July 12, 2008
映画評論家 荻昌弘
1988年7月・・僕は血が凍る思いをした。まさか・・と。
早いもので、あれからもう20年の歳月が流れたんだ・・・荻昌弘が逝ってしまってから・・・
僕の唯一の趣味は映画鑑賞である。最近は、あまり映画は見ていないが、かつては週に2〜3回は映画館に通っていた。映画の魅力に取りつかれていた。子どもの頃から映画は好きだったけれども、僕が心から好きになっていったのは、多分に映画評論家の語り口に影響されているところがある。
映画評論家といえば、淀川さん・・が浮かんでくる。確かに、僕は淀川長治ラジオ名画劇場を欠かさず聴いていたし、淀川さんから映画を学んだことは事実である。
でも、僕が最も影響を受け、尊敬していたのは荻さんだった。映画雑誌の「キネマ旬報」、「スクリーン」、「ロードショー」などに書く荻さんの映画評論を教科書のようにして読んでいた。新作の映画が封切られるとき、荻さんは何と言っているのだろうか・・・と気になる。荻さんはどう見ているのだろうか・・。そして、映画をじっさいに自分の眼で見ていた。
荻さんの見方に感化されたのかもしれないが、僕の映画の見た印象と荻さんの見方は近いように感じていた。映画の見方のフィーリングという点もあるのかもしれない。
僕が荻さんの映画評論を愛したのは、荻さんは映画を「映画」という枠だけに縛り付けないで、広い視野で見ていたからである。
映画は社会を映し出す鏡のようなものである。荻さんは、映画を通して、たとえばアメリカの社会や文化を映画評論のなかで紹介することを得意としていた。アメリカだけでなく、さまざまな国の話を映画評論のなかに織り込んでいたのである。たとえば、アンジェ・ワイダの「ダントン」でポーランドの政治状況を語っていた。文学や他の芸術の話、料理、旅行、オーディオの話も得意としていて、そういう視点を映画評論のなかに生かしていた。
荻昌弘の映画評論は都会的ではあるが、知的に偏って気どりすぎている、という悪口を聞いたことがある。でも、映画俳優のゴシップのような映画解説には僕は全く興味はない。
僕が荻さんの映画評論が好きだったのは、知的な面もあるけれども、荻さんが映画を心から愛しており、あんなオジサンであるくせに子どものようにファンタジー好きで、また、ヒューマニズムを信条としていた点である。
僕が映画を最も見ていた大学生のとき・・・その時の大ヒット作は「ET」だった。この作品は本当に素晴らしい映画で、僕は熱狂的なファンなのだけれども、映画評論家の映画の見方を試すような作品でもあった。
この映画、アメリカで大ヒットし、日本に上陸しようとしていたとき(1982年12月)、天下の朝日新聞が「ET」批判を行った。「ET」はお子様ランチにすぎない、子ども子どもした観客を喜ばせるだけの作品だ・・と。
この朝日新聞評に対して、同調する映画評論家、映画人、文化人もいたが、「とんでもない、あの映画の良さをまるでわかっていない」とまっこうから反対する者もいた。これが「ET」論争と言われているものだ。
いまから思えば、論争すること自体が、滑稽であるけれども、その時はそれ程、映画「ET」はホットで、人を惹き付ける力をもっていたのである。
あの時、荻さんはと言えば、「ET」の熱烈な支持者だった。若い頃みたジョン・フォードの「駅馬車」の熱い思いが蘇ってきたと言う。さらに、自分が映画評論の仕事をしていてよかった・・とまで言った。
対照的なのは、水野晴郎さんだった。水野さんは「ET」は、皆が言う程の映画ではない、単なる万人むけの娯楽映画にすぎない、と言っていた。僕は水野さんの映画評論は好きだし、批判するわけではない。ただ、映画の見方を、荻さんとの対照として引き合いにだしたわけ。
水野さんが映画「ET」に疑問を持つのは、あの映画、子どもたち(エリオットら兄弟)は「ET」を玩具扱いしているように見える、とのこと。動物か何か、、、子どもの癒しの道具のようであるし、ET自体の描き方も・・どうなのか・・という。
なる程、そういうふうな見方もあるのか、とあらためて見てみたが、無理にそう見れば見えないこともないが、僕はそういう見方はできないな・・と感じていた。ある時、僕があまりにも「ET」に夢中になっているので、他学部の先輩が、映画「ET」がどんなものか知りたいので、いっしょに見に行こうと言い出した。僕はそれに応じて、また見に行った。
