2008年07月27日

即興性とQTE、仕込みとコンピュータゲーム

記憶を失った暗殺者、ジェイソン・ボーンを主人公にした、映画『ボーン・アイデンティティー』をはじめとする、ジェイソン・ボーン3部作。

僕はこのシリーズが大好きなんですが、このシリーズの見所は、主人公ジェイソン・ボーンのアクションシーン。

一言で表現すると、「周囲の環境を駆使した即興性の高いアクション」。



映画の世界でもフォロワーをちらほら見かけるけど、「環境を駆使した即興性」といえばゲームデザインとしても旬なモチーフ。Splinter Cell: Convictionをはじめ、この映画にインスパイアされたと思われるゲームを、最近いくつか目にするようになった気がする。

で、そのものスバリこの映画をゲーム化した、The Bourne Conspiracyを遊んでみた。

要は映画のアレをどうやってゲームで再現するか、ということなんだけど、Conspiracyの場合は徹頭徹尾QTEを含むボタン入力で再現しようとしている。

【ニコニコ動画】【人間凶器】The Bourne Conspiracy : 1章-2/2【ジェイソン・ボーン】

もうちょっと端的に言うと、「仕込み」で「環境を駆使した即興性」を再現するゲームデザイン、ということです(ちょっと言葉に矛盾があるんだけど)。

それでConspiracyを実際触った感想なんだけど、悪くはないんだよね。QTEも。

QTEにも様々なバリエーション、随所に細やかな工夫が施されているし、何より映画のテンポ、スピード感を忠実に再現、体感させている点は、高く評価できると思う。

難航中、難産中のSplinter Cell: Convictionと比較してしまうと、ジェイソン・ボーンのゲーム化、「環境を駆使した即興性」をゲームに落とし込む方法論としては、このQTEを軸に据えたゲームデザインというのは、現実的な最適解なのかもしれないと、触ってみて思いましたよ。

そう、思った。思ったんだけどね、なんというか、こっちの方向(仕込み系)は何かが違うなーとも感じた。

急に話がでかくなりますが、最適解としてのスクリプト制御やQTEがいくら面白くても、コンピュータゲームとしては負けたんじゃないか、みたいな。

最近思うんだけど、フリーローミングやプロシージャル、AIによるプレイヤーのインタラクションに投げっぱなしの偶発的なゲームデザインというのは、コンピュータゲームとしては勝利と言えるんじゃないか、という気がしてるのですよ。

たとえ分が悪くても、僕がFar Cry 2やSplinter Cell: Convictionを応援する心情というのもそこにあって。 そんなもん次世代、二世代ぐらいあとでやれや、という意見もわかるんだけど、そこはやっぱロマンが先行してしまうというか。

あくまでも想像なんですが、人が演算を制御するところより、制御しないところにビデオゲームの魅力を感じるのが、次世代以降の新たな指針になるのではないだろうか。

「仕込み」の頂点である、CoDもHalf-Lifeも大好きだし、もちろん魅力も判っているつもりではあるんだけど、あのデザインがいくら進化しても、すごいと感じる脳の部位はきっとずっと一緒だと思うんだよね。たぶんCoD5やCoD6になっても、CoD4スゲーという快感と実はあんまり変わらない気がしてて。

もちろんCoDのように映画的な、人が感動を作り出すゲームというのは今後もあり続けて欲しいし、僕も追いかけ続けたいと思ってる。

FPSの「主観視点の物語り」は、VR的なデバイスの進化や、映画やテレビのようなコンテンツ産業を巻き込みながら、確実に進化していくと思うから。

ただ、それとは別な流れとして、人間がコンピュータと対峙するようなデザイン、そんなビデオゲームも同時に進化していってほしい、というのも僕の希望ということです。


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ノト at 15:03│TrackBack(0)

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