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サカナクション、2017年9月 6.1chサラウンド公演@幕張メッセに参戦して。

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2017年9月30日(土)に開催されたサカナクション「SAKANAQUARIUM2017 10th ANNIVERSARY Arena Session 6.1ch Sound Around」公演@幕張メッセに参戦してきた。(うっかり会場の写真を撮り損ねてしまったので、ファンクラブ会員限定プレゼントのピックキーホルダーを撮影。)本公演は10周年記念ツアーの追加公演で、タイトルにもあるように”6.1chサラウンドシステム”を導入してのライブであり、通常よりも臨場感のあるサウンドを楽しむことができる。また、今回は観覧場所によってチケットのグレードが異なるしくみになっており、特別席はファンクラブ会員限定で販売されていた。2016年のシングル「多分、風。」以降リリースがないにもかかわらず、幕張&大阪城ホール完売ということで、サカナクション人気は相変わらず健在。今やゼップクラスの箱ではCD先行でもチケットを取れず、ファンクラブの年会費会員でないと難しいのではないか。

サカナクションのチケットの取組についてはこちらの記事もどうぞ
【コラム】「チケット転売問題」解決に向けた動き(星野源・サカナクションを例に)

※大阪城ホール公演が控えているため、極力ネタバレをしないように書いてみたいと思うが、基本は既に行った人、行く予定のない人に見てほしい。”ネタバレNG!”と思われる方はこの先の閲覧をお控えいただいた方が良いと思う。

感想1 こだわりの6.1chサラウンド。赤字覚悟の出血大サービス!

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山口一郎は、音楽を創ることのみならず、音質や音響へのこだわりも非常に強く、「アンリアレイジ」ファッションショーのサウンドディレクションを務めた際に、”バイノーラル音源”を駆使した演出を披露したことでも話題となった。本公演では、通常よりもスピーカーの数を増設しているそうで、後方から前方に迫ってくるような音響や、より迫力のあるダイナミックな演出を楽しむことができた。サカナクションの楽曲以外の効果音的な”音”そのものも流れるのかなと思っていたら、予想通り流れた。これはものすごくお金がかかっているのだろう…と感じたがその通りのようで、山口一郎がMCで”赤字覚悟で…”と話していたのが印象的だった。利益・儲け主義ではなく、徹底的に内容の品質を追求する姿勢を見ると、”彼は本物のミュージシャンなのだな”と心から感じる。

感想2 ファッションにも注目!アーティスティックな人多し。

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サカナクションのファンはおしゃれな人が多い。ファン層は20~30代くらいが多く、中には小学生くらいの子どもを連れた親子連れの姿もあった(ファミリー席もある)。男女比は若干女性の方が多いかなといった感じ。女性は丈の長めのガウチョパンツやひざ下スカートを着ている人が多く、男性は黒のパンツスタイルが多かった印象。いずれにしても、ファッションアイテムのいずれかに”黒”を取り入れている人がほとんどで、靴やカバンの黒率が非常に高かった。それもそのはず、山口一郎自身がいつもだいたい黒いシャツ(かスウェットみたいな服)に黒いパンツというスタイルで、アート系・モード系ファッションを好んでいることからも、ファンも似たような雰囲気になるのは当たり前かもしれない。スペースシャワーTVの『サカナクションのNFパンチ』という番組内に、『NF将棋』というコーナーがあり、内容は”ある人のファッションを見て誰のファンなのか当てる”というクイズ対戦形式なのだが、ファッションと音楽の嗜好性の関連性を推察するのは面白いなと思って観ている。その他、キーボード岡崎英美の衣装があまりにも個性的で、MCでもつっこまれていたのが面白かった。

『NF将棋』の公式ページはこちら
→(HP)http://www.spaceshowertv.com/nfpunch/contents/nfshogi/
→(動画)https://www.youtube.com/watch?v=5PchCeKYnMk

感想3 プラネタリウムを思い出す!?”映像×ライブ”でこそ深く伝わる世界観

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今回の公演を観ていて、いくつかの楽曲で2016年に足を運んだ「グッドナイト・プラネタリウム」のことを思い出した。プラネタリウムで印象に残った2曲(白字→「シーラカンスと僕」「ユリイカ」)が本公演でも映像つきで披露され、”きっとあの2曲は映像と組み合わせる演出がベストな表現方法なのだろうな”と感じた。きっと山口一郎の中でもお気に入りの曲なのだと思うし、自身の内面の感覚に近いものがあるのではないかなと思う。「アイデンティティ」のように、とにかく盛り上がって叫んで踊れ―!みたいな曲もあれば、映像つきで世界観を楽しむ曲もあれば、DJスタイルで音楽に酔いしれる曲もあればといった感じで、曲によってベストな演出方法も異なるのだろう。

※プラネタリウム「グッドナイト・プラネタリウム」の感想記事はこちら
【サカナクション】グッドナイト・プラネタリウムに行ってきた!感想とネタバレ(曲名伏せ字)

