2006年12月

2006年12月27日

クリスマスといえば

怒涛のクリスマスコンサートがようやく終わった。

それにしてもクリスマスの曲って沢山あるものだと感心した。
「きよしこの夜」に始まり、「ホワイトクリスマス」「クリスマスイブ」「オー・ホーリー・ナイト」などなど枚挙に暇がない。しかし、クリスマス恒例の「くるみ割り人形」にはまったく縁のないクリスマスコンサートばかりだった。

「くるみ割り人形」はチャイコフスキーの曲の中でも特に素晴らしい曲だと思う。チャイコフスキーの魅力はなんと言ってもその旋律の美しさだ。「くるみ割り人形」では有名な「花のワルツ」など随所にその美しい旋律で音楽が繰り広げられていく。中でも見事なのが「パ・ド・ドゥ」である。メロディーとしては単に音階を下がってくる(ドーシラソファーミレド)だけなのに、こんなにエレガントな旋律に変貌させてしまうチャイコフスキーの才能には脱帽である。まさにコロンブスの卵的発想。

少し前にチャイコフスキーの1番の交響曲を聞く機会があったのだが(小澤さん指揮)、聞きながらバレエ音楽に似ていると強く感じた。チャイコフスキーの神髄はもしかしてバレエ音楽なのかもしれない。

うちのオーケストラではチャイコフスキーは演奏しないと固く心に誓っていたのだが、ロココ風(チェロ協奏曲)や弦楽セレナードなんかいいな、と思ってきた次第である。

spanishtk at 19:20|Permalink 作曲家 

2006年12月21日

クリスマス真っ盛り

更新できずにすみません。
現在クリスマスコンサートが真っ盛りで忙しくしております。
今年もせっせと皆様の素敵なクリスマスを演出させていただいております。私はというと…。

クリスマスが終わるまで、しばらくお待ちください。

spanishtk at 14:39|Permalink

2006年12月14日

おすすめDVD<その1>

22814186.jpg最近当家ではTVが新しくなった。

今話題の液晶というやつである。
うちのオーケストラのF君に配慮したわけではないが、S社のK山モデルというやつだ。

とにかくキレイに映る。テレビってこんなにきれいに映るものだったのかと驚くくらいである。凄いのはテレビに出ている役者さんやタレントさんの顔のシワや化粧の浮き具合までくっきり見えること。これから世の中フルデジタルになればTVに出る人も苦労がさらに増えることになるだろう。。。

TVがよくなったことでやっとDVDプレイヤーの本領が発揮された。そこで今、数は少ないが所有するDVDをもう一度見返してみている。

その中でダントツに感動したのがこれ。

ブラームス/交響曲第4番ほか
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団
<独Deutsche Grammophon 0734017>

クライバーというとつい先年惜しまれつつ亡くなったが、スペイン人はついに実演には接することが出来なかった。この演奏は晩年のものになるが、その棒さばきは圧巻である。

しかしクライバーも人間。所々よく見ると棒が震えているのがよく分かる。彼はたしか指揮からの引退を表明してしばらくしてから亡くなったように記憶している。自らの体力の衰えをこの頃から自覚していたのではと思わざるを得ない。ブラームス最後の交響曲と自らの人生を重ね合わせていたのではと考えるのは考えすぎだろうか。とにかく鬼気迫る演奏である。

液晶になり、画面から伝わるものが3倍くらいになった印象であった。
一度視聴をおすすめしたい。

spanishtk at 17:34|Permalink CD 

2006年12月11日

おすすめCD紹介<その1>

92ad0d14.JPG先日より録音についての私見を述べてきたが、やっぱり参考になるCDやいい演奏のCDはたくさんあるので、ここで少しずつ紹介したい。

今日はこれ。
ベートーヴェン/交響曲第7番、第8番
ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
<独hänssler  93-087>

いきなり反則技の近々スペイン人が演奏する曲のCDの紹介である。
演奏会が近づくとさすがに紹介できないので、今この段階で紹介する。

このCD。
世界一イケてないジャケットだと思う。。。
買う気なくすようなノリントンのポーズと写真。
7、8番だけでなく他の番号のCDもかなりヒドイ。

だが演奏はめちゃくちゃ面白い。
つい先日N響に初めて客演し、テレビでご覧になった方も多いと思う。
彼が提唱するのは「ピュアトーン」。つまりビブラートを掛けないで演奏する方法である。このことによりハーモニーが純正調で響きやすいというのが彼の理論である。いわゆるピリオド奏法の一種である。

