ここからは、前回も書いたが週をまたいでの6月13日月曜日の話になる。

あの後、私は急いで一応、入院出来る用意を簡単にまとめて、カートに突っ込んで電車の時間を調べた。田舎なので1時間に数本という感じしかJRは通っていないので、時間に間に合わなくなりそうだった。
仕方ない。タクシーを呼んでタクシーで向かうことにした。
その前に本院に連絡を入れた。本院は快く対応をしてくれて、早めに来るように言ってくれた。

あのクリニックでもう少し、時間を早く考えて対応してくれてたら、無駄に時間をロスしなくても良かったのだ。

ひとりで行くには荷物も多すぎた。入院の為のカート、透析するかもしれないので、透析時のバスタオル、タオル、着替など持つには一人では持ち切れない。仕方ないので、年老いているがまだ、元気な父を伴って行った。母は足が悪いので連れて行くには、いささか気が引けるからだ。

本院に着いて、しばらく待たされた。O先生の診察を受けた。O先生も「これは・・・」と言い、すぐにカテーテル(←バルーンのついたもの。PTAという処置)をやります、と言うことになって、看護師達にその用意をさせた。ばたばたと承諾書を用意し、私はそこにサインをし、後はレントゲン室でいつもレントゲン撮影の画像を見ながら、先生はカテーテルを通すので、レントゲン室の前で待っていた。

その前に採血をした。月曜日でも、仕事が出来なくなってからのここ3年ほどは、中2日であっても体重の増加が便秘が起こらなければ、ドライウェイトの3%あるいは多くて4%程で抑えられている。
あの日も、増加はあまりなかった。しかし、採血した(採血もシャントの無い方の手、私は手の甲で採血をされる)。
リンは基準値内であったが、カリウムがやや高めだったため、カテーテルを通したあと、透析をして帰るように指示が出た。
本院のみ、3クールまでの透析を行なっている。
以前は、2つあるクリニックでも3クールまでは透析を行なってはいたのだった。

私がPTAの処置をされて、終わったのが6時に近い時間だった。「3時間半ほどでもいいから、透析をして帰らないと、カリウムが少し高いから心臓が止まっちゃうよ」とO先生。
「先生、それって、高カリウム血症ですよね?」と私。
O先生は、よく知ってるね、という顔で「そうそう」と。先生に付いて一緒にいた外来の師長も興味深い顔つきになり聞いていた。

カテーテルといっても、日帰りのぷちオペと変わらない。
既に、先生の診察を受けて「じゃ、これから始めましょう」となった時間は夕方の5時を少し過ぎようとしていた。
いつもは、早い場合はセッティング以外ではカテーテル(PTA)の場合30分位で終わる。
レントゲン室で手術用のガウンに着替えて、レントゲン照射台に横たわり、シャントの無い腕には自動血圧計が巻かれる。
照射台の足元の向こう側には、レントゲン技師が隔てた部屋にいる。
私が横たわる照射台にはレントゲン装置とモニターがあり、造影剤を注入された私の血管をレントゲンで照射しながら、先生は「はい、撮って」「も少し右、そうそう、そこ。撮って」とレントゲン技師に指示を出しながら行う。

もちろん、それが始まる前は先生は、全身手術着。私はシャントのある右腕を付け根の肩の辺りまで、温く暖まっているイソジンでこまなく消毒される。
そして、ブルーシートを被せられたら、いよいよ始まるのだ。カテーテルが。

あの日は2ヶ所閉塞が見られていたそうで、麻酔を数カ所打ったが、やはり痛むことは痛む。だが、我慢しなくては!という思いで、時間が過ぎるのと、どうかシャントの作り直しにならないように、と祈っていた。マジで。
作り直し=入院だからだ。とんでもない!本院でさえ私は入院などしたくはないのだ。
その理由もまた書かせて頂く。
1時間はかからなかった。が、先生が透析をして帰るように、と3クールの空きに私を入れてくれたので、仕方ない。透析を6時過ぎ頃から始めた。
その前にカテーテルで腕に入っている管を抜いて、止血をしてからの透析なので、若干時間が少なめではあった。

