役の哲舟です。
第1話をアップして以来、すっかり更新が遅れてしまい、申し訳ありません・・・。

リリースから1週間が経ちましたが、ツイッターなどを見ると概ね好評のようですね。
既に第1部(6話)、すべてご覧になった方もおられるようで、うれしく思います。
それでは、第2話の解説に参りましょう。

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さて、故郷・譙県での狩りの途中、袁紹・袁術が
兄弟喧嘩しているところに出くわした曹操一行。
喧嘩どころか、お互い剣を抜き合っての険悪な様子に「見捨てておけぬ」と、
曹操は、仲裁に入ろうと彼らの元へ馬を寄せます。

曹操に頼まれて袁紹と袁術を呼んだのは、張邈(ちょうばく)という人物で、
陳留の太守を務める男。曹操、袁紹いずれとも以前から面識があるようです。

横やりが入ったことで剣を収めた2人。
挨拶する曹操に対し、袁紹は一応、礼をもって応えましたが、
袁術は「宦官の跡取りか」とハナから見下し、まともに相手をしようともしません。

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張邈が「まあまあ」とその場を収め、曹操が「宴席をご用意しております」というので、
とりあえず村へ向かうことになり、その途中で昼食をとる一行。
夏侯惇や夏侯淵は、「傲慢な奴らだ!」といたく立腹している様子。

袁紹、袁術は、汝南袁氏(じょなんえんし)という後漢時代の中国を代表する名族の出身。
曹操は、彼らと交流することで名声を高め、出世の道を切り開こうとするのですが、
曹操の出自は、士人と真っ向から対立している宦官の子孫。
彼らに冷たくされるのは、致し方のないところといえましょう。

曹操が焼いた魚を差し入れしても、袁紹は相手にせず張邈と話を続け、
袁術は座を立ってしまう始末。なんとか話をする機会を伺う曹操ですが・・・。

その時・・・。
池に石を投げて遊んでいた袁術の目の前に、1匹のワニが出現!
これは袁術でなくても驚きます。

さしずめ、
「ひとくいワニ が あらわれた!」といったところでしょうか?
腰を抜かして動けない袁術。
それをかばうように、曹操が踊り出て、ワニに斬りかかります。

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人々が息を呑んで見守る中、曹操はワニの前足を切り、撃退に成功。
この勇敢な行動に、袁紹は曹操をすっかり見直し、先ほどの非礼を詫びます。

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しかし、袁術は命を救われたにも関わらず、態度を改めようともしません。
さっさと1人、村へと向かってしまいました。仕方なく、一行は後を追います。

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村に到着し、2人で酒を飲みなおす曹操と袁紹。

このとき、曹操が手づかみで肉のようなものをつまんでいます。
ちょっと解説すると、この時代、箸(はし)は既にあったはずですが、
まだ一般的に流通しておらず、調理用または料理を取り分けるのに
使われただけで、食事は手づかみだった、とも考えられています。
同時代の日本(邪馬台国)の人々も手づかみだったと「三国志」には記されています。

・・・いやはや、時代考証もしっかりしたドラマですね。
箸にまつわるエピソード、三国志ファンならご存知でしょうが、後々にも登場します。

さて、曹操に気を許した袁紹は、
「宮中で要職に就くのは自分ではなく、どうせ嫡子の袁術・・・」と愚痴ります。
曹操は「度量の狭い袁術よりも、武芸・仁徳・風采どれをとっても
袁紹殿のほうが要職にふさわしい」と持ち上げます。

ここで、袁家の相関図を確認しておきましょう。

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この図を見ていただくとお分かりのように、
袁紹は伯父の家に養子に出てしまったので、弟の袁術が袁家の嫡男となりました。
このため立場上、袁紹は袁術の家臣に入ることになるわけです。

一説によれば、袁紹は最初から袁成の子で、袁術とは従兄弟(いとこ)の間柄だったとも
いわれますが、このドラマでは実の兄弟(異母兄弟)という説が採用されています。

話を戻します。曹操は一計を案じ、袁術を出し抜いて
袁紹に対し借りを作るように仕向けるのですが・・・その策とは?

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昼間、見かけた行列の中にいた花嫁をさらってきて、袁術のもとに置くというもの。
袁術が花嫁に懸想するのを見ていた曹操は、
夏侯惇や曹仁らに命じ、さらって来させました。
皆が寝静まった夜、あっさりと人さらいに成功する一行。

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酔って先に寝ていた袁術がふと目をさますと、枕元には昼間の花嫁が!
「これはラッキー」と、さっそく袁術は自分のものにしようと裸になりますが・・・
そこへ、曹操と袁紹が偶然を装って入ってきてしまいます。慌てて取り繕う袁術。

曹操が花嫁を抱えて出て行くと、袁術は「父には内緒に」と袁紹に懇願します。
もちろん、袁術は自分の仕業でないことは分かっていますが、
完全に出し抜かれたことで、今回は負けを認めて引き下がります。
曹操の策のおかげで、袁紹は狙っていた虎賁中郎将の地位に近づいたわけです。