その先輩は、同じ大学だったが、僕より2学年先輩で、社会福祉学科だった。ちなみに、僕は経済学科だった。帰り、喫茶店で感想を話した。先輩は「失望させられた」と言った。ETが馬鹿みたいに描かれているし、子どもがオモチャにしている・・・・・・。
驚いたことに、水野さんと、まったく同じこと・・まるで水野さんの映画評論を受け売りしているかのように・・・言った。これには、僕も驚いた。
映画「ET」は、リトマス試験紙みたいだな、と思った。この映画にまつわる話は、まだほかにもあるが・・それはまた別の機会として・・今日は荻さんの映画の見方を中心に考えてみたいわけだが・・
荻さんは、純粋に「ET」の世界に入り込んで見たようである。荻さんは映画を知的に分析したりするのが好きな一方で、ファンタジー、ヒューマニズムを愛する立場で見ようとする。夢を信じたい、という気持ちがあるのである。僕は、この見方は好きだ。人間をどこかで、信じたい、人間の性が善である、ということを。しかし、これは映画という夢の道具のなかで、夢を見ているにすぎないのかもしれない。
水野さんは冷静に映画を見ているかな、と思う。現実を冷静に受け止めているのだと思う。あの時、先輩もそういう見方をしていたのだな、と思った。
荻さんはヒューマニストである。というのは、良い表現かどうか疑問だが、少なくとも僕はそう感じる。荻さんのヒューマニズムというのを一番、感じたのは「エレファントマン」の映画評だった。いまは手元にこの評論がないので、確かなことは言えないけれども、僕はあのとき、荻さんの映画評のおかげで「エレファントマン」を何倍も良きテキストとして学びとることができた。
映画の見方というのは、すなわち、人間の見方、社会の見方のことなのかもしれない。人生観、世界観とかっこよく言えるだろう。
今日よりも明日・・人は成長していくもの。僕は映画に向かうとき、自分は映画をどう見るかということ・・・まるで自分自身を見つめるような感覚、不思議な気持ちにとらわれる。これが、荻さんの贈り物なのかもしれない。
新しい映画に向かうとき・・荻さんなら、この映画、何て言うだろうか・・と亡くなって20年・・いまもいつもそう思うのである。
早いもので、あれからもう20年の歳月が流れたんだ・・・荻昌弘が逝ってしまってから・・・
僕の唯一の趣味は映画鑑賞である。最近は、あまり映画は見ていないが、かつては週に2〜3回は映画館に通っていた。映画の魅力に取りつかれていた。子どもの頃から映画は好きだったけれども、僕が心から好きになっていったのは、多分に映画評論家の語り口に影響されているところがある。
映画評論家といえば、淀川さん・・が浮かんでくる。確かに、僕は淀川長治ラジオ名画劇場を欠かさず聴いていたし、淀川さんから映画を学んだことは事実である。
でも、僕が最も影響を受け、尊敬していたのは荻さんだった。映画雑誌の「キネマ旬報」、「スクリーン」、「ロードショー」などに書く荻さんの映画評論を教科書のようにして読んでいた。新作の映画が封切られるとき、荻さんは何と言っているのだろうか・・・と気になる。荻さんはどう見ているのだろうか・・。そして、映画をじっさいに自分の眼で見ていた。
荻さんの見方に感化されたのかもしれないが、僕の映画の見た印象と荻さんの見方は近いように感じていた。映画の見方のフィーリングという点もあるのかもしれない。
僕が荻さんの映画評論を愛したのは、荻さんは映画を「映画」という枠だけに縛り付けないで、広い視野で見ていたからである。
映画は社会を映し出す鏡のようなものである。荻さんは、映画を通して、たとえばアメリカの社会や文化を映画評論のなかで紹介することを得意としていた。アメリカだけでなく、さまざまな国の話を映画評論のなかに織り込んでいたのである。たとえば、アンジェ・ワイダの「ダントン」でポーランドの政治状況を語っていた。文学や他の芸術の話、料理、旅行、オーディオの話も得意としていて、そういう視点を映画評論のなかに生かしていた。
荻昌弘の映画評論は都会的ではあるが、知的に偏って気どりすぎている、という悪口を聞いたことがある。でも、映画俳優のゴシップのような映画解説には僕は全く興味はない。
僕が荻さんの映画評論が好きだったのは、知的な面もあるけれども、荻さんが映画を心から愛しており、あんなオジサンであるくせに子どものようにファンタジー好きで、また、ヒューマニズムを信条としていた点である。
