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もし貧乏人が経済学を学んだら

ブランシャール

ブランシャール、「恐慌と不況」(3)(日本の不況)

最初の部分はこちら。22章第1節(1) 「デフレと流動性の罠」
2番目の部分はこちら。22章第1節(2) 「流動性の罠」

今回は以上の部分の続きです。これの前(22章第2節)に大恐慌の分析が入っていますが、日本語訳がある1997年版とだいたい同じです。
 前の節で展開されているIS-LMモデルでの分析に、実際の経済、日本の1990年台を対応させてみることが目的なので、それに対応する現象に主に焦点が当てられています(教科書なので、そのあたりも詳しくは分析されていません)。バブル崩壊による需要へのショック、生産量の低下→失業率の増加→デフレ→流動性の罠→実質利子率の上昇→さらなる需要減、生産量低下という感じ。そのため、政策面(金融政策と財政政策の失敗)については詳しく論じられていません。。
 最後の不良債権処理の話は時代を感じさせますが、書かれているのが2000年ぐらいなので。
それと、最後の部分は2008年版で少し修正されています(最近確認できました。もしかするとその後の2010年版、2012(2013) 年版ではさらに・・・ )。

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22-3 日本の不況

 第二次大戦の終了から1990年台の始めまで、日本経済のパフォーマンスはすばらしいものであった。1950年から1973年まで、平均の成長率は年率8%だった。他のOECD加盟国と同様に、平均成長率は1973年以降減少した。しかし、それでも1973年から1991年までの成長率は、年率4%のすばらしいもので、多くの他のOECD加盟国の成長率よりも高かった。この成長の結果として、(購買力平価で計った)一人当たりの産出量は、1950年にはアメリカの17%にすぎなかったが、1990年にはアメリカの80%にまで上昇した。
 しかし、この成長は、1990年台始めに突然終わった。表22-4は、1990年から2000年までの日本のGDP成長率、失業率、インフレ率の変化を示したものである。

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表22-4

■1992年以降、毎年の成長率は、プラスであっても小さいものか、マイナスである。全般的に、1992年から2001年までの平均成長率は、1%以下であり、以前の数十年に比べればはるかに低いものである。この長期にわたる低い成長率が、いわゆる「日本の不況」(Japanese Slump)である。この不況は、大恐慌に比べれば、明らかに、突然の急降下(sharp)でもないし深刻(deep)でもない。(表22-1を思い出してほしい。そこに示されていた、1929年から1932年のアメリカの平均成長率は-8.6%だった。)しかし、この日本の不況は本質的な (substantial) ものである。このように考えてみよう。もし、産出量の成長率が1973年から1991年の成長率と同じように成長していたら、現在の日本の産出量は、実際の値よりも30%も高くなるのである。
■低い産出量の成長率は、確実に失業率の増加につながってきた。しかし、表22-4の2番目の列の1990年以降の失業率の変化を見て、読者は、日本はそんなに悪くなっていない、と思うかもしれない。たしかに、失業率は1990年の2.1%から2001年の5.1%に増加した。しかし、5%という数字だって、過去40年間のアメリカの失業率の平均よりもさらに低いものだ。多くのヨーロッパの国々にとっては、その数字を達成すること自体が夢のような話である。しかし、この数字は、日本の第二次大戦後の失業率としては最も高いものなのである。

 日本の失業率が低い理由は、日本の企業と労働市場の形態と関係がある。第8章で見たように、日本の企業は、しばしば労働者に手厚い保護を与えている。日本の企業は、生産量が減少すると、労働者を保蔵する傾向がある。そのために、生産量が減少しても、雇用に与える影響は少なく、他方、失業に与える影響も少なくなるのである。
 日本の失業率を考えるもうひとつの方法は、オークンの法則である。つまり、私たちが第9章で見た、産出量の成長率と失業率との関係である。アメリカでは、オークンの法則の回帰直線の係数は0.4である。年率1%の産出量の減少が、失業率を0.4%増加させるのである。日本のオークンの法則の係数は0.1である。つまり、年率1%の産出量の減少が、失業率を0.1%増加させるのである。1992年以降の日本の成長率を累積すると、正常成長率よりも約30%低くなるので、これは失業率を、0.1×30%=3%押し上げることにつながるのである。一方、アメリカが同じ量だけ産出量を低下させたとすると、失業率は、0.4×30%=12%も増加することになり、より大きな増加になる。
 低い産出量と高い(日本の基準でだが)失業率が、時間の経過とともに、インフレ率を低下させている。表22-4に示されているように、インフレ率は、1990年台の始めでもすでに低くなっている。1995年以降、インフレはデフレへと変わっている。これは、OECD諸国では大恐慌以来、観察されていない現象である。

 表22-4の数字は、いくつかの疑問を提示する。
 何がこの不況を引き起こしたのか?
 どうしてそれはこんなに長く続いているのか?
 金融政策や財政政策を間違えたのか? あるいは、その効果がなかったのか?
 次に何が起こるだろうか?

日経平均株価の上昇と下落

 1980年代は、日本では株式市場が好況だった時期である。日経平均株価指数(日本の株式市場の平均指数である)は、1980年の7,000円から、1989年の終わりの35,000円へと、5倍に上昇した。しかし、その後、株価は急速に下落し、2年以内に、つまり1992年の終わりに16,000円へと低下している。1990年台の残りの年の間、株価は低迷したままだった。2001年終わりには、10,000円をわずかに超える程度であり、最高値の3分の1以下になっている。
 どうして日経平均株価は1980年代にそれほど上昇し、その後、1990年台の始めにそれほど急激に下落したのだろうか。15章での議論を思い出そう。株価が上昇するのには、2つの理由があった。

