そよ風 横網町慰霊碑チラシ 罫線入り - コピー-001
都立横網町公園http://tokyoireikyoukai.or.jp/
(JR両国駅西口より徒歩10分)
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朝鮮人追悼碑前慰霊祭のチラシ

 
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http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51879683.html
震災直後、格安で帰国を促されても帰らなかった朝鮮人

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インド人はお世話になった日本人への感謝として
誰でもが水を
飲める噴水塔を横浜市に寄贈した。

India Memorial Fountain.jpg

インド水塔の内部の天井モザイク
(投稿欄より)

第206回 山下公園のインド水塔 ― 横浜とインド、友好の証 
インド水塔(2016年9月号掲載)
http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/archive/publish/backnumber/2016/09/series01.html

毎年9月1日、インドゆかりの人びとが花を手向ける場所がある。
山下公園のインド水塔である。緑青のドーム屋根が美しい石造りの
東屋には、浜風が通り抜け、真夏日でもひんやりと感じられる。
天井には色ガラスのモザイク画が描かれ、石柱には次の意味の
英文が刻まれている。「1923年9月1日の地震で亡くなった同胞の記憶
として、横浜市に水飲塔を贈る。インド人コミュニティ」。

 横浜とインドとの交流の歴史は長く、明治の初年にはインド人
貿易商が外国人居留地に店を構えていた。
その後、横浜とボンベイ(現ムンバイ)間に定期航路が開かれると、
より多くのインド商人が横浜にやってきた。彼らの多くは、
サリーなどの生地用に日本産の絹織物を輸出し、藍染めの
原料などを輸入していた。

 関東大震災前は120人ほどのインド人が暮らし、60軒ほどの
インド貿易店が営まれていたが、地震で大打撃を受けた。
90人余りが死亡・行方不明となった。生き残った人々も神戸や
本国に移った。

 震災後、横浜経済の復興にはインド商人の力が必要であるとして、
横浜の政財界はインド商人専用の住居・店舗・倉庫を兼ねた
建物を用意した。震災から1年余り後に、インド商人の一団が
横浜港に到着した時には大歓迎を受けた。

 昭和14(1939)年12月、横浜に暮らすインド人は、震災で
お世話になった日本人への感謝として、誰でもが水を
飲める噴水塔を横浜市に寄贈した。
それから80年近くの歳月が流れた。
 今では水塔から水は噴き出ていないが、横浜市とムンバイ市の
姉妹都市提携は50年を超え、横浜とインドとの交流は連綿と続いている。
(横浜開港資料館主任調査研究員 伊藤泉美)