January 23, 2007

恋する気持ちは、誰よりも一流だ。

放課後の音符
            山田詠美著・角川文庫



〜それから、時間をたよりにする方法ってのもある。苦しかったり、悔しかったり、悲しかったり色々な感情が心の中を行ったり来たりするにまかせて、じっと待つ。心を痛めつける感情の糸が絡み合っているのを時間の河に流してあげるのだ。そうすると、段々、そういうものがほどけて行く。そうすると、大好きな男の子は、かつて大好きだったただの人になる。あんなに好きだった人がただの人になってしまうのjはせつないけれど、でも、その内に、新しい男の子が特別な人として、心の中に入り込む。〜   『放課後の音符』 

              山田詠美著・角川文庫

私がお気に入りのアクセサリーのように大切にしているのが、この本である。
この本を読むと、放課後の図書館での時間とか、真夏の素足の感触とか、初めて香水をつけたときのこととか、夏休みにカフェで飲んだ冷たい飲み物のこととか、西日がさしこむ教室の情景などを切なくを思い出す。多分、50代になっても60代になっても、もう年齢不詳のただのおばあちゃんになったって、今とおんなじように切なく思い出すだろうと思う。
1988年のOlive、この雑誌の後の見開きの2ページ、月に2回の連載小説、それが「放課後の音符(キイノート)だった。添えられた写真はいまいちだったけれど、山田詠美の文章は最高にゴージャスだった。
「今の世の中に少女小説というものがあって、本屋さんにいくと、バニラの匂いのするようなピンクピンクだらけの、隣の本との区別がつかない少女小説の群れがありますが、本当の少女小説というのは、こういう小説なのです」って、氷室冴子さんが解説に書いているけれど、この本の中でキラキラ輝いている女の子たちは、カナもマリもヒミコもユリも、みんな自分のスタイルや儀式を持っていて、一人でいる時間の大切さもちゃんと知っている女の子たち。
彼女たちに触れると私はいつも、スリップ一枚で立ったまま牛乳を飲み、パンを齧っていても品格を感じさせた麻矢(『ボッティチェリの扉』に登場する女の子)を思い出し、ああ、森茉莉さんにこの本を読んでもらいたかったなあ、と思ったりもする。

その後、この本が単行本になり、文庫化された。オリーブで読んでいても単行本を買いたかったし、文庫になってもやっぱりその文庫を買いたかった。そして今、私の書棚の中には三種類の『放課後の音符』がある。山田詠美のあとがきも、氷室冴子さんの解説までがキラキラ光っていて、私はこの本を開くたびに、大切な宝石をひとつだけ身につけた時のように、シンプルだけど最高に贅沢な気分になる。



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spicy_girly_books at 09:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!80's | 山田詠美

January 19, 2007

葉書はサッと書く

葉書はサッと書く
            清川 妙著 講談社+α新書 2000年

何と心に響くタイトルだろう。そう思って手に取ったのがこの本。まえがきにも「私は葉書をサッと書く。ほとんどの場合、うてば響くように書く。また、その内容も、形式にこだわらず、簡潔に素直に自由に書く。それもサッと書く、ということになろう」とある。これこそ、私が真似したいことそのもの。まさしくうてば響くようなメッセージである。
仕事がら人に会うことが多く、また、手紙や葉書をもらうことも多い。そういうときにサッと葉書が書けたらどんなにいいだろうと思う。なのに、書こう書こうと思っているうちに日が過ぎてしまい、タイミングを逃すことが多い。あるいは、書こうと思っているときに限って万年筆が見当たらなかったり、タイミングよく書くことができても、今度はポストが遠かったり。そのうちバッグの中でくしゃくしゃになってしまって、結局出せないことも多い。はたまた、出したのか出さなかったのかさえ、分からなくなって来たり。私の場合、こんな風なので、この本のタイトルが心に響いたのである。
だが、私の父は葉書をサッと書く人である。何かの連絡事、お礼状・・・父はその日のうちにサッと書き上げて、サッとポストに投函する。その姿を見て育ったのに、私はこのていたらくである。
そして、実際に書こうとすると、こう書こうという思いばかりが先行して、すてきな葉書をサッと書くということは一朝一夕には身につかないなあ、と実感する。それでも葉書に向っていると、相手の顔を思い浮かべたり、嬉しい気持ちが心に再び湧き起こって来る。葉書を書くということはこういう気分を反芻することでもあるのだということを発見した。
この本はサイズもちょうどよく、サッと開いて、著者のメッセージを受け取ることが出来る。
☆○○さん、と相手への呼びかけで書き出すことはおすすめの方法である
☆いい手紙とは相手に喜びを贈る手紙である
☆お礼状のテーマとなるのは、愛でる、感謝する、という心
☆やさしく、相手を思いやりながら、ていねいに、そして、うてば響くように
今年こそ、「葉書はサッと書く」毎日にしたい。


