M B K 48

もし貧乏人が経済学を学んだら

2014年04月

クルーグマン、「サージェントが出る幕ではない」

No Time For Sargent
http://krugman.blogs.nytimes.com/2014/04/21/no-time-for-sargent/

クルーグマンの4月21日のブログの翻訳です。

**********
サージェントが出る幕ではない  No Time For Sargent

 最近まで気づいていなかったが、トーマス・サージェントの2007年の卒業式スピーチがちょっとした話題になっているようだ。そのスピーチでサージェントは、経済学の12の原則を簡潔に説明している。その中の多くの項目は、一般的に高い評価を受けている。そこで僕がちょっと水をさしてやろう。とはいえ―― 一般的な正常状態を仮定しても、彼が言う原則に対してすべての経済学者が同意しているわけではないけれど――僕は、サージェントの言っていることがまちがっている、と言いたいわけではない。サージェントの指摘で注意するべきなのは、それを引き合いに出すのにふさわしくない時がある、ということは理解するのが難しい、ということだ。いっぽう、それを引用している人々が明確な意図をもってそうしているのは明らかだ。

 まず、サージェントの指摘で、時や状況に依存しないものから見ていこう。「公平性 (equality) と効率性 (efficency) にはトレードオフがある」、という原則をサージェントは挙げている。確かに、ほとんどの経済学者が、キューバ的な公平性は効率性にとって悪いものだ、と同意するだろう。しかし、現在の格差 (inequality) を減らすと効率性を損なうことになる、と言えるのだろうか? つまり、この影響ははっきりしていないのだ。格差が大きくなると、経済成長に対してマイナスの影響を与える、と考えてよいたくさんの理由がある。これに関する証拠は、ばりばりの左翼から提出されているわけではない。IMFのような機関から出されているのだ。

 しかし、重要なポイントは、サージェントの原則が、実際は、どんな状況でも通用する普遍の真実ではない、ということだ。それは、完全雇用に近い、かなり効率的な市場経済に関してはうまく当てはまるだろう。しかし、こういう場合よく持ち出される市場の失敗という問題を除外しても、サージェントの原則は、依然として高い失業と、経済にとって望ましいレベルを超過した貯蓄――これは名目金利がゼロ下限にあるという事実によって証明されている――のために苦しむ経済には、ほとんど当てはまらないと言えるだろう。

 したがって、サージェントは、社会はトレードオフに直面する、と言うのだが、社会が個人とは全然異なるときには、それが正しいかどうかはますますわからなくなる。つまり、雇用されていない資源がたくさん存在し、そのような資源を雇用すれば、トレードオフではなくて、誰にとっても利益になる、という時である。でもそれなら、と彼は次のように言うのだろう。

政府が社会福祉に支出するとしても、国民は最終的に、現在か将来、直接税金によって、あるいは間接的にインフレによってその費用を支払わなければならない。

 これが現在の状況ではまったくまちがっている、と考えてよいもっともな理由がたくさんある。ゼロ制約によって制約を受けている経済では、政府の支出は大きなプラスの乗数をもつ。したがって、政府が購入した財によって、他の民間の消費や投資が押し下げられること(訳注 クラウディングアウト)は起こらない。純粋に財政的な点から言っても、政府支出は採算がとれるだけではなく、お釣りがくる、ということを示す説得力のある議論がある。

 サージェントがこのスピーチを行ったとき――金融危機の前だ――彼が、彼の真実が当てはまらない状況はめったに起こらない、と考えていたとしても無理はないだろう。しかし、現在では、経済は5年以上もゼロ制約に直面しており、さらに僕らは、不況に近い状況が新しい定常状態になっているかもしれない(クルーグマンのブログ拙訳)、という問題を真剣に議論しなければいけないところまで来ているのだ。

 では、どうして突然サージェントの2007年のスピーチに注目が集まったのだろうか? 理由はかなり明白だ。それは本質的には、世界的に評価を得ているお気に入りの経済学者が永遠の真理を語っている、というカモフラージュの裏で密かに行われるアンチ・ケインジアン・キャンペーンなのだろう。しかし、サージェントの原則は真実ではない。彼らの目標は、今、ここで行われている失業に対する戦いへの支持を切り崩すことなのだ。その2007年のスピーチにはいろいろと美徳もある。しかし、今は2007年のサージェントが出てくるのにふさわしい時ではない。