■株式のファンダメンタルな価値の変化。それは、例えば、現在のあるいは将来の期待された配当金が増加するときに起こる。現在あるいは将来、ある株式がより高い配当金を払うだろう、とわかれば、投資家はその株により多く投資する。そのため、株価が上がる。
■投機的なバブル。投資家は、ある株価が将来、さらに値上がりするだろうという期待だけで、その株式をより高い値段で買う。

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 図22-9


 図22-9は、1980年から2001年までの、日本の株価と配当金の変化を示したものである。上のラインは、日経平均株価の変化を示している。下のラインは、それに対応する配当金の平均の変化を示している。比較を容易にするために、1980年の値を基準にしている。この図を見れば、何が起こったのか簡単にわかるだろう。株価が1980年台から増加しているのに対して、配当金は変化していない。たしかに、これだけでは、日経平均株価がバブルだったと結論づけることはできない。投資家たちは、現在の配当金が増加していなくても、将来の配当金は増加すると期待していたかもしれない。しかし、この図からは、株価の上昇は大部分バブルによるものであり、その後の下落はバブルが崩壊したためである、ということが強く読み取れる。

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 表22-5



 原因が何であれ、株価の急激な下落は、支出に大きな影響を与え、次に産出量に大きな影響を与えた。表22-5は、1988年から1993年までのGDPの成長率、消費の成長率、投資の成長率の変化を示したものである。日経平均株価が上昇していた間、強力だった投資は激減している。一方、アメリカの大恐慌のとき――そのときは、株価の暴落を受けて、消費が急激に減少した――とは対照的に、消費は大きな影響を受けていない。しかし、消費の強さは、トータルの(訳注 消費と投資の)支出の急激な減少を防ぐほど強くなかったし、GDP成長の1993年から1999年への6.5%から0.4%への急激な減少を防ぐほど強くもなかった。
 つまり、日本の不況がどうして始まったのか、ということについては、謎めいたところはない。より難しい問題は、どうしてこんなに長く続いているのか、ということだ。何と言っても、大恐慌から得た重要な教訓は、経済を回復させるために、マクロ経済政策を使うことができるし、使わなければならない、ということだ。日本では、それは行われたのか? もしそうなら、なぜそれは失敗したのか? 次にこの2つの疑問について考えてみよう。

金融政策と財政政策の失敗

 金融政策は実行されている。しかし、それはあまりにも遅すぎたし、それが実行されたとき、前節の22-1節で見た流動性の罠とデフレの2つの問題に直面した。
 重要な点は、図22-10に示されている。これは1990年から2001年の間の名目利子率と実質利子率の変化を示している。(期待インフレ率は計測できないものなので、ここでは実質利子率は、名目利子率から、期待インフレ率ではなくて、実際のインフレ率を引いて計算している。)

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図22-10



 名目利子率は1990年には高く、8%に近い値だった。これはある部分では、日本銀行(しばしばBoJと略される)が日経平均株価の上昇を心配し、利子率を上げて、株価上昇を抑えようとしたためである。インフレ率が[実際の値のように]2%ぐらいだと、この名目利子率の値(8%)の場合、約6%の実質利子率になることになる。
 成長が低下するに従って、日銀は名目利子率を低下させた。しかし、その低下させる割合は遅すぎた。名目利子率は1996年に1%以下になったが、すでにその1996年までに、低い成長率の累積的な効果のために、インフレ率はデフレになってしまっていた。その結果、実質利子率は、名目利子率よりも高くなってしまったのである。
 1990年台中頃から、日本は実際、流動性の罠に陥っている。名目利子率はしばしばほとんどゼロになっている。これを書いている時点で0.02%で、1%の100分の2しかないのだ! もうこれ以上下げることはできないだろう。同時に、失業率は高いままである。失業率が高くなると、デフレが大きくなることにつながる(訳注 1)。そうなれば、実質利子率は上昇することになる。これを書いている時点で、実質利子率は2%ぐらいである。需要を刺激し、産出量を増加させるために十分低いとは、到底言えない数字である。つまり、日本は、前節22-1節で説明した悪循環に陥っているのである。高い失業率が、大きなデフレ率につながる。デフレが大きくなれば、実質利子率が上がる。それが需要の低下につながり、また失業率を増加させる。

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 図22-11



 財政政策も実行された。図22-11は、1990年から2001年までの、GDP比での税収と政府支出の変化を示している。それは、不況の始まりともに税収が低下し、かつ、その期間の間、政府支出が増加し続け、GDP比で8%近くにまでなっている、ということを示している。この政府支出の増加の多くは、公共事業(public work project) という形態をとっており、そのうちには、効果が疑わしいものも多くあるかもしれない。しかし、需要を増加させるという観点から言えば、公共事業の内容はそれほど関係ないはずだ。この政府支出の増加は、全体の需要の増加につながるはずである。
 実際そうだったのか? この疑問に直面したエコノミストたちは、次のように結論づけた。政府支出の増加は需要を増加させた。しかし、それはその後支出を増加させ、産出量を増加させるまでには至らなかった。別の言い方をすれば、政府支出の増加がなければ、産出量はさらに低下していただろう。財政政策のおかげで、産出量の低下は抑えられた。しかし、景気回復までにはつながらなかった。そして、ここに日本政府に対して、もうひとつの問題が立ちはだかる。政府支出が増加し、税収が減れば、財政赤字が長期的に続くことになり、政府の負債が確実に累積していくことになる。GDP比での日本政府の負債残高は、1991年の61%から2001年の130%に増加している。現在の(2001年時点での)国債の利子率はほとんどゼロに近いぐらい低く、負債に対する利子負担分は多くない。しかし、その利子率がもし将来上がったとすれば、利子支払い分は、財政赤字の中で大きな負担になるかもしれない。こういう理由のために、日本政府が財政政策を続けることに消極的なのは理解できる(訳注2)。このことは、1999年からGDP比に対する税収が増加していることからも読み取れる(訳注 消費税増税したことから、政府が財政赤字を心配していたとわかる、ということ)。

次に何が来るのか?

