群馬の森の捏造
碑・和解協議は三月二十日!
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(群馬の森の朝鮮人碑小冊子 強制連行被害者の証言から)

そよ風の街宣をヘイトスピーチだと叫ぶ人々がいます。

しかし疑問に思ったことを口に出すのはヘイトですか。
疑問について議論も出来ないのは民主主義でしょうか?
私達疑問をスルー出来ないのです

私達は県立公園群馬の森の朝鮮人碑の訴える事が真実かどうか
疑問を持っているのです。
碑が立てられたときに発行された小冊子は疑問だらけです。
中でも、そこに掲載された在日の方の証言は全く腑に落ちない
事ばかりなのです。

これから日本人は否が応でも多民族と共生していく事になるでしょう。
その中で日本人だけは、相手がどんなに疑問だらけの主張をしても、
ただ黙って受け入れろというのでしょうか。
そして謝罪と賠償に明け暮れ、やがて日本民族は消滅していくのでしょうか。

以下、小冊子に載っている在日の方の証言に対する疑問です。

〇強制連行被害者だという崔 末龍(チェ・マルリョン)さんは
昭和16年に徴用されたと証言。しかし、言うまでもなく朝鮮人が
徴用されたのは昭和19年からです。

〇崔さんは1日12時間働いて月に15円しか支給されなかったと証言。
自分は奴隷のように働かされたと訴えています。
しかし、給料がでる奴隷等聞いたことがありません。
もしそういう奴隷がいたとして、彼等の給料はそれほど酷かったの
でしょうか。当時日本では自動車整備会社で働いていた熟練工の
給料が月15円から20円くらい。小学校卒で日本で半年の訓練を受けた
ばかりの人としては妥当ではないでしょうか。

〇職場の朝鮮人70人中8人が脱走したと証言。
北朝鮮に拉致された日本人は脱走など出来るのでしょうか。

〇崔さんは製鉄所の高温に耐えられず仲間と脱走したと証言。
もしめぐみさん達が命からがら逃げられたのなら一刻でも早く
日本に帰国したい筈。ところが、彼は帰国のつもりは全くなく、
自から北見で仕事を見つけ就労。ナント不思議な強制連行被害者
でしょうか。

〇しかし彼は北見でも又脱走。そして、今度こそ帰国するかと思いきや
又しても、自分で稚内で仕事を見つけ就労。
まるで単なる自由労働者ではないか。

〇ところが稚内でも又脱走、今度こそ懐かしい祖国に帰ると思いきや、
なぜか今度は自ら横須賀へ。当時も今も、北海道から本州へは高額な
交通費がかかる。まして奴隷のように徴用され低賃金だったと主張する
崔さんがなぜ移動できたのでしょうか。

〇横須賀では又自ら防空壕を堀る仕事に就くも飯場が空襲でつぶれた
という。
いよいよこんな酷い国から帰国されるに違いないと思いきや、なぜか
今度も自ら秋田県に移動。秋田の鉱山で就労。鉱山と言えば過酷な
労働現場で有名。自ら過酷な所に飛び込み、これを強制連行という
のは全く腑に落ちない。

〇8月15日に終戦を迎え、崔さんは解放されたという。終戦と共に
朝鮮から徴用された方はほぼ全員故国に帰国された。
ついに今度こそ夢にまで見たであろう懐かしの祖国に帰国されただろう
と思いきや、なんと、抗日運動で逮捕されて刑務所にいた朴烈の釈放
歓迎集会に参加。

〇日本は人権無視、差別だらけだったと主張している崔さん、
朴烈を
見届けて、
いよいよこれで地獄のような日本とおさらばして帰国される
かと思いきや今度は又自ら桐生に移動。そこですぐに朝鮮人連盟の
青年団に入り活動したと証言。

つまり崔さんは政治活動のために日本に残った。
そしてそのまま70年以上日本で暮らす事が出来た。
戦時中には日本で職業訓練を受けられた。しかも辛い仕事からは
脱走することも出来た。その後、自由に移動し、自由に職場を選ぶ
ことが出来、就労も出来た。
彼は終戦と共に、国費で帰国できたにもかかわらず、自ら日本居住
を選択した。そんな彼が強制連行被害者だと訴えているのです。

これでも疑問を呈してはいけませんか?!!



以下、小冊子から抜粋です。

7、強制連行被害者の証言

崔 末龍(チェ・マルリョン)さん

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日韓基本条約無効

(文責・鈴木)