L・サマーズ、「ワシントンは長期停滞に甘んじていてはいけない」

Washington must not settle for secular stagnation  by Lawrence Summers
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/ba0f1386-7169-11e3-8f92-00144feabdc0.html#axzz2zhZ9jNFL
ファイナンシャルタイムズの1月5日(2014年)のコラムの翻訳です。

**********
ワシントンは長期停滞に甘んじていてはいけない   ローレンス・サマーズ

私たちはこの機会をインフラ再生のために利用すべきだ

 先月のファイナンシャルタイムズのコラムで論じたように、私たちは「長期的停滞」"secular stagnation" の時代に陥っているかもしれない。長期停滞とは、経済成長、生産量が停滞し、雇用が潜在可能なレベルより低くなる状態が非常に低い実質金利とともに長期間続くことである。

 今世紀の初めから、アメリカの毎年のGDP成長の平均は1.8%を下回っている。アメリカ経済は、現在、最近では2007年に到達した潜在生産量から約%10低いレベル――1.6兆ドル以上低いレベル――で稼働している。こういう状態が、5年以上実質金利がマイナスになっており、大規模な金融緩和策がとられているにもかかわらず続いている。

 成長予測に関して、過去数年間、慎重に悲観的な予測をしていた景気予測も2014年に関しては――少なくともアメリカでは――より明るい見方をし始めている。これは頼もしいことだが、楽観的な予測でも、生産量と雇用は今後もかなりの間、以前のトレンドより低くなるだろう、と予測されている。より悩ましいことは、現在の経済が停滞しているにもかかわらず、また、賃金と物価のインフレ率が低いにもかかわらず、信用能力の評価基準が下がっており、資産価格が上昇しつつある兆候があることだ。仮に現在の金融市場の状況で健全な成長を近い将来享受できるとしても、生産量と雇用が長期的トレンドに戻りインフレが再び上昇する前に、2005年から2007年に生じていた問題が再び発生する可能性があるのである。

 したがって、長期的停滞が突き付ける問題は、健全な成長を達成できるかどうかだけでなく、金融市場を健全に維持した状態でそれができるかどうかの問題でもあるのだ。基本的には次の3つの方法がある。

 最初の方法は、供給側からの基本的対策と考えられる方法を強化するものである――労働者の技術を向上させること、企業のイノベーションの能力を高めること、構造的な税制改革、長期的に維持できる社会保障制度をつくることである。これらの方法は――政治的には実現が難しいかもしれないが――有効なものになるだろう。また、経済の健全化に長期にわたって大きな貢献をするだろう。しかし、5年後、10年後という期間で見るならば、大きな効果は期待できないだろう。政策の実施が遅れるということ以外にも、例えば、教育が効果を発揮するまでにはかなりの時間がかかる。また、現在、経済は供給不足によって停滞しているのではなくて、需要不足によって停滞しているからでもある。生産の供給能力を拡大しても、財やサービスに対する需要が増加しないかぎり、生産量の増加にはつながらないだろう。労働者の教育プログラムや社会保障制度の改革は、誰が仕事を得るか、ということには影響を与えるが、どれだけの労働者が仕事を得るか、には影響を与えないだろう。むしろ、経済の供給能力を拡大する政策は、デフレ圧力を強めてしまうという逆効果を生む可能性がある。

 2番目の方法は、近年アメリカの政策の中心になっているものだが、関連する金利と資本獲得の費用をできる限り低く抑え、いっぽう金融の安定性を補強するために規制政策に頼るというものである。このような政策のおかげで、経済はかなり改善している。しかし、成長率よりも著しく低い金利に長期間依存するのは、本格的なバブルとレバレッジの危険な積み上げを発生させる可能性も高くする。金融規制を緩和し低い融資基準によって、デメリットなしに経済成長の果実を得ることができる、という考えを信用するべきではないのである。むしろ、適切な規制が注意すべきなのは、金融資産価格の上昇と、経済を刺激するために貸出能力を水増してしまうことなのである。