 だから、多くのマクロ経済学者が日本の現在の状況に悲観的なのは、簡単に理解できるだろう。金融政策は、名目利子率をこれ以上、下げられない。財政政策の可能性も、長い財政赤字が続いており、せいぜい限られたものになる。では、政策決定者にとって使うことができる方法としては、何が残っているのだろうか。現時点では、政策決定者が取るべき方法は2つある。

■インフレ期待をつくること
 流動性の罠の奇妙な世界では、インフレ率が高くなったほうが望ましい。もし、日本の人々が、将来インフレになると突然確信したら、実質利子率は低下するだろう。そうなれば、支出と産出量に刺激を与えるだろう。そして、実際のインフレ率も高くなるだろう。フィリップス曲線が示している関係を思い出そう。フィリップス曲線の関係に従えば、期待インフレ率の増加は、1対1で実際のインフレ率の増加につながるのである(原注1、)。
 次に、問題点は、日銀が日本の人々に将来インフレになると信じさせることができるのか、できるとすれば、どうやってするのか、ということである。これまでいろいろな提案がなされていきた。ひとつは、日銀がインフレターゲット、つまり、今後数年間で日銀が達成しようとするインフレ率を宣言する、というものである。人々がその宣言を信じれば、最初は期待インフレ率が――次いで、実際のインフレ率が――実際に上昇し、日本が不況から抜け出るのを助けるだろう。しかし、これは確実に起こるというわけではない。もし人々がその宣言を信じず、デフレが続くと信じれば、デフレが続くことになり、日銀がそれに対してできることは、少なくなってしまう。
 一言で言えば、そのような宣言が成功するかしないかには、明らかに、自己達成的な(self-fulfilling) 側面がある。その宣言が信じられれば、それは成功するだろうし、信じられなければ、成功しないだろう。大恐慌期の1933年に起こったことは、これに関連してくる。アメリカの人々は、1933年のルーズベルト大統領の宣言を聞いて、デフレからインフレへと変わると解釈したのである。そしてそれがアメリカの景気回復につながったのである。私たちは、確証はできないが、日本も同じことができる、と希望している。

■不良債権処理
 もうひとつの取るべき政策は、今日の日本経済は多くの構造的問題に苦しめられている、という提案から出発する。
 その議論は、大きな構造的問題のひとつは、銀行システムの不健全性であると主張している。この不況の影響で、多くの企業の業績は悪化している。そのため銀行は、バランスシートに不良債権、つまり債務者が返済できるかどうかわからない債権を計上していることになる。その結果、多くの不良企業――つまり、損失を出し、本来なら閉鎖すべき企業――が、銀行から融資を受け続け、操業を続けることになる。もうひとつの結果は、銀行融資の多くの部分がそのような不良債権企業に行くことになるので、「優良な企業」――将来性があり、良い投資案件をもっている企業――が融資を受けることができなくなり、投資ができなくなる、ということである。
 続けてその議論は次のように主張する。それゆえ正しい政策は、銀行の不良債権問題をなくすことである。その方法は、債権の返済できない企業は閉鎖するか再編すること、そして、不良債権を大量にかかえている銀行は閉鎖するか再編することである。これらの方法は、次の2つの効果を与えるだろう。
 ひとつは、不良企業を排除することになり、最終的に――そのような企業がより生産性の高い企業に取って代わられるので――より高い生産性につながり、より高い自然産出量を達成できる、ということ。
 もうひとつは、良い投資案件をもっている企業が投資を行うことができるようになり、投資支出の増加につながる。そのために、今度は需要と産出量の増加につながるだろう、ということである。
 しかし、すべてのエコノミストがこれに賛成しているわけではない。日本の銀行に不良債権が多くあること、そして、そのような不良債権の処理が必要だということに関しては、意見は一致している。意見が分かれるのは、そのような不良債権処理が、短期的に日本を不況から抜け出させる助けになるかどうか、という点である。短期的には、不良債権処理を進めれば、多くの企業と多くの銀行が倒産することになる。多くのエコノミストは、短期的には、さらに産出量を減少させるのにつながるのではないか、と心配している。そのために、不良債権処理の望ましい影響が現れる前に、産出量不足 (output slump) をより悪化させてしまうのではないか、と心配している。経済が良くなる前に、かえって経済が悪くなってしまうのではないか、という心配が、日本政府がこれまでのところ、この不良債権処理に乗り出すのに消極的な理由のひとつである。

 結局のところ、日本の消費者か日本の企業が、すぐにもっと楽観的になり、支出を増やせば、産出量の増加につながるのだろう。しかし、こういうことが起こらずに、上で挙げた2つのマクロ経済政策も実行されなければ、日本を現在の不況から脱出させる単純な解決策はないように思われる。現時点で考えられる、その2つの政策は、必ず成功するというようなものではないし、痛みをともなわないものでもないだろう。


訳注1 「失業率が高くなると、デフレが大きくなることにつながる」
AS-ADモデルのような合理的期待仮説にもとづいても、フィリップス曲線の関係から言っても。AS-ADモデルの価格決定(AS)の中心は労働市場。失業率が高くなると、低い賃金を予想する。そして物価水準が低下する。フィリップス曲線では、失業率が高くなると、インフレ率が下がる。

訳注2 「日本政府が財政政策に消極的なのは理解できる。」 the Japanese government is understandably to reluctant to ocntinue to use fiscal policy. ブランシャールは「理解できる」understandably と言っているが、全面的に賛成できる、という意味ではないと思う。この節のタイトルは、財政政策の「失敗」(failuer) となっている。言いたいことは、確かに財政赤字を気にすることは理解できなくもないが、財政赤字を増加させないことを先に優先してしまったために、十分な政府支出が行われなかった、ということではないだろうか。
 その前の日銀批判はわかりやすい。バブルの後遺症のために、つまり、株価バブルを抑えようと名目利子率を高くしていたが、バブル崩壊後も同じような高い利子率を続けすぎた。もっと早く対応すべきだった。
 