感想4 シンプルだけど激しい光の演出!チカチカは結構勘弁…。

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サカナクションのライブには必ずDJコーナーがあり、以前は「moon」「SORATO」の前身となるインスト曲を演奏していた。今回のDJコーナーでは光の演出に力を入れていて、交感神経をバリバリ刺激される非常に高揚感のあるものだった。ただ、筆者は音や光の刺激に敏感なタイプなので、そういう人にとってはちょっと刺激過多な感じがした。筆者が子どもの頃に起きた”ポケモンポリゴン事件”を思い出すようなかなり刺激のある光の点滅で、目がチカチカして仕方なかったので他の人は大丈夫なのかな?と思った。同じように思った人は結構いるのではないか。

※「moon」感想記事
「moon」au×HAKUTO MOON CHALLENGEテーマソング!収録されてるけど実は未完成?

感想5 時折”神がかる”山口一郎

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ライブに行くと以前から”山口一郎が神がかる”瞬間があると感じていたが、今回も何回かそう感じる場面があった。白い光のような背景に山口一郎のシルエットのみが映し出されるシーンで感じることが多いのだが、あの演出はファンの気分も高まるし、友人と”今、神がかった!”とか言いながら観られて面白いので(笑)、これからも是非観たいと思う。実際、音楽も会場のムードも高まってくると、本当に何かの神様みたいなものが降臨しているのではないか?と感じる瞬間があったりする。それもその場でしか味わえないライブならではの臨場感と肌感覚で、やっぱり生で音楽を”体感”するっていいなと思う。

感想6 アンコールまで楽しんで!新旧良曲揃いで大満足のセトリ

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公演は安定の10分押しくらいで始まり、18時開演で19時50分くらいに一度終了、その後アンコールがあり、すべて終わったのが20時半すぎくらいだった。アンコールの時間が比較的長く、だいたいMCが入るし、重大発表があるとしたらこの時間のことが多い。本公演のセトリはツアー公演のものと若干変わっていたようで、個人的にはアンコールの最後の最後まで新旧良曲揃いの大満足な内容だと感じた。幕張は本当に規模が大きいので、ただでさえ迫力があるのに今回は”6.1chサラウンド”公演ということもあり、いつも以上に臨場感があって”体感”の部分が大きいライブだったと思う。アルバムツアーではなかったので、偏りなく新旧の良曲がたくさん聴けたのも良かった。”10周年”を記念するにふさわしい素晴らしいライブに参戦することができ、これからの彼らのさらなる活躍を引き続き応援していこうという気持ちを新たにして帰路についた。

※すべての記事一覧はこちら 

※サカナクション関連記事
「多分、風。」歌詞の意味&解釈
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「目が明く藍色」歌詞の意味&解釈(その2)
「シーラカンスと僕」歌詞の意味&解釈
【NFパンチ】「音楽のススメ」議題について語る

米津玄師「リビングデッド・ユース」を聴いて。

YANKEE (初回限定盤)(映像盤)(DVD付)
米津玄師
ユニバーサル・シグマ
2014-04-23


2014年4月発売の米津玄師2ndアルバム「YANKEE」に収録されている「リビングデッド・ユース」を取り上げてみたい。この曲はMVも作られているだけあって、「アイネクライネ」「WOODEN DOLL」と同様、リード曲的な扱いがされている。「リビングデッド・ユース」を英語にすると”living dead youth”となり、直訳すると”生ける屍(しかばね)のような・青春時代”という意味になる。下記で取り上げるCメロの歌詞にも、「死にながら生きるような姿をしていた」といったフレーズがある。生きた心地がしないほど暗く苦しく鬱屈とした自身の経験をもとに作られた楽曲のようだ。米津玄師は今も昔も自身の子供時代と向き合って曲作りをすることが多いようで、下記のインタビュー記事からもその様子が伺える。当時の満たされなかった気持ちを、楽曲という作品に昇華することで癒しているのかもしれない。

音楽サイト『音楽ナタリー』のインタビュー記事を参考までに引用してみる。
http://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi04
──「リビングデッド・ユース」はどうでしょう? この曲にも「呪い」という言葉が出てきますけれども。
これは自分の小学生・中学生くらいのことを思い返しながら作った曲ですね。その頃はすごく鬱屈としてたし、今あえて言っている「呪い」とは違って、ほんとに呪われてるんじゃないかって思ってた時期があったんです。その頃の自分を思い返して、それを肯定したいっていうか、ちゃんと「それでもいいんだ」っていうことを、昔の自分に言ってやりたかったっていうのがすごく大きくて。

──この曲はアルバムの中でも大事な曲ですか?
はい。この曲は最後にできたんです。最後の最後まで作り続けたいと思って。昔の自分を許したかったし、昔の自分に許されたかったっていうのもあるんですね。それをちゃんと、子供にもわかるような言葉とメロディとリズムで作ろうと思って。そうすると、やっぱり基準になるのは自分の子供の頃の記憶なんです。そういうものに頼らざるを得ない。子供の頃の自分はこういう言葉、こういう音で許してくれるだろうかって考えながら作ってました。

