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今回は傍聴席83に対し、希望者は101人で抽選となりました。群馬県朝鮮総連のトップは見かけませんでした。

既に写真や動画がアップされましたが、群森の朝鮮人碑撤去の街宣は20回近くやって、今回ほどカウンターがわいて出た街宣は初めてでした。高裁の門扉を挟んで集まった10人ほどのハングルをしゃべるニダニダ集団は「追悼碑は日本の良心」だの、「しのぶことが反日ですか」「差別主義者監視中」と書いたプラカードを掲げていました。「日本人で悪かったな」という意味不明のことを叫ぶ白髪のおっさんもいました。しばき隊なのかどうか、わかりませんが、結局は「そよ風街宣盛り上げ隊」でした。

村田さんは冒頭、上毛新聞が10月に連載した角田義一センセイの生涯シリーズを紹介すると、さすがのニダニダ集団もシーンとなって聞いていましたが、そのうちに言葉の激しいバトルが勃発。きっかけとなったのは、朝鮮人碑に彼らの言う犠牲者の名前が刻まれていないこと、群森の碑は掃除もしていない、何人亡くなったかも不明なことに言及したときでした。ニダニダ集団が振りかざした「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会編集・発行の『群馬における朝鮮人強制連行と強制労働』という緑色の本の何ページに死者の数が書いてあるかを言ってみなさいと村田さんから突っ込まれ、慌ててページをくくる始末。村田さん大勝利! 

閑話休題。控訴人(群馬県)の釈明は、前橋地裁のときと同様、準備書面の提出だけでした。裁判長は弁護団長に補足の有無を聞かれても「ありません」の一言だったので、原告(碑を守る会)の弁護団長・角田義一センセイは、これだけ多くの傍聴人が見ているのだから、書面で済ませるのではなく、口頭で説明するよう要望しました。県側の弁護士の中には、前橋地裁での証人尋問のときに、原告の弁護団が頭を抱えるような鋭い追求をした弁護士もいたので、私も高裁では県側の口頭陳述を聞きたかったです。


そこで原告の下山順主任弁護士が群馬県が提出した控訴理由書に対する反論を行いました。地元群馬では改憲反対集会に何度も出席するなど、平和という毒がまわった左翼活動家の下山弁護士、相変わらず声が小さくて聞き取りにくかったですが、以下のような反論を行いました。

群馬県側は、当該追悼碑は政治的に利用されやすく、記念碑としてきわめて異質であること、特定の民族のための追悼碑であり、市民の憩いの場である公園にふさわしくない旨の準備書面を提出したようです。


これに対し、下山弁護士は、追悼碑は公園法第二条第二項第六号の「教養施設」であり、市民の教養を育むため、そして平和と歴史を学ぶ教養施設であり、公園にふさわしく、将来の平和と友好に資する。その証拠に、日本各地にある追悼碑を集めた「資料集 朝鮮人犠牲者追悼碑 : 歴史の真実を深く記憶に」という本には、以下のような公園に同様な碑が設置されているとして紹介しました。

*北海道赤平公園
*東京都墨田区横網町公園の関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑
*相模市相模湖公園相模ダム建設に携わった捕虜の中国人、朝鮮人
*愛知県豊川稲荷公園内
*愛知県半田市雁宿公園
*京都市舞鶴・殉難の碑
*広島平和公園
*福岡県大牟田市馬渡公園
*長崎県平和記念公園
*沖縄県宜野湾市(朝鮮出身の軍人の碑)


日本各地にある朝鮮人碑をまとめたこの本、35都道府県下にある160の朝鮮人犠牲者追悼碑が写真、所在地、建立地、建立日、大きさ、碑文、解説とともに収められているらしいです。


日本の公園にどれほどたくさんの朝鮮人碑があったとしても、教科書に載っているからといって、どうしてそれが史実だと断定できるのでしょうか。慰安婦、いわゆる徴用工等々、物的証拠がないから自称・被害者の証言を集めて本を出版する→碑を建てる→映画を作って洗脳する→挙げ句の果てに謝罪と賠償を寄こすニダになるいつものパターン、誰が信じるでしょうか。


もちろん、本当に過酷な労働や事故、戦争で亡くなった方もいることは承知していますが、あまりにも数字を盛り過ぎ、あまりにも頻繁に手を替え品を替えてタカるから、朝鮮人=うそつきで強突く張り(非常に欲が深く、意地汚いこと)という悪印象が日本人に深く、強く浸透しています。同情するのは共産党や出自が半島出身の人、極左活動家でしょう。日本中を席巻する嫌韓ブームは、彼ら自身がつくり出し、勝手に生きづらくしているのです。同情の余地なし。(文責・佐藤)

資料集
これが証拠ニダ!の本