"A Near-rational Model of the Business Cycle, with Wage and Price Inertia" (1985)
George A. Akerlof and Janet L. Yellen

古いものですがニューケンジアンの代表的な論文です。英語の原文はこちら。
http://isites.harvard.edu/fs/docs/icb.topic500592.files/akerlof%20yellen.pdf

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賃金と価格の慣性がある、景気循環の近似合理的なモデル
A Near-rational Model of the Business Cycle, with Wage and Price Inertia

 この論文は、わずかに次善最適化的な (suboptimal) 行動が、大きな実質的な影響を与える総需要ショックを引き起こす、ということを示すモデルを提示する。 企業 (agents) が慣性的な (inertial)  価格―賃金 設定を行った場合、その企業にとっての損失は、ショックを説明するパラメーターに関して2次的 (second-order) になる。しかし、実質的な経済変数に対する影響は1次的(first-order)になる(訳注1)。したがって、ある割合の企業が、影響がわずかな損失だからといって利潤最大化を行わない場合、予期された貨幣供給の変化であっても経済に大きな変動がもたらされる可能性がある。

I.イントロダクション
 この論文は、なぜ名目貨幣供給の変化が短期において中立的にならないかについてひとつの説明を提供する。この論文は、総需要ショックが起こり、企業が個人的な視点から「わずかに」(insignificantly) 次善最適化的な (suboptimal) 方法で賃金や価格を修正すると、産出と雇用に大きな変動を引き起こす可能性がある、ということを示す。言葉を変えていえば、意思決定や価格の変更にともなう非常に小さな取引費用によって、実質的な経済活動の大きな変動が説明できるかもしれない、ということである。
 議論は6つの段階にしたがって行う。

1.貨幣の非中立的な性格は、景気循環の理論にとって重要であると示される。

2.近似合理性(near‐rationarity)という概念を導入する。近似合理的な行動とは、利潤最大化した場合の利益が、利潤最大化しない場合に比べて、厳密に定義された意味において小さくなるために生じる利潤最大化しない行動のことである。

3.多くのモデル――企業自身の賃金や価格に関して微分可能な目的関数をもつモデルにおいて、全員が利潤最大化している長期の均衡がショックによって変動した場合、利潤最大化とは反対の慣性的な 賃金―価格 設定をした場合の費用は小さくなる、ということを論じる。最初、賃金と価格が最適化されていて、(訳注 ショックの後)賃金と価格を調整しないことで被る損失は、そのショックの変動の大きさに比べて小さくなる。

4.企業自身の価格や賃金に関して目的関数が微分可能であることの経済的意味を説明する。労働市場と生産市場が完全競争ならば、利潤関数はその特徴を持たない。しかし、不完全競争を含む多くのモデルにおいて、目的関数はこの特徴をもっている。

5.個々の利潤最大化しない企業にとって2次的な損失しか生み出さない利潤最大化をしない行動が、どうしてそれにもかかわらず実質的な変数に1次的な影響をもたらすのか、直感的な説明を提供する。

6.慣性的な 価格―賃金 設定の行動が実質的な経済活動には1次的な変化をもたらすが、そのような利潤最大化しない企業にとってはわずかな損失しかもたらさないモデルの例を提示する。そのモデルにおいて、企業の利潤は、それが設定する価格とそれが提供する賃金を変数とする連続的で微分可能な関数である。このモデルは、生産市場は不完全競争を想定していて、賃金と労働生産性の関係から、労働市場において「効率賃金」("efficiency wage")につながっていると想定している。効率賃金の想定は、経済のひとつの重要なモデル化した見方、つまり2重労働市場 (dual labor market) を説明してくれるので、またそれは長期化する非自発的失業に対して合理的な説明を与えてくれるので、その想定は妥当であると論じる。