●「リビングデッド・ユース」(2014年4月23日発売アルバム「YANKEE」収録曲)



MVはかなり奇妙で不気味、気が狂ったかのような恐ろしい感覚もある。その辺りは「MAD HEAD LOVE」にも似ていて、2曲が同時期に作られていることからも、その頃の米津の内面のテーマが伺える。パジャマ姿の外人がゾンビのような動きで彼のお面をかぶった子どもを追いかけるようなシーンが印象的で、時折満月の下米津らが演奏する様子も映し出される。歪んだレンズでの撮影も気味が悪い感覚を与え、ものの捉え方がねじ曲がってしまったかのような狂気を表現していると思った。観終わった後にすがすがしい感覚や気持ちよさはなく、若干後味の悪い作品となっている。曲だけを聴くとスピード感がある早口でノリの良い楽曲かなと感じるのだが、MVを観るとなんだか不気味な曲だな…という印象に変わる。

「さあ 目を閉じたまま歩き疲れた この廃墟をまたどこへ行こう
 そう 僕らは未だ大人になれず 彷徨ってまた間違って
 こんな悲しみと痛みさえ どうせ手放せないのならば
 全部この手で抱きしめては 情動遊ばせて笑えるさ

 さあ 呪われたまま笑い疲れた この現世をまたどこへ行こう
 もう 息も続かない 喉も震えない 失ってまた躊躇って
 「嫌い」を吊るしあげ帰りの会 どうせ負けてしまうのならば
 弱いまま逃げてしまえたらいい 消して消えない灯りの先へ
 
 シクシク存在証明 感動や絶望に泣いて歌う
 迷走エスオーエスの向こうに 救命はないのを知っていたって
 精々生きていこうとしたいんだ 運命も偶然も必要ない
 遊ぼうぜ 明けぬ夜でも火を焚いて今
 そんなそんな歌を歌う」(1番Aメロ、Bメロ(×2)、サビ)


この曲の歌詞を見ると”アダルトチルドレン”という単語が思い浮かぶ。ご存知の方も多いだろうが、”アダルトチルドレン”というのは、”機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ”という考え方(Wikipediaより引用)のことで、現代の日本のほぼすべての人間が大なり小なりこの”アダルトチルドレン”にあてはまる要素があると思っている。1番の歌詞にもそう 僕らは未だ大人になれず 彷徨ってまた間違って」という直接的な表現があり、大人になりきれない傷ついた子どもの心(インナーチャイルド)が暴れまわる様子が見て取れる。

次の段落「さあ 呪われたまま笑い疲れた」というのは、もちろん楽しくて喜びに満ちた「笑い」ではなく、このMVの外人のような狂ったような「笑い」のことを表現しているのだろう。「「嫌い」を吊し上げ帰りの会 どうせ負けてしまうのならば 弱いまま逃げてしまえたらいい 消して消えない灯りの先へ」、このフレーズは非常に具体的で、本人の体験をもとにしているのかなと感じてしまった。「帰りの会」というのは米津玄師の2014年のライブのタイトルにもなっていて、かなり重要な意味を持つ単語であることが伺える。筆者の幼少時代には「帰りの会」にまつわる嫌な思い出はないが、「「嫌い」を吊し上げ」るような「帰りの会」があったとすれば、それはいじめ以外の何物でもないだろう。小学生ぐらいの子どもというのは非常に残酷なところがあって、見た目が人と少し違うとか少し勉強ができないとか、些細なことでいじめの対象になったりする。”アダルトチルドレン”が大半を占める大人の社会であっても、当たり前にいじめやモラハラ、パワハラが蔓延しているので、そんな親に育てられた子もまた然り。何世代にわたって繰り返される人間の愚かな性なのだ。

「シクシク存在証明 感動や絶望に泣いて歌う 迷走エスオーエスの向こうに 救命はないのを知っていたって」、サビのこの部分は絶望的に暗く、何の救いもない。泣いて同情を引こうとしても、助けを求めてさまよっても、「救命はない」のだという。それでも「精々生きていこうとしたいんだ 運命も偶然も必要ない」と言っていて、どんなに絶望的で生きた心地のしない世界であっても「生きていこうとしたい」という本能と本心は確かにある。この状況が「運命」(必然)なのか「偶然」なのかはどうでもよくて、ただただこの状況を打破したいし、抜け出したいという思いが伝わってくる。「明けぬ夜でも火を焚いて今」のフレーズも興味深い。「明けぬ夜」「消して消えない灯り」と対になるような表現。「火」は明るくなるイメージもあるし、”怒り”、”情熱の炎””嫉妬心”、”復讐心”のイメージもある。不遇な思いをしてきた少年時代、その満たされない思いをすべて「火を焚いて今」燃やしてしまい、希望のともしびに昇華させようとしているのだろうか。

