空(クウ)の告白

1型糖尿病から末期慢性腎不全になり、人工透析を受けなきゃ生きられなくなったあたし。かかりつけの病院で受けた実態を書き残したいと思い、意を決して始めることにしました。

2011年08月

前回からの続き。

正確には、タイトルにある6月8日水曜日では無く、6月10日金曜日になる。

8日に本院の看護師が「次回透析の時にKクリニックの看護師から、確認の説明がありますから」と言った。私はその「説明と確認」がきちんとあるものだと思い、透析に行った。
透析室には3列になってベッドが並べてあり、1列目を1コーナー、2列目を2コーナー、3列目を3コーナーと呼んでいる。私の場合は3コーナー。つまりは3列目の真ん中辺りのベッドだ。
いつも、いつも、どういうわけだかこの3コーナーは針刺しが一番後回しで、その中でも私はいつも最後に刺されるのだ。
午後1時から始まる2クールなのだが、定時で始まった事などまず無い。早くても1時15分位だろうか。

あの10日の金曜日も案の定、私は最後に「〇〇さん、遅くなってごめんなさいね」と取ってつけた言葉で看護師はやってきた。
で、8日の説明と確認をするのだろうと思っていたのだったが、さっさと針を刺してどこかに行ってしまった。透析の機械のセットは技師でないとできない決まりがあるので、技師がセットをして、行ってしまった。
もちろん前回の事があったからなのか、看護師は私のシャントに針先がぎりぎりに来る位置に刺した。
私のシャントは最初は左腕(利き腕とは反対の腕に作るので)に作ったが、血栓が出来て手首に作ったシャントは2回目も作りなおしたが、やはり血栓でダメになり、肘にシャントを作った。
しかし、このダメになる周期が約2年程の間隔だったので、もう、左腕の肘シャントもダメになりとうとう右腕の手首に新しいシャントを作ったのだった。
これは平成19年4月のことだ。

左腕の肘シャントを回復させようというオペで、執刀医に付いてる医者が最期に縫ったのだが、酷い縫い方をされてしまった。というか、オペもいよいよ終わる頃、何やらプラスチックを切るような「パツン!」という音がしたのだった。麻酔が効いているからさほど痛みは感じ無かったのだが、その音にいや~な気配を感じたので、ブルーシートをかけられてる越に「今の何の音なんですか?」と聞いた。
医者は「人工血管でつないだから」と言うじゃないか!
そんな話オペの前に一言も説明は無く、もちろんオペが始まる時も執刀医からは説明は無かった。
そんな異物のようなものを、私(患者)の了解も無く、ましてや説明も無く、勝手にやられてはとんでもないと思い、ブルーシート越しに「やめてください!すぐ、そんなの外してください!私何も説明受けてません!冗談じゃない!」と言った。

あの時の執刀医のお付きの外科医は30代になった位だったろうか。実名をあげると「日並」という医者だ。どこから来たのか分からないが、7年いて2年程前に、またどこかに転勤になった。
おかげで私の左肘内側は、まるでコブのような異様な盛り上がりが残ったままで、夏になると仕事の制服が半袖になるではないか。お客様商売もあれば、私は透析患者という事を隠して働いていた。パートの仕事だった。このコブのような異様な腕を見たら、普通にドン引きするのは目に見えている。
私は夏でも、薄手の長袖の制服を来ていた。たまたまそういう制服があったから良かったのだが、電車やバスなど、公共の乗り物に乗りつり革などに捕まった時、ほとんどの隣にいる人は私の肘に目が行く。次に左手首に残った最初のシャントの縫い跡にだ。手首の方は3つ並んでこれまた目立つ縫い方なので、見る人によっては「自殺未遂の跡?」と思うらしい。
実際、仕事場で聞かれてしまった事がある。