 第3の方法――最も有望なもの――は、適切な成長率と適切な金利が一致する状況をつくりだすような政策を通して、どの金利のレベルでも需要が増大するようにコミットすることである。つまり、毎年政府支出を削減し雇用を減らすような悪い傾向を終わらせることである。そして、むしろ現在の経済的停滞を利用し、インフラ再生とインフラ強化を行うことである。もし政府が過去5年間、もっと多く投資していたならば、私たちの所得に対する債務の割合は、もっと低くなっていただろう。経済を停滞したままに放置していたので、長期的な経済の能力を低下させることになったのである。

 また、需要を高めるためには、民間の支出をもっとうながす必要がある。化石燃料と再生エネルギー分野の両方に対する民間投資をうながすために、エネルギー分野でできることがたくさんある。火力発電所を別の形態の発電所に変えるようにうながす規制は、投資を増加させ、成長を押し上げるだけでなく、環境にも望ましいことだろう。問題が多い世界経済に関しては、貿易赤字の増加がアメリカ経済の需要を奪ってしまう、ということにならないようにしなければいけない。

 長期的停滞は必然的なものではない。正しい政策を選択すれば、適切な成長と金融の安定の両方を達成することができる。しかし、現在の問題を正しく分析することができなければ、また、需要の全体的な増加にコミットできなければ、わたしたちの経済は、低い成長と不安定な金融との間を行き来するだけのものになってしまうだろう。できることはたくさんあるのだ。

L・サマーズ、「なぜ停滞が新しい定常状態だと言えるのか?」

Why stagnation might prove to be the new normal  by Lawrence Summers
http://www.ft.com/cms/s/2/87cb15ea-5d1a-11e3-a558-00144feabdc0.html#axzz2ydg5Tfxb
ファイナンシャルタイムズの12月15日(2013年)のコラムの翻訳です。部分的には翻訳されているようですが、全部翻訳しました。

**********
なぜ停滞が新しい定常状態だと言えるのか?   ローレンス・サマーズ

 過去10年間のうち危機前の時代では、バブルと金融規制の緩和のおかげでかろうじて緩い成長が達成できた。

 アメリカや他の主要な経済国は、非慣習的な政策の助けを借りなければ完全雇用と強い成長に戻ることができないのだろうか? 私は、このような考え――「長期的停滞」("secular stagnation")という古い概念――について、IMFによって主催された会議で言及した。

 私の関心は、いくつかの根拠にもとづいている。最初に、金融市場の回復は、4年前にだいぶ進んだが、その他の点での回復は、アメリカでは人口成長率と長期的な生産性成長率に追いつく程度にしかなっておらず、他の国ではむしろ悪化している。

 第二に、過去10年の中頃のどう見ても持続するとは思えないバブルと金融規制の緩和によって、加えて簡単に得ることができる大量のお金のおかげで、かろうじて穏やかな経済成長が達成されていた。第三に、短期の金利はゼロ制約によってまったく下がらなくなっている。そのため、実質金利は、投資を促し完全雇用を達成するのに必要なレベルまで十分に下がらなくなっているかもしれない。

 第四に、このような状況では、低下する賃金と物価、あるいは期待されたレベルより低い賃金と物価は、消費者や投資家に支出を遅らせるようにうながすので、経済活動を悪化させる。またそれは、通常支出性向が高い債務者から、支出性向が低い債権者に所得と資産を移転することになる。

 このような仮説から得られるインプリケーションは、経済と政策はやがて正常状態に戻るだろうという考えが、もはや通用しなくなっている、というものである。日本を見てみよう。日本の現在のGDPは、名目金利がほとんど0である状態が何年も続いているのに、30年ほど前に予測された値の3分の2以下である。しかし、注目すべきは、1980年代末の日本のバブル崩壊後の5年間のGDPの低下は、2008年以後のアメリカのGDP低下よりも少なかった、ということである。現在のアメリカのGDPは、金融危機前に予測された値よりも10%以上低いのである。

 もし長期停滞に対する懸念が現在の経済状況と関連をもっているなら、これは重要な政策的インプリケーションを提示している(これについては改めて別のコラムで論じることにしよう)。しかし、政策の問題に移る前に、長期停滞に陥っているという仮定に関する、注意すべき2つの中心的な問題を見ておこう。