貨幣の中立性がないモデルの必要性

 よく知られているように、市場が掃けることになっている新古典派のモデルでは、「予期された」総需要の変化は、雇用や生産に何ら変動をもたらさない(Sergent [1973]を参照)。しかし、総需要の変化に対するこの雇用や生産の不感応性は、新古典派のモデルの仮定を超えて、普遍化されてしまっている。モデルが合理的な行動を仮定している限り、つまり実質的な変数のみに依存する目的関数の最大化をもとにしている限り、予期された総需要ショックが雇用や産出に影響を与える理由がないのは当然である。したがって、長期あるいは暗黙の契約や、不完全情報や、労働移動や効率賃金によって非自発的失業を説明している最近のモデルでも、ではどうして貨幣供給の変化が、予期されているものでも、実質的な産出に影響を与えるのか、という疑問には答えていないのである。
 ケインジアンのモデルでは、賃金や価格の変更に関して企業が慣性的に行動すると、総需要の変動が実質的な産出に変動をもたらす。賃金や価格の変化が遅いことに関しては、かなり多くの実証的な証拠がそろっている(例えばOkun [1981] の議論)。しかし、どうして総需要の変化に対して、価格や賃金が素早く調整されないのか、ということは謎のままである。完全競争市場を想定しているケインジアンモデルでは、賃金と価格を素早く調整する企業はかなりの利益を得ることになっている。だから、そのモデルでは、慣性的な行動は非合理的で費用がかかることになる。この問題に対するひとつの答えとして、新しい古典派のマクロ経済学が、完全情報では貨幣は中立的になるが、予期されなかった貨幣ショックが、賃金や価格の配分に関して不完全な情報しかもっていなかった企業をだますとき、貨幣は非中立的になるというモデルを提示している。このモデルが適応可能かどうかに関しては、大きな議論になっている。この論文ではそれとは別の見方を提示する。

近似合理的な行動

 この論文が提示する貨幣の非中立性の別の説明は、企業による慣性的な 賃金―価格 設定の行動は、実際には、それほど費用がかからない、という考えにもとづいている。だからそれは近似合理的なのである。価格と賃金をゆっくり調整する、というように次善最適化する企業は、最適化しないことにより損失を被る。しかし、その損失は非常に小さいかもしれないのである。近似合理的な行動とは、おそらくそれは次善最適化なのだが、最善 (first best) な行動がもたらしたであろう結果と比較してみると、実は非常に少ない損失だけですんでしまう行動のことである。厳密に言えば、この場合の「非常に小さい」は、全員が利潤最大化している長期的な均衡から乖離させるような政策ショックがあった場合、そのショックの大きさに関して2次的であると定義できる。この論文の主張は、慣性的な 賃金―価格 設定の行動は――それはその実行者にとって2次的な損失しかもたらさないという意味で近似合理的だが――それにもかかわらず、実質的な経済活動には1次的な変化を引き起こす、というものである。そのために、貨幣供給の変化は、企業が近似合理的なら雇用と産出に1次的な変化を引き起こす可能性があるのである。要約すれば、この論文の主張は、貨幣供給の変動は、慣性的な 賃金―価格 設定の行動がなければ中立的になるはずだが、その貨幣供給の変動に対して、そのような利潤最大化しない行動が少しでもあれば、大きな景気循環を引き起こしうる、というものである。

慣性的行動の近似合理性が成立するためのる重要な条件:企業自身の賃金と価格に関して目的関数が微分可能であること

 すべての企業が利潤最大化している均衡状態を変動させるショックを考えてみよう。自分自身の賃金と価格の関数として微分可能な目的関数をもつ企業にとって、粘着的な賃金や価格の設定をすることは、近似合理的である。慣性的な行動をしたために賃金や価格設定でまちがえれば、政策ショックに関して2次的な損失を企業にもたらす。なぜなら、企業はそのショック以前の均衡状態では、より高い価格をつけることで得られる限界利益が、限界費用で相殺されるところで価格設定しているからだ。そのため賃金や価格設定でまちがえても、目的関数の値に対して2次的な影響しかもたらさない。これは包絡線定理 (envelope theorem) の応用にすぎない(Varian [1978])