が、私はいつも2クールになってからは、食事は一日2食しか食べない。たまに月に数回3食だが、朝食と昼食を11時に摂り、後は透析後に帰宅して7時頃夕食を食べる。
仕事が出来なくなってからは、運動らしい運動もこの3年はやっていないので、ちょっと多目に歩くだけで筋肉痛になってしまう。かといってCTRが大きいというのでもない。生検でのデータでも尿素窒素、クレアチニンはまだ少し高めではあるが、その他の数値に関しては合格点の範囲を維持している。
インタクト(PTH-i)に関しても高めではあるが、2桁である。

追々、このデータもお見せ出来る部分は公開するつもりだ。

さて、カテーテルに話を戻そう。
結局あの日は、年老いた父を待合室に夕飯も食べさせず、ただTVを見て4時間近く待たせてしまった。
父は文句、グチひとつ言わず、私が持てない荷物をもってくれた。
時間は10時に近かった。
仕方ない、父は車の運転を辞めたので、タクシーで2つ向こうの町まで帰ることにした。

帰宅したら時間は11時(23時を過ぎていた)。お互いにへとへとだった。
父は私とは別居しているので、夜中にチャリで急いで帰って行った。

昼間、クリニックでの対応が、もっと迅速であったら、もう少し早く帰宅する事も可能であったはずだ。一向に本院に連絡する気配の無いまま、ただ時間だけがずるずる流れていく。主治医といっても、こやつは副院長という肩書きで去年、平成23年4月に突然やってきた泌尿器科専門医なのだ。
血管のことでは専門医ではないのだ。

後に、数日してある技師にちょっと話してみた。
「うーん、O先生の都合もあるから、出来ればダイレクトでもやろうと思ったんじゃないの?」
だって。
O先生はもう私が2年以上2-3ヶ月に1回は閉塞することを、カルテを見なくてもちゃーんと覚えている先生で、何か、おかしいな、と思ったら、すぐにこっちに連絡して来なさい!とおっしゃって下さっているのだ。
ダイレクトだと?あの、泌尿器科の医者に?憮然とした上から目線の対応はまるで、暴れん坊将軍にでも出てくる、お代官そのものだ(爆笑)。

クリニックでの看護師の対応も、酷いものだ。人間の命。病人の命を預かっているとは、とうてい思えない看護師だらけ。魑魅魍魎。あっ、落としちゃって壊れたから返品しますぅ、なんていう商売とは違うでしょ?
人間の命も全ての命は、返品交換は出来ないんですよ。看護師さん。

PTAでドット疲れて次の透析に行っても、ただ社交辞令よね。
「〇〇さん、おつかれさま」で、一応は聴診器で音の確認。あんたら聴いてわかるの?
針刺しだって時々間違えるじゃん?で、自信がないと透析技師呼んで技師に刺させるじゃん?

言わせてもらうが、朝7時から、夕方6時まで週休2日。休憩は30分を2回交代で取る。病院自体ここらの地域では透析では独占市場。もう40年はやってるか。なのに、腎不全の基本の「き」くらいしか知らず、「あれを食べちゃダメ」「これを食べちゃダメ」ばかりしか頭にない。末期慢性腎不全患者の病状など、どーでもいいのだ。私がいろいろ調べた事を話すと「えっ、そうなの?」と。だと。
それで給料が手取りで軽く30万円は下らないそうだ。
勉強不足でこれだ。なんて楽な仕事なのだろうか。その給料、私ら透析患者がいるからもらえるんだよ。

以前は、病院発行の新聞も酷かった。医療関係に関わる記事など、ほんのちょっとで、勤続何年で表彰されて、グアム旅行行きました。洞爺湖温泉旅行行きました。病院職員の部活動報告。そんなバカのような学級新聞以下の内容を、普通にオールカラー、写真だらけで発行していたのだ。
患者が持ち帰るわけがない。


長くなったので、一旦ここまで。
これは昨年の話である。

今年はもっと、エスカレートし始めたのである。