第33~38話【第6部-官渡大戦】

第38話 袁紹死す

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袁紹との決戦に勝利した曹操軍でしたが、その喜びに水を差す人物がいました。
烏巣(うそう)への奇襲を進言した許攸(きょゆう)です。

確かに彼がいなければ、曹操軍の勝利はなかったかもしれませんが、
許攸はおごり高ぶり、酒に酔って自分の功績を誇る
ばかりか、諸将を馬鹿にした態度をとり規律を乱します。
「人間、偉くなってもこうなってはいけない」という典型ですね(笑)。

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曹操も内心、不快に思っていましたが、彼の功績も大きかったので
公然と処罰することができずにいました。しかし、祝勝会の夜に
許攸が一人になったところで、許褚に命じてあっさりと斬らせてしまいました。

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冀州の黎陽(れいよう)を占領し、家族を呼び寄せた曹操は、
久しぶりに一家団欒のひとときを過ごします。
妻の卞(べん)、曹丕、曹彰、曹植の3兄弟とともに卓を囲む曹操。

久々に登場した卞夫人、相変わらずの美貌です。
曹操は、国作りの考え方が異なる荀彧の陰口を叩こうとした曹丕を
「それ以上いうな」と制します。図星だったからでしょうか?
楽しいムードもしらけてしまいました。

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そのころ、袁紹に最期の時が訪れました。
官渡・倉亭の戦いに敗れて以来、河北では反乱が頻発するようになり、
心痛のあまり病床に伏していましたが、建安7年(202年)5月、
妻子たちに看取られ、ついに世を去ったのです。

・・・個人的には正直、袁紹はもう少し有能な人物として描いて欲しかったです。
河北で独立してからの袁紹は、まったくいいところがありません。

それは、ある意味史実通りなんですが、そもそも、
なぜ、袁紹はあれだけの大勢力を誇ることができたのか、
ドラマなりに、もう少し「大物」として描いても良かったように思えます。
そういう意味で呂布も物足りなかったです。

ライバルを大きく見せることによって、曹操の偉大さが、
さらに引き立ったんではないか・・・、と私は考えるのですが、どうでしょう?

さて、「袁紹死す」の報を聞いた曹操も、さすがに衝撃を受けたようですが、
これで怖いものがなくなりました。曹操は袁紹の領地を受け継いだ、
袁譚、袁煕、袁尚の3人を争わせて自滅させようと手を廻します。
曹操はそれを足がかりに、袁紹の旧領地である河北統一をめざすことになります。

38-4
卞夫人は、曹操にあるものを手渡しました。
それは布に書き留めた胡人の歌。匈奴(きょうど)の商人が歌っていたものといいます。
一読した曹操は、懐かしい思いにとらわれました・・・。
その作者が誰であるかは、本編で明らかになりますが、詳しくは次回で記しましょう。

38-11
そのころ、鄴(ぎょう)城では袁紹の葬儀が行なわれていましたが、3人の子は
座る席の位置で揉め事を起こします。それと言うのも、袁紹が後継者に命じたのは
末っ子の袁尚だったので、長男の袁譚はそれが面白くないのです。

次男の袁煕には欲がなく、兄と弟を仲裁しますが、収拾がつきません。
こうして河北は身内同士での内紛により、混迷の度合いを深め、
曹操のさらなる進出を許していくのです・・・。

第37話 官渡の戦い

攻めるも地獄、攻めぬも地獄。
このままでは、兵糧が枯渇して自滅するほかない曹操は、
袁紹軍を裏切ってきた許攸(きょゆう)の進言を受けて、
烏巣(うそう)への攻撃を決断しました。

烏巣は、袁紹軍の食糧基地で、名将の淳于瓊(じゅんうけい)が
10万の兵で守備していましたが、曹操は坐して死を待つより攻める選択をしたのです。

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袁紹軍の援軍に化け、曹操も兵の一人に身をやつして烏巣へと進軍します。
見張りの将、張郃(ちょうこう)と高覧に見つかりますが、巧みに切り抜けて通ります。
彼らも、まさか曹操が奇襲に来たとは思いもよらなかったのでしょう。