この世に正義はあるのか?!不条理なこの世界で生き抜くために…

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「さあ 笑われたまま願い疲れた この隘路をまたどこへ行こう
 どうにも日々は無常 頓智気やれば非道 貶されてまた傷ついて
 死球を見逃したアンパイア どうせ公正じゃないのならば
 僕はせめて味方でありたい 信じられないならそれでもいい

 ドクドク精神胎動 欠乏も飽満も見過ごして
 劣等身体もう維持限界 散々呪いを受け取ったって
 精々生きていこうとしたいんだ 慢心も謙遜も必要ない
 許したいんだ 消せぬ過去から這い出すような
 そんなそんな痛みを」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)


「隘路」は、”狭い道、困難な道”といった意味、「頓智気」は”ぼーっとしていてまぬけ”といった意味である。2番冒頭の2行からは、八方塞でやる気をなくし、世界に心を閉ざしていく様子が読み取れる。次の「アンパイア」は”審判”といった意味で、「死球を見逃したアンパイア」は野球の比喩。ここでいう「アンパイア」は学校で言うと”先生、教師”に当たる人かなと思う。いじめはダメ、よしなさいと指導する先生や教師でさえも、それを見逃してしまう。いじめっ子を「公正」に裁かないのだ。「どうせ公正じゃないのならば 僕はせめて味方でありたい 信じられないならそれでもいい」、このフレーズは子供時代の不遇な自分自身に向けてのメッセージかもしれない。”君は間違ってないよ、世の中がおかしいんだよ、不条理なんだよ。”、そうやって「味方」になってあげたいと、大人になった今思うのだろうか。

サビの頭2行も結構きつい内容。「ドクドク精神胎動 欠乏も飽満も見過ごして」、この部分はなんとなく”子育て”のことかなと感じた。「胎動」というのはお母さんの子宮の中での胎児の動きのことだし、「欠乏」「飽満」というのも親が子に与える食事を連想させるからだ。「劣等身体もう維持限界」という歌詞からは、自分の中にある「身体」への不満やコンプレックスを思い起こさせる。2番は特に、親や教師など身近な大人に対する不満や猜疑心を表現した歌詞が多いように思う。大人に裏切られた、大人なんて信じられない、嘘と欺瞞ばかり…そんな不条理な社会の現実を思い知った少年時代の傷ついた心を、なんとかして解放してやりたいという気持ちが伺える。

我々にかけられた「呪い」。その本質とは!?

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「痛みで眠れないまま 彷徨い歩く僕らは
 死にながら生きるような姿をしていた
 思うように愛せない この世界で生きる為
 血まみれのまま 泥沼の中 僕らは願い また歩いて行こうとする

 シクシク存在証明 感動や絶望に泣いて歌う
 迷走エスオーエスの向こうに 救命はないのを知っていたって
 精々生きていこうとしたいんだ 運命も偶然も必要ない
 遊ぼうぜ 明けぬ夜でも火を焚いて今
 そんなそんな歌を歌う」(Cメロ、ラストサビ)


Cメロは痛々しく、どろどろとした印象が強い表現が続く。これらの表現からは、まさに「リビングデッド」生ける屍、ゾンビのような存在を思い起こさせる。「思うように愛せない この世界で生きる為 血まみれのまま 泥沼の中 僕らは願い また歩いて行こうとする」、この部分がこの曲の主題だと思う。「思うように愛せない」というのはいろんな意味で取れて、親が子を「思うように愛せない」、自分が世界(社会)を「思うように愛せない」、自分が他人(自分)を「思うように愛せない」とか、色々考えられる。いずれにしても、”愛したい”という気持ちはあるのに「思うように愛せない」というのが「この世界」ということらしい。それがつまりは我々にかけられた「呪い」なのかもしれない。「僕らは願い また歩いて行こうとする」とあるが、2番にも「願い疲れた」という歌詞があった。ここでの「願い」とは何だろうか?「呪い」を解いてください、「思うように愛」せるようにしてください、この「悲しみ」「痛み」を消してください…そんな「願い」なのだろうか。

全体を通して、息も絶え絶え、もがき苦しんでいる様子が描かれているキツイ歌詞が並ぶ楽曲だった。筆者が強く感じたのは、少年時代に感じた”大人への不信感”で、その思いを引きずりながら大人になってしまった子どもの自分に対して、(精神的に)大人で俯瞰した自分が「僕はせめて味方でありたい」と慰め、エールを送っているような曲なのかなという感じがする。サビの「遊ぼうぜ」も少年時代の自分へのメッセージなのかもしれない。米津のみならず、少年時代に親や教師などの大人や周囲の人間に裏切られ傷つけられたことが、いまだに「呪い」として残っている人はたくさんいる。胸に手を当てて子どもの頃の自分に話しかけてみたら、「迷走エスオーエス」が聞こえるかもしれない。そんな幼き自分を癒し、「救命」し、「呪い」から解放できるのは、他でもない自分だけなのだろう。