 第一に、成長の加速は、アメリカや他の国ではもう起こらないのだろうか? これに関しては、確かに楽観論にも根拠がある。最近の統計を見てみよう: 株価は好調だし、急激な財政引き締めも終わっている。また、長期停滞の不安というのは第二次大戦後にも蔓延していたが、結局まちがいだと証明された。現在では、長期的停滞は、私たちが必ず陥る運命ではなく、予防すべき付随的現象と見なされるべきものになっている。しかし、1990年代の日本と同じように、ここ数年、多くの指標の予測における回復のスピードは低下してきているし、回復だと思われたものがまちがっていた、ということも起こっている。より重要な点は、現在では、経済成長が次の年に上昇しても、定常状態での実質金利においてそこそこの成長を維持できる、という保証にはまったくならないことだ。ヨーロッパと日本は、アメリカより低い成長率になると予想されている。先進国全体で、インフレは政策目標を下回っており、上昇する気配を見せていない――これは、慢性的な需要不足に陥っている、ということである。

 第二に、どうして経済は、金融危機の影響が解消されたのに正常状態に戻らないのだろうか? 経済を均衡させる実質金利が低下している、と信じるに足る根拠があるのだろうか? どんな名目金利のレベルでも(訳注 0以下にはならないのでい0以上の、ということ)、支出のレベルは以前に比べて低下しているだろう、と考えてよい直感的な理由がたくさんある。投資需要が、労働力人口成長率の低下によって、もしかすると生産性成長率の低下によっても、低下しているかもしれない。富裕層の所得のシェアの急激な増加によって、また資本の獲得による所得のシェアの増加によって、消費も低下しているかもしれない。金融危機の影響によって、また政府と消費者の両方の貯蓄の増加にしたがって、リスク回避の傾向も高まってきている。金融危機は金融仲介の費用を高くし、いっぽう債務者に大きな債務を残した。耐久消費財の価格の低下――とくに情報技術に関連する消費財の価格低下――は、同じレベルの貯蓄で毎年より多くの資本を購入できることを意味する。インフレが低下すると、どの名目金利でも課税後の金利は、インフレ率が高かった時代と比べて高くなる。これは実際のデータによっても支持される。ここ何年も、物価連動債の利回りは低下する傾向にある。実際、5年の期間で見るとアメリカの実質金利は完全にマイナスになっている(訳注)。

 ある人は、長期的停滞の考えから、需要の底支えをするためにバブルが起こったほうが望ましいと指摘している。しかし、この考えは、予測と望ましいことを混同している。人工的にバブルを引き起こすより、生産的な投資や価値の高い消費を促進することで需要を増加させるほうがいいに決まっている。いっぽう、低い金利は資産価値を高め、よりリスクを冒すように投資家にうながすので、バブルを発生させる可能性が高くなる、と認識できたとしても、そういう予測が合理的であるにすぎない。むしろ金融が不安定になるリスクが高くなるのなら、構造的停滞をあらかじめ防いでおくことが非常に重要になるのである。

訳注)ここの「実質金利」は、5年満期物価連動債の利回り。
DFII5











クルーグマン、「少数支配階級と金融政策」

Oligarchy and Monetary Policy
http://krugman.blogs.nytimes.com/2014/04/06/oligarchy-and-monetary-policy/

クルーグマンの4月6日のブログの翻訳です。

**********
少数支配階級と金融政策 Oligarchy and Monetary Policy

 僕は最近、適度なインフレ率をターゲットにすることが望ましい、ということをどのように説明するべきか、あるいはどのように説明するべきではないか、という問題について考えていた。先日のブログで書いたように、最新のIMFの World Economic Outlook は、インフレ目標を2%以上に引き上げる必要があるとほのめかしている。しかし、暗号かなにかのように曖昧な表現に逃げていて、はっきりとした数値目標を挙げるのは避けているのだ。いっぽう、インフレ偏執症という党派的な行動はあいかわらずだ。僕は明日の授業のスライドに、量的緩和策によるドルの「減価」に対して警告する手紙を書いた経済学者たちの署名を付け加えておいた。リストに載っている全員が筋金入りの共和党支持者であり、何人かの人は、経済学者という肩書は疑わしいとしても、イデオロギー的な肩書はまことに立派なものがついている(ウィリアム・クリストルとダン・シーノーが金融政策の専門家だって?)