しかし、この奇襲は容易ではありません。なにしろ10万の守備軍に対し、
曹操が連れてきたのは5千の軽装兵。よほど上手く仕掛けなくては
成功はおぼつきません。

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曹操軍にとって幸いだったのは、淳于瓊が酒で酔いつぶれていたことです。
その情報を知ってか知らずか、曹操軍は見事奇襲に成功し、兵糧庫に
次々と火を放っていきました。淳于瓊が武器をとって表に出たときには、
すでに烏巣は火の海でした。

報告を受けた袁紹は、烏巣奇襲を見落とした張郃と高覧を罵った挙句、
彼らに官渡(曹操の本陣)攻撃を命じますが、2人は烏巣救援を懇願しました。

しかし、袁紹は蒋奇(しょうき)を烏巣の援軍に向かわせるといい、
2人にはやはり本陣攻撃を命じ、落とすまで帰らないよう言い放ちます。
郭図の進言を信じてのことでしたが、これはまずい選択でした。

37-6
張郃と高覧は、仕方なく官渡へ向かいますが、
予想通り、官渡は曹仁、曹洪らが堅く備えを布いており、難攻が予想されました。
そのため、二将は戦いをあきらめ、曹操軍への投降を決めます。

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そのころ、蒋奇の援軍を退けて烏巣を陥落させた曹操は、
淳于瓊の鼻をそいで袁紹陣営に送り、勝利の凱歌を上げたのです。

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兵糧がことごとく焼き尽くされた袁紹軍は、一気に士気が落ちて撤退し、
官渡の戦いは曹操軍の大勝利で終わります。
曹操は、こうして長く苦しかった天下分け目の戦いを勝利で飾りました。

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勝利した曹操は、投降した者や捕虜に対する処遇を決めます。
まず、檄文で自らを痛烈に罵倒した陳琳(ちんりん)は、その文才を認めて許しました。

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袁紹のために数々の献策をしながら、用いられずに捕虜となった沮授(そじゅ)も
曹操はその才能を惜しんで救おうとしましたが、本人にその意志はなく、
とりあえず気持ちが変わることを期待して休ませることにしました。
結局その後、沮授は脱走を企てて斬られてしまうのです・・・。

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袁紹の陣営からは、多数の投降文書が見つかりました。
曹操の配下たちが、袁紹に対して寝返りを約束をした
内通の証拠文書ですが、曹操は中身を見ずにすべて焼き払ってしまいました。

当時を生きた人は精一杯戦っていましたから、
どちらが勝つかなど分かりません。曹操には内通者の気持ちを汲み、
見なかったことにしたのです。清濁併せ呑むことも、リーダーには必要ということ。

その後、袁紹はまだ強大な兵力を有していたため、倉亭で曹操軍に
戦いを挑みましたが、官渡の敗戦の痛手は大きく、またも敗れます。
袁紹と曹操。生涯のライバルの力関係は、ついにここに逆転したのでした・・・。

※週明けの5月12日から、
最終41話まで連日の更新を予定しています。ぜひご覧ください!

第36話 義兄弟の絆

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曹操は延津へと向かう途中で、わざと宝物類を落として行きました。
援軍にやってくるであろう、袁紹軍への目くらましのつもりでしたが、
はたして、文醜が率いてきた兵士たちは我先にと、それを拾いにかかります。

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文醜は拾わないように注意しましたが、兵たちの気持ちも分かるので
ひとまずは好きにさせるのですが、そこへ自ら伏兵となった曹操や関羽たちが
襲い掛かってきて・・・遭えなく文醜は斬られました。
顔良、文醜は袁紹軍の武の二枚看板ともいうべき名将のはずですが、
あっさりと討たれてしまいます。

このように、戦闘の描写に重きを置かないところは、
女性監督のフーメイさんらしい演出といえますが・・・
顔良は関羽に背後から一刀で斬られ、文醜に至っては死亡シーンすら
映りませんでしたので、さすがにもう少し活躍させて欲しかったように思えます。

確かに正史において、顔良と文醜は大した活躍はしていませんが、
『演義』では、曹操軍をさんざんに苦しめた強敵として知られています。
個人の武勇の見せ場があることも、三国志の面白さのひとつかと思うので
この点、少し残念に思いました。

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緒戦で勝利を収めた曹操ですが、まだまだ強大な袁紹軍の出鼻を挫いたに過ぎず、
以後は守りを上策として、やたらに攻撃せずに戦機を待つ方針に切り替えます。
さらに曹操は戦が終わるまで禁酒令を出し、規律を整えるのでした。

