そよ風

マスコミの偏向報道、教育の場での自虐史観授業等に日本の危機を感じています。
先人達が命をかけて築きあげてきたこの素晴らしい国、日本を失わないため、私達は行動します。

移民問題とグローバリズムPart




◆移民問題とグローバリズムPart

パネリスト:

 関岡英之(ノンフィクション作家)
 高山正之(コラムニスト)
 坂東忠信(元刑事・外国人犯罪防犯講師)
 ペマ・ギャルポ(横浜桐蔭大学大学院教授・チベット文化研究所名誉所長)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 渡邉哲也(経済評論家)
司会:水島総

アメリカ大統領と核のボタンの入った黒鞄


 
オバマ大統領の広島訪問には大きな意味があり、
大統領の勇気と演説には感動された方も多いと思います。
しかし、日本のメディアが決して報じない現実があります。

中学校理科教師ふたばのブログさんのブログによると
http://blog.livedoor.jp/futabagumi/archives/2016-02-17.html

オバマ大統領の向こうに見える黒い鞄。

 
アメリカ大統領に常について回る黒い鞄。
(今回の訪日の際の写真ではありません)

この鞄の中身は核のボタンです。
アメリカ大統領は常に通称核のフットボールと言われる鞄と
共にいるのです。
アメリカの大統領は核攻撃の許可が出せる道具が入っている鞄
と離れる事は出来ないのです。


以下前記ブログより転載

アメリカ合衆国大統領には、核兵器の発射コードとフットボールを
携帯した軍事顧問1名が常に随伴しているのです。
核のフットボールには4つのものが入っているそうです。
報復措置を記した黒い手帳、
極秘の場所を一覧化した本、
緊急警報システムの手続きをまとめたマニラフォルダー、
認証コードが書かれたカードの4つです。

ゼロハリバートン社の金属製のブリーフケースで黒い革のカバーで
覆われている。鞄の重さは約20kg。
引用ここまで

ですから、あのオバマ大統領の広島訪問の車列の中にも
核の発射装置が持ち込まれていた事になります。

大統領演説の中での次のフレーズ

この街の中心に立ち、爆弾が投下された瞬間を想像させ
られます。恐怖を目の当たりにして混乱した子供たちの姿を
想像させられます。声なき叫び声が聞こえます。

私たちは、あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、
そして、あの酷い戦争の後に起こりうる戦争で殺害された
罪無き人たちに思いをはせます。

は、私達の琴線に触れた。しかし、同時に


私たちは、人間が悪事を働く能力を無くすことはできないかも
しれない。だから、私たちの国や同盟は、自
ら守る手段を持たなけ
ればなりません。

しかし、わが国を含む核兵器保有国は、恐怖の論理から抜け出し、
核兵器の無い世界を目指す勇気を持たなくてはいけません。

といいつつ、私が生きているうちにこの目標は達成できないかも
しれないが壊滅の可能性を引き下げる努力、
はする、という
人類の本能を見つめた上では、努力目標に過ぎないという
現実についても述べている。

常に核のボタンを携行している現実からは当然の弁だ。

外交交渉の裏には軍事的圧力が不可欠であり、
今の所、軍事的圧力の最強の手段は核だという単純な現実を
全く語らない日本のマスコミ。

マスコミは、オバマ大統領の演説の中の
自ら守る手段を持たなければなりませんのフレーズには
一切触れない。
お花畑全開で日本が核武装について考える事は
更にタブーになった。




進駐軍を恐れ凱旋碑を平和搭と書き換えた日本

進駐軍を恐れ
凱旋碑⇒平和搭と書き換えた日本

2016052116450001

 

広島ではいたるところで「平和」の文字を目にした。
その中で、最も今の日本を象徴するのがこの「平和搭」
だと思った。

広島市南区皆実町 の明治天皇がお通りになった行幸通りに
ある小さな公園に辛うじて残っているかに見える搭。
高さ16メートル。

搭の上には金属製の金鵄(きんし)鳶がいる。



でも、よくみるとなんかヘンだ。
素晴らしいデザインにそぐわない文字版。
それもそのはず、これは、もともとは「日清戦争凱旋碑」と
呼ばれるものだった。(明治29年(1896年)軍・官・民の寄付
により竣工された。「出雲石見隠岐備中備後安芸周防長門
八カ国連合凱旋碑」ともいう)

「平和搭」のところには「凱旋碑」と書かれていた。



裏側には



とあるが、これもあとからセメントで塗り固められて刻まれた。

本当は 日清戦争が終わった明治29年、戦地から引き揚げる
兵士を迎えるためフランスの凱旋門に似た門としてデザイン
され、それが凱旋記念碑になったものだ。

日本の国力を世界に知らしめた輝かしい歴史の1ページを
彩る誇らしい記念碑がなぜ、平和搭にさせられたのか。

大東亜戦争に敗れた日本。
戦い敗れて、アメリカに占領された日本。

原爆投下(昭和20年)8月6日の2年後の(昭和22年)8月6日。
この碑もきっと糾弾されるに違いないと考えた日本人達が、
セメントで凱旋の文字を平和の文字に変えて塗り固めたという。
戦争に負けると言う事はこういうことなのだ。

「平和」と言う言葉は、敗戦国日本の生きのびるツールだったの
かもしれない。

日本はいつまで敗戦国のままでいるのだろうか。

日本人は先人の歴史をセメントで塗り固めたままで良いのか。


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