故梶谷氏はもう十数年前から、駅の看板や表示板に中国語や韓国語をつかうなと書いた名刺大の印刷物を作り、あちこちの駅に、熱心に配っておられた。私も少し協力させていただいた事を思い出す。しかし、配っても配っても大きな壁があり、無力感が募るばかり、諦めの境地でいた。

ところがJR東海だけは断固日本語で通すという。
素晴らしい!快挙だ!
梶谷さん、喜んでね!

そもそも、なぜ、その二か国だけで、タイ語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、アラビア語等など「その他諸国語表記はしないのか問題」もあるではないか。

だいいち、本来、外国人観光客は日本という異国の文化に触れたくて日本に来るのではないの?。

私見だが、イタリア観光に行ったとき、駅やその他観光地で(それでも、日本の韓国中国語ほど多くはない)日本語表示があったが、それを見て「わー、ありがたい」とは思わなかった。
逆に、私の中で高くそびえていたイタリアが安っぽくなったような、なんとも言えない、ちょっとしたガッカリ感があった。さらに、観光船の船べりには○○汽船と日本語がそのまま消されずにあり、明らかに日本のお古の船だった。イタリアの遺跡や芸術に圧倒され、堪能しつつも、いきなり、イタリア経済は苦しいのだろうなーという台所事情をみせられたような感じだった。

人はイタリアにイタリアらしさを、日本には日本らしさを求めて観光する。
日本は、凛として、国語表記だけで通すという矜持を持てばよい。一応英語も添えるというおもてなし精神くらいはあっても良いが、もみ手をしてまで日本を売る必要は、どこにもない。

私と梶谷さん達の違和感は、日本のインバウンド推進派の裏に、多様性の必要性を説きつつ、日本の文化破壊を目的として、将来の日本を、誰も望んでいない移民大国にする政治運動の布石臭が漂っていることに対してだった。
日本をそんじょそこらの国にしてはならない。
(文責・鈴木)

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