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さて、関羽は顔良を斬って曹操の命を救ったことで、恩義には報いたとして、
曹操陣営を去ろうとしていました。袁紹のもとに劉備がいると分かったからです。
曹操は献帝に働きかけ、関羽を漢寿亭候に任命してもらい、
印綬まで取り寄せていましたが、関羽の決意を変えることはできません。

関羽が陣営を去るばかりか、敵側の袁紹の戦力になられてはたまりません。
去ろうとする関羽を、曹洪ら諸将が追って捕縛しようとしますが、
曹操は約束を守るためにそれを制し、張遼に見送りを命じました。

その後、曹操軍と袁紹軍は長くにらみ合いを続けます。
しかし、物量に勝る袁紹軍は連日、高台から曹操陣営に対して矢の雨を降らせ、
威圧を続けます。優位な袁紹に呼応して、孫策や劉辟(りゅうへき)といった
群雄も曹操の領地を脅かす動きを見せていました。

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加えて、兵糧が枯渇しはじめ、許都の民から徴発をして
急場をしのぎましたが、曹操軍は徐々に劣勢に陥っていきます。

さすがに弱気になり始める曹操ですが、許都で留守をあずかる荀彧から、
「兵の数では劣るが、用兵では勝る」と踏みとどまって抗戦を続けるようにと
書簡が届きます。荀彧は、一貫して袁紹は怖い相手ではない、と
曹操を励まし続けています。

曹操は戦局を打開しようと、袁紹軍の兵糧輸送隊を奇襲して、
これを見事に焼き払いますが、焼き払うだけで奪うことはできず、
苦境には変わりありませんでした。

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怒った袁紹は、数の利を生かして曹操陣営を毎日のように攻撃をしかけます。
苦戦する諸将を励ます曹操。

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曹操軍は、劉曄が完成させた霹靂車(へきれきしゃ)で反撃に転じます。
火をつけた岩を発射し、敵陣へと撃ち込む新兵器で、
袁紹軍の弓兵隊を散り散りにさせ、曹操軍はひとまず窮地を脱しました。

一進一退の攻防が続くなか、袁紹陣営の間で揉め事が起こります。
袁紹の参謀の一人、許攸(きょゆう)が兵糧を着服したというのです。

許攸は言い逃れのついでに、曹操軍の兵糧がほぼ底を尽きかけて
いることを知らせますが、審配(しんぱい)の諫言を受けた袁紹は
許攸の情報を信じず、彼を捕らえさせます。

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もし、このときに袁紹が許攸の言葉を信じていれば、この戦いは
袁紹の勝利で終わっていたかもしれません。彼はそれほどに鍵を握る男でした。

捕らわれた許攸は、兵たちに金の隠し場所を教えて、ただちに曹操へと投降。
曹操は許攸が来たと知るや、靴も履かずに彼を出迎えて帷幄に招きます。
戦中のためか、護衛の許褚(きょちょ)もおらず、かなり無防備ですが、
曹操は疑う様子もありません。

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許攸は、曹操に袁紹軍の兵糧庫・烏巣(うそう)の場所を教えました。
しかし、そこは元・西園八校尉の一人である淳于瓊(じゅんうけい)という
将軍が堅く守っているため、容易に手出しができないと曹操は言います。

それを聞いた許攸は、曹操に兵糧があとどの程度残っているか尋ねました。
曹操は最初、半年分と答えますが、許攸はそれなら心配いらない、と
一笑に付して陣営を去ろうとします。

しかし、曹操は引き止めて、実はあと一月分、
いや3日分しかないと実情を打ち明けるのでした・・・。
曹操軍には、許都へ撤退する道中の分の兵糧すら無いというのです。
さて、いかにこの局面を打開するのでしょうか?

※次回は5月9日に更新します。よろしくお願いします。

第35話 苦渋の選択

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呂布なきあとの徐州・下邳城に本拠地を置く劉備は、関羽に留守を任せ、
袁紹の子、袁譚に援軍を頼みに行くため、兵を連れて城を出ました。

よもや、袁紹が息子の病気で動かないとは思っておらず、また曹操が
自ら徐州へ出陣してきているとは思いもよらず、出発したのです。

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しかし、これは曹操の罠でした。
曹操は劉備を城から引きずり出し、その通路を予測して兵を伏せていました。
そして一斉に襲い掛かります。一目散に逃げる劉備。
「知恵は回るが、戦では話にならぬ」と曹操が笑ったように、
やはり軍才では曹操のほうが1枚も2枚も上手です。

