こんばんは! ドラマ『曹操』案内役の哲舟(てっしゅう)です。

_SL500_AA300_本題の前に、まずはお知らせ。
明日18日、第7話~12話を収めた
ドラマ曹操 【第2部-漢室衰退-】
ブルーレイ、DVDで同時リリースされます!
(ブルーレイは販売のみ、DVDはレンタルのみです)

いよいよ、劉備、関羽、張飛、董卓、呂布といった
三国志の花形といえる人物が多数登場し、
物語を盛り上げてくれますよ。ぜひご覧ください。

やや遅れがちではありますが・・・あらすじ解説のほうも、
リリースに追いつけるようペースアップして綴りますので、よろしくお願いします。

では、さっそく第3話の解説に参りましょう。
この第3話は漫画「蒼天航路」の序盤でも衝撃的だった
あの棒打ちの場面が、実写化されたという点でも必見の回といえるでしょう。

洛陽北部の都尉(とい)に任命され、さっそく任地を訪れた曹操。
しかし、そこは飢えた流民であふれ、門番たちは居眠りして何もせず、
さらには役所の机や椅子には埃が積もっている始末でした。
曹操は、そうした有様を半ば予想していたようで、さっそく手を打ちます。

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甥の曹安民(そうあんみん)には粥を用意するよう命じておいて、
再会したばかりの李典(りてん)には、立て札を作って民を集めるよう依頼。
2人とも曹操の意図を呑み込めず怪訝な顔をしますが、とりあえず指示通りに動きます。

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立ち去る李典が、居眠りする門番を見て憤慨するあまり気を取られ、
柱に頭をぶつけてしまう場面は必見(笑)。

流民たちを集めた曹操は、さっそく許褚(きょちょ)に粥の入った大鍋を置かせて
「これからは毎日、粥をおく。誰でも食べられる」と告げます。
民らは「ありがたい」と感謝しながらも、「一人一杯」という曹操に対し、
それではお腹が満たされないため不満を漏らします。

そこで、曹操は彼らに労働と兵役の任を与え、養ってやろうと提案します。
女は布を織って天幕を作り、男は兵に志願して体を鍛える。

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「手に職をつけて稼ぎ、もっといい物を食え」と。
さらには好き放題やって怠けていた兵士らを棒打ちの刑に処し、溜飲を下げさせる。
信賞必罰。曹操は巧みなやり方で、たちまち民の心を掴んだのです。

ところは変わり、曹騰(そうとう)の屋敷を訪ねた曹操。
女中にオイルマッサージをさせる曹騰、実にうらやま・・・いや、気持ちよさそうです。

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第1話で登場した曽祖父の曹節はすでに亡くなっていますから、
今は、おじいちゃんの曹騰が曹操にとって一番頼れる人なのです。

宦官に恨みを持つ士人たちが、自分に妨害工作を仕掛けてくることを
曹操は察知しており、その対策を曹騰に訊ねに来たのです。
祖父は孫に、惜しみなく策を授けました。曹節同様、いやそれ以上に曹騰も、
かわいい阿瞞にかかっては甘ったるい、おじいちゃんに過ぎません(笑)。

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さて、また所は変わって、ここは洛陽宮の市場。
霊帝(劉宏)が登場しました。第1話では、曹操と同様まだ幼かった彼も、
いまや、すっかり大人になっていますが・・・。

それにベッタリとすりよって、ご機嫌を伺うのが、蹇碩(けんせき)という宦官。
黄門侍郎(こうもんじろう)という役職を持つ皇帝の側近で、
第1話でも登場し、曹節や曹騰にぺこぺこして、ご機嫌をとっていたあの人です。

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同じく、宦官として権勢を振るう張譲(ちょうじょう)も登場。
張譲は、霊帝の気に入った女の子を連れてきて引き合わせる役割のようです。
3人組の中でも、ひときわ小柄な娘を見初め、霊帝は後宮へと連れ帰りました。
霊帝は大人になっても子供の頃そのままで、政治に無関心。
皇帝は宦官たちの操り人形という、後漢の朝廷の腐敗ぶりを描写した場面です。

それから何日か経った、ある夜のこと。
新任の曹操が出した「夜間外出禁止令」を守らず、二更(午後9~10時頃)を過ぎても
酒場で酒を飲むのをやめず、騒いでいる輩がいました。

この者は、蹇碩の叔父にあたる蹇図(けんと)。その名を聞いた李典と曹安民は、
さすがに捕らえるのを躊躇いますが、曹操が来て容赦なく「縛り上げろ!」と命じます。

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翌朝、北部都尉府にて曹操が蹇図に裁きを下そうとしているところへ、
甥の蹇碩がやってきます。蹇碩は曹操におじを見逃すよう頼みに来たのですが、
民たちが大勢見物に来ている手前、法に明るいように振舞うほかはなく、
曹操の諮問に、「棒打ちを・・・」と仕方なく命じるのでした。

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それでもタイミングを計り、曹操に近づいてきて、
「曹家とは昔から親しく付き合ってきた。わしの顔を立ててくれ」と懇願する蹇碩。
しかし、曹操は「法令は絶対」と言って譲らないため、蹇碩も仕方なく、
棒打ちを軽めの20回にしてくれるよう頼みますが・・・

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曹操は首を縦に振りません。そのため、
蹇碩が提案する棒打ちの回数は、30回、40回・・・と増えていきます。
そして「50回」と言ったところで、曹操は「ハオ!」(好し!)と納得しました。
意気揚々と「棒打ち50回!」を命じる曹操に、鬱憤を晴らしたい民たちも快哉を叫びます。

