ばあちゃん西部劇をみる
ローレン!ローレン!♪なんて歌、知ってる人もういないだろうなー。
毎週、テレビでローハイドを見て、カウボーイになりきって手綱を握り口ずさんでいた子供のころの自分がちょっと恥ずかしい。
しかし、ばあちゃんになってみると、西部劇って、アメリカの「国柄」が、しみじみわかっておもしろい。
今回見たのは、「リバティ・バランスを撃った男」。
ジョン・ウエイン、ジェームズ・スチュアート等、もう今は、それだれ?だろうけど、西部劇の豪華オールスター総出演の、結構本気の映画なのだ。

この人権派の二人が、無法者のリバティ・バランスと戦う、というマスコミが涎を流しそうなストーリー展開。
ところがどっこい、最後はやっぱり、アメリカらしさが全開。
ある日、新聞社主は、リバティの一味に、無残に殺され、会社も輪転機も完全に破壊されてしまう。ペンは銃より強くなかったのだ。
怒りに燃えたランスが、九条の札は何の役にも立たないと知ったかどうかは知らないが、漸く、銃を持たなければ戦えないと気付く。
銃に触れたこともなかったランスは、一生懸命撃ち方を習い、ついに、リバティと銃で対決に向かう。
で、結局、ランスがリバティーバランスに向けて銃を撃ち、勝つ。
実は、このランスの勝ちは、隠れていたジョンウエインの銃によって助けられたものだったというオチが付く。そしてランスは議員になり出世していく。
つまり「言論」が「暴力」の前にはなーんにも役立たない、最後に戦いに勝つのはやっぱり「銃」だった、というベース旋律をしっかり奏でている。
これを、何の迷いもなく、共通認識として持てる国アメリカ。
アメリカは建国以来、ずっと今でも、「銃」の信奉者。
アメリカは「力」によって世界一の覇権を握っている。
そんな国が、日本に、「世界は信頼のおける優しい諸国ばかり。私たちはもう二度と武力で戦いを仕掛けるようなことは致しません」なんて戯言を誓わせた。
核爆弾を二発もぶち込まれた日本は、まるで催眠術でもかけられたかのように、このチャンチャラおかしい誓いを守り抜いて80年、1ミリも動けなかった。
しかし、最近、催眠術をかけた方も、日本を目覚めさせた方が利用価値があると考え出したかのような動きを見せる。催眠術が解かれる千載一遇のチャンスは今のほかにはないと思う。
(文責・鈴木)
ローレン!ローレン!♪なんて歌、知ってる人もういないだろうなー。
毎週、テレビでローハイドを見て、カウボーイになりきって手綱を握り口ずさんでいた子供のころの自分がちょっと恥ずかしい。
しかし、ばあちゃんになってみると、西部劇って、アメリカの「国柄」が、しみじみわかっておもしろい。
今回見たのは、「リバティ・バランスを撃った男」。
ジョン・ウエイン、ジェームズ・スチュアート等、もう今は、それだれ?だろうけど、西部劇の豪華オールスター総出演の、結構本気の映画なのだ。

劇場公開日:1962年8月7日
この映画、何が面白いかって、インディアンを悪者としてイケイケどんどん殺しまくっていた西部劇が、突如として「言論の自由」という左翼人権主義思想をとりいれようとしたからだ。
日本の時代劇でいえば、武士が「誇りより命が大切だー」と叫ぶようなもの。
超大雑把に粗筋を言うと
1880年代、大学で法律を学んだランスは、東部から西部へやってきたが、途中、無法者リバティ・バランスの一味に襲われ重傷を負った。助けられたランスは町の新聞社主ピーボディと協力、無法者一味と戦う決意を固めた。
このランスが、なんと、武器の使用を認めない人権派、という設定なのだ。更に、新聞社主がこれまたすこぶる暴力否定論者。
私は、思わず、日本の憲法九条を守る会のご先祖様だ!と叫んでしまった。
この映画、何が面白いかって、インディアンを悪者としてイケイケどんどん殺しまくっていた西部劇が、突如として「言論の自由」という左翼人権主義思想をとりいれようとしたからだ。
日本の時代劇でいえば、武士が「誇りより命が大切だー」と叫ぶようなもの。
超大雑把に粗筋を言うと
1880年代、大学で法律を学んだランスは、東部から西部へやってきたが、途中、無法者リバティ・バランスの一味に襲われ重傷を負った。助けられたランスは町の新聞社主ピーボディと協力、無法者一味と戦う決意を固めた。
このランスが、なんと、武器の使用を認めない人権派、という設定なのだ。更に、新聞社主がこれまたすこぶる暴力否定論者。
私は、思わず、日本の憲法九条を守る会のご先祖様だ!と叫んでしまった。
この人権派の二人が、無法者のリバティ・バランスと戦う、というマスコミが涎を流しそうなストーリー展開。
ところがどっこい、最後はやっぱり、アメリカらしさが全開。
ある日、新聞社主は、リバティの一味に、無残に殺され、会社も輪転機も完全に破壊されてしまう。ペンは銃より強くなかったのだ。
怒りに燃えたランスが、九条の札は何の役にも立たないと知ったかどうかは知らないが、漸く、銃を持たなければ戦えないと気付く。
銃に触れたこともなかったランスは、一生懸命撃ち方を習い、ついに、リバティと銃で対決に向かう。
で、結局、ランスがリバティーバランスに向けて銃を撃ち、勝つ。
実は、このランスの勝ちは、隠れていたジョンウエインの銃によって助けられたものだったというオチが付く。そしてランスは議員になり出世していく。
つまり「言論」が「暴力」の前にはなーんにも役立たない、最後に戦いに勝つのはやっぱり「銃」だった、というベース旋律をしっかり奏でている。
これを、何の迷いもなく、共通認識として持てる国アメリカ。
アメリカは建国以来、ずっと今でも、「銃」の信奉者。
アメリカは「力」によって世界一の覇権を握っている。
そんな国が、日本に、「世界は信頼のおける優しい諸国ばかり。私たちはもう二度と武力で戦いを仕掛けるようなことは致しません」なんて戯言を誓わせた。
核爆弾を二発もぶち込まれた日本は、まるで催眠術でもかけられたかのように、このチャンチャラおかしい誓いを守り抜いて80年、1ミリも動けなかった。
しかし、最近、催眠術をかけた方も、日本を目覚めさせた方が利用価値があると考え出したかのような動きを見せる。催眠術が解かれる千載一遇のチャンスは今のほかにはないと思う。
(文責・鈴木)
昨日の下記の文章間違いがありました。
お手数ですが変更して下さいませんか。
国民の知る権利に答えて報道していても、
答えて を 応じて に変更して下れば幸いです。