原注1 π=πe-α(u - un)。失業率uが変化しないとすれば、期待インフレ率πe の増加は、そのまま同じ割合だけインフレ率πの増加につながる。

ブランシャール、「デフレとフィリップス曲線」

ブランシャール (Olivier Blanchard) の『マクロ経済学』(Macroeconomics) (2002) の中の文章の翻訳です。日本語訳がある1997年版にはこの部分がなく、その後の版から追加されたものです。

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ブランシャール、「デフレとフィリップス曲線」"Deflation and the Phillips Curve Relation"

 私たちはここまで、インフレ率が非常に高いときにフィリップス曲線がどうなるのかを見てきた。もうひとつの問題は、インフレ率が低いとき――もしかするとマイナスのとき、つまりデフレのとき、フィリップス曲線がどうなるか、というものである。

 この質問をする理由は、この章の最初に見た図8-1の中にすでに与えられている。しかし、それをここまでとっておいたのである。

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 この図において、1930年代に対応する点(三角形で示されている)が、他の年よりも右側に位置していることに注目してほしい。
 失業率が高いだけでなく(これは大恐慌に当たる年なので、驚くにはあたらない)、高い失業率から想定されるのとは反対に、インフレ率が驚くほど高いのである。言葉を変えて言えば、失業率が非常に高いならば、私たちは単なるデフレだけではなく、非常に高い率のデフレーションを予測する。しかし、実際にはデフレは限定的で、1934年から1937年のインフレ率は実際プラスだったのだ。

 この事実をどう解釈すべきだろうか。2つの説明が考えられる。
 ひとつの答えは、大恐慌は実際の失業率を増加させただけでなく、自然失業率も増加させた、というものである。これは、ありそうにないことである。たいていの経済歴史家は、大恐慌は総需要が大きく減少したために(大きな負のシフトによって)起きたと考えており、そのために、自然失業率が増加したのではなくて、実際の失業率が自然失業率よりも大きくなった、と考えている。

 もうひとつの答えは、経済がデフレを体験し始めると、フィリップス曲線に示される(インフレ率と失業との)関係が壊れる、というものである。そう考えられる理由のひとつは、労働者が名目賃金のカットを嫌がる、という事実である。労働者は、インフレ率よりも緩やかに賃金が増加することで実質賃金がカットされる場合は、それを喜んで受け入れるかもしれない。しかし、同じ実質賃金のカットでも、名目賃金が文字通りカットされる場合は、それに抵抗するだろう。(傍注1)
 これは次のことを意味する。もしこの想定が正しいなら、フィリップス曲線に示されるインフレ率の変化と失業率との関係は、経済がゼロのインフレ率に近づくときには消えるかもしれない、少なくとも弱くなる、ということである。
 この問題は、現在重要な問題になっている。なぜなら、世界の多くの国で、インフレ率が非常に低いからである。第1章で見たように、日本は現在マイナスのインフレ率を体験している。この低インフレ率の状態で、あるいはデフレの状態で、フィリップス曲線の関係がどう変わるか、というのは現在マクロ経済学者が注意深く観察している問題(developments)である。

(ブランシャールの『マクロ経済学』(2002)では、余白にコメントが載っている。以下はそれの翻訳)
傍注1
 2つの場合を考えてみよう。ひとつはインフレ率が4%で、あなたの名目賃金が2%増加した場合。もうひとつは、インフレ率が0%で、あなたの名目賃金が2%カットされた場合。どちらがいやだろうか。
どちらも同じなのである。なぜなら、どちらの場合も実質賃金は2%カットされているからだ。しかし、たいていの人は、前者の場合(インフレ率4%で、賃金増加2%)のほうがより苦痛が少ないと感じるという証拠がある。

感想
 たぶんブランシャールは、アカロフのこの論文を念頭において書いているのだろう。(アカロフのほうが詳しく説明しているので、わかりやすいと思います。といっても、僕は「論文」ではなくて、要約しか読んでいないのですが)

 言っていることはアカロフと同じで、インフレ率が0付近、あるいはマイナス(デフレ)のときは、価格硬直性(特に賃金の下方硬直性)のために、合理的期待仮説(フィリップス曲線から「自然失業率」を推定する方法)によって推定されるインフレ率よりも、実際のインフレ率は高くなる、ということ。

 アメリカの自然失業率は1960年代以降、だいたい6%ぐらいと言われている。自然失業率よりも低い失業率を目指すことは、高いインフレ率を伴うので、自然失業率が政策の目標になってきた。
 とすると、大恐慌期の15%~25%という失業率は非常に高い値であり、「自然失業率」の考え方から判断すると、かなりのマイナスのインフレ率にならないといけない(戦後の「自然失業率」と大恐慌期の「自然失業率」が同じという仮定は非現実的だけど)。
 しかし、大恐慌時代の実際のインフレ率は、実際はそれよりも高かった(わかりやすくするために、目安として、ブランシャールの図に2本直線を引きました)。

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 ブランシャールとアカロフは、その原因は価格硬直性(賃金の下方硬直性)が働いたからだ、と考えている。
 ここから引き出される一般的な教訓は、インフレ率が0付近、あるいはマイナス(デフレ)のときは、フィリップス曲線によって示される「インフレ率」と「失業率」との関係が成り立たなくなる可能性がある、ということ(ブランシャールの言葉では、「フィリップス曲線に示される関係が壊れる」)。それなので、フィリップス曲線によって示される「自然失業率」も、信用できないものになる(上の青線だと15%ぐらいになってしまう!!)。実際の「自然失業率」はもっと低い値だと考えていい!!

