関東大震災朝鮮人虐殺説に惑わされるな!
関東大震災からの復興は日本人の誇るべき歴史だ!その2

日本は絶望の淵から 天皇を中心に見事に復興した 

日本人が紅蓮の炎から逃げ惑う地獄絵図に陥った関東大震災火災。
その炎で東京の43パーセントが焼きつくされた事は前回の当ブログで
お伝えしました。

関東大震災朝鮮人虐殺説に惑わされるな! 関東大震災からの復興は日本人の誇るべき歴史だ!その1
ではそんな絶望の淵から日本人はどうやって立ち上がったのでしょうか。

大災害が起きるといつでも私達は 天皇皇后両陛下の行啓に勇気付け
られてきましたが関東大震災でも私達の先人
は絶望の淵から 天皇を
中心に一つになり勇気を奮い起こして見事に復興したのです。
 大正天皇は震災の2日後、
9月3日,罹災者救恤のため,内帑金ないどきん
1,000万円
を 摂政宮を通じて内閣総理大臣山本権兵衛へ下賜されています。
(尚、大財閥の岩崎、三井家がそれぞれ500万円。)

摂政宮であられた 昭和天皇はご静養中の 大正天皇に代わり、早くも
9月15日、18日、10月8日に
各地をご巡視されました。


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  摂政宮(昭和天皇)は見渡す限り東京が焼け野原になっていたのをご覧に
なり民の窮状を目の当たりにされ、その翌日,宮内大臣牧野伸顕を召され,
「余の結婚も今秋挙行に決定したるも之を進行するに忍びず,故に延期し
たしと思ふ」とお述べになり,ご婚儀は,延期されました。

7年かかった復興後の御巡視を記念して建てられた碑が北の丸公園にあります。
昭和天皇御野立所(おんのだてしょ)は、皇居の石垣の上にあり、当時東京で
一番高い所で下町や東京湾を一望できる場所でした。目の前には牛ケ淵のお堀が
あり、九段会館(元)が見えます。


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昭和五年三月二十四日復興帝都巡幸ニ當リ玉歩第一歩ヲ此處ニ駐メサセ給フ
 平成元年四月二十九日   近衛歩兵第一聯隊會建之

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昭和天皇御野立所
 大正十二年九月一日午前十一時五十八分、関東地方一 帯に大地震が発生した。死者、行方不明者十四万人、家 屋の全壊、焼失五十七万戸、罹災所帯六十九万に及ぶと いうわが国災害史上未曽有の大惨事であり、東京遷都の 噂すら流れたほどであった。
 時に摂政であらせられた 昭和天皇は「東京ハ依然ト シテ国都タルノ地位ヲ失ハズ、コレヲ以テソノ善後策ハ ヒトリ旧態ヲ回復スルニ止マラズ、進ンデ将来ノ発展ヲ 図リ・・・・・」との詔書を発せられて、復興の方針を 明示されると共に、同月十五日親しく被災地を御視察遊 ばされた。
 それより六年有余の歳月と七億円(昭和五年度一般会 計歳出十六億円)の巨費を投じて鋭意再建に努めてきた が、漸く復興が成り、昭和五年三月二十六日皇居前広場 に於いて、天皇陛下の親臨を仰ぎ、帝都復興祝賀の式 典が盛大に挙行された。
 昭和天皇は、これに先立つ二十四日、被害の甚だしか った下町一帯の復興状況を、約五時間に亙り御視察遊ば された。その第一歩を駐めさせ給うたのがこの地である。 当時はここから東京湾まで眺望することが出来た。
 その後ここに「御野立所記念碑」が建てられたが、長 年の風雪に曝されて損傷が著しくなっていた。この地は 嘗て近衛歩兵第一聯隊が駐屯していたところである。そ こで有志相倚り昭和天皇御誕生日を卜して「御野立所 記念碑」を再建し、御聖徳を偲び奉るものである。
 平成元年四月二十六日
  近衛歩兵第一聯隊會

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因みに田安門の手前に灯台があるのをご存じない方も多いのではないでしょうか。
この灯台はなんと東京湾、品川沖の船舶、軍艦などの航行の目印として建てられました。

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田安門を入り、右に曲がって、さらに門をくぐると、すぐ左側の横から石階段があり、入口には「弥生慰霊堂」の碑と狛犬があります。石段を上ると、「弥生慰霊堂」に隣接して「昭和天皇御野立所」があります。もともと近衛歩兵第一連隊があった場所です。
 (文責・鈴木)

