八田與一像・親日感情の象徴を悪意で破壊した容疑者が捕まえれた!
今は警察聴取中、本人も承認した!やっぱ台湾の親中国勢力!
昔の新党、現在は激進派中華統一促進党の台北人李承龍です!
家族全員中国で会社を経営してる、何回も台湾の本土派に暴力、
放火した!もうこの人が懲役されたら、追放したい!
 
 
八田與一像 頭部切断される 台湾 ダム建設 日台絆の象徴
(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 
台湾人に愛された八田與一氏の碑の頭部が切断されました。
その無残な画像に怒りを覚えた方も多かったと思います。
でも、さすが親日国台湾!
見るに忍びない姿の銅像に布がかぶされ、首のない銅像の画像には
モザイクまでかけられているではありませんか。
そして何より、犯人逮捕の早かったこと!
犯人は、想像していた通り、親中派の勢力。

一方、日本では親中派の活躍、なすがまま。
北海道では、嘘捏造デッチアゲの碑を知事、役人、元大使、経済界、
挙って応援する始末。
下の写真は、ありもしない「中国人
強制連行」の嘘を日本に広めようと
する碑の前で行われた慰霊祭という名の政治集会のものです。

 
 
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51874921.html

上川郡東川町東14号共同墓地での、慰霊祭は44回目。
東川町長松岡市郎氏、西川将人旭川市長のメッセージが
読み上げられ、NHKの全国ニュースで放送されました。
翌日の北海道新聞には東川町の町長が
「二度とこのような忌まわしい事を繰り返さない事を誓い、
日中友好を願います」なんて自虐コメント。
何とナイーブで優しい日本人でしょうか。
もちろん、ナイーブとは、お馬鹿、という意味です。

2015-07-08(北海道中国会HPより)
日本人の底抜けのお馬鹿振り、こんなもんではありません。
町長名で「強制連行して、ごめんなさい!」の碑まで。

 
(写真は北海道中国会HPより)

でも、的場光昭氏の調査によると、この碑文には
「1944年(昭和19年)9月から」と記されていますが
外務省の公式資料によると東川町へ強制連行されたのは
華北労工協会扱いによる訓練生なのです。
訓練生とは八路軍(共産党軍)の捕虜・帰順兵・武装盗賊団・囚人。
東川町の町史等には、華人捕虜、中国人捕虜と明記されている。
早い話が、88名の中国烈士とは即刻
88名の捕虜及び囚人
と書き改めなければならない」(以上月刊正論より)とのこと。

さて、このような一連のプロパガンダがどれほど北海道に食い込んでいる
かという事を表すのが北海道中国会のHPです。
http://www.h-kakyokajin.com/news.php?id=748
この会の説明によると、
北海道と中国との文化交流、経済交流促進に努め、
北海道にいる華僑華人発展の支援及び北海道地域経済振興に寄与する
ナンテ謳ってあります。
しかし、拙ブログをお読み下さっている皆様には、中国会が、
捏造中国人強制連行碑を使って、日本を侵略する気満々なのが透けて
見えることでしょう。

BlogPaint
BlogPaint
 
(写真は北海道中国会HPより)
そのHPによると、この捏造歴史によるプロパガンダ碑の慰霊祭に
以下の方々が駆けつけたとあります。
東川町仏教会会長栄禅寺の橋本真英住職
慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、
東川町長松岡市郎さん、
西川将人旭川市長
(代読)、
撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さん
旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さん
旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さん
又、後の交流会には、
北海道日中友好協会の事務局長
旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好協会、

旭川市議会日中友好促進議員連盟など28名が参加。

「日本人が反省すれば
友好してやる碑」

皆様、こんなお馬鹿な碑に、日本人が喜んで
協力している事をどんどん拡散して下さい。


彼等の主張

 中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するにいたったのであります。
 北海道中国会HPより)