ブランシャール、「恐慌と不況」(2)

前の部分はこちら。以下↓は、その続きです。

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流動性の罠(The Liquidity Trap)

 前節で見たシナリオに対するひとつの反応は、そういう状況を心配している間にも、適切なマクロ経済政策、とりわけ金融政策を使うことによって、それは簡単に避けることができるはずだ、というものだろう。そのシナリオは、金融政策(ここでの議論では、名目貨幣成長)は変化しないという想定のもとで、得られたものだった。しかし、中央銀行が産出量の低下を懸念するなら、中央銀行がやるべきことは、拡張的金融政策に乗り出すことのように思われる。図22-2で言えば、中央銀行がやらなければいけないことは、名目貨幣ストックを増加させ、LM曲線をさらに下へシフトさせること。産出量を増大させるのに十分なだけ、LM曲線をシフトさせることである。
 こういう場合に、中央銀行は金融政策を使うことができ、使わなければならない、というのは、確かに正しい対策である。しかし、中央銀行ができることには限界がある。つまり、それは名目利子率をゼロ以下には下げられないのである。期待インフレ率が低く、あるいはマイナスならば(つまり、人々がデフレを期待しているならば)、予想される実質利子率は、経済を不況から脱出させるほど、十分に低くないということも考えられる。この問題は現在の日本では論争の中心になっている。そこでもう少し詳しく見ていこう。

 最初に、第4章で見た貨幣需要と貨幣供給の特徴をもう一度見ていこう。第4章で私たちは、所得を所与とすると、貨幣需要は名目利子率の減少関数になる、ということを見た。名目利子率が低くなればなるほど、貨幣需要は高くなる、ということである。同じことだが、債権需要が低くなればなるほど、貨幣需要は高くなる。私たちが第4章で考慮しなかったことは、名目利子率がゼロになったら、何が起こるか、ということである。答えは、いったん人々が取引のために必要な貨幣を十分所有すると、それ以後は、残りの資産を貨幣の形で所有しても、債権の形で所有しても、どちらでもよくなる、というものである。理由は、名目利子率がゼロの場合、貨幣も債権も同じ利子率0の利益しか提供しないからである。従って、貨幣需要は図22-3のようになる。

図22-3
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■名目利子率が減少するにつれて、人々はより貨幣を多く持とうとする(逆により債権を少なく持とうとする)。貨幣需要が増加する。
■名目利子率がゼロになると、人々は少なくともOBの長さの量の貨幣を所有しようと思う。これは、取引のための貨幣である。しかし、彼らはさらに多くの貨幣を喜んで受け入れる(債権の量を減らしながら)。なぜなら、上述したように、資産として保有するものとして、貨幣でも債権でもどちらでもいいからだ。従って、貨幣需要は、B点を過ぎると水平になる。次に、貨幣供給の増加によって何が起こるか見ていこう。

■貨幣供給がMsの場合を考えてみよう。名目利子率は金融市場を均衡させる利子率でプラスであり、iに等しい(これは第4章で考えたケースである)。図22-3では、この均衡(A点)から出発し、貨幣供給を増やしている。すると、Msの直線が右にシフトしていく。そして、名目利子率が低下していく。
■次に、貨幣供給がMs’になった場合を考えよう。均衡点はB点である。あるいは、貨幣供給がMs”になった場合を考えよう。今度は均衡点はC点である。どちらの場合も、名目利子率はゼロである。そして、どちらの場合も、貨幣供給の増加は、名目利子率に何ら影響を与えない。これを次のように考えてみよう。中央銀行が貨幣供給を増加させると想定しよう。中央銀行は、公開市場操作によって、債権を購入し、債権所有者に貨幣を提供する。名目利子率がゼロなので、人々はどれだけの貨幣をもっても債権をもっても、どちらでもよくなっている。それで、彼らは、利子率が同じままでも、ゼロの利子率だが、より少なく債権を持とうとし、より多く貨幣を持とうとする。従って、貨幣供給は増加するが、名目利子率は影響を受けないのである。
 一言で言えば、いったん名目利子率がゼロになってしまうと、拡張的な金融政策は無力になってしまう(訳注 最後の訳注1を参照)。あるいは、この問題を最初に指摘したケインズの言葉を使えば、貨幣の増加は、流動性の罠に陥ってしまった。そうなると人々は、同じ利子率のもとでも、より多くの貨幣(つまりより多くの流動性)を持とうとする。
 債権市場での均衡を見たので、次は、IS-LMモデルを見ていこう。そして、流動性の罠を考慮するために、IS-LMモデルをどのように変えたらよいか見ていこう。

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 図22-4


LM曲線の導出は、図22-4の(a)と(b)に示されている。LM曲線は、実質貨幣ストック(M/P)を一定としたときの、金融市場における均衡(訳注 貨幣需要と貨幣供給の均衡)によって決まる名目利子率と所得Yとの関係を表している、ということを思い出そう。LM曲線を導出するために、図(a)は、実質貨幣ストック(M/P)を一定としたときの、金融市場の均衡を表している。3つの貨幣需要の曲線は、3つの異なる所得のレベルに対応したものだ。

■Mdは、所得Yに対する貨幣需要を表している。均衡点はA点になり、名目利子率がiになる。この所得Yと名目利子率iの組み合わせ(対応する関係)が、LM曲線の最初の点を与える。つまり、図(b)のA点になる。
■Md’は、先ほどの所得Yよりも低い所得Y’のときの、つまりY’<Yのときの、貨幣需要を表している。所得が減少すれば、貨幣による取引が少なくなる。そのため、どの利子率のレベルにいたとしても、貨幣に対する需要は減少する。図(a)の場合、均衡点はA’点で与えられ、名目利子率はi’に下がる。この所得Y’と名目利子率i’の組み合わせが、LM曲線の2番目の点を与える。つまり、図(b)のA’点になる。
■Md”は、さらに低い所得Y”のとき、つまりY”<Y’のときの、貨幣需要を表している。この場合、均衡点は図(a)のA”になり、名目利子率はほとんどゼロに等しくなる。図(a)のA”点は、図(b)のA”に対応している。
■所得がY”よりさらに減少し、図(a)で貨幣需要曲線をさらに左にシフトさせていった場合、どうなるだろうか。貨幣供給曲線(この場合は直線)と貨幣需要曲線との交点は、貨幣需要曲線の平らな部分に位置することになる。従って、均衡点はA”のままで、名目利子率もゼロのままで変わらない。

