そよ風過去記事 
恨の碑」は時限爆弾だった! : そよ風 - livedoor Blog

沖縄読谷村にある朝鮮人慰霊碑「恨の碑」の前で追悼会と
文化センター中ホールでコンサートが開かれます。
下記に転載した奥本庚大氏のFBに書かれている様に
読谷村は義烈空挺隊が玉砕された地であり、
玉砕地の碑もあるにもかかわらずないがしろにされ、慰霊も顕彰もされずにいます。
それに比べ、国内外から朝鮮人や反日左翼が大量に押しかけ
(下記の「川崎在日コリアン生活文化資料館沖縄旅行」の記事参照)
反日の朝鮮人碑の前で追悼会が行われています。
(横網町公園の朝鮮人追悼碑慰霊祭に似てますね)
今朝鮮人徴用工や慰安婦などを強制連行したという事などの
嘘が次々暴かれています。
しかしその様事などは問題にされる事なく、全国津々浦々にある反日碑はそのままにされ、慰霊祭等が行われ続けています。
その象徴として沖縄があり、読谷村には役場をはじめ、
反日碑があちこちに建てられ反日工作が盛んに行われています。
この流れを止めていかなくてはいけません。

読谷役場に電話、メール等で「恨の碑」の前の追悼式の
問題点を指摘してやめる様に抗議して下さい。もしそれがダメと言われたら、同じ様に「義烈空挺隊玉砕の地之碑」を元の場所に移転し
碑の前で追悼式を大々的に開催すべきだと主張して下さい。
よろしくお願いします。
読谷村役場
お問い合わせ http://www.vill.yomitan.okinawa.jp/contact/
TEL 098-982-9200  FAX 098-982-9202

文責中田梅子
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奥本庚大氏のFBから転載

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この数日、沖縄県読谷村の書き込みばかりしている。何故なら義烈空挺隊の慰霊、顕彰について余りにも酷い対応をしている諸悪の根源が、読谷村だからであり、眼を覚まして欲しいからである。
それでないと義烈空挺隊の散華した英霊が浮かばれないからである。
しかし昨日(6月5日)の下記、琉球新報の記事を見て驚いた!!
沖縄を守る為に、義烈空挺隊が玉砕した場所が、読谷村であり、義烈空挺隊の慰霊祭は読谷村がすべきなのに、朝鮮人の慰霊祭をするというのである。
驚いたことには、既に読谷村には、13年も前に、朝鮮人の慰霊碑を建立しているのである。

その碑は「恨みの碑」なんと云う名称!!
慰安婦の像や徴用工の像と同じ日本を陥れる狙いの目的の像である。
読谷村の人たちの考えてる事が理解出来ない!!
また、朝鮮人を強制的に連行して来たとの記述もしている。史実誤認も甚だしい
琉球新報は酷いと聞いていたが、何処の国の新聞かと眼を疑った。
歴史認識の酷さに驚いている。
反日日本人が、沖縄には溢れてかえっている。
正しい日本の歴史を知ろうともしない愚かな人たちが、なんと多いのだろう。
だから「訳の解らない知事」を選ぶのだろう。
もう沖縄は末期症状なのかも知れない。
中国の沖縄自治領になるのは、時間の問題かも知れない。
自分は、沖縄の事を思ってFBに書き込みをしているが、沖縄の為に散華された義烈空挺隊の慰霊碑を建立せずに、朝鮮人の慰霊碑を建てているとは、本当に情け無い、というか悲し過ぎる!!
沖縄を守れるのは、沖縄県民、読谷村民の覚醒しか無い!!
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 恨 之 碑 
 韓国から沖縄に動員・従軍させられ、沖縄戦に巻き込まれながらも、九死に一生を
得て帰国することのできた、元朝鮮人軍夫二人のよびかけにより、無念の死を遂げ、
遺骨の帰郷すら叶わなかった同胞を追悼・記念するために建立された碑。
「沖縄に数千人から数万人が強制連行されたといわれる朝鮮人軍夫の存在と悲劇は、
今なお闇に埋もれたままである。彼らは丸腰のまま敵襲にさらされ、満足に食糧も与えらえれないまま、港湾荷役や武器、軍需物資の運搬、掩蔽壕掘りなどに従軍させられた。その中で多くが戦死し、餓死し、さらに「スパイ」「軍紀違反」の名目で日本軍に処刑される者すらいた。しかしこのような事実は公式の記録にはほとんど残されていない。日本政府は朝鮮半島から沖縄戦に何人動員し、何人死傷させたのか、誰が戦没し、誰が生還したのか、これらの事実を明らかにしていない。」(沖縄タイムス掲載、平良修『韓国と沖縄に「恨の碑」を』より)

 韓国慶尚北道(沖縄へ連行された朝鮮人軍夫の多かった地区)出身で、
無事帰還できた姜仁昌さん、徐正福さんたちの「今も異郷でさまよう犠牲者たちの
遺骨を故国に持ち帰り手厚く弔いたい。そのために、日本の心ある人々の支援を
お願いする」との申し出を受けて、まず、遺骨調査が行われた。
(1997年)多くの人が協力して、二人の記憶に残る場所を中心に行われた
遺骨調査では、もはや遺骨はその場所には存在せず、遺骨収集という
願いは叶わなかった。
このことを受けて、韓国と沖縄に追悼と祈念の碑をという計画がもちあがり、
双方でその実現を目指すこととなった。沖縄では、「恨之碑建立をめざす会」が
設立され、50余名の呼びかけ人(知花昌一さんもそのひとり)が中心となって、
基金集め、設置場所の選定、碑の制作などに当たった。特に、碑の制作は、
あのチビチリガマ入り口に作られた
「世代を結ぶ平和の像」の製作者・金城實氏が引受け、読谷村瀬名波の
「恨之碑」韓国・日本双方の意見交換後、レリーフのデザインが決定された。
このようにして、韓国・日本の多くの人の想いと努力が実を結んで、
韓国慶尚北道英陽郡での建立から7年後の2006年5月、
読谷村瀬名波に日本側の碑が建てられた。
「恨之碑」設立の中核として活躍した沖縄の人々は、碑の設立によって、
『歴史の教訓に学び、沖縄から平和を呼びかけ続ける』という地点に立てたと
考えている。今後、アジア太平洋戦争、そして沖縄戦の実相を明らかにして
いくことを通して学び、行動し、沖縄は二度と被害者にも加害者にも
ならないとの想いを強くしている。      (鈴木)

 韓国人慰霊之塔
朝鮮半島から沖縄に連れて来られ、沖縄戦で死んでいった韓国人の霊を祀るために、
糸満市摩文仁の平和記念公園の一角に、1975年建立された塔。
韓国の墓のように丸く積みあげられた石塚の周りには、韓国各道から集められた
石が並べらている。塚の前には故国・韓国の方向を示す矢印がある。
碑には次のような文が刻まれている。 
 
 沖縄本島には多くの碑があるが、その碑文中に「虐殺」の文字が刻まれているのは、この碑文だけである。日本の侵略戦争によって、数々の残虐的な行為を受けてきた
朝鮮の人々にとっては当然の内容といえるだろう。
この塔が韓国の墓と同じ土饅頭のかたちをしていたからだろうか、母国の各道の
石が並べられていたからだろうか、ハルモニたちの多くが、塔を撫で「アイゴー」と
声を掛けながら
「アリラン アリラン」「トラヂトラヂ」と塔に眠る魂に向かって歌っていた。
(鈴木)
川崎在日コリアン生活文化資料館
世代間交流事業沖縄旅行