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宮内庁 HPより

http://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/kyodotenji.html

昭和天皇記念館・宮内公文書館共催展示
「摂政宮と関東大震災−宮内庁の記録から」

大正12年(1923)9月1日に神奈川県相模湾北西部で発生した大地震は,火災・津波被害などを引き起こし,死者・行方不明者数が10万5千人を超える日本史上最大規模の災害となりました。当時,摂政のお立場にあった皇太子裕仁親王は,のちに関東大震災と称されるこの大震災にご静養中の大正天皇に代わって対応されています。

発災後,摂政宮は宮城(皇居)から赤坂離宮広芝御茶屋へ避難され,翌日には余震が続く中,山本権兵衛内閣の親任式に臨まれました。また,東京府・神奈川県の被災地へ行啓されて悲惨な被害の実態をご自分の目で視察されています。天皇皇后や皇太子が,直接被災地を見舞われるのは当時にあっては異例なことでした。以後も摂政宮は,復興へ向けて震災対策にご尽力されました。

本展の開始日である9月1日は,関東大震災の発災からちょうど90年を迎える日です。わが国が,東日本大震災からの復興に向けて取り組んでいる今日,本展が過去の災害からの教訓を再確認する機会となり,貴重な記録を未来へ継承するための一助となれば幸いです。

6. 主な展示資料

赤坂離宮写真
(1)赤坂離宮写真
(陸軍飛行第五大隊撮影「関東大震災写真集」から)
 当時摂政宮のご滞在先であった赤坂離宮の震災直後の写真。摂政宮は,安全のため9月7日まで広芝御茶屋に避難されていた。

大正天皇実録
(2)「大正天皇実録(図書寮編修課)」
 宮内省で編纂された大正天皇の御一代記。
本文全85冊のうち,巻81に大正12年9月の記事があり,発災以後の摂政宮のご動静も叙述されている

会計雑録
(3)災害費1,150万円計上に関する摂政宮への伺書
(大臣官房文書課「会計雑録」2から)
 9月3日,1,150万円を罹災者救済のために災害費として計上することが決定された。
写真は,牧野伸顕宮内大臣から摂政宮へ呈された伺書

恩賜金伝達式の写真
(4)恩賜金伝達式の写真
(大臣官房庶務課「恩賜録」(追加の部)から)
 9月3日,罹災者救恤のため,内帑金ないどきん1,000万円が,摂政宮を通じて内閣総理大臣山本権兵衛へ下賜された。
写真は,東京府で行われた恩賜金の伝達式の模様を撮影したもの。

東宮職 日誌
(5)東宮職 日誌
 9月15日,摂政宮が,被害状況ご視察のため東京・上野へ行啓された。
ご乗馬によるご視察当日の具体的なご動静が記載されている。

摂政宮被災地ご視察
(6)摂政宮被災地ご視察(東京都復興記念館所蔵)
 被災地を視察された際の御写真。9月15日,上野公園などを視察された後,同月18日に下町方面,10月10日に横浜・横須賀市を視察されている。
明治期以来,災害が起きると天皇が勅使を差遣され,その勅使からの報告により被災地の様子を把握されることは,
しばしば行われていたが,皇后や皇太子が,直接現地にお出ましになったことは,画期的な出来事であった。

貞明皇后御写真
(7)貞明皇后御写真
(大臣官房庶務課「震災録」から)
 9月29日,上野の罹災者をお見舞いになる貞明皇后。

東宮御婚儀祝典記念絵葉書・切手図案東宮御婚儀祝典記念絵葉書・切手図案
(8)東宮御婚儀祝典記念絵葉書・切手図案
(大臣官房庶務課「東宮御婚儀録」1から)
 摂政宮は,大正12年11月下旬に良子女王(のちの香淳皇后)と結婚されることが予定されていたが,9月15日に被災地を視察されると,
その翌日,宮内大臣牧野伸顕を召され,「余の結婚も今秋挙行に決定したるも之を進行するに忍びず,故に延期したしと思ふ」とお述べになった。
これにより,ご婚儀は,延期されることになった。
写真は,逓信省で作成されたものの発行中止となった東宮御婚儀祝典記念絵葉書・切手の図案。

宮内省巡回救療班の集合写真
(9)宮内省巡回救療班の集合写真
(大臣官房庶務課「震災録」から)
 宮内省は,被災地を巡り,診察・治療を施すことを目的とした巡回救療班を組織した。
巡回救療班は,小児・婦人の罹災者を心配される貞明皇后の思召から組織された。
上は,巡回救療班の集合写真。