私事ですが、崇仁親王殿下にはオリエント史の授業をほんの少しと、フォークダンスの楽しさを教えて頂いた事は忘れられません。殿下は少しも偉ぶったところがなく、学食で学生と同じ物をおいしそうに召し上がられていらっしゃいました。
崇仁親王殿下と百合子妃殿下は本当に熱心にフォークダンスの普及に努めておられました。あの頃は、高校生ぐらいから、必ずと言ってよいほどフォークダンスをしました。今ほど男女交際がフランクな時代ではなかったので、男女で手を握るのは生まれて初めてだった人も多かったと思います。あいさつ代わりに体の接触をする欧米人と違って、生真面目な日本人が、いきなり一緒にダンスをして、一つの輪になるのですから、画期的で、ドキドキしつつ、随分楽しんだと思います。
私のような一般国民が殿下と妃殿下の御心を忖度申し上げるのは不遜ですが、両殿下は戦争に疲弊しきった国民を少しでも明るい方向にお導きになりたかったのではないかと、今にして、国民を思う暖かいお心を拝察申し上げます。
最も苦しい時を経て、崇仁親王殿下をお支えした、百合子殿下のご存在があったからこそ、あの戦中から敗戦と激動の時代を、天皇中心の日本の国体で、なんとかここまで繋いでこられたのだと思います。
崇仁親王妃百合子殿下、何もなくなった貧しく、苦しい時を国民と共に乗り越え、ここまで日本を守って頂いた事に心より感謝申し上げます。どうか安らかにお眠りくださいませ。合掌
(文責・鈴木)
崇仁親王妃百合子殿下のお棺を乗せた霊柩車
hitugi
百合子さま「斂葬の儀」に481人出席、
彬子さまはうつむき加減…両陛下は参列されず
読売新聞
15日に101歳で逝去された三笠宮妃百合子さまの本葬にあたる「 斂葬(れんそう) の儀」が26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。午前10時頃から始まった「葬場の儀」には、孫で喪主の 彬子(あきこ) さまや秋篠宮ご夫妻ら10人の皇族方と石破首相ら三権の長など計481人が参列した。
百合子さまの 柩(ひつぎ) を乗せた「霊車」は午前9時35分頃、豊島岡墓地正門に到着。車列は厳かな音色の雅楽「 竹林楽(ちくりんらく) 」が流れるなか、葬場をゆっくりと進み、彬子さまらが後に続いて歩かれた。
柩が会場奥に設けられた祭壇に安置されると、祭服姿の 坊城俊在(ぼうじょうとしあり) 司祭長が、古代オリエント史を学ばれた三笠宮さまを助け、内助の功に尽くされた百合子さまをしのぶ祭詞を読み上げた。参列者席の彬子さまはうつむき加減で、悲しみをこらえられている様子だった。
天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻は慣例により、参列されなかった。拝礼ではまず、天皇陛下の使者を務める別所浩郎侍従長らが、米や酒、野菜などが供えられた祭壇に玉串をささげ、彬子さまや秋篠宮ご夫妻らが続かれた。
葬場の儀に先立ち、百合子さまの柩を乗せた霊車は午前9時過ぎ、港区の宮邸を出発。近くの沿道では、喪服姿の宮家の職員らが沈痛な面持ちで見送った。霊車が通り過ぎるのに合わせ、お辞儀したり、手を合わせたりする人の姿もあった。
この日のために上京したという富山市の女性(75)は、「穏やかな百合子さまの映像を見るたびに、心が温まる思いだった。3人のお子さまに先立たれ、つらい思いをされたことだろう。安らかにお休みくださいと伝えたい」と話していた。
百合子さまのご遺体は午後、新宿区の落合火葬場で火葬され、その後、豊島岡墓地で納骨、埋葬にあたる「墓所の儀」が行われる。