そこへ、危険を察知した関羽が下邳城から援軍を連れて出てきました。
曹操はかねてより、関羽という武将に惚れ込んでいたため、
彼を生け捕りにしようと巧みに山上へと追い込みました。
その間に下邳城は別働隊に包囲させ、退路を閉ざすことも忘れません。

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すでに劉備は逃亡し、下邳城は包囲されてしまい、
追い込まれた関羽は山上に柵を設けて立て籠もり抗戦を続けますが、
そこへ曹操が、張遼と荀彧を連れてたずねてきました。

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曹操と関羽は問答を交わします。
劉備、曹操互いの正義の主張から、話は漢王朝のあり方へ・・・。
徐州での虐殺は父の仇討ちであったことや、
群雄が朝廷を軽んじている現状を憂いている曹操の考えを聞いて、
関羽は徐々に理解を示すようになってきます。

この場面、三国志演義では張遼が関羽のもとへ行き、説き伏せるのですが
本作においては曹操が自ら関羽と言葉を交わすという展開になっていて、
これはこれで面白いと思います。

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関羽は、曹操が自分に降伏を勧めに来たことを察しているので、
なかなか降ろうとはしませんが、劉備の妻子がいる下邳城が楽進に
攻撃されているのを見て考えを改め、自軍の兵たちの願いを聞き入れる形で
下邳城の無血開城と自身の投降を決めます。

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関羽は、「劉備の行方が分かれば出て行く」ということ、
投降はあくまで漢に対してであり、曹操自身へのものではないと念を押します。
曹操は関羽に、呂布の愛馬だった赤兎馬を与えますが、
それでも関羽の劉備に対する忠誠心を覆すことはできず、残念がるのでした。

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さて、ようやく重い腰をあげた袁紹は、沮授を連れて曹操討伐に出ました。
そしてまず、曹操の拠点のひとつ白馬城を攻撃し、そこに曹操軍をおびき寄せておき、
その隙に河をわたって総攻撃をしかけるつもりでいましたが、
曹操はその裏をかいて、自らが少数の兵だけを連れて白馬に向かい、
他の諸将には河を渡るための訓練をさせ、いまにも渡河する構えを見せました。

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曹操に付き従うのは、関羽と張遼および1万の兵だけですが、
果敢にも白馬城を攻めている顔良軍と激突します。
これが官渡の戦いの前哨戦ともいえる「白馬の戦い」です。

そして乱戦の中、屈強な顔良の攻撃の前に、曹操は危うく斬られそうになりますが、
その瞬間、助けに入った関羽が顔良を一刀のもとに斬り、窮地を救います。

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袁紹軍の音に聞こえし猛将、顔良はあっさりと関羽に斬られます。
ある意味史実の記録通りですが、あっさり過ぎて、ビックリしてしまいました。

顔良の戦死を聞いた袁紹は、我が耳を疑いますが、
曹操が自ら白馬城に来ていたことを知り、
今度は文醜に5000の兵を率いさせ追撃を命じました。

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一方、徐州から逃亡した劉備は袁紹を頼って河北へ来ていたのですが、
袁紹からは一人で逃げてきたことや、関羽が曹操に投降したことに対して
不信感を抱かれ、立場を危うくするのでした・・・。
 

第34話 打倒曹操

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袁紹が積極的に動こうとせず、後詰として様子を見るという報告に接した
張繍(ちょうしゅう)は、軍師・賈詡(かく)の進言に従い、
袁紹の使者を斬って曹操へ投降することを決定します。

以前、曹操を殺そうとまでしておきながら、不利と見るや投降してしまうという
大胆な行動に、張繍はためらいを見せますが、賈詡は「曹操であれば受け入れる」と
見込んで主人を動かすのでした。

実際、その読みは正しく、曹操は劉曄(りゅうよう)を使者として派遣し、
張繍の投降を受け入れました。まことに、賈詡の洞察力たるや恐ろしいものがあります。
(残念ながら本作では、賈詡はこれにてお役御免となり登場しなくなります)

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この知らせを受けた袁紹は激怒し、沮授(そじゅ)の進言にしたがって、
曹操討伐の檄文を発しました。この檄文は、曹操の悪逆非道な行いを
天下に知らしめて、劉備をはじめ、諸侯にも挙兵を呼びかけるものでした。