とにかく、「インフォームド・コンセント」という事を受けた事が無いのだ。うちの透析の病院では。ただ、「こういうオペをやります」「こういう検査をやります」→「はい、承諾書にサインしてください」で進めていく。
まるで、私たち透析患者はベルトコンベアーに乗ってるじゃがいもみたいだな・・・と思った事がある。そのベルトコンベアーから必死で私は落ちたく(死にたく)無いために、出来る限りの事をやってきた。
まあ、これに関しても追って書かせていただく。
何しろ、8年を無事に?とりあえずは、介護のお世話にならずに過ごせているのだけが、幸いと思うしか無い現状なのだ。

話を戻そう。
10日金曜日は流量250という通常の流量でどうにか、透析をすることが出来た。
が、帰宅して、数時間してきたら、もうすでに見ためで血管がぼこぼこと閉塞してる部分とそうでない部分がはっきり見て取れて、触診してみても拍動は感じられるが、流れている、その流れ方が時間と共に弱くなってきているような気がしてきたのだった。

私は前述の「日並」という医者に無謀な事を2年半前もうすぐ3年になるか、平成20年10月に風邪をこじらせてしまい(それでもふらふらになりながら、クリニックに透析に行っていた。何か処置してくれるだろうと思って)熱は38℃を超えてしまい、しかし仕事は休めず、かといって食事も喉を通らず、ユンケルの高い値段のを飲み、ほぼ1週間近く透析をしながら仕事に行っていた。
咳も酷かった。寒気も酷かった。なのに抗生物質も風邪薬も処方せず、聴診器すら当てようともしなかった。結局、意識がなくなる寸前になってフロモックスとPL顆粒を処方されたが、1回自宅で飲んでそのまま意識を失った。
救急車で運ばれたそうだ。記憶にない。5回目の搬送。すぐさま本院のICUに入れられた。
その時、私のCTRは54%程だった。透析は意識が無くても行わなくてはならない。母が同意書にサインさせられた。しかし、その引く量が問題だったのだ。
これは、当時の透析記録を取り寄せてあるので、後日見ていただきたいと思う。
なんと一回の透析で10kg落としていたのだ!意識が戻るまで1週間程透析にしたら3-5回程度か?
10kgとは!そんなに今まで一回に落とした事なんて無かった。

そのツケがぴったり半年後にやってきて、私の耳は壊れてしまった。ゲーセンとパチンコ屋にいるような酷い耳鳴りとめまい、ふらつきが今こうしている時もなっている。めまい、ふらつきに関してはメリスロンを服用しているが、そんなに強い薬ではないので、やはりふらつきはある。
最初は聞こえなくなった。右耳だ。圧迫感がきた。すぐ戻るだろうと思って耳鼻科に行くのを後にした。しかし、耳鳴りが始まった頃耳鼻科に行ったら(この耳鼻科も千葉大医学部附属病院)耳鳴りが酷い時点でもう、耳は壊れてしまっている。補聴器をつけても意味はない。という話だった。

かろうじて左耳は普通の半分程の聴力なので、大きめの声で話してもらえれば相手と会話は成立できる。
10kg落とされなかったら。普通あり得ない話だ。徐々に体重を落としてCTRと兼ね合いを診ていくものだ。要は適当に扱われているわけだ。所詮、透析患者だから長生きしないから。

まっ、6月10日金曜日は帰宅してから、不安を感じながらも、グーパー、グーパーと手のひらを握っては開いて、とにかく血流の流れを途絶えないように、あと2日、という気持ちでいた。
前述の通り、耳が不自由な事もあり、聴診器でも仲々音を聞きとる事が難しいのだ。ましてや、ゲーセンとパチンコ屋を併せたような「雑音」「爆音」ではなおさら。
慣れるまで、強めの安定剤を服用しても仲々寝付けなかった。

この耳を返せ!私は死ぬまでに好きな音楽のライヴに行きたかったのに!
諦めなくてはならにというのか!冗談じゃない!

