"Fiscalists, Monetarists, Credibility, and Turf"
クルーグマンの6月14日のブログから。

更新 6月17日: 
The main thing, I think, is to recognize that while we have our differences, the important thing is to try everything that might help.
最後のほうの文章。こういうの翻訳しにくいです。少し修正しました。

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「財政政策主義者、マネタリスト、信認、そして、縄張り」
("Fiscalists, Monetarists, Credibility, and Turf")

 カーディフ・ガルシアが景気刺激主義者の主な2つのグループについていい見取り図を描いている。財政支出拡大という方法で政策決定者によりたくさんやらせたいと考える人々と、貨幣拡張という方法で政策決定者によりたくさんやらせたいと考える人々だ。彼が言っているように、ここに含まれる(全員ではないが)ほとんどの人々は、実際のところ、両方やってもいいと考えている。だから、どちらの政策かという点で、彼らの間で議論が紛糾することはあまりない。

 僕はさらに2点だけ付け加えたいと思う。

 まず初めに、僕自身の経歴を。1998年に僕は、日本を見て、現在広く使われている言葉で言えば、中央銀行が信認ある形で無責任になることにコミットできる限りにおいて(訳注1)、つまり、インフレが上昇することを容認し、経済が回復したからといってすぐに貨幣を収縮させないことができるならば、金融政策が効果をもつ、と結論づけた。危機が世界を襲ったとき、僕にとって、これはいかに難しいことかを痛感させた。ひとつには、中央銀行に、より高いインフレ率が必要だと説得するのは、明らかに時間がかかるからであり、さらには投資家に、中央銀行は本当に性格を変えた、と説得するのには、さらに時間がかかるからである。

 そこで僕は、実践的な財政主義者になった。マイク(マイケル)・ウッドフォードがうまく説明している理由によって。つまり、財政支出刺激のいいところは、期待に依存しないことであり、そして、誰もうまくいくと信じていなくても、機能するからである。

 残念なことに、この実践的な視点からの財政刺激擁護論も、別の現実世界の問題にぶち当たった。もっともらしい理由をみつけるとすぐに緊縮策に飛びつく政策決定者の頭の硬さだ。これは、僕や他の人々にかなりの時間考えさせ、結局、貨幣拡張政策を呼びかけることになった。中央銀行なら、ある程度の行動の自由をもっている、という単純な理由からだ。

 第二に、ガルシアがリチャード・クーを挙げなかったのには、驚いている。なぜなら彼こそが、貨幣政策なんておまけはやってはいけない、と頑強に主張する財政政策サイドの人々の中では第一候補になると思われるからだ。僕は、クーの主張のわけのわからなさについて、最近ブログ(okemosさんの翻訳)に書いたところだ。

 でも、重要な点は、僕らに違いがあるにせよ、助けになるあらゆることを試みることが重要なんだ、と理解できるかどうかだと思う。この点に関して頭のいい人々の最も大きな罪は、僕らが提供できる助けならどんなものでも切実に必要としている実際の経済のことを考えずに、「私の答えが唯一の答だ!」と言って、自分の縄張りを守ることばかり考えることだ。
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訳注1)例えばエガートソンの論文。イントロダクションの拙訳はこちら