「リビングデッド・ユース」
歌手名・作詞・作曲:米津玄師

歌詞サイトはこちら

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サカナクションの冠番組『サカナクションのNFパンチ』はかなりおすすめ。



スペースシャワーTVのレギュラー番組『サカナクションのNFパンチ』が面白い。サカナクションの冠番組ということになっているが、ほとんど山口一郎の番組となっている(笑)。山口一郎ワールド全開で、地上波ではできないようなマニアックな企画が満載。ファンのみならず音楽好きな人なら楽しめること請け合いの番組だ。
中でも2017年から始まった雑誌『MUSICA』との連動企画『音楽のススメ』というコーナーが気に入っている。山口一郎鹿野淳(『MUSICA』)、そして一般のパネラーがとある議題について討論するという内容で、一般人の率直な意見を聞けるのが一番の見どころ。こんなコーナーを作れるとは、さすがは音楽について真面目に真摯に向き合っている山口一郎!という感じ。

・『サカナクションのNFパンチ』の公式ホームページ
http://www.spaceshowertv.com/nfpunch/

・『音楽のススメ』のページ(紹介動画あり)
http://www.spaceshowertv.com/nfpunch/contents/ongakunosusume/

●第1回の議題とそれについての個人的意見など

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議題1:フェス、多すぎない?
議題2:ミュージシャンが恋愛発覚するとCDを買わなくなるもの?
議題3:日本人が英語詞で歌うの、どう思う?

・議題1:フェス、多すぎない?
この議題については、以前に書いたこちらの記事にも似たような意見を書いている。
【コラム】【サカナクション】夏フェスに関する山口一郎の思いに共感!サカナLOCKS!感想

筆者自身、フェスは多すぎると感じており、こんなにあって興行的に大丈夫なのか?と思う節もある。オンエアでは、これからフェスにビジネス参入してくる業者もあるだろうとのことだったが、収益が上がらないフェスは淘汰される流れも出てくるだろうし、安泰というわけにはいかなさそうだ。多すぎると感じる人がいるということは、必ず淘汰される時期も来るわけで、流行に乗ればいいというものでもない。

参加者の中には大きく分けてフェス自体のファンとミュージシャンのファンがいるはずで、毎年必ず○○フェスに行く、という人もいれば、誰々が出るフェスに行く、という人もいる。フェスの主催者側としては、フェス自体のファンを増やすのが一番間違いないのだが、独自性を打ち出せないと出演者により集客が大きく左右されることになってしまう。その年の集客がいまいちだったとして、それが出演者の影響なのか、フェス自体に魅力がないのかをよく分析しないと、やめ時の判断も難しいのだろうなと感じる。

・議題2:ミュージシャンが恋愛発覚するとCDを買わなくなるもの?
うーん…この議題は性別や年齢層によっても違いそうだが、個人によるところが大きいと思う。ミュージシャンやロックバンドは音楽がウリ…というのは大前提としても、メンバー(特にボーカル・フロントマン)がイケメンであるのに越したことはないというのもまた事実。ルックス重視の女性ファンによって支えられているミュージシャンも多数存在しており、アイドル的に応援している人も多いと思う。

10代の若いジャニーズファンなどまだ精神的に幼い人々は、少しでもアイドルと女性タレントのゴシップが出ると怒り狂って誹謗中傷をばらまいたりするものだ。ミュージシャンの恋愛が発覚してCDを買わなくなるファンがいるとすれば、その延長線みたいなものだろう。勝手に夢見て勝手に「裏切られた」と言ってファンをやめる。その気持ちはわからなくもないが、やっぱり精神的に幼いと思う。本当にミュージシャンのファンなら、その人の幸せを願い、祝福するものだろう。ミュージシャンが恋愛発覚してCDが売れなくなるのを恐れるならば、ファンを精神的に成熟した人間に導き、教育する必要があるのだ(笑)。


・議題3:日本人が英語詞で歌うの、どう思う?
これも賛否両論いろんな意見がありそうな議題で、実際にオンエアも観たが様々な意見が出ていて面白かった。おそらく山口一郎自身は彼の紡ぐ歌詞の傾向から言っても、「日本語」であることにこだわりを持っているのだと思う。筆者自身は英語ネイティブではなく、聴いても歌詞の意味が入ってこないのと、カラオケで歌う時に難しいということもあって、日本語詞の曲の方が親しみやすいと感じる。自分がネイティブであるということと、日本語独特の言い回しや表現の妙の魅力という点から、日本語の楽曲の方が心惹かれるし、深く入り込めるということもある。

だからといって英語詞がダメかというとそうでもなく、それはミュージシャン自身の表現でもあるし、曲調的に英語の方がしっくりくる場合もあるだろう。日本語はどうの、英語はどうの、ということではなく、全体の曲としてバランスが取れていて完成されたものであればどちらでも構わないと思う。聴き手が音楽に対して何を求めているかによっても変わってくるし、これも好みや個人の嗜好によるところが大きい話題だなと感じる。

●第2回の議題とそれについての個人的意見など

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議題1:コンサートチケットの値段は高すぎる?
議題2:ミュージックビデオって音楽?
議題3:CDは必要?