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spicy_girly_books at 10:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!21c | 清川妙

January 18, 2007

燃えるゴミと燃えないゴミを徹底的に区分けして出さずにはおれない市松模様のような性分  〜姫野カオルコ〜

すべての女は痩せすぎである 新説・美人論
            姫野カオルコ著・大和出版刊 2000年

初めて読んだこの著者の本がこれ。面白かった。内容も面白いのだが、こちらの気分にピタリと着地する表現が随所にあって、それが気持ちよかった。
たとえばこんな表現。「燃えるゴミと燃えないゴミを徹底的に区分けして出さずにはおれない市松模様のような性分は、ときとして失礼になるのだ。しぼり染めのようなファジーな感覚を体得したいものではある」。ふーむ、とうなってしまうような素晴らしい表現である。これまでここに書かれているようなことが気分としてはありながら、ピッタリくる言葉を持たなかった私は、しめしめ、これからはこの言い方が使えるわ、と大いに満足したのである。
余談だが、私の姪が、レストランではっきりとクレームをつけた母親を称して、「ママはハキハキした性格やから」と私に言った。きつい、こわい、では剣がある。そこで子どもなりに考えて「ハキハキ」と表現したのだが、私はこの言い方が気に入って、何かというと「ママはハキハキした性格やからね」と利用させてもらったものである。
さて、この本の中には、美人だ、痩せている、ハンサムだ(これって死語?)、太っている、京美人・・・・など、大抵の人が何となくそう思っていながら、じゃあその基準は何? と問われると、やっぱり「何となく」としか答えられないファジーな基準が取り上げられている。これらの言葉か邇vい浮かべるイメージというものはあるが、一体何を基準にして美人だったり、痩せていたりするのだろうか、と考えるとはて? と思うものが次々に登場する。
冒頭に登場する京美人。この言葉からイメージするのは、色が白くて和服を着ている、そして、OOどすえ、と喋る女性。だが、姫野さんはこんな京都出身・京都育ちの女性についぞ会ったことがないと書いている。しかも「杉本彩のような洋服を着て、由美かおるのようにモダンバレエでくのいちをして、大信田礼子のようにプレイガールにならんとあかへんがな、ほれ」とつっこみまで入れている(3人とも京都出身である)。
そう言えば、京都生まれ、京都育ちの私の友人は、京都出身者でないにもかかわらず、着物姿で、いかにも京都人どす、というような顔をしてマスコミに登場する人を見ると「けっ」と怒り、「私の目の黒いうちはあの人を京都人やなんて認めへん」と怒っている。その度に、まあまあ、となだめる私である。
この本があんまり面白かったのでついつい余談が多くなってしまったが、いちばん気に入ったのは、「彼の声」の章。彼とは吉行淳之介である。これは高校生の頃、吉行淳之介と電話で話していたという話なのである。書かれていることはとっても面白かったのだが、吉行淳之介の声を聞いたことがあるような気持ちにもなって、ちょっぴり切ない気持ちになった私である。
最後に。「総理大臣は顔で選べ」と言ったことを姫野さんは反省しているが、森茉莉さんは「首相になるような人はもうちょっとどうにかした顔でないと困る」と堂々と書いている。もちろん私だってそう思っている。バチがあたったらどうしよう。
*その後、「愛は勝つ、もんか」「みんな、どうして結婚してゆくのだろう」「恋愛できない食物群」など、姫野さんの著書を何冊か読んだが、どれも痛快な面白さだった。くせになりそう。そして、くせになった。


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spicy_girly_books at 09:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!21c | 姫野カオルコ

January 17, 2007

Mon Oncle de Tokyo 伯父さんは、「伯父さんの好きなことは何かナ」ということを考えている。

ぼくの伯父さんの東京案内
      沼田元氣著・求龍堂刊 1800円 特装本 限定300部 8000円 2000年


沼田元気左の写真は特装本。箱に本と付録が入っている。 ふろく目録 1.ぼくの伯父さんのオリジナル・プリント一葉 2.ぼくの伯父さんのマスコット人形一体 3.ぼくの伯父さんの展覧会カタログ一部 4.ぼくの伯父さんの喫茶店絵皿&カップ一組 5.ぼくの伯父さんの切手シール一枚 6.ぼくの伯父さんの手提袋一袋 もう楽しいったら! 私の本には沼田元氣のサインと028/300というシリアルナンバーが入っている。