騒ぎが大きくなり、曹操の父である曹嵩(そうすう)も様子を見にやって来たため、
蹇碩は彼にも耳打ちしますが、曹嵩も当然、曹操の味方のため効果なし。

ついに、刑が執行されてしまいました。叩き手は許褚(きょちょ)です。
こんなやつに、1回たりとも殴られたくはありませんが・・・

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彼は容赦なく怪力をふるい、10回、20回と棒打ちを続けます。
初めは痛みに絶叫していた蹇図の声が、いつしか聞こえなくなっていきました。

・・・50回に達するだいぶ前から、蹇図の腰まわりは血まみれ。
終わると、ピクリとも動かないばかりか、すでに息絶えていました。

「死んだ・・・」と知って絶句する周りの人々ですが、これは曹操の狙い通り。
「50回以内に殴り殺さねば、お前を殴り殺す」と密かに耳打ちしていたのです。

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「叔父上は持ちこたえられませんでした」と平然と報告する曹操に、
「やりおったな」と睨み付ける蹇碩。それに対し、
「ここは洛陽北部都尉府。無礼な振る舞いあらば、誰だろうと棒打ちに処す」
堂々と言い放つ曹操に、恨みの目を向けつつも蹇碩は立ち去ります。

いよいよ本領発揮といいますか、大衆の目前で権力者の身内を撲殺させた曹操。
その狙いは、宦官の一派に加担しないという決意表明であり、
自身の公明正大さを内外にアピールするためでした。
以後、誰も夜間外出の禁を犯さなくなった、と正史にも記されています。

曹操の父である曹嵩は、大司農として財政を担当する役職にあるため、
蹇碩も彼には強気に出られません。曹騰にそう教わったのでしょうか。
曹操はそれを利用したのですが、蹇碩の報復を恐れる曹嵩は、
「お前は青い。人を殺すとはやりすぎだ!」と叱責します。

叱られた曹操は、気晴らしに碁でも打とうと、
司馬防(しばぼう)の屋敷を訪ねますが、留守だったため
息子の司馬懿(しばい)と碁を打つことになりました。しかし、結果は惨敗。

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この司馬懿、三国志ファンであればもちろんご存知の人物でしょう。
後に曹操に仕え、天下を動かすことになる大物ですが、この時はまだ子供。
しかし、曹操はおろか、父の司馬防でさえ学問や碁ではまったく敵わないのだとか。
いやはや、まさに未来を予見させるような、末恐ろしさです。

実は、司馬懿は光和2年(179年)の生まれなので、このときはまだ
生まれていないか、生まれて間もない頃のはずですが・・・
李典同様、あまり細かいことを言ってもつまらないので良しとしましょう。

そこへ曹嵩がやってきます。もっと叱られるかと思った曹操ですが、
「頓丘(とんきゅう)の県令に任命された」と伝えに来たのです。
曹操も司馬防も喜びますが、「これは蹇碩の陰謀」と曹嵩は不安をあらわにします。

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頓丘の豪族、王福(右)は霊帝の寵愛を受けた王美人(後の献帝の生母)の弟で、
その威光をいいことに、民から重税を絞りとっていました。
この王福と曹操を対立させ、それに乗じて始末しようというのが蹇碩の意図です。

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さっそく、頓丘へと赴任してきた曹操。
お、貫禄を見せるためでしょうか、ここからヒゲを蓄えるようになっています。
民たちが、新しく来た県令・曹操に期待して、王福の重税と横暴さを訴えますが、
曹操は彼らを鞭で打ち、強引に押し通ってしまいました。

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民への仕打ちを見ていた側近によって
「聞いていた人物と違うぞ?」と、いぶかしむ王福。
曹操はすぐさま、王福の機嫌をとるべく酒を手土産に訪ねてきました。

「何かとおせっかいだった前の県令は馬に踏み殺されました」と脅す王福。
それに対し、曹操も負けてはおらず、王福が多額の税をとっていることを持ち出し、
「分け前をいただきたい」と切り返します。

商談成立といいますか、曹操の狙いが「金」であることを悟った王福は、
さっそく200万銭を用立て、曹操に心を許して酒を酌み交わします。

その夜、唐周(とうしゅう)という人物が1軒の民家に入っていきました。
中には農民の若者たちが何人か、たむろしています。

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唐周は、実は黄巾党の一味でして、彼らに計画を打ち明けます。
「蒼天已死 黄天當立」(蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし)
出てきましたね、三国志ファンとしては血がたぎるようなこのフレーズ。
この黄巾党のスローガンを掲げ、蜂起する勇士を募っているのです。

すでに、仲間の馬元義(ばげんぎ)が洛陽に潜入しており、
中常侍(宦官)の封諝(ほうしょ)を内応させる手はずが整っている。
そこで3月5日に城門を明け、内と外から蜂起する・・・という計画ですが、
「故郷を捨てて人殺しなど・・・」と、一同は及び腰。
いいところですが、次回へ続きます。

~人物クローズアップ~
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■司馬防(しばぼう) 149~219年 字は建公。司隷河内郡温県の出身。
司馬懿の父。尚書右丞という要職にあり、当時の曹操を洛陽北部都尉に起用した人物。

司馬氏は、曾祖父が征西将軍、祖父が豫章太守、父が潁川太守までのぼった名家。司馬防には息子が8人いて、そのうちの次男が司馬懿。8人とも優秀で、「仲達」のように、全員字(あざな)に「達」の字がついていたため「司馬八達」と呼ばれた。曹操とは6歳違いのはずだが、本作ではだいぶ年長というか、曹嵩と同年代に見える。

のちに曹操が魏王になったとき、鄴(ぎょう)に司馬防を呼んで歓待した。曹操は司馬防に、「今でも自分を尉に推挙するか?」と聞いたところ、司馬防が「昔、王を推挙したときは、尉にするのが丁度ふさわしかったまでです」と答えたため、曹操は大笑いしたというエピソードがある。