・議題1:コンサートチケットの値段は高すぎる?
筆者自身はコンサートに行くかどうかを値段で判断したことはないし、高すぎると思ったこともなければ高いからやめようとか安いから行こうとか思ったこともない。ただ、そのミュージシャンの好き具合によって、お金出してチケット取るほどではないけど安いなら(ただなら)行く、ということはある。消費者にとっては安い方がありがたいけれど、公演に必要なお金はしっかり払いたいという気持ちはもちろんあるし、ミュージシャンを応援する意味でもとにかく安くしろとは思わない。現行のチケット代は邦楽だとだいたい4000~8000円程度だと思うが、適正価格なのではないだろうか。

学生にとっては高いように感じるかもしれないが、アルバイトなどをすれば絶対に払えない額でもない。オンエア内で「スポンサーについてもらって広告を入れて安くなるならそれはどうか」という問いかけもあったが、これについても賛否両論だと思う。とにかく安い方が良いというファンにとっては歓迎だろうが、「お金の匂い」に敏感な人々は拒否反応を示す可能性もある。筆者の意見としては、タイアップする企業によるかなという感じだ。

・議題2:ミュージックビデオって音楽?
これもちょっと答えづらい質問。音楽と言われれば音楽だし、映像と言われれば映像だし、目を瞑って聴けば音楽だし…。確かにミュージックビデオがある楽曲とない楽曲では、それによって大きく印象が変わる場合がある。我々の印象は視覚的イメージによるところが大きいのもあって、ミュージックビデオの印象に引きずられる部分が多々あり、ミュージシャン側が提示したイメージを押しつけられる感覚になる人も中にはいるのかもしれない。

筆者のように解釈好きな人にとって、ミュージックビデオを提示されることは彼らの世界観を理解する助けになるので、ヒントが一つ増えるような感覚はある。ただ、作品として世に出たものをどのように解釈し、受け取り、味わうかというのは人それぞれなので、その印象に引きずられすぎる必要はないこともまた事実。近年は動画サイトの興隆もあり、「ミュージックビデオまでが作品」という見方がより広まったようにも思えるし、単なるプロモーション以上の意味や価値を持つようになってきたのではないかと思う。音楽も視覚ありきの時代になってきたということだろうか。

・議題3:CDは必要?
これは非常に興味深いテーマ。筆者はあまりモノに価値を置いていないので、別にCDはなくてもいいかなと思っている。実際に配信で購入することもなくはない。それでもなぜCDを買うのかというと、「ライブの先行抽選に参加できる券が入っているから」、「DVDが観たいから」という理由が大きい。筆者がCDを買う時は必ずどちらかの理由もしくは両方の理由がある場合に限られている。いずれでもない場合は、レンタルで借りるか配信で購入することがほとんどだ。ブックレットやジャケットなどは、PDFデータにして配信購入者に提供するなどの方法があるし、DVDもパスコードなどを使って配信しても良いかもしれないので、モノである必然性はないと思っている。

この回のオンエアは非常に興味深くて、いろんな意見があるのだなと参考になった。鹿野氏が語っていたところによると、海外ではCD文化はもう廃れつつあって、こんなにCDCD言っているのは日本くらいなもんらしい(うろ覚えだから違ったかも)。とりあえず、日本はCDにまだこだわっている稀な国だということはわかった。現代のCD文化のおかしなところは、CDや楽曲に価値があるのではなく、封入されている先行の券や握手会の券が実質の価値になっているところであって、それが音楽チャートと実際の流行っている感覚との温度差を生み、結果として音楽チャートとしての意味をなさないものになりつつある現象が起きている。音楽チャートのランキングを見ても実態がつかめないことから、定型的な音楽情報への無関心、大衆に受けている曲よりも自分が気に入った曲を探そうという意識が生まれているのかもしれない。

「CDは必要?」というよりも、「CDの価値って何?」「なぜわざわざCDを買うの?」という問いの方がわかりやすかったかもしれない。券欲しさに大量に買われたCDが山積みになっている画像などを見ると、資源の無駄という気もするし、券だけ売ればいいじゃないかと思う節もある。

昨今の音楽業界は、楽曲そのものの価値、券の価値、CDというモノの売上の意味など、様々な要素がごっちゃになって混沌としているような気がする。そんな業界に果敢にメスを入れようとする山口一郎の姿勢には非常に共感するし、つい応援したくなってしまう。

星野源初期アルバム「ばかのうた」の「子供」を聴いて。

ばかのうた
星野源
ビクターエンタテインメント
2010-06-23


今回は、星野源1stアルバム「ばかのうた」に収録されている「子供」という楽曲を紹介してみたい。初期の素朴でほのぼのした雰囲気、まさにそのど真ん中のような楽曲で、やさしくほんわかあたたかい印象。スローテンポで非常にまったりしており、マリンバの軽い音色の心地よい響きが魅力的な一曲。この曲は2017年8月発売シングル「Family Song」に収録されている「KIDS」と聴き比べてみると味わい深いと思う。「Family Song」付属のブックレットにも、この曲に関する星野源のコメントが記載されていたので、お持ちの方は是非ご覧いただきたい。