 これはどういうことなのだろうか? 結局、究極的には階級の問題なのだろう。金融政策は、必ずしも技術だけの問題ではないし、政治的に中立でもないのである。適度なインフレ率は雇用にとっては望ましいものである。また、大きな債務を抱え込んでいるなら特にそうである。しかし、0.1%の人々にとってはそれは悪いものなのだ。そして、彼らは世論に対して大きな影響力を行使できる、という事実がついてくる。

 最初に、歴史的な問題を考えてみよう。というよりも、どのように歴史が記憶されているか、という問題を考えてみよう。最近の金融政策に関する議論では、ジンバブエになるぞ、ドイツのワイマール共和国になるぞ、という終末論的な警告がよく聞かれる。しかし、1970年代に対する警告もひんぱんに発せられているのだ。しかし、別の質問の仕方をしよう。どうして70年代は究極的に悪い時代として称されてきたのだろうか? 確かに、いい時代ではなかっただろう。しかし、平均的な労働者家族にとって本当に悪い時代は、レーガン時代に起こったような、また規模は小さくなるがブッシュ(親)の時代に起こったような大きな景気後退だ。そして何よりも、金融危機後の時代だ。

040614krugman1-blog480








実質家計所得のメジアン



 そのような歴史を考慮すると、2010年や2011年の不況期に人々が「注意しろ――さもないと、70年代の再現になるぞ!」(ここでおどろおどろしいBGMが流れる)、と言い続けることがいかに奇妙か、ということがわかるだろう。

 しかし、ある人々にとっては、70年代は本当に最悪の時代なのだ――つまり、金融資産の所有者である。次のグラフは、GDP比での家計が保持している金融資産と、コアインフレ率を示したものである。

040614krugman2-blog480




金融資産(GDP比):青いライン

インフレ率(物価指数の変化率):
赤いライン

 そして、労働所得にはあまり関心がなくて、金融資産に対して大いなる不安を感じるのは誰だろうか? そう、0.1%の人々なのだ。ピケティ=サエズのデータによれば、0.1%の人々は全家計の労働所得のうちの約4%「しか」占めていないが、資産に関しては20%以上を保持しているのだ。金融資産に関する割合はさらに高くなるだろう。

 カーメン・ラインハート(pdf)が正しく指摘しているように、債務が大きい国は通常、「金融抑圧」"financial repression" によって債務の大部分を軽減する――つまり、金利を低く保ち、インフレによって債務を減らすのである。これは、悪いことのように思われるかもしれないが、大部分の人にとっては実際悪いことではない。イギリスは第2次大戦後、金融抑圧によって、第一次大戦後の通常の方法(訳注 増税)よりも債務削減に成功している。

 しかし、実際、金融抑圧によって利益を減らされる――そのために彼らはそれをヒットラーがユダヤ人に対してやったことのように嫌っている――少数だが、影響力の強い人々がいるのだ。やはり0.1%の人々だ。

 とはいえ、僕は、その0.1%の人々と彼らの提灯持ちが、正しい政策と称して99%の人々を犠牲にする政策をうまく売り込んだ、と陰で薄ら笑いを浮かべて、自分の口ひげをいじっている、とは思っていない。それにコウク(Koch)一族は口ひげをたくわえていない。しかし、少数の支配階級にとって望ましいことと、経済全体にとって望ましいことがまさにそのように対立するために、間接的に議論を歪める大きな原因になっている、と思うのだ。

**********
訳注) クルーグマンの議論の中心は、雇用や経済全体を考えると、適度なインフレ率は望ましい。しかし、金融資産を保持している人々にとっては、インフレは金融資産の価値を減らすものなので、インフレは蛇蝎のごとく嫌われる。この階級的利害の対立が議論を歪める原因になっているのではないか、というものです。

プロフィール

沢ひかる

貧乏人。

経済学「部」とは無縁です。

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