
目からビーム!191
『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)といえば、沖縄戦史の「聖典」として長く版を重ねているが、現在、比較的入手可能な朝日新聞社版、ちくま書房版にはオミットされている、昭和25年刊行のオリジナル版(沖縄タイムス社)の前書きの一部を紹介したい。
《この動乱(沖縄戦)を通じ、われわれ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒユーマニズムであつた。(中略)米軍の高いヒユーマニズムを讃え、その感恩を子々孫々に伝え、ひろく人類にうったえたい。
戦いの暗たんたる記録のなかに珠玉の如き光を放つ、米軍のヒユーマニズムは、われわれをほつと息づかせ、よみがえらせ理解と友情がいかに崇高なものであるかを無言のうちに教えてくれる。
血なまぐさい戦場で、殺されもせずに、生命を保護されたということを沁々(しみじみ)と思い、ヒユーマニズムの尊さをありがたく追想したい。》
短い文章の中に「ヒューマニズム」という言葉がこれでもかと出てくる。まさに「解放軍」「救世主」か。壕の中にガソリンを流し込み女子供を火炎放射器で焼き殺す米軍のヒューマニズムとはこれいかに?
一方、本書に登場する日本軍は悪鬼の如し。
本書の執筆者の一人、太田良博は琉球列島米国民政府(USCAR)とも関わりのある人物だ。
今でこそ反基地運動の旗振り役の沖縄タイムスも創刊当時は、あたかも米軍政府の御用新聞といった趣で、米軍将校のお誕生日まで紙面でお祝いするほどの“親米”ぶりなのである。
昭和25年元旦の同紙の第一面第一記事は琉球軍政長官ジョセフ・シーツ少将の「年頭の辞」。シーツ長官は沖縄のマッカーサーともいえる人物。

(写真CAPジョセフ・シーツ琉球軍政長官の新年挨拶が載った1950年元旦の沖タイ。)
本記事でもシーツ政策の「逞しい諸業績」がつらつらと紹介されており、そのひとつが「軍工事の大規模な民間請負事業」であるのは面白い。
沖縄戦は日本唯一の地上戦であり、軍官民一体の防衛戦だった。
その歴史の真実が、いつ、誰によって書き換えられたか、そろそろ明らかにしてもよかろう。