この文は、名文家として知られる陳琳(ちんりん)に起草させたもので、
ほどなく曹操のもとにも届きます。

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檄文の内容に、さすがの曹操も、表向きは冷静を装っていましたが、
内心は激怒して迎撃の兵を整えることになります。
このころになると、曹操は激しい頭痛を訴えるようになっていました。
彼が一生付き合うことになる持病です。

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幽・冀・并・青の河北4州を統一した袁紹の兵力は30万、曹操軍の兵力はその半数以下。
しかも、曹操の領地は司隷・兗州・豫州・徐州と、他勢力に囲まれているところが多く、
多方面に兵を割かなければならず、袁紹だけに兵を集中できず、
地理的には不利だったのです。諸将が不安を覚えたのも無理からぬところ。

ただし、それは袁紹も同様。領地が広いために各地に兵が分散し、
すぐには攻めて来ることができません。
その間に曹操軍は、夏侯惇、曹洪、李典らに黄河のほとりを守らせ
寡兵で大兵を破るための準備を整えることになります。

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時に建安5年。西暦200年。曹操と袁紹の一大対決が幕を開けようとしていました。


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曹操は、陳留にまで兵を進め、そこで郭嘉と相談のうえ、
黄河を防衛ラインとし、その南岸にある
交通の要衝「官渡」に陣営を築き、本拠地とすることを決定します。
このために、両雄の対決は後世「官渡の戦い」と呼ばれることになるのです。

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曹操が出陣の準備を進めているとき、許都では董承(とうしょう)の計画が
いよいよ明るみに出て、彼の一族郎党は捕らえられ、処刑されてしまいました。
曹操は、董承の身内という身内を、劉曄に命じてことごとく殺害させます。

この計画がなぜバレたのか、詳しくは描かれていませんが、
吉平(きっぺい)が曹操と通じていて、どうやら彼が曹操に密告したようです。

曹操は、自らの宝剣(青釭の剣)を劉曄にあたえ、あたかも自分が
許都にいるかのように見せて、派手にこれを演出したのです。
世間の耳目を許都へ向け、自身はその間に徐州へ向かい、劉備を攻撃するのでした。

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曹洪は、許の王宮に甲冑姿のまま踏み込み、献帝のもとへ向かうと、
董貴人を引き出して捕らえてしまいました。董承の娘なので、彼女も同罪というわけです。
献帝の子をも身籠る董貴人ですが、曹洪は容赦せずに処刑します。

曹洪は、日頃、曹操の傍にいるときは快活な男ですが、
諸人の前では曹操の命令にひたすら忠実な冷酷な武将に映ります。
それは他の諸将、夏侯淵や許褚なども同様といえます。

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わが愛妾の命を救うこともできない己の無力さを痛感する献帝。
こうして董承の一族は皆殺しとなりました。

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さて、黄河のほとりまで兵を進めてきた袁紹は、曹操が許都にいないことを知りますが、
なんと、息子・袁尚が病気で寝込んでいることを理由に、出陣を取りやめてしまいます。
「打倒曹操」の檄文を出して、あれだけ気勢をあげていたのに・・・。

袁紹にとっては、曹操が戦の準備を整えないうちに許都を攻めるという
速戦速攻こそ最上の策だったのですが、これを逸したばかりか、
徐州の劉備は単独で曹操を迎え撃たねばならなくなり、挟撃作戦は破綻するのでした・・・。

※次回は5月5日更新となります。

第33話 虎を放つ

呂布の討伐に成功した曹操は、従軍した劉備を許都へ連れ帰り、
なにかと面倒をみているようです。

ある日、曹操は劉備を呼び出し、酒席に誘いました。
男2人だけで杯を交わす。いわゆる、サシ呑みというやつですね。

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これは三国志演義では、「青梅、酒を煮て英雄を論ず」という
おなじみの名シーンですが、実は正史・三国志の先主伝(劉備伝)
にも記されている場面です。

曹操自慢の九醞春酒を飲みながら、色々と語り合います。
「青梅、酒を煮て・・・」とあるように、梅の実をつまみに酒を飲むという

場面なのですが、本作では「青梅を煮た酒ですな」と劉備が言っています。
曹操が九醞春酒で梅を煮て、梅酒のように特別なものにしたのかもしれません。
実際、つまみに青梅は見当たりません。