 要約すると、流動性の罠にはまった状態では、LM曲線は図22-4の(b)のようになる。
 所得YがY”より大きい部分では、右上がりの曲線になる。これは、私たちが第5章で見たLM曲線と同じである。
 しかし、Y”よりも小さい部分では、LM曲線は、i=0のレベルで水平になる。名目利子率はゼロより下に下がらないからである。

 流動性の罠にはまった状態でのLM曲線を導出できたので、今度は、この点で修正されたIS-LMモデルの特徴がどうなるか見ることができる。
図22-5
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 経済は最初は、図22-5のA点にいると想定しよう。均衡点は、IS曲線とLM曲線との交点で、産出量はY、名目利子率はiである。そして、この産出量Yのレベルが自然産出量Ynよりかなり低いと想定しよう。問題は、金融政策はこの経済を自然産出量に戻すことができるのか、ということだ。
 中央銀行が貨幣供給を増加させ、LM曲線をLMからLM’にシフトさせた、と想定しよう。均衡点はA点からB点に移動する。名目利子率はiから0に減少し、産出量はYからY’に増加する。ここまでは、確かに拡張政策は産出量を増加させることができる。
 しかし、B点から出発し、さらに中央銀行が貨幣供給を増加させ、LM曲線をLM’へと、さらにLM”へとシフトさせていったら、何が起こるだろうか。IS曲線とLM”曲線との交点は、B点のままになる。そのため、産出量もY’のままである。金融拡張政策は、もはや産出量を増加させる効果をもたない。従って、それは産出量を自然産出量に戻すことができないのである。

 具体的に言葉で説明すると、名目利子率がゼロに等しくなったとき、経済は「流動性の罠」にはまってしまう。中央銀行は、「流動性」を増加させることができる。つまり、貨幣供給を増加させることができる。しかし、この「流動性」が「罠」にはまってしまうのである。つまり、追加された貨幣は、同じ利子率でも、つまりゼロでも、金融投資家に喜んで保有される。名目利子率がこのようにゼロの状態で、財に対する需要が依然として低ければ、産出量を自然産出量に戻すために、金融政策にできることはなくなる(訳注 1)。

 両方の影響を合わせると:流動性の罠とデフレーション(デフレ)

 私たちが前の節(こちら)で低いインフレ率(デフレ)の影響を説明したとき、読者がそれを疑わしいと思ったかもしれないのと同様に、流動性の罠が深刻な問題だ、ということにも読者は疑念を持つかもしれない。結局、名目利子率がゼロといっても、それは利子率がとても低いだけだ。名目利子率がゼロになるぐらい十分低いなら、支出を強く刺激するだろうから、不景気から脱出できるはずだ、というわけである。
 答えは、ノーである。それを説明するためには、私たちはもう一度、実質利子率と名目利子率の区別を思い出さなければならない。支出にとって重要なのは、実質利子率である。名目利子率ゼロのときに、実質利子率がどのくらいになるかは、期待インフレ率の値による。

■インフレ率が、実際のインフレ率も期待インフレ率も同じで、高い、例えば10%と想定しよう。その場合、名目利子率がゼロになると、実質利子率は-10%になる。そのようなマイナスの実質利子率になる場合、消費支出と投資支出は非常に高くなるだろう。それは、需要を高め、産出量を自然産出量に戻すのに十分であろう。それなので、高いインフレ率の場合は、流動性の罠は深刻な問題にはならないだろう。
■しかし、インフレ率がマイナス、つまり経済はデフレに陥っていると想定しよう。例えば、インフレ率が-5%(同じことだが、デフレの率が5%である)としよう。すると、たとえ名目利子率がゼロであっても、実質利子率は5%になるのである。この実質利子率では、支出を十分刺激するには、まだ高すぎるかもしれない。そして、前の議論からわかるように(訳注 流動性の罠に陥っているので)、この場合、金融政策が産出量を増加させるためにできることは、残っていない。

 どのようにその2つのメカニズム――期待インフレ率が実質利子率に与える影響と、流動性の罠――が組み合わさり、経済を景気後退から不況や恐慌に移行させるかは、簡単にわかる。
 経済がしばらくの間、景気後退期にいたと想定しよう。それで、インフレ率が減少していき、デフレに変わったとする。次に、金融政策が名目利子率をゼロに下げたと想定しよう。このゼロの名目利子率の状態であっても、期待インフレ率がデフレなら(期待インフレ率がマイナスなら)、実質利子率はまだプラス、ということになるのである。
 その結果として、経済は図22-6のA点、IS曲線とLM曲線の交点にいるとしよう。名目利子率はゼロで、産出量Yは、自然産出量Ynよりも下である。

図22-6
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 この場合、産出量を増やすために金融政策にできることは何もない。状況は時間の経過とともに、悪くなるだろう。
 産出量が自然産出量よりも低いので、デフレーション(デフレ)の割合は、実際のものも期待(予想)されたものも、さらに増加するだろう(インフレ率がさらにマイナスになっていくだろう)。名目利子率が一定の(ゼロの)条件では、期待デフレーションが高くなれば、実質利子率がそのまま増加することにつながる。そのために、図22-6のように、IS曲線が、ISからIS’へと左にシフトし、さらに産出量はYからY’へと低下する。
 この産出量の低下が、さらにデフレーションを進める(訳注 2)。それがさらに実質利子率を高くし、さらに産出量を低下させる。そして・・・というように、続いていく。
 この経済は、悪循環に陥っているのである。低い産出量がデフレの増加につながる。デフレの増加が実質利子率の増加につながり、産出量をさらに低下させる。しかし、金融政策にできることは何もない。このシナリオは、現実離れしているように見えるかもしれない。現実離れしているように見えるかもしれないが、次の節の最初で大恐慌を、その次に日本の不況を検討すればわかるように、非現実的な話ではない。