友人二人と百万遍の「駸々堂」に行き、お気に入りのカフェで珈琲を飲みながら、今日の戦利品についてあれこれ喋っていた。この日の3人の話題はもっぱら沼田元氣。まあ、私自身がこの本を読み終えたばかりで、そしていたく気に入ったものだからその話題をふっかけた訳なのだが、二人とも「福音館書店の雑誌に連載されていた盆栽の絵本を知っている!」とか「ダリのような髭をつけた沼田元氣の写真を見た事がある」とか「ソトコトという雑誌に沼田元氣の付録がついているのを知ってる? その付録というのが非実用的で、もっと実用的な付録にして欲しいなんて投稿が来ている位なのだけど、やっぱり毎号非実用的で・・・」なんて、みんな愛すべき沼田元氣情報を持っていて、とても楽しかった。関西の街の片隅のカフェでこんなに盛り上ったのだから、全国には彼のファンはさぞかし、であろう。
ところでこの『ぼくの伯父さんの東京案内』は、こんな風にお気に入りの書店とかカフェとかで過ごす延長線上にある、ひどく嗜好性の強い本である。
伯父さんは「伯父さんの好きなことは何かナ」ということをいつも考えている。伯父さんは非常に忙しいが、それは仕事に多忙を極めている訳ではなく、いつ終わるともしれない非生産的私事に忙しい。また、伯父さんはお買い物が大好きである。「銀座にでも行こうかナ」と呟いた伯父さんは一澤帆布製のズタ袋を用意して、下町に点在する小さな商店街の銀座に出かける。伯父さんはささいなことでしょぼくれて元気のない時にもお買い物に出かける。すると15分もすればウキウキと足取りも軽くなってくる。伯父さんにとってこうしたお買い物は「商店散歩セラピィ」なのである。
また、ある時、伯父さんは神田神保町に向かう。この街は、自分ちのいわば庭である。古本屋は自分ちの書斎である。安くて旨い定食屋やそば屋は、自分ちの食堂である。喫茶店は自分ちの応接間である。しかも珈琲一杯の値段で、ウエイトレスは自分の召使いだと思っている。そして、考え事をする為の公園や坂道は、自分ちの別棟だと思っている。こんな風に伯父さんは、何とも天晴れな愛すべき人物である。
神保町に着いたらまずはお茶である。気持ちは古書市と古本屋に向いているのだが、そんなそぞろな気分を、伯父さんはお茶とケーキと自家製アイスクリームで落ち着かせる。お気に入りの「柏水堂」でのそんな時間は、伯父さんにとって「まさにおとぎの国のティーパーティー」である。だが、うっとりと憩っているのもつかの間、次々にやってくるお客の手に抱えられている古書店の包装紙を見つけると、自分の捜していたもの、欲しかったものが間一髪で誰かに買われてしまったのではないかと思い込み、さァてと、伯父さんは古書屋のパトロールに向かうのである。
とまあ、これは伯父さんの東京案内の一部を切り取っただけなのだが、各ページの上半分には伯父さんがカメラで切り取った東京の風景が続き、下半分には「伯父さんのコートのポケットから眺めた景色」や「伯父さんの並木道」「伯父さんの喫茶店」など、伯父さんがペンで綴った楽しい話が続く。
「人生の嗜好帖」と表紙で謳われているように、おいしいお茶を飲んだり、おいしいケーキを食べたり、おいしいチョコレートを齧ったり、お気に入りのカフェでお気に入りの本を開いている時のような心地いい時間が流れる一冊。
さァて、伯父さんを真似て散歩など。


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spicy_girly_books at 03:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!21c | 沼田元氣