僕が映画を最も見ていた大学生のとき・・・その時の大ヒット作は「ET」だった。この作品は本当に素晴らしい映画で、僕は熱狂的なファンなのだけれども、映画評論家の映画の見方を試すような作品でもあった。
この映画、アメリカで大ヒットし、日本に上陸しようとしていたとき(1982年12月)、天下の朝日新聞が「ET」批判を行った。「ET」はお子様ランチにすぎない、子ども子どもした観客を喜ばせるだけの作品だ・・と。
この朝日新聞評に対して、同調する映画評論家、映画人、文化人もいたが、「とんでもない、あの映画の良さをまるでわかっていない」とまっこうから反対する者もいた。これが「ET」論争と言われているものだ。
いまから思えば、論争すること自体が、滑稽であるけれども、その時はそれ程、映画「ET」はホットで、人を惹き付ける力をもっていたのである。
あの時、荻さんはと言えば、「ET」の熱烈な支持者だった。若い頃みたジョン・フォードの「駅馬車」の熱い思いが蘇ってきたと言う。さらに、自分が映画評論の仕事をしていてよかった・・とまで言った。
対照的なのは、水野晴郎さんだった。水野さんは「ET」は、皆が言う程の映画ではない、単なる万人むけの娯楽映画にすぎない、と言っていた。僕は水野さんの映画評論は好きだし、批判するわけではない。ただ、映画の見方を、荻さんとの対照として引き合いにだしたわけ。
水野さんが映画「ET」に疑問を持つのは、あの映画、子どもたち(エリオットら兄弟)は「ET」を玩具扱いしているように見える、とのこと。動物か何か、、、子どもの癒しの道具のようであるし、ET自体の描き方も・・どうなのか・・という。
なる程、そういうふうな見方もあるのか、とあらためて見てみたが、無理にそう見れば見えないこともないが、僕はそういう見方はできないな・・と感じていた。ある時、僕があまりにも「ET」に夢中になっているので、他学部の先輩が、映画「ET」がどんなものか知りたいので、いっしょに見に行こうと言い出した。僕はそれに応じて、また見に行った。
その先輩は、同じ大学だったが、僕より2学年先輩で、社会福祉学科だった。ちなみに、僕は経済学科だった。帰り、喫茶店で感想を話した。先輩は「失望させられた」と言った。ETが馬鹿みたいに描かれているし、子どもがオモチャにしている・・・・・・。
驚いたことに、水野さんと、まったく同じこと・・まるで水野さんの映画評論を受け売りしているかのように・・・言った。これには、僕も驚いた。
映画「ET」は、リトマス試験紙みたいだな、と思った。この映画にまつわる話は、まだほかにもあるが・・それはまた別の機会として・・今日は荻さんの映画の見方を中心に考えてみたいわけだが・・
荻さんは、純粋に「ET」の世界に入り込んで見たようである。荻さんは映画を知的に分析したりするのが好きな一方で、ファンタジー、ヒューマニズムを愛する立場で見ようとする。夢を信じたい、という気持ちがあるのである。僕は、この見方は好きだ。人間をどこかで、信じたい、人間の性が善である、ということを。しかし、これは映画という夢の道具のなかで、夢を見ているにすぎないのかもしれない。
水野さんは冷静に映画を見ているかな、と思う。現実を冷静に受け止めているのだと思う。あの時、先輩もそういう見方をしていたのだな、と思った。
荻さんはヒューマニストである。というのは、良い表現かどうか疑問だが、少なくとも僕はそう感じる。荻さんのヒューマニズムというのを一番、感じたのは「エレファントマン」の映画評だった。いまは手元にこの評論がないので、確かなことは言えないけれども、僕はあのとき、荻さんの映画評のおかげで「エレファントマン」を何倍も良きテキストとして学びとることができた。
映画の見方というのは、すなわち、人間の見方、社会の見方のことなのかもしれない。人生観、世界観とかっこよく言えるだろう。
今日よりも明日・・人は成長していくもの。僕は映画に向かうとき、自分は映画をどう見るかということ・・・まるで自分自身を見つめるような感覚、不思議な気持ちにとらわれる。これが、荻さんの贈り物なのかもしれない。
新しい映画に向かうとき・・荻さんなら、この映画、何て言うだろうか・・と亡くなって20年・・いまもいつもそう思うのである。
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