ピリオド奏法を自負する割には楽譜なんかには非常に無頓着である。最新のベーレンライターなどは使っていないらしい。
そのかわり仕掛けが沢山ある。
楽譜にはないところに随所に強調があったりする。とにかく聞いていて飽きることがない。
楽器ではトランペットやティンパニはバロックの楽器を使っているうえに、かなり強奏、強打である。
繰り返しは完全実施。楽譜どおりである。
そしてテンポが速い速い。8番の4楽章など冗談では?という速さだ。

ノリントンは何年か前に実演に接したが、非常におもろいおっさんであった。運命の1楽章の終わりにジャンという音と共に客席をクルリと振り返り「どうだ!」と言わんばかりの表情で、客席の笑いと拍手を取ったりしていた。アンコールが始まる前、くしゃみをしたおじさんの方を向いて、「シーッ!」とやったりしていたのを思い出す。

とにかく面白いんで一度聞いてみてください。その他の交響曲のCDもオススメです。

spanishtk at 20:32|Permalink CD 

2006年12月09日

施設改修

最近、様々なコンサートホールの改修が行われている。

バブル期に雨後の筍のごとく、全国各地にコンサートホールが作られた。今、全国各地には大変立派なホールが沢山ある。

私が行った事ある地方のホールでは、札幌のkitara。あそこは本当に素晴らしいホール。内装も音響もすごい。他には、昨年演奏旅行で行った福井のハーモニーホールふくい。ここも素晴らしい。その他に行った事はないが新潟のりゅーとぴあ、岡山のシンフォニーホール、岩国のシンフォニア岩国など。九州にも宮崎や熊本の芸術劇場が素晴らしいらしい。わが滋賀県にはもちろんびわ湖ホールがある。

そんな各地のホール、特にバブル期に計画されたてられたホールが、今開館から15〜20年経ち、改修の時期となっている。

東京ではサントリーホールが4月から3ヶ月間休館する。そのため首都圏のオーケストラの演奏会は都内の他の会場に移動することとなった。大阪ではあまり影響がないが、ザ・シンフォニーホールが8月に1ヶ月休館する。愛知の愛知県立芸術劇場も来年12月に1ヶ月休館するらしい。

我々に関係するところで大問題なのが大津市民会館。ここはバリアフリーとアスベスト除去のため4月から年内いっぱい休館する。これにより県内の音楽団体のみならず、様々な団体が会場の確保に苦労している。東京とは違い、滋賀県の場合、同程度のキャパシティを持った会場は限られている。わがオーケストラもなんとか2回の公演会場を確保することが出来たが、日程の希望は満たされなかった。

コンサートホールはそのほとんどが公営であるから、市民の税金が投入された立派な公共財である。長く使っていくためにはもちろん維持管理、補修が必要である。そのために休館することは仕方のないことだが、どのホールも改修後はさらに使いやすいホールとなっていることが望まれるのは言うまでもないだろう。

各ホールの改修後の姿に期待したい。

spanishtk at 19:46|Permalink

2006年12月07日

のだめ現象

録音の話から少し脱線。

今朝の朝日新聞の文化欄に現在大ヒット中の「のだめカンタービレ」について特集が組まれていた。

なんでも東京のオーケストラの定期公演が軒並み満席になっているらしい。流行りもの好きの日本人の性格か、いままでオーケストラを生で聴いたことのない人たちが、のだめを見てオケの演奏会に行ってみようということらしい。

アマチュアのオーケストラではなくプロのオケに聞きに行っているというのがミソ。つまりのだめたちの舞台である音楽大学(現在放映中のドラマでは。原作ではのだめも千秋も現在海外に留学中)を卒業したプレイヤーたちが集まるプロのオーケストラというのはどんなもんなんだ?という好奇心からのようだ。われわれアマチュアのオーケストラにもこの影響が波及するといいのだが。果たしてどうだろうか。

CDもものすごく売れている。ドラマで使われている曲の問い合わせがとても多いそうだ。凄いのは実在しない千秋が振っているオーケストラのCDが売れていること。いったい誰が振って、誰が弾いてるオーケストラなんだ?