※関連記事
「KIDS」歌詞の意味&解釈

●「子供」(2010年6月23日発売アルバム「ばかのうた」収録曲)

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「KIDS」の記事でも触れたが、星野源「子供」と聞いて連想するものは、”男女ののんびりとした何気ない日々、生活”ということらしく、2曲に共通してそのような情景が描かれているのが面白い。体は大人になっても、気持ちは「子供」のまま。甘えん坊だし、怠け者だし、誰しもが思う、”大人ってもっと大人だと思ってた…”という感覚を二人で感じているという、そんな曲だ。内容的にも「KIDS」との共通性がものすごくあって(この曲が先だが)、同じカップルを描いているのではないかとすら思ってしまう。2曲の解釈もほぼ同じような感じになる。

「朝起きて 目を開けて 隣に君が
 腹へって 冷蔵庫 開けて二人は
 ぼんやりとチューするの

 何もない休日に 寝間着のままで
 パン焼いて テレビ見て 玉子をのせて
 ぼんやりと過ごすのよ

 子供と子供が
 一緒になったなら
 二人で大人になればいい

 朝起きて 仕事して 帰ると君が
 腹へって 冷蔵庫 開けて二人は
 ぼんやりとチューするの」


とても短い曲だ。Aメロやサビの区別もよくわからない。
特別な内容がある曲というわけではないが、「ぼんやりと」という歌詞の繰り返しと曲調がマッチしていて、とにかくまったりのんびりぼんやりとした印象を与える曲だと思う。情景描写が多いので、だらだらとした休日の朝のカップルの様子が容易に目に浮かぶ。二人の間に言葉は多くなさそうだが、阿吽の呼吸とでも言うべきか、同じような感覚、リズムで生きている二人という感じがする。

この曲の主題は「子供と子供が 一緒になったなら 二人で大人になればいい」の部分。誰しも体は大人になっても「子供」みたいなところがあって、中身は全然大人になりきれていないものだ。一緒に暮らしていたら、相手が「子供」っぽすぎて嫌になることも、反対に自分が「子供」っぽすぎて嫌になることもあるだろう。親しい相手にはどうしても一番自分の素の部分、幼い「子供」の部分が出てしまって、否が応でも”自分”というものをまざまざと見せつけられるものだ。男女の関係や親しい人間関係の中でこそ、人間は精神的に成長し、大人になっていくものだと思う。仲良しカップルの日常を「子供」と表現する感性がまさに星野源という感じがするし、すべてを言語化できないそのぼわっとした曖昧な表現の中に、この世の本質を描く心の洞察力というのは、当時から凄まじいものがあると感じる。歌詞を見ないで聴くと聴き過ごしてしまうような何気ない曲の中にも、味わい深く感じるものがあるのが星野源の楽曲の魅力の一つ。初期の曲も大切に、丁寧に聴きこんでみようと思う。

「子供」
歌手名・作詞・作曲:星野源

歌詞サイトはこちら

※「Family Song」収録曲も
「Family Song」歌詞の意味&解釈
「肌」歌詞の意味&解釈
「プリン」歌詞の意味&解釈

※すべての記事一覧はこちら
※星野源関連記事
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星野源「Family Song」CW「KIDS」を聴いて。

Family Song (初回限定盤)
星野 源
ビクターエンタテインメント
2017-08-16


星野源10thシングル「Family Song」の4曲目に収録の「KIDS(House ver.)」。こちらは恒例の宅録曲で、完全に星野源一人で自宅で制作・演奏されている楽曲だ。雑誌『MUSICA 2017年9月号』のインタビューによると、この楽曲も前作「恋」に収録されていた「雨音(House ver.)」も、”TR-808”という機材を使っているとのこと。もともとはラップの曲にしようとしていたが、今回は時間の都合上難しかったようなので、今後はラップの楽曲が制作されることもあるかもしれない。宅録曲は昔の初期の頃の星野源のニュアンスを感じる曲が多く、”大衆化して売れてきちゃってシングル曲が変わってきたなぁ~”と一縷の寂しさを感じることもある初期ファンの心を慰めるような癒しの効果もある気がする(笑)。




※ちなみに、TR-808というのはこんな機材。この音がそれなのね、と思うハズ。


※参考
「雨音(House ver.)」歌詞の意味&解釈

●「KIDS(House ver.)」(2017年8月16日発売シングル「Family Song」収録曲)