続きはこちら

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訳注1) ブランシャールはここでずっと、名目金利がゼロになってしまうと、金融政策にできることがなくなる、と言っていますが、これは教科書のIS-LMモデルで説明されるような、「通常の」金融政策(LM曲線を下にシフトさせ、名目金利を下げる)ができなくなる、ということです。流動性の罠に陥ると、前の章で見た通常のIS-LMモデルで説明できる状態とは違う状況、金利ゼロの「制約」が生じている、ということを理解してもらうことが主眼になっています。
 実際には、金利ゼロの制約下でも、金融政策は完全に無効になってしまうわけではありません。例えばこれ↓
http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_02_08.pdf

このような伝統的なケインジアンの流動性の罠の説明(金利ゼロの制約で金融政策が効かなくなる)と、現代の捉え方の違いは、エガートソンの論文で簡単にまとめられています。翻訳はこちら↓
http://www29.atwiki.jp/nightintunisia/pages/18.html


訳注 2) 実際の日本では、デフレ(マイナスのインフレ率)がどんどん進行しているわけではありません。「マイルドな」デフレ、というぐらい。しかし、デフレがあまり進んでいないので大丈夫だ、ということにはならない。大恐慌のときに、デフレが進行していない年、インフレになっているときもあった。これもブランシャールのこの本に少しだけ記述があるので(フィリップス曲線との関係で)、そのうち翻訳します(現在日本語訳がある1997年版には、やはりこの部分がない)。

ブランシャール、「恐慌と不況」(1)

オリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard) の『マクロ経済学』 (Macroeconomics, 2002) の中の第22章「恐慌と不況」("Depressions and Slump") の翻訳です。最初の部分です(3回に分けています)。

 デフレの問題と流動性の罠について、IS-LMモデルで説明していて(ただしAS-ADでの議論が前提になっています)、日本の問題も取り上げられています。

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22-1 ディスインフレーション、デフレ(デフレーション)、流動性の罠 (Liquidity Trap)

 なぜ産出量は中期的には自然産出量に戻る傾向があるのか、ということについて前で展開した議論に戻ってみよう。その議論を簡単に展開していくために、図22のIS-LMモデルで考えよう。名目金利が縦軸で、産出量が横軸である。

図22
12120804 私たちが第7章で見た議論は、次のようなものであった。

■負のショックが産出量を減少させたと想定する。それでこの経済は、現在A点にいる。現在の産出量は、自然産出量Ynより低いYである。そのショックがどういうものかは、ここでは重要ではない。消費者が消費を減らしたからかもしれないし、企業が投資支出を減らしたからかもしれない。ここで重要なのは、産出量は、現在、自然産出量Ynより低い、ということである。
■産出量が自然産出量よりも低いために、物価水準がしだいに減少していく。名目貨幣ストックを所与とすると、物価水準の減少は、実質貨幣ストックを増加させるだろう。実質貨幣ストックはLM曲線を下にシフトさせ、利子率が下がり、産出量が増加する(訳注 1)。しばらくすると、この経済は、B点に移動し、産出量はY’になる。
■産出量が自然産出量Ynより低いかぎり、物価水準は下がり続け、LM曲線が下にシフトし続ける。経済はIS曲線上を下に移動し、C点に到達する。そのとき産出量は自然産出量Ynに戻る。つまり、産出量が自然産出量Ynよりも低いときは、物価水準が低下する。物価水準は、自然産出量Ynに戻るまで減少する。

 第7章での議論は、名目貨幣ストックは一定であるという単純化した強い仮定にもとづいていた。これは、中期的には、物価水準も一定になる、ということを意味していた。またそれは、もし産出量が自然産出量よりも低いならば、産出量が自然産出量に戻っていく調整は、物価水準の低下によって達成される(現実の世界では、あまり見られない現象である)、ということも意味していた。第8章と第9章では、このモデルのより現実的なバージョンを検討した。そこでは、中期における、プラスの名目貨幣成長を導入し、また、プラスのインフレ率を導入した。そのモデルは、ショックに対する産出量とインフレ率の調整を、より現実的に説明していた。しかし、ここでの議論に関していえば、そのモデルであっても、第7章のシンプルなモデルと同じ、基本的なことを意味する。つまり、経済は時間の経過とともに、自然産出量に戻っていく傾向がある、ということである。

 今度は、議論は次のようになる。
■図22-1と同じように、産出量が自然産出量よりも低いと想定しよう。言い換えれば、失業率は自然失業率よりも高い、ということである。
 次に、フィリップス曲線からわかるように、インフレ率が時間の経過とともに、減少するだろう。
■最初は、名目貨幣成長とインフレ率が同じだと想定しよう。従って、実質貨幣成長(名目貨幣成長からインフレ率を引いたもの)は、最初は0である。
 インフレ率が減少すれば、言い換えると、名目貨幣成長よりも低くなると、実質貨幣成長がプラスになる。同様に、実質貨幣ストックが増加する。
■実質貨幣ストックの増加すれば、LM曲線が下にシフトし、産出量が増加する。LM曲線は下にシフトし続け、やがて自然産出量に戻る。
 とすれば、この調整は、図22-1と同じである。つまり、低い産出量は、実質貨幣ストックの増加につながり、やがて産出量は自然産出量に戻るのである。

 それゆえ、経済には、景気後退から回復するための強い安定化装置が組み込まれているように思われる。

■産出量が自然産出量よりも低いときは、低いインフレ率になる。
■次に低いインフレ率が、より高い実質貨幣成長につながる。
■高い実質貨幣成長は、時間の経過とともに、産出量の増加につながる。

