震災に乗じたテロの企てがあったことを
報じたのは 朝日
関東大震災の最中に、テロリストが暗躍していた事実はあまり知られていない。しかし、実際に、テロリスト10人以上が逮捕された、と朝日が報じている。
記事によれば、彼等は、秋の皇太子殿下(昭和天皇)ご婚儀に参列する重要人物に爆弾を投じて、暗殺を企てていたという。そのテロリスト達が、偶々、大震災に遭い、急遽、予定を変更して、仲間と相談し、大混乱に乗じて、テロを決行しようとして、逮捕されたという事実を、朝日新聞が詳細に伝えている。
日本人による朝鮮人殺害事件を語るとき、この情報なしに真実がみえてくるだろうか。
今年は震災百周年、朝日新聞は、真実を伝える報道機関として、まず、この「震災の混乱に乗じ 帝都で大官の暗殺を企てた 不逞朝鮮人の秘密結社大検挙」の記事について、しっかり検証するべきだ。その上で、訂正記事を出すなり、あるいは、先輩が間違いを伝えたために、朝鮮人に対する恐怖心と偏見を抱くよう煽ってしまった、と国民に謝罪するなり、はっきりさせる時が来ている。
報じたのは 朝日
関東大震災の最中に、テロリストが暗躍していた事実はあまり知られていない。しかし、実際に、テロリスト10人以上が逮捕された、と朝日が報じている。
記事によれば、彼等は、秋の皇太子殿下(昭和天皇)ご婚儀に参列する重要人物に爆弾を投じて、暗殺を企てていたという。そのテロリスト達が、偶々、大震災に遭い、急遽、予定を変更して、仲間と相談し、大混乱に乗じて、テロを決行しようとして、逮捕されたという事実を、朝日新聞が詳細に伝えている。
日本人による朝鮮人殺害事件を語るとき、この情報なしに真実がみえてくるだろうか。
今年は震災百周年、朝日新聞は、真実を伝える報道機関として、まず、この「震災の混乱に乗じ 帝都で大官の暗殺を企てた 不逞朝鮮人の秘密結社大検挙」の記事について、しっかり検証するべきだ。その上で、訂正記事を出すなり、あるいは、先輩が間違いを伝えたために、朝鮮人に対する恐怖心と偏見を抱くよう煽ってしまった、と国民に謝罪するなり、はっきりさせる時が来ている。
(文責・鈴木)
以下 大阪朝日新聞 大正12年10月20日(赤字転換byそよ風)
以下抜粋
震災の混乱に乗じ 帝都で大官の暗殺を企てた
不逞鮮人の秘密結社大検挙
今秋11月中旬の東宮殿下ご婚儀に際して大官の集合を機に爆弾を投じて暗殺せんとの大陰謀を企て同士と共に準備に奔走中の一味が大震災の突発から、急遽予定を変更して在郷の少数同士と語らい帝都の混乱せる機会に乗じ、大事を決行せんとした事実が発覚し、爾来警視庁では正力官房主事以下守屋特別高等課長、立川内鮮、山田特別高等の雨係長、其のた、官房総動員で大活動を開始した。月余に亘り、司法省及び内務省と打ち合わせ、朝鮮総督府に急電を発して協力、犯人の検挙に努めた。
首魁である東京府代々木富ヶ谷1474雑誌「現社会」社に到り、秘密結社不逞鮮人社盟主朴列(28)及び内縁の妻、広島県生まれ金子文子(22)を自宅にて、9月3日、寝込みを襲って逮捕した。
又、府下西巣鴨池袋町22854黒友社に到り、朝鮮人アナーキストの集団である民衆運動者の申炎汝、徐相一、洪鎮佑を始め、本郷区駒込鳳来町18朝鮮元機関雑誌「自壇」を主催する新山初代(23,金重漢)及び栗原一雄、野口品二等を逮捕。
そこで、民衆運動社及び不逞朝鮮人社に厳重な家宅捜索の結果、有力なる文書及び朝鮮京城府孝唱洞104、黒労会内の不逞朝鮮人社支社より暗号電報を発見。
以下 略 共犯者は十数名に上るべく、東京に護送され、朴列は、市ヶ谷東京刑務所に収監され、其のたは各所に留置された。

(新聞集録大正史 大正12年 第11巻 より引用)以下 大阪朝日新聞 大正12年10月20日(赤字転換byそよ風)
以下抜粋
震災の混乱に乗じ 帝都で大官の暗殺を企てた
不逞鮮人の秘密結社大検挙
今秋11月中旬の東宮殿下ご婚儀に際して大官の集合を機に爆弾を投じて暗殺せんとの大陰謀を企て同士と共に準備に奔走中の一味が大震災の突発から、急遽予定を変更して在郷の少数同士と語らい帝都の混乱せる機会に乗じ、大事を決行せんとした事実が発覚し、爾来警視庁では正力官房主事以下守屋特別高等課長、立川内鮮、山田特別高等の雨係長、其のた、官房総動員で大活動を開始した。月余に亘り、司法省及び内務省と打ち合わせ、朝鮮総督府に急電を発して協力、犯人の検挙に努めた。
首魁である東京府代々木富ヶ谷1474雑誌「現社会」社に到り、秘密結社不逞鮮人社盟主朴列(28)及び内縁の妻、広島県生まれ金子文子(22)を自宅にて、9月3日、寝込みを襲って逮捕した。
又、府下西巣鴨池袋町22854黒友社に到り、朝鮮人アナーキストの集団である民衆運動者の申炎汝、徐相一、洪鎮佑を始め、本郷区駒込鳳来町18朝鮮元機関雑誌「自壇」を主催する新山初代(23,金重漢)及び栗原一雄、野口品二等を逮捕。
そこで、民衆運動社及び不逞朝鮮人社に厳重な家宅捜索の結果、有力なる文書及び朝鮮京城府孝唱洞104、黒労会内の不逞朝鮮人社支社より暗号電報を発見。
以下 略 共犯者は十数名に上るべく、東京に護送され、朴列は、市ヶ谷東京刑務所に収監され、其のたは各所に留置された。

ーーーーーーーーーーーーーー
朝鮮人殺害事件を語るには、時代背景の考察も必要だ。
読売新聞が、震災1ヶ月後に、神戸で、社会主義者と市民が衝突し、重軽傷者を出した事を伝えている。
以下 読売新聞 大正12年9月30日
神戸の社会主義者
市民と衝突
重軽傷者を出して大検挙
