2005年03月10日

てるりん氏 永眠

OTVニュースより

沖縄を代表する漫談家で“てるりん”の愛称で親しまれてきた照屋林助さんが、今日未明、入院先の病院で亡くなりました。75歳でした。

 照屋林助さんは、沖縄戦から間もない1950年代一世を風靡したワタブーショウで沖縄中を笑いの渦に巻き込みました。沖縄民謡にエレキギターなどをとりいれるなど、独自の世界を創り上げた照屋さん漫談、様々な物を混ぜ合わせるそのスタイルは「チャンプラリズム」とも呼ばれ、その後の沖縄音楽や芸能界に影響を与えました。てるりんの愛称で親しまれ、地域おこしのためコザ独立国の大統領に就任するなど幅広く活躍していました。照屋林助さんは糖尿病のため入院していましたが、合併症から肺炎を患い、今日午前2時30分に亡くなりました。


店主はテルリンさんの唄や漫談にはあまり馴染みがないんですが
その独特の風貌と名前はよく耳にしました。

ご冥福をお祈りいたします

spiceherb at 17:52│Comments(4)TrackBack(8)沖縄ニュース 

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沖縄にはじめた頃、沖縄芸能を調べていると「照屋林助」という人にぶつかった。 内地ではこちらの方が有名だと思うがりんけんバンドで有名な「照屋林賢」さんのお父さんである。 画像を見た時にビックリ、「この人ってポリポリカインポリカインの人や〜〜〜!!!」。 でも周
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この記事へのコメント

1. Posted by hiro   2005年03月10日 18:35
残念です。
CD聴いていてもサッパリわからないで、
照屋林助さんの著書が僕との接点でした。
コザににドンと根を下ろし、
そこから広い視点で沖縄の大和の世界の将来を見据えていた人だと思います。

照屋林助さんの、戦争に打ちひしがれた沖縄を
「さー命のお祝いをしましょう」
「生きている人が楽しむのが 無くなった人の願いでもあるんだ」
と、師匠の与那覇舞天さんと沖縄の家庭を
笑いを振りまいて歩いたというエピソーは有名です。
死ぬまでその時の精神を保ち続け、
反戦の思いとよりよい人類の未来への願いの思いを、
ユーモアにつつみんだ言葉や歌で発進し続けたひとだと思います。
面白さや奇抜さの裏にある照屋林助さんの思想が、
その唄三線と同じくらい、
沖縄の宝物としてますます輝いていくことを願います。

2. Posted by ごんぞ   2005年03月10日 18:41
偉大な方でした。尊敬しております。
氏が作られた名曲の数々。誠小さんとの「ヒヤミカチ」の発掘も。
今夜は「Howling Wolf」でも聞いてご冥福をお祈りしたいと思います。

「道具の美らさ」今年の課題曲の一つにしたいと思います。
3. Posted by 店主   2005年03月15日 15:02
以前、沖縄島唄という番組でてるりんさんの講座
をやっていました。
ああいう漫談風ライブをずっとコザでやってたんだなぁ
と感心しました。

有る意味島唄を唄っている人よりも伝道師としての
役目を果たしてきた巨人なんでしょうねぇ。

道具の美らさ。ごんぞさん聞かせてください
4. Posted by かず@神戸っ子   2005年03月15日 18:39
なにかビビっと感じるものがあって方言が良くわからないなりにCDを買って漫談を聞いたりしてまして。
てるりん館での授業も一度だけ。
普通に島唄をやっている方よりもある意味偉大だったと思います。
冥福をお祈りします。

p.s. hiroさん
与那覇じゃなくて小那覇さんです (^^;

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