January 16, 2007

外國のものが一さい来なくなるといふ時、銀座で買つたウビガンの香水をクッションにふりかけた。 

燈火節
        片山廣子著・月曜社刊・暮しの手帖社刊 1953年

燈火節







この本のことは熊井明子さんのエッセイ『私の部屋のポプリ』で知った。「二月、虹を織る」というタイトルを見た瞬間から、読みたくて読みたくて・・・。だが、昭和28年発行のこの本は絶版で入手不可能。古書店をのぞくたびに探してみたのだが、私には縁がなかったのか、全く出会うことなく何年かが過ぎていた。ところが、同じく熊井明子さんのエッセイの中にあった「年がら年中思っていれば何とかなるさ」の言葉通り、この本はある日突然、私の手元にやって来た。
大切に大切に頁をめくりながら読み進んで行くうちに、私は片山さんの「散歩」に魅せられてしまった。一足先に春秋の風が吹き、霜も雪も早く来るという武蔵野の季節の移り変わり、季節の空気や景色の中に現れる野菜や果物との出会い、6月の薔薇園、歌のお稽古や源氏物語の講義に通った神田小川町までの道、横浜の山の手・秋のたそがれの坂の景色・・・片山さんの文章を読んでいると、歩くということがとても美しい行為に私には思えて来るのである。
更に私は、「ぴんく色のびんばぶ(貧乏)」と「ウビガンの香水」という二つの言葉にも魅せられてしまった。
雑誌が買いたいけれど来月まで我慢する、お世話になった人に贈り物をしたいけれど買えない・・・こんな風に赤貧の境地にはずっと距離のある貧乏だから、ぴんく色の貧乏。このぴんく色の世界に住むことも随分苦しいけれど、「びんばぶといふものには或る楽しさがある。幸福という字も當てはまるかもしれない」と片山さんは書いておられる。何故なら、生きる喜びまでは失っていないから。
そして、ウビガンの香水。
あるとき、村里の小さな家で、降る雨を眺めながら乾杏子の甘みを味わっているうちに眠りに誘われた片山さんは、異国の宮殿の夢を見ていた。だが、目覚めてみれば、本の背の色の他は何の色もない部屋が何か物足りなく、一輪の花が欲しいと思った片山さんがしたこと。このことが香水壜の中にほのかに残る香りをのみこんだように、気持ちを酔わせる美しいフレーズで書かれている。
「私は小だんすの抽斗から古い香水を出した。外國のものが一さい来なくなるといふ時、銀座で買つたウビガンの香水だつた。ここ数年間、麻の手巾も香水も抽斗の底の方に眠つていたのだが、いまそのびんをの口を開けて古びたクツションに振りかけた。ほのかな静かな香りがして、どの花ともいひきれない香り、庭に消えてしまつた忘れな草の馨をきくやうな、ほのぼのとした空氣が部屋を包んだのである」
静かで奥ゆかしい言葉で虹を織るように綴られた随筆集である。

*『燈火節』は2004年、長く入手困難だった『燈火節』全編をはじめ、初期から晩年までの随筆・小説を網羅して、月曜社から発売された。



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spicy_girly_books at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!50's | 片山廣子

January 15, 2007

自分がタンポポの種子になったような気分よ。 〜プーキー〜

The Sterile cuckoo (邦題は『くちづけ』)
          ジョン・ニコルズ著 1965年刊


くちづけ














本にしても、映画にしても、私はどうも1960年代とか1970年代のものに惹かれる傾向があるようだ。そして、この本もその例にもれず、その1960年代のもの。私はこの本の主人公・プーキー、いつもとっぴなことばっかり言っているやせっぽちの女の子が大好き。
大学生だった頃の私は、主人公であるプーキーの考える人生をノートに書き写していたものだ。そして、講義の合間にそのノートを取り出しては、ぼんやり「人生」について考えたりしていた。

The trouble is, she said, that all good things in life take place in a minutes--I mean added up.
A dream, Grandpa Adams, Glorious beetles, bathtubs, falling in love.......I bet at the end of seventy years, should you live so long, you can probably sit down in a chair gnawing on your old apple and figure it out. You spent thirty-five years sleeping, five years going to the bathroom, nineteen years doing some kind of work you hated, eight thousand seven hundred and fifty-nine hours on the telephone, fifty-nine minutes blinking your eyes....

プーキーはこんな風にも言う。
「ねえ、ジェリー。どうして私はこの壜の薬を飲んで、死んで、天国に行って、天使かなにかになるわけにはいかないのかしら。どうしてプーキー・アダムスであることをやめて、ごく普通で、無邪気で、かわいくて、礼儀正しくて、幸せな人間になるわけにはいかないのかしら。どうして、硬貨1枚持って入って行っただけで幸福を三つ買える、幸せのお店がないのかしら?」
プーキーの言葉を自分の言葉に翻訳しながら、タンポポの綿毛のように行間に浮遊する生きるってことの「かけら」をキャッチしていた懐かしい時間──。
長いブランクの後、再び出会ったプーキー。彼女は今もやっぱり風変わりで、ヴィヴィッドな最高の女の子だ。



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spicy_girly_books at 18:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!60's | ジョン・ニコルズ