政治的発言の有無焦点 追悼碑訴訟結審 来年2月に判決
 高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐり、碑設置者の「追悼碑を守る会」が県を相手取り設置更新の不許可処分取り消しなどを求めた訴訟の第16回口頭弁論が11日、前橋地裁で開かれ、結審した。判決は来年2月14日。

 碑の建立にあたり、県と守る会が交わした「政治的、宗教的行事および管理を行わない」とする設置許可条件に違反する政治的発言の有無などについて、両者の見解は真っ向から対立している。

 県側は、平成16年4月に行われた碑の除幕式での中山敏雄氏=当時同会運営委員=の「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」といった発言などを問題視。25年12月、守る会が開催した集会や除幕式の様子を報じた朝鮮新報の記事で碑が政治利用されたとの疑念を示した。

 碑をめぐって住民の抗議活動も起きたことなどから、26年7月に「(碑の)存在自体が論争の対象になっている」と結論づけ、安全性や都市公園の在り方などの観点から設置更新を不許可とした。
 公判の主な争点は(1)政治的な発言や行事の有無(2)設置許可条件が表現の自由に違反しているか(3)不許可処分の妥当性−などだ。

 原告側は当初、朝鮮新報の記事内容を認めていたが、中山氏の発言は除幕式でのものではないとする証拠動画を公判で提出。「条件違反ではない」などと主張している。

 しかし、県側は除幕式での発言の有無について「(原告側の)自白が成立しており、争いのない事実だ」としている。

 原告側は不許可処分は「裁量権の逸脱だ」「表現の自由を侵害している」と非難。これに対しても県側は「独自の解釈に基づく主張といわざるを得ない」などと反論している。
産経新聞群馬版http://www.sankei.com/region/news/171012/rgn1710120053-n1.html

平成2610月、群馬の森の朝鮮人碑を守る会(旧建てる会)が碑の設置を不許可にした大沢群馬県知事を提訴し、翌年2月に始まった裁判は、1011日の第16回口頭弁論で結審しました。今回は衆院選公示後のため、抗議街宣は行いませんでした。

 

冒頭から1時間強、まずは角田義一センセイと二弁護士による最終陳述がありました。聞きながら、これまでの一方的な主張の繰り返しによくも嘘を並べられるものだと、あの民族特有の身勝手さに改めて嘆息しました。

 

角田義一センセイは、碑文の内容を確認し、事実を立証するためと述べてから、碑文を全文朗読しました。その後、1995年に始まった碑の建立運動が、明治以降の日本のアジア侵略や朝鮮人の強制連行の事実が隠され、知らされていないのは碑がなかったからであり、正しい歴史認識を確立するための運動が出発点で、歴史修正主義や自虐史観を退ける歴史的な判決を期待すると述べました。

 

下山主任弁護士ともう1人の弁護士の発言の要旨:

*守る会は訴訟の原告の当事者能力を有する団体である

*被告の群馬県は570万円をかけた特別な価値のある大切な財産である碑の設置許可
 更新をする義務がある

*碑の目的は犠牲者の追悼とアジアの友好と平和のため

*県は碑の存在によっていこいの場として機能していないと主張するが、公園の利用
 者は減っていない

*県が主張する「碑が論争の的」になったのは、抗議団体のせい

*当面、碑の利用を自粛させる

*更新不許可は裁量権の逸脱である

*政治的行事・発言とは何かを県から定義を示されたことは一度もなく、不明確かつ
 広範な規制は表現の自由を保証した憲法21条に違反

*問題となった、守る会の中山敏雄氏による「碑文に謝罪の言葉がない。活動を通じ
 て入れよう」という発言は、除幕式の式次第とDVDによって碑前での発言ではな
  く、その後の別会場での発言であり、「自白の撤回」は許される

1939年から1945年、労務動員計画、国民動員計画により意思に反して朝鮮人が連
 れてこられた。募集段階から強制的だった

*碑文にある労務動員には「強制的、強制連行」の意味を含む

*強制連行とは確立した歴史的用語であり、広辞苑や山川出版社などの教科書にも記
 載されている(証拠書籍を提出)

*碑は日韓・日朝の友好のため

 
下山主任弁護士は、「朝鮮人強制連行」はさまざまな教科書や書籍に書かれているとし、証拠としてそれらを裁判長に提出しましたが、建てる会が刊行し、町史の引用に悪質な改ざんだらけ小冊子「『消し去られた歴史』をたどる 群馬県内の朝鮮人強制連行」をベースにした「群馬における朝鮮人強制連行や強制労働」も書籍も加えていました。こんなものが証拠として採用されるなら、公正な判決は期待できません。「自白の撤回」が許される根拠のDVDは編集の痕跡があるとして、除幕式の式次第ともども、既に塩田裁判長から証拠として却下されたものです。また、労務動員に関しても、朝鮮人は終戦前の7カ月間だったことには触れていません。そして、そよ風の名前こそ出さないものの、碑が悪いのではなく、「抗議する団体が悪いニダ!」と何度も言いました。

 

そもそも、強制連行の実態については昭和34年に公表された外務省の正式かつ詳細な調査記録があるし、戦争中に日本にやって来た朝鮮人の多くは自由意志による出稼ぎか、密航者であることはさまざまな文書、書籍によって証明されています。日本直撃のミサイル発射も辞さない構えの北朝鮮、慰安婦に続き、徴用工でまたもや日本にたかろうとする南朝鮮に正当な口実を与えるような判決が出されたら、それこそ歴史の針を大きく逆戻りさせる歴史修正主義であり、南北朝鮮の工作員による反日ヘイトにお墨付きを与える判決など、重大な国難を招き入れることになります。

なお、被告の県側は口答による陳述は行いませんでした。
 

判決は4カ月後の来年2月14日水曜日、午後2時開廷です

 

群馬の森の朝鮮人碑の撤去を求める県民の会
会長 佐藤みずえ

ところで、私の隣にいたおばちゃんは、裁判の途中何度も居眠りし、最後は椅子の背もたれの縁に首を乗せて、お顔を天井に向けて爆睡していましたが、「日当組」なんですかね。