 しかし、不況や恐慌を研究してみると、この組み込まれた安定化装置が完全に機能しないことがわかる。いくつかの状況で、調子が狂うことがわかる。以下そのいくつかを見ていこう。

名目利子率、実質利子率、期待インフレ率

図22-1の産出量の調整を見たとき、私たちは、名目利子率と実質利子率の区別を無視していた。しかし、ここではその区別を導入する必要がある。14章での議論を思い出そう。そこで述べられていたのは


■支出の決定で重要なのは、つまりIS関係に変数として入ってくるのは、実質利子率--財と関係がある利子率である。
■貨幣の需要にとって重要なのは、つまりLM関係に変数として入ってくるのは、名目利子率--貨幣と関係がある利子率である。
 
 また、この2つの利子率の関係を思い出そう。つまり、実質利子率は、名目利子率から期待インフレ率を引いたものに等しい、ということである。

 この2つの利子率の区別が何を意味するかは、図22-2に示されている。

図22-2
12120807 この経済は、最初はA点にいると想定しよう。産出量は自然産出量よりも下である。
 産出量が自然産出量よりも低いので、インフレ率が減少する。

■インフレ率の減少は、実質貨幣ストックを増加させる。従って、LM曲線がLMからLM’へ下にシフトする。実質貨幣ストックM/Pの増加のために、LM曲線が下にシフトすることは、図22-1で見たLM曲線のシフトと同じである。このようなLM曲線の下へのシフトによって、産出量が増加する。これが起こりうる唯一のシフトであれば、経済はA点からB点へ移動するだろう。
■しかし、ここで第2の影響があることを考えなくてはいけない。インフレ率の減少が、期待インフレ率の減少につながったと想定しよう。そうすると、名目利子率を所与とすると、期待インフレ率の減少は、実質利子率を増加させるのである。実質利子率が高くなれば、次は、支出を減少させ、産出量を減少させる。従って、名目利子率が所与とすると、財市場の均衡によって決まる産出量は低くなる。IS曲線は、ISからIS’へと左にシフトする。期待インフレ率πeの減少によるIS曲線のシフトは、産出量の減少につながるのである。もしこのシフトだけが起これば(訳注 LM曲線のシフトは考えないとすれば)、経済はA点からB’点へ移動する。

 この2つのシフトの結果、産出量は増えるのだろうか、減るのだろうか。答えはわからない、というものである。この2つのシフトの影響によって、経済はA点からB”点へ移動し、産出量はY”になるだろう。Y”がYよりも大きくなるか小さくなるかは、どちらのシフトが優勢になるかによるが、一般的には、どちらとも言えない。
 ここに描かれた図では、Y”はYよりも低くなっている。この場合、産出量は自然産出量に戻るどころか、いっそう低下し離れていく。景気は良くなるどころか、悪くなるのである。
 具体的な数字を入れてみれば、インフレ率が産出量に与えるこの2つの影響がどうなるか、よりはっきりするだろう。


■名目貨幣成長、インフレ率、期待インフレ率が最初はどれも同じで5%だとしよう。
 名目利子率は7%としよう。そうすると、実質利子率は、7%-5%(期待インフレ率)=2%となる。
■産出量が自然産出量よりも低くなったために、1年後にインフレ率が5%から3%に低下したとしよう。
■実質貨幣成長(=名目貨幣成長-インフレ率)は、今度は5%-3%=2%になる。従って、実質貨幣ストックは、2%増加することになる。(訳注 最初は、5%[名目貨幣成長率]-5%[インフレ率]=0だった)。
 実質貨幣ストックのこの増加が、名目利子率を減少させたとしよう。例えば、7%から6%に減少させたとしよう。これは上のモデルで見た最初の効果である。つまり、インフレ率が低くなると、実質貨幣ストックを増加させることになり、名目利子率を下げることになるのである。
■インフレ率の減少により、人々が、今年のインフレ率は去年より2%低くなると期待した、と想定しよう。そうなると、期待インフレ率は5%から3%に減少する。(← 5-2=3)。
 これは次のことを意味する。名目利子率を所与とすると、実質利子率は2%増加する、ということである。(訳注2)
 これは前のモデルで見た、2番目の効果である。名目利子率を所与とすると、期待インフレ率の減少は、実質利子率の増加につながるのである。
■これらの2つの効果を組み合わせてみよう。名目利子率は7%から6%に低下する。期待インフレ率は5%から3%に減少する。それゆえ、実質利子質は、7%-5%=2%から6%-3%=3%に増加する。
 一言で言えば、2つの効果を合わせると、インフレ率の低下の効果は、実質利子率を減少させるのではなくて、増加させるのである。


 私たちは、調整のプロセスの最初の段階で何が起こるのかを、見たところである。しかし、状況が時間の経過とともに、さらに悪くなっていくシナリオを思い描くのは容易だろう。産出量のYからY”への減少は、さらにインフレ率を減少させ、次に期待インフレ率をさらに減少させるのにつながる。このために、今度は実質利子率をさらに増加させ、産出量をまたさらに減少させる。言葉を変えていえば、産出量が自然産出量に戻るどころか、低下し続けるため、最初の景気後退が完全な不況に変わってしまうかもしれない。前の章で見た安定化装置が、壊れてしまっているのである。
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訳注1 貨幣供給と貨幣需要の均衡を表すLM関係の式、M/P=YL(i) (i=名目利子率) では、左辺が貨幣供給を、右辺が貨幣需要を表しています。名目貨幣ストックMが一定でも、物価水準Pが減少すれば、M/Pは増加します。M/Pが貨幣供給を表しているので、「実質的に」貨幣供給が増えることになり、金融緩和(この場合はMが増える)と同じように、LM曲線が下にシフトします。

訳注2 最初の実質利子率、7-5=2%。「名目利子率を所与とすると」、変化後7-3=4%。


プロフィール

沢ひかる

貧乏人。

経済学「部」とは無縁です。

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