ここからだ。問題の始まりが私に待っていたのだった。
事実、これを書いているが、昨日とんでもないものを突きつけられて、私はここでいつまで、こうして書き込むことが出来るのか、生きている事が出来るのか、分からない段階まで来てしまっているのだ。
なので、速急に書き込まなくては命の保証すら無い、という状態になってきてしまったのだ。

まずは、あのお呼び出しの最後に、石井は
「〇〇さんが時間を守って、1時に透析室に入ってすぐに〇〇さんの準備が整い次第透析を早めにします」と私に約束をしたのだった。
しかし、その約束さえたった1回のみ。お呼び出しの翌日の8月1日の透析の時だけで、後はこれまでと同じで、私が1時ないしは1時ちょっと過ぎて透析室に入って、準備が終わっても一向に誰も来る気配は無く、早くて1時17分。大体が1時28分。遅い時は1時35分を過ぎている。
細かく時間を書いたのは、後々何かを言われた時に、言い返せるようにボイスレコーダーに時刻を吹き込んでいるのだ。吹きこまなくても時刻は表示されてるが、念のためだ。

さて、あのお呼び出しの翌週の月曜日8月6日。いきなり透析が終わってから週一日月曜日の午後のみ本院からやって来る、荻野医師と石井が連れ立って私のところにやってきた。
荻野医師がA3位の大きさの病院の封筒(水色)を持ってきた。
石井は荻野医師の後ろで、お付き役をやっていた。
荻野医師が封筒から、何やら書類を一枚出して私に見せた。
「ここにサインをして、提出してくれればいいから」そう言った。
透析後で、ベッドに起き上がったばかりで、頭の中がグワングワンしていたが、なんだろ?と思いつつ、その紙切れを見たら承諾書兼同意書になっていたのだった。
私は、びっくりした。
あのお呼び出しで、もう話は済んだものだと思っていたからだ。

これから、その承諾書兼同意書の内容を、嘘偽りなく私の魂に誓って転載する。
色を変えて書き込んであるものがそれだ。


    玄◯堂木◯津クリニック
           荻野〇〇院長殿
 

 私は今後病院のルールを守り、治療に協力的態度で臨むことを、本書面をもってお約束致します。約束が守られない場合は、速やかに他の透析施設へ移ることに不服を申し立て致しません。



                    年  月  日
 
           氏名  
             



これを見て私は「何か、曖昧な内容だな。ルールって一体何を指して言ってるの?治療に協力的って、私は家庭の事情で数ヶ月ちょっと早めに帰らせて貰ってただけなのに。具体的な内容が一切書かれていないのに、サインするわけ?」と思い、荻野医師にカマをかけて聞いてみたのだ。
「先生、このサインの後に印鑑押さなくていいんですか?」と。
荻野医師は
「ああ・・、いいよ。押さなくて。ただサインだけ書いて出して貰えばいいから」とそれだけ言っていた。
「先生、いつまで持ってくればいいんですか?」とまた、聞いてみた。
「そうだね、今週中にでも、持ってくればそれでいいよ」と、実に荻野医師にしては簡単な応え方だった。
「わかりました」と私はその封筒を受け取った。
石井は、私が受け取るのをガン見しながら見届けていて、荻野医師が去って行く後を追っかけて行った。

「やれやれ、めんどくせーえ、とこだよ、ここは」何でもかんでも、承諾書、承諾書、同意書、同意書。それにサイン攻撃。なのに、肝心の事は例えばオペを行なうような場合であっても、書いていないのだ。ザックリとしか書いていないものに、無理やりサインをさせるのだ。
もちろん、オペや重要な検査に関しても、インフォームドコンセントということをしっかりと説明はしない。何回も私のように血管を広げるカテーテル(P.T.Aという)を行なう場合であっても、
「もう、何回もやってるから、わかってるよね。ここにサインしてね」
それでお終いだ。簡単な話でお終いだ。

それって・・・おかしくないですか???
インフォームドコンセントですよ???
国立大学病院じゃ、最低3回はインフォームドコンセント受けますよ!!!




受け取った封筒を思いっきり二つ折りにして、帰りにはバッグの中にぶっこんでそのまま、週末が来た。金曜日だ。8月10日だった。勿論のことその日も私は最後のお客、いや患者だった。あの日は心臓のCTR撮影があったので、一旦着替えずにレントゲン室まで行って、それから着替えたのだった。
あの封筒を出して、サインをわざとカタカナで書いてやった。
何か言われるかな、と思ったが、サインはサイン。カタカナだろうが漢字だろうが、ひらがな、英語であろうが、サインには変わりはない。
ついでに氏名の下には、立会人のサインを書く箇所もあった。そこには続柄も書く(  )がついていた。
立会人のところは、母親の名前を書いた。

「じゃ、帰るか(ため息)」とロッカールームを出て、透析室の方を見たらもう電気も消えていて、誰かいる気配を感じなかった。ガラスの自動ドアなので中の様子はこちらの廊下側からでも、伺える。
しばらく見ていたが、誰もいないの?と思ったので、「じゃ、この封筒どうすればいいんだろう」と悩んだ。
でも、あんまり遅く帰るのも嫌だし、こんなとこサッサと帰りたかったし、電気が消えてる透析室に入るのなんて、何か・・・気持ち悪くないですか?


とりあえず、サインはしたが日付は書かなかった。いつの日付を書けばいいのか分からなかったし、荻野医師も石井も言わなかったからだ。
私は、過去記事にも書いてあるが、このクリニックは2階建ての建物で、私は2階で透析を行なっている。一旦、1階の一般外来受付に行ってみた。

「すみませーん・・・・」と呼んでみた。もう一回デカイ声を出して「すみませーん!」と呼んでみた。カウンターから事務所は丸見えの作りになっているので、中に誰もいないのはわかった。
「じゃ、ここに置いとけばいいよね。わかるよね」と段差になっているカウンターの奥の方に丁寧に置いて、あの日は帰ったのだった。

が・・・・、しかし。
週明けの8月13日月曜日。思わぬことが私を待っていたのだった。






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