33-2
杯を合わせた後、曹操が先に口をつけるのを待ってから
毒が入っていないことを確かめ、用心深く自分も酒を呑んだ劉備。
このへんは、抜かりがありません。まさに腹の探りあいです。

さて、会話の中で「龍」の話を持ち出した曹操。
英雄を龍にたとえ、今の諸侯の中で誰が龍で、誰が虫ケラかを尋ねます。

劉備は、謙遜しながらも知っている名前を次々挙げていきます。
袁術、袁紹、張繍、張魯、韓遂・・・。

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それらを曹操はいずれも否定します。
袁術は墓の中の骨、袁紹は小心者で優柔不断、
張繍、張魯、韓遂など、どれも話にもならないと、歯牙にもかけません。
劉表や孫策の名前は、出ませんでした。

そして曹操は一気にたたみかけます。
「天下に英雄は、貴公・・・と、私だけだ」

その言葉に冷やりとした劉備。図ったように雷鳴が轟き、
劉備は持っていた柄杓を取り落としてしまいます。

この場面、本来は「箸」を取り落とすのですが、
本作では箸が使われていないため、酒を汲む柄杓が用いられているのですね。
劉備はもちろん、自分を小人物に見せるためにひと芝居打ったのですが、
それを曹操はどう見たでしょうか・・・。

33-3
そこへ、関羽と張飛が迎えにきて、その場はお開きになりました。
その後、劉備は、董承(とうじょう)から曹操暗殺の計画を打ち明けられ、
一員になって欲しいと頼まれるのですが、董承が見せた「詔」は、
献帝に無理矢理書かせたもの、あるいは偽造したものと見破り、
しかも兵権を持つものが署名していないことを冷静に指摘します。

33-4
劉備はリスクが大きすぎるため、これを断りますが、
董承は名のある劉備をどうしても仲間に引き入れたいがため、
「漢の忠臣・左将軍」であることを持ち出し、半ば強引に署名させます。
そのため、劉備は一刻も早く許都を離れようと機会を伺うようになるのです。

その後、満寵(まんちょう)がもたらした報告により、
袁術が袁紹を頼って河北へ向かうことを知った曹操は、
劉備にそれを相談し、徐州へ出兵し、討伐に行ってもらうことを決めました。

かくして、劉備は5万の兵を連れて許を離れていきました。
曹操がこのとき、何故劉備を行かせてしまったのかは、史実通りなのですが、
明確な理由については謎です。本作では、他の将軍はそれぞれに軍務が忙しく
適任者がいないためだったとしています。

33-7
果たして、それを聞いた郭嘉と程昱は、「虎を野に放つようなものです」と諌めます。
曹操は珍しく慌てて、許褚(きょちょ)を遣わしますが・・・。

33-8
しかし、すでに後の祭り。劉備は許褚が追いつけないほど遠くまで進軍していました。
そして袁術の行軍を阻むことに成功し、これを病死に追い込んだ後、
徐州刺史の車冑(しゃちゅう)を討って、まんまと徐州を手に入れてしまいます。

劉備は地元の富豪、糜竺の娘をめとり、陳珪、陳登親子と利害を一致させ、
たちまち徐州に根を張ることに成功しました。
このあたり、実にしたたかで、曹操は見事に出し抜かれたのです。
呂布よりもよほどに手強くしぶとい。劉備の真骨頂です。

33-10
ここで、病死する直前の袁術の回想が出てきます。
袁術は死に臨み、ようやく今までに自分がしてきた過ちの数々を悔やみ、
それを手紙にしたためた後、玉璽を添えて兄の袁紹へ託したのです。

33-9
弟の絶筆を受け取った袁紹、さすがに感慨にとらわれた様子です。
しかし、相変わらず妻や末子の袁尚を溺愛する日々を過ごしており、
曹操を積極的に攻めようという行動も起こさず、後詰になると言い出す始末。
公孫瓚(さん)を討伐したことで、すっかり安心しきったのでしょうか。

劉備、張繍が曹操を攻めようとしているこの時に、自ら先陣になれば、
曹操を討てたかもしれません。そう進言する沮授(そじゅ)の言葉にも、まったく耳を貸さず。
これで一体何度、沮授は首を振って去ったことでしょうか・・・(笑)。

さて、袁紹の援軍が見込めなくなった張繍、劉備の動向は・・・?
プロフィール

哲舟

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