以下引用民団新聞 (mindan.org)

掲載日 : [2021-10-27 10:49:00]   照会数 : 222

語り継ぐ被爆体験…在日韓国人2世の李鐘根さん


[ 「差別、戦争はあってはいけない」と強調する李鐘根さん(18日、広島韓国会館で) ]


【広島】在日韓国人2世の李鐘根さん(92、民団広島本部韓国人原爆被害者対策特別委員会委員長)が18日、広島韓国会館で自らの被爆体験を語った。民団広島本部(李英俊団長)が核なき平和な世界の実現を願って各支部と青年商工会など役員を対象に学習会を企画した。

年間6千人対象に
 李さんは1945年8月6日、勤務先の国鉄第一機関区に向かう路面電車を降りて荒神橋を渡った瞬間、黄色みがかったオレンジ色の閃光が一面に広がるのを目撃した。当時16歳だった。

 「街全体が光り、目の前にある家の壁に当たった閃光はたなびくように見えました。どこを見てもオレンジ色でした。周りの家は全部崩れていました。私が見た人たちは爆風で服がちぎれて、半分裸のような状態でした。皮膚は垂れ下がっていました。多くの人が『水をください』と言っていました。倒れていく人や亡くなった人たちもたくさん見ました。私はもし地獄があるならこの状態を地獄だと思いました」

 李さんは廿日市平良村にある自宅に向かった。夕方4時に出て家に着いた時は夜の11時を過ぎていた。家に帰ると母親が「生きとったんか」と言って真っ黒い油だらけの李さんを抱きしめてワンワンと泣いた。

 寝床についてもやけどが痛くて寝れない。薬はなく、赤チンを塗るくらい。しばらくすると皮膚が腐りはじめハエがたかり、ウジも湧いて悪臭を放つまでになった。母親は李さんを抱きながら「チュゴラ」(早く死んでくれ)と言いながら泣き続けた。幸いにも近所に住む日本人のおじいさんとおばあさんが湯のみに入れて持ってきてくれた植物性の油で命を取り止めた。

 職場に復帰した李さんを待っていたのは戸籍謄本の提出だった。「韓国籍だと知れたらこの職場にいられなくなるのではないか」と、ずっと出していなかったのだ。憧れの職場だったものの18歳の時、給料も受け取らず、辞表も出すことなく国鉄を離れた。

 日本の企業に再就職するにも身分証明書が必要。トラックの運転手をしたり、家族で飴や密造酒を造ったり、豚を飼育して売ったりした。その後、リサイクルショップを経営して生活が安定したという。

 李さんはピースボートに乗船して立ち寄ったギリシャの学校で子どもたちに初めて自らの被爆体験を語り、差別、戦争はあってはいけないことだと強調した。2012年のことだ。それからは日本でも語り部を務め、年間6000人を対象に講演を重ねている。
(2021.10.27 民団新聞)

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「韓国籍だと知れたらこの職場にいられなくなるのではないか」

日本はいまだ、戦争に負け続けている、と私は言いたい。

長崎に韓国人原爆慰霊碑が立ってしまったのは、何度もお伝えした。長崎市は、碑を立てた団体と、
27年間も、すったもんだの挙句、その碑の説明文に、本人の意思に反して徴用・動員される事例が増え、という一文が入ることを認めてしまった。

何が、本人の意思に反して、なもんか。
血書まで出して、日本の徴用に朝鮮人の応募が殺到したのを忘れたのか。

過去記事強制は嘘、血書付きで嘆願・徴用志願者殺到

昭和15年2月2日付け 朝鮮新聞


日本人が、歴史的事実を捻じ曲げてまで、朝鮮人に遜る結果、何が起きるのか。

在日韓国人2世の李鐘根さん(92、民団広島本部韓国人原爆被害者対策特別委員会委員長)は日本だけでなく、ピースボートに乗って、ギリシャの子供たちに、まで講演をして回っているという。

李さんは、差別や戦争はあってはならないと訴えた、という。そこまでは、正論だ。
しかし、その後にこう続ける。
被爆後、職場に復帰する時に
 戸籍謄本の提出を求められ、「韓国籍だと知れたらこの職場にいられなくなるのではないか」と恐れ、憧れの職場だったものの18歳の時、給料も受け取らず、辞表も出すことなく国鉄を離れた。日本の企業に再就職するにも身分証明書が必要だった
と、日本で李さんが差別を受けた苦しみを訴えている。

日本が戸籍で差別した?!身分証明を出せない者を働かせないのは差別か?
戸籍で差別された苦しみと、原爆被害の苦しみとは、お気の毒だが別問題ではないか?。

よく聞けば、李さんの証言こそが、身分証明書ばかりか、戸籍謄本さえもたない外国人が、不法に、日本で働いていた、事を証明している。言い換えれば、碑の説明文の、意思に反して、というのは嘘で、憧れの職場に、不法に潜り込んで働いていた者もいた、という事だ。

日本は法治国家だ。密入国者を許さないのは法治国家として当然。それを差別だとして、堂々と子供たちに教え込み伝導する事を許す日本。こんな主張を外国に訴え、日本を貶める。彼らの主張を擁護する碑を立てさせた緩みきった長崎市。

日本の戸籍制度が揺らぐはずはない、と高をくくっていても、外国人が参政権を持てば、外国人に都合の良い戸籍制度改革条例が要望されることは想像に難くない。
近頃、TBSの報道特集などは、盛んに、戸籍を持たない無戸籍者に同情を誘うように、日本の戸籍制度の見直しを訴えている。

日韓基本条約、日韓合意等、日韓、日朝の約束事は、なーんの役にも立たない。

日本を外国に明け渡し、身一つで、難民になる日まで、日本は謝り続けるのではないかと本気で危惧している。


(文責・鈴木)

[ 慰霊碑の全容 ]

[ 構想27年にして建立した慰霊碑が序幕 ]
◆案内文

 我が祖国は1945年8月15日までの35年間、日本の統治下にあった。太平洋戦争の末期には労働者、軍人・軍属として本人の意思に反して徴用・動員される事例が増え、それまでの移住者を含め長崎県在住同胞は約7万人(内務省警保局調査からの推計)、うち長崎市とその周辺に約3万5千人(「原爆と朝鮮人」より)を数えた。1945年8月9日、長崎市上空で炸裂した原子爆弾は、約7万4千人の尊い命を奪った。我が同胞は、数千〜1万人とも言われる命を奪われ、故郷の父母兄弟と二度と会えないまま、異境に生涯を閉じた同胞の無念はいかばかりか。
 犠牲同胞の霊を安らげるべく、在日本大韓民国民団長崎県本部を中心に「長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会」を設立し、各地在日同胞と日本人有志が寄せた浄財によって、ここ平和公園の一角に念願の慰霊碑を建立する。
 2021年11月6日  長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会