さて、6月13日月曜日に更なる事態が待ち受けていた。
今回はこのへんで。長々とご拝読ありがとうございました。


追記:平成20年の入院の時だ。一般病棟に移った時に、日並は来て私にこう言った。
「〇〇さんは透析をやってるんだから、どうせ体はボロボロになって行くだけなんだから、社会復帰だなんて考えないことだね」と笑いながら言って帰って行った。
同じ病室にいた(二人部屋だった)となりのおばさんが聞いていて、激怒していた。
私は「何をこの人は言っているんだろう・・・・」という唖然とした気持ちしか無く、怒りがこみ上げるより、一気に突き抜けてしまっていたのかもしれなかった。
医者とは、医療とは、いったい何なのか、考える毎日だ。



6月の話だ。

この日も通常通りに透析だった。
ただ、いつもと違っていたのは、いつも針を刺す「引き」の部分の部位で「引き」が出来なくなったのだった。

最初、看護師が刺したのだが機械にチューブが接続した段階で「あれ?引けない…」となった。6月に入った頃から、いつものように私の血管に閉塞の兆候が私の目から見ても現れ始めていた。
いきなり「引けない」となって、看護師は透析技師を呼んできた。そして、その技師が私の状態を見て「◯◯さんのシャントの間近に針先が来るように刺すんで」と言って、技師が刺してくれた。
はっきり言って、私が透析をやってるクリニックは技師の方が看護師よりも針刺しが上手い。しかも、透析の知識、つまりは生検などのデータに関して、腎不全に関しては知っているのだ。私は透析を始めた頃は本で調べる位しか出来なかったのだが、わからない事だらけだったので、分からない事は技師に聞いて勉強したようなものだった。
医者はもちろん、腎臓専門医は不在なので聞いても意味は無いと同じような話だからだ。
因みに今いる医者は泌尿器科が専門だそうだ。泌尿器科専門なのに看護師は「腎臓専門だから」と言う。
私が無知なのか?泌尿器科って腎臓専門医に値するのだろうか?おかしな話だ。

さて、話を戻そう。いささか脱線してしまった。
技師が刺し直してくれたおかげで、どうにか「引く」事が出来て、あの日は透析が出来た。ただし、引けた流量は150だった。通常250から270は普通に引けてるのが150しか引けなかったので、調子も優れずやっと帰宅した。
2クールなので帰宅したら6時は回っていた。何か急に引けなくなった事が気になったので、「何かあったら本院に電話してください」と常々言われているので、本院に電話をした。
本院の看護師は「クリニックに確認して折り返し電話をします」と言った。
20分位して本院からの電話がきた。

本院の看護師だった。
「先ほど、クリニックに確認の電話をしたのですが、〇〇さんの血管はいつも通りに流量がとれているので、多少流量が落ちても大丈夫だという事でした。なので、14日にこちらで◯崎先生の受診の予約が入ってるので、それまで大丈夫、という事でしたので、14日に来院してください。このお話は次回の透析の時に、クリニックの看護師から確認として、お話を〇〇さんにされるそうです」
という内容だった。

「いつも通りの流量?はあ?刺した部位が全く違うし、150しか、しか、だよ、引けてなかったのに?」と私は内心思いながらも聞いた。

私の母も気になったようで、電話を代わって再度本院の看護師に聞いた。
「いつも、血管がダメになる頃にばたばたとさせられて、すぐ本院に行ってください、と言われて、これまで何回か入院したんですよ。今すぐダメになったから、すぐ本院に行け、それ入院だ、と言われてもこちらも困ります。本当に詰まったり、ダメになったりしないってクリニックは言ったんですよね?」と。
母も本院の看護師が「次回の透析で〇〇さんにクリニックから、確認の説明があるので大丈夫です」と聞いた、と私に言った。

あの時、私も母も多少動転していたので、本院の看護師が名乗った名前を聞き逃してしまっていた。
が、本院の看護師はクリニックの看護師の誰が言ったのかは、言わなかった。

そして、金曜日。
次回、と言われていた透析の日6月20日が来たのだった。


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