ドラマは年末で終了するが、来年からはアニメ化されるという話である。この現象が一時的なものでなく、クラシックを聞く人が増えるいいきっかけとなればいいのだが。。。

偶然なんだが、うちのオーケストラは次回、のだめのテーマ曲ベートーヴェンの7番の交響曲を演奏します!

spanishtk at 20:02|Permalink オーケストラ 

2006年12月05日

録音という行為について <CD編2>

録音をしないアーティストがいる。

代表的なのはチェリビダッケ。

音楽は瞬間芸術だとよく言われる。チェリビダッケの信念は、音楽はその場、その時により違うものであるから、それを違う空間でもう一度聞くことは、もう音楽ではない、そんなものは芸術ではないという考え方。僕はその考えに共感できる。現場の人、芸の人間らしい信念だ。

もう一方でレコード芸術(←こういうタイトルの雑誌があるが)という考え方もある。チェリビダッケのライバル、カラヤンはその道で極めた人であった。実演というものはチェリビダッケの言うようにその瞬間しか共有できないものである。しかしそれゆえに、完璧な演奏は究極的に言うと本番では存在しないといっても言いだろう。本番には魔物がすむというが、練習と違った緊張感の中、素晴らしい演奏ができる場合もあるし、出来ない場合もある。お客様がくしゃみをしたり、咳をしたりするかもしれないし、何が起こるかわからないものである。

カラヤンは自らの演奏の美学、理想を求めるため、録音という行為にこだわったんだと思う。確かにカラヤンは帝王といわれ、録音による莫大な収入を得た。それは結果としての話で、収入を得るために録音を行ったというわけではない気がする。

チェリビダッケ、カラヤン、共に芸術家として優れた功績を残した。
どちらの考え方が正しいかは分からない。僕は両方正しいと思う。

現在、クラシックのCDはほとんどがいわゆるライブ録音のものだ。録音にかかる経費が非常に安くなるからだ。ライブ録音の反対はセッション録音だが、これは非常に時間とお金がかかる。カラヤンの録音はほとんどがセッション録音である。チェリビダッケの録音は、彼が亡くなってから息子さんの手により沢山の放送音源がCD化され発売された。(そのことに関しては、賛否両論さまざまだ)

ライブ録音は、録音に対する考え方としてはチェリビダッケとカラヤンのちょうど中間のような気がする。二人が生きていたらどんな風に思うだろうか。。。

spanishtk at 15:51|Permalink CD 

2006年12月01日

録音という行為について <CD編1>

音楽を愛する人々にとってCDは欠かすことが出来ない存在となっている。名演奏家のCDを聞くことは多くの音楽愛好家の方々の趣味でもあるし、癒しの時間でもある。

我々音楽に携わっている者たちにとっても、CDは大変貴重な存在だ。他の演奏家の演奏は参考になるし、勉強になる。しかし有益な部分もある一方、有害な部分もあるといえる。それはそのCDの演奏がどうしても自分の演奏に影響してしまうからだ。

初めての曲を演奏するとき、本当はCDを聞かないで、楽譜を読んでアナリーゼ(分析)した結果として演奏するのが本筋ではあるが、参考演奏としてCDをどうしても聞いてしまうことが多い。特に自ら音を出さない指揮者にとって、CDを聞いて勉強することはたまらない誘惑である。

ある本で読んだ記憶があるが、指揮者の練習とは家でいかにスコア(総譜)と向き合い、頭の中で楽譜の音を鳴らし、自分の演奏を作っていくかという作業にある。実際のオーケストラとの練習はいわばその練習の成果を発表する場であるという。それはまったくその通りなんであるが、頭の中で楽譜を、オーケストラを鳴らすという作業はとてもつらくしんどい作業だ。スコアの勉強。これが指揮者の仕事の大半であるといってもいい。

テレビや本などでもよく紹介されていることだが、日本を代表する、いや世界を代表する指揮者の一人である小澤征爾さんは、毎朝必ず4時に起きて3時間は勉強されているらしい。前夜遅くまで飲み会であってもだ。そうした自らに課する鍛錬、勉強、苦労の末にあのような世界的な指揮者になられたのだ。誠に感服する次第である。とても真似できないことだと思う。聞くところによると練習も本番も完全に暗譜で、練習番号まで覚えておられるという話だ。

私も出来るだけこれから演奏する曲はCDに頼らず一生懸命勉強しようと思う。でもCD聞いちゃうんだよな〜。

spanishtk at 18:06|Permalink 練習