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一方、曹操一行は花婿の家に「袁術から取り返した」と言ってお嫁さんを送り返します。
花婿宅の王さんは、曹家の小作人という家柄。
曹操が下手に出て詫び、さらに土地と金まで渡したことで、
逆に感謝されて事は収まりました。

このあたりの機知に富んだ大芝居は、まさに「曹阿瞞」の本領発揮といったところ。
実はこの「花嫁泥棒」の逸話は、『世説新語』という5世紀に書かれた小説集に
載っているエピソードをアレンジしたもので、それなりに信憑性があるものなのです。

それによれば・・・
袁紹と曹操は若い頃、婚礼の宴をしている家に忍び込み、花嫁をさらいました。
曹操が花嫁をかつぎ、先に立って逃げましたが、後から来た袁紹がイバラに足を取られ
動けなくなってしまいます。すると曹操は「おーい、泥棒はここにいるぞ!」と
大声で叫んだため、袁紹は必死で抜け出し、逃げ延びることができたといいます。

つまり、本来は袁紹が貶められている話がもとになっていて、
袁術はこの話にまったく絡んでいないわけですが、
本作では袁術をお笑い担当にすることにより、面白く描いてあります。
「曹操ならやりかねない」と思わされるようなアレンジといえましょう。

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場面は変わって、あくる朝。曹家で袁紹と曹操は酒を酌み交わしていました。
周りでは、夏侯兄弟が酒造りを行なっています。
お酒については、別の機会で詳しく解説しますが、
曹家は酒造りを商売にしていたという様子を、本作では描いています。

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袁紹を見送った後、曹操のもとへ張邈が訪ねてきて、朝廷からの委任状を
持ってきます。曹操は喬玄(きょうげん)という名士の推挙により、晴れて
洛陽北部都尉(らくよう ほくぶとい)に任命されました。喜びをあらわにする曹操。

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曹操は、洛陽へ向かう前に、汝南の袁家を訪ねます。
ここで、曹操の甥の曹安民(そうあんみん)、そして許褚(きょちょ)が初登場。
曹安民は身内なので分かりますが、許褚はいつ曹操と知り合ったのでしょう??
「許褚、お前いつの間に!」といった感じですが、まあ良しとしましょう。

向かった汝南では、袁術の母の葬儀が行なわれていました。
諸侯たちが訪ねてくる中、そこでも袁術と袁紹は葬儀の主導権を巡っての
喧嘩を始めますが(またかよ・・・)、曹操が仲裁してなんとか収まりました。

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「袁紹も袁術も利己的で天下を治めるに値しない、お前は何かをなしとげる男だ」
曹操をそう評価するのは、葬儀に招かれて来ていた何顒(かぎょう)という名士でした。

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その後、ようやく曹操は洛陽へ到着しました。
10年前、初めて洛陽を訪ねた日のことを思い出しながら、
曹操は謹んで命令を受けます。

ここでも、曹操が宦官の孫であることを馬鹿にする文官がいて、
耐えきれなくなった曹操は、その者を押し倒し、馬乗りになって殴りつける一幕も。
キレたら怖い曹操、さすがです。そんな騒ぎを起こしても罰せられたりはせず、
赴任式はつつがなく終わるのが、ある意味中国ドラマらしい気がしますが(笑)。

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曹操が、持ち場である洛陽北部へと向かうと、民を暴力で圧する役人たちを蹴り倒す
一人の男がいました。その名は李典(りてん)。後に曹操軍の主力の一人として
活躍する人物ですが、若いころからその名は高かったようです。
曹操と李典は顔見知りだったようで、親しげに声をかける曹操。

李典は見るからに頼もしく、使えそうな男です。
曹操は彼を連れ、北部都尉府へと向かいます・・・。


~人物クローズアップ~
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■李典(りてん) 字は曼成(まんせい) 生没年不詳
兗州(えんしゅう)山陽郡の出身。若い頃の事績は不明だが、武芸よりも学問を好んだ。
『春秋左氏伝』をはじめ、さまざまな書物に目を通した。謙虚な性格だったという。

叔父の李乾(りけん)は地方の顔役で、曹操の黄巾討伐から徐州討伐まで活躍したが、
その叔父の死後、李典が彼の兵を引き継ぐことになった。
「官渡の戦い」が初陣と思われ、以来数々の戦いに参加して武功を挙げる。
215年「合肥の戦い」では張遼や楽進らと協力し、孫権軍を退けた。
死亡時期は不明だが、おそらくその直後に36歳の若さで没した。

本作においては、早くも2話目にして登場。215年に36歳で死んだとすると、
生まれは少なくとも179年になり、この年まだ1歳という計算になってしまう。
そのため、上述の叔父・李乾を投影した人物と見るべきだろう。