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同じく「Family Song」収録曲の「肌」の記事でも触れたが、星野源男女の関係と子どもを結びつける感性があるようで、この曲や1stアルバム「ばかのうた」収録の「子供」というほぼ同タイトルの楽曲においても、同じような情景が表現されている。どちらの曲においても描かれているのは、男女のカップルが休日の朝に寝坊して、のんびりごろごろまったりしているような状況で、”お互いまだまだ子供みたいだし、だらけたり甘えたりしてどうしようもない部分もあるけど、二人で一緒に大人になっていこうね”、みたいなニュアンスを感じる曲だ。頭で何にも考えず、心の感性でふんわり感じ取って楽しみたい曲だなと思う。

「ああ 仕事へ行き 銭を稼ぐ
 命をただ 繋ぐセオリー
 火の鳥には 出会えないが
 寝癖の君 鳥みたいだ

 どんな年を 重ね行けども

 いつも子供のまま どこか甘えたまま
 時計鳴らしたまま 枕を抱いたまま
 大人のふりをした 日々は繰り返した
 喉を鳴らしたまま 枕を抱いたままだ」(1番Aメロ、Bメロ、サビ)


この男女のカップルは同棲中もしくは夫婦で、共同生活をしているものと思われる。男性の方は仕事へ行き、平日は早起きして、一応は「大人」らしくシャキっとしているのだろう。この日は休日の朝。のんびり寝坊できるぞー、と朝起きてみると、隣には「鳥みたい」「寝癖の君」が。幻と言われる「火の鳥」みたいな特別感はないけれど、いつもそこにいる「君」

よく、”○○歳ってもっと大人だと思ってたのに実際中身は子どもの頃と同じだ”という話を耳にする。これは誰しも一度は思ったことがあるに違いない。20歳になれば、一応法律上の成人にはなるが、「子供」と大人の明確な基準や境界線というものはない。社会人として、「大人」としての振る舞いを求められる仕事の場、人間関係では、それなりに「大人」の対応をすることはできる。しかし、どうしても親しい人間関係、特に親子関係や恋人・夫婦関係においては、自分の素の部分が出てしまう。そして、その素の部分というのは、どうしてこんなにも「子供」っぽいんだろうか。「甘え」もあるし、朝は起きられなくて「時計鳴らしたまま」だし、起きたくないよ~と「枕を抱いたまま」、寝坊してしまう。平日は「仕事へ行き 銭を稼ぐ」ために仕方なく起きているけど、それはただ「大人のふりをした 日々は繰り返した」だけであって、中身は「いつも子供のまま」。猫みたいに「喉を鳴らし」て、起きたくな~いと「甘え」る。「君」といると、お互い素の部分が出て、まるで「子供」同士で一緒にいるみたいだ。

出不精同士、休みの朝は寝坊してゴロゴロ…が最高の幸せ。

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「ああ 休みの日は ほぼ家だな
 外へ出たら 迷うよシティ
 寒くないが 寄り添ったら
 冷たいもの 食べたくなる

 どんな未来 迎え入れても
 
 いつも子供のまま どこか甘えたまま
 時計鳴らしたまま 枕を抱いたまま
 大人のふりをした 日々は繰り返した
 喉を鳴らしたまま 枕を抱いたまま」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)

 
これぞインドア派の休日の朝。休みの日って、都会はどこへ行っても混んでいる。かといって「家」にいてもそんなにやることがあるわけでもない。しまうのが面倒で出しっぱなしになっているコタツにでも入って、「寒くないが 寄り添ったら 冷たいもの 食べたくなる」。出かけるのは面倒だけどコンビニくらいは行けるかな、と「君」はすっぴん、「ぼく」はジャージ姿でコンビニへ行ってアイスを買う。ダラダラしていたらもう昼過ぎで、休日半分むだにしたーとアイスを食べて笑い合う。なんてことのない「君」との幸せな暮らし。

おっちょこちょいで、ビビり屋さん!?子どもみたいな甘えん坊

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「ぼくら子供のまま どこか甘えたまま
 時計鳴らしたまま 枕を抱いたまま
 大人のふりをした 日々は繰り返した
 喉を鳴らしたまま 枕を抱いたままだ

 あなたの髪が揺れる
 風呂の水があふれる
 明日はゴミを捨てる
 その前の掃除機を忘れる

 息を飲んで目覚める
 寝首に水が垂れる
 背中に頬をつける
 その前に見た夢を忘れる」(ラストサビ、ラストメロ)


ラストの2段落は軽いラップ調になっている。「風呂の水」の量を誤ってしまったり、「ゴミを捨てる」前の日に「掃除機」かけるのを「忘れ」てしまったりと、生活のちょっとしたミス、おっちょこちょいなところはお互い様。悪夢を見て恐怖に「息を飲んで目覚め」て、冷や汗で「寝首に水が垂れ」て、怖いよーと相手の「背中に頬をつけ」て抱きついて…ってどんな悪夢を見ていたんだっけ?「その前に見た夢を忘れ」てしまった。まぁいいや、抱きつけたからラッキー…(笑)。

お互い完璧ではないし、「子供」みたいなミスもしょっちゅうやる。休日はダラダラ寝坊したい。怖い夢を見たら抱きつきたくなるほどビビリー。社会に出ればいい「