久保田るり子氏の朝鮮半島ウオッチ

7月に東京と新潟で、歴史認識問題研究会主催の日韓学術講演会『佐渡金山と朝鮮人戦時労働者』が開かれ、私は東京の講演会に参加しました。講演の一部は7月17日付産経新聞の久保田るり子氏の『朝鮮半島ウオッチ』に「佐渡金山 朝鮮人戦時労働の実態は短期移民」という記事になっています。

当日の講師は『反日種族主義』の共著者の1人でもあるイ・ウヨン氏でした。写真も録音も禁止されましたが、当日の詳しい内容は後日、同研究会の会報で報告されるそうです。

「強制連行」「強制労働」「奴隷労働」という言葉は、既に群馬の森の朝鮮人碑撤去活動でもおなじみで、日本=加害者、朝鮮人=被害者、だから日本政府は謝罪と賠償をよこせというユスリ、タカリの根拠にされてきました。

強制連行されたと言いながら、にこやかできちんとした服装をした写真がたくさんある事実に、あの国では、「笑顔すら強制された」などという漫画チックな言い訳が幅をきかせているそうですが、イ・ウヨン氏は日本に来られたことを自慢するために、当時は貴重だった写真を撮って故郷に送ったそうです。

佐渡金山
佐渡金山の坑夫たち

イ・ウヨン氏は、日本への出稼ぎは主体的な成功で短期移民であると捉えています。ところが、あの国では「その笑顔すら強制された」証拠だというのですから、何をか言わんや。


同氏は幾つもの大事な指摘をされていましたが、その幾つかを列挙します。

●労働者は朝鮮の最末端の行政機関と警察が募集を行った。警察官は朝鮮人だった。言葉のできない日本人や同じ村の人が強制連行などできない。本人の意思が大事だった。
行政的な強制の場合でも、法的な強制手段はない。

●日本行きを断っても処罰できない。

●役所から令状が発行され、出発まで2週間の猶予があった。

●奴隷狩りや人間狩り、強制連行はない。

●1950〜53年、朝鮮戦争が勃発したとき、韓国軍が青年を連れ出した。その数30万人で学生も動員した。この記憶が植民地時代の記憶とミックスしている。

●1960年代の韓国の工業化は日本での労務経験のある人によって行われた。

●佐渡金山において日本人より朝鮮人のほうが死亡率が高かったのは作業経験が足りなかったから。

●佐渡の朝鮮人労働者の割合は3%。

●終戦後、朝鮮人の送還は会社に任されていた。

●賃金の差は出来高払いだからで、貯金、食事代、税金を引くと、40%は手元に残る。

●韓国と日本の左翼勢力が主張するような奴隷の歴史ではない。


こうした事実が韓国の研究者から発表されたことは非常に興味深く、心強いです。

佐渡金山世界遺産登録にも積極的に取り組んでおられる西岡力先生は、「強制労働」「強制連行」という言葉は、1960年代から日本の左派系学者が使い始め、その後、韓国でも使われるようになった後世における歴史的評価あるいは学説ときっぱり書いています。

日本は歴史問題を論じるときには必ず一次史料を基にします。西岡先生は、内務省統計という一次史料を使い、「朝鮮から内地への雪崩のような出稼ぎ渡航があったのだが、それを戦争遂行に必要な事業所に秩序だって送ろうとしたのが戦時動員だった。強制連行、強制労働などとは異なる歴史的事実だ」と提起しています。


なお、朝鮮総督府の統計によると、1933年から1938年までの6年間で、72万7,094人が警察に内地渡航を出願して不許可となり、渡航できなかった。戦時動員が始まった1939年から1942年までの4年間でも2万2,800人が内地で不正渡航として摘発され、1万9,250人が戦時動員期間だったにもかかわらず朝鮮に強制送還されているとも書いています。強制送還するほど希望者がいたのに、強制連行する必要がどこにあったのでしょうか。


もちろん、その他にもきちんとした一次史料があったからこそ、日本政府は世界遺産登録を目指したのです。(文責・佐藤)



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死人に口なしとばかりに形を変えたアベガーで統一教会叩きに走るマスゴミはテロの再発を仕掛けているのではないか。