微分可能性の仮定

 目的関数が企業自身の賃金と価格に関して微分可能であるという条件は、説明が必要だろう。この仮定は、完全競争モデルでは当てはまらない。完全競争モデルにおける企業の利潤について考えてみよう。その場合、市場の賃金よりも低い賃金を提示する企業は、労働者を雇用することができない。市場賃金のレベルで、雇用可能な労働量は不連続的にジャンプアップする。したがって企業の利潤についても同様である。反対に企業が支払う賃金が市場賃金よりも高い場合、企業の利潤は、市場賃金に対するその企業の賃金の超過分に比例して減少する。したがって、企業の利潤関数(賃金の関数と考えると)は、最適賃金(これは市場賃金である)の値で微分可能ではない。同じ議論は、企業の価格についても当てはまる。もし企業が市場をクリアする価格以上の価格を設定すると、完全競争する企業はまったく売り上げを得ることができない。企業が設定する価格が市場をクリアする価格よりも低くなるところで、そうなると好きなだけ売ることができるので、企業の利潤は不連続的にジャンプアップする。そして、市場をクリアする価格よりも価格が低くなっていくと、市場をクリアする価格と企業自身の価格とのギャップに比例して、企業の利潤は減少していく。完全競争市場モデルでは、市場をクリアするレベルよりも高い賃金や低い価格は、企業の利益に貢献しない。
 対照的に、企業自身の賃金や価格に関して微分可能な利潤関数を想定している、価格や賃金設定のモデルが多く存在する。買い手が不完全情報を持っているモデルや、生産市場が独占や売り手寡占のモデル、差別化された製品を生産する独占競争モデルなどでは、企業の生産関数の変化は、企業自身がつける価格に関して微分可能である。なぜなら、その価格が他の企業がつける価格から限界的に乖離しても、突然売り上げがゼロにはならないからである。これらのモデルでは、企業による価格引下げは、売り上げ1単位当たりの収入が減るため限界費用を増加させるとともに、売り上げの増加に伴う限界利益の増加ももたらす。
 同様に、企業が提示する賃金に関して微分可能な利潤関数を想定している労働市場モデルもある。これが起こるのは、労働者が不完全な情報しか持っていないので、企業に少なくとも買い手独占の力を与えるモデルか、買い手独占あるいは買い手寡占の労働市場のモデルである。長期契約のほとんどのモデルにおいて、利潤関数は賃金改定の時期に関して微分可能である。最後に、後で説明するような失業の効率賃金モデルにおいても、利潤は賃金に関して微分可能な関数になっている。なぜなら、高い賃金を提供することによって高くなる労働者1人当たりの労働費用は、少なくとも部分的に生産性の増加による労働費用の減少によって相殺されるからだ。
 このように、企業の利潤が、賃金や価格を変数とし、その変数に関して微分可能な関数になっている多くの種類のモデルがある。そのようなモデルのいずれにおいても、全員が利潤最大化している長期の均衡から変動させるショックに反応して、慣性的な 賃金―価格 設定の行動をとった場合、そのような利潤最大化しない企業が被る損失は、小さなものにすぎないだろう。

賃金や価格の粘着性は実質的な変数に1次的な影響を与える

 ここまでの部分で、多くのモデルにおいて賃金や価格の粘着性が企業の目的関数に与える影響は、すべての企業が利潤最大化している均衡状態から変動させるショックの大きさに関して2次的であると示した。それにもかかわらず、そのような 賃金―価格 の粘着性は、通常、そのショックに伴う実質変数の均衡値に1次的な影響をもたらす。この特徴は、この論文で提示される具体的なモデルで確認しなければならないのだが、どうしてこれが通常起こるのかについては、一般的な直感的説明が可能である。
 もしすべての企業が、εの割合の貨幣供給の変化に対して、粘着的な価格設定を維持したなら、同じ割合だけ実質残高 (real balances) に変化が生じるだろう。実質残高の変化がショックの大きさと同じ次元になるのは明らかである。そして、ほとんどのモデルで、他の変数も同じ大きさの次元だけ変化するだろう。ほとんどの実質的変数はショックの大きさと同じ次元だけ変化する、という特徴は正しいのである。ただし、一部の企業だけが粘着的な価格や賃金の設定をして、残りの企業は利潤最大化している場合の短期的な均衡では、議論はより複雑になる。

提示される例

 次のセクションIIでは、近似合理的な賃金と価格の粘着性により景気循環の変動が説明できる、という仮定を証明する具体的なモデルを提示する。ここで提示されるモデルは、主に3つの特徴をもっている。第一に、粘着的な賃金と価格の調整である。私たちはその設定によって、すべての企業が利潤最大化している長期的な均衡状態に対してショックがあった場合、βの割合の企業は、それまでと同じ名目価格と名目賃金を維持し、残りの企業は完全に利潤最大化する、ということを意味している。
 このモデルの2番目の特徴は、価格粘着的な価格設定が、全員が利潤最大化している長期均衡に対するショックに反応する行動としては、近似合理的な方法であると保証していることである。ここでは、企業は独占競争をしていて、彼らの売り上げは、実質総需要のレベルと、他の企業の価格に対する自身の相対的な価格の両方に依存する、と仮定している。また単純化のために、総需要は実質残高に比例すると仮定している。前の議論で示されているように、このようなモデルにおいて、価格粘着性は近似合理的になる。労働市場が市場をクリアするものであっても(a market-clearing labor market)、そのような価格の慣性があれば、貨幣供給の変化がそれに比例した実質変数の変化を引き起こすことは十分に説明できる。
 この論文は、どうして貨幣の非中立性が近似合理的な行動から発生するのか、ということだけでなく、その場合の均衡が非自発的失業によって特徴づけられるものになる、ということを示すモデルの提示も意図している。私たちのモデルで非自発的失業が発生するのは、労働者の生産性が彼らが受け取る実質賃金に依存しており、そのために企業は、市場をクリアする以上の賃金を設定する、と仮定しているからである。そのような効率賃金モデルはよく知られていないかもしれないので、以下の部分で簡単に説明し、その効率賃金モデルが、労働市場をクリアしないモデルの現実的な基本形になると私たちが考える理由を付け加えようと思う。

失業の効率賃金モデル

 現在、先進国で非自発的失業が発生するのは、効率賃金のためであると説明するたくさんの研究が存在する。その効率賃金仮説によれば、実質賃金をカットすれば、生産性を損なうことになるからである。これが実際に起こっていることなら、それぞれの企業は、労働者1人当たりの労働費用を最小化するのではなくて、効率労働1単位当たりの労働費用を最小化するように賃金を設定するだろう。効率労働1単位当たりの労働費用を最小化する賃金は、効率賃金と呼ばれている。企業は、限界収入生産物 (marginal rvenue product) がその企業が支払う実質賃金と等しくなるところまで労働者を雇用する。そうすると、それぞれの企業が効率賃金を支払っていると、労働総需要が労働供給よりも少なくなってしまうことが簡単に発生する。そのために非自発的失業が起こるのである。
 この効率賃金モデルには基本的に3つのバージョンがある(その一覧に関してはYellen [1984] を参照)。1つ目のバージョンは、企業は、従業員が怠業するインセンティブを持たないようにするために、留保賃金よりも高い賃金を支払う、というものである。2番目のバージョンは、労働者が仕事を辞めないようにするため、そして労働異動率を下げるために、労働市場をクリアするよりも高い賃金を支払うというものである。3番目のバージョンは、労働者から企業への忠誠を引き出すために、市場をクリアする賃金よりも高い賃金を支払うというものである。
 これらのモデルには、いくつかの想定される問題があるが(ある場合には、複雑な契約がパレート優越的になり、均衡での失業がなくなる。あるいは、これらのモデルは、順循環的ではなくて、反循環的な生産性を示すかもしれない)、適切な修正を加えれば、それらは非自発的失業の説明として現実的に妥当なものになるだろう。さらに、2重労働市場のモデルはどれでも、プライマリーセクター(primary sector )の企業が市場をクリアする賃金よりも高い賃金を支払うことを説明しなければならないが、その説明は、効率賃金の理論によって可能になるだろう。

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訳注1) agent = この論文の場合、企業と考えてまったく問題ないので、以下の部分ではすべて「企業」と訳しています。

  suboptimal = 次善最適化、2次最適化 という意味です。完全に(一番いいレベルで)最適化 (optimal) せずに、少し低い (sub) レベルで最適化する、ということになります。

 以下何度も、「1次的」(first-order)、「2次的」(second-order) という表現が出てきますが、変数の「次数」との対応を見るには、目的関数を極値の値でテイラー展開するとわかりやすいです。目的関数が極値(最大値、最小値)を持ち、その極値で微分可能ならばテイラー展開したときの1次の項は0になります(1階の微分の係数が0になるので)。
 これの補足としては、マンキューの「メニューコスト」の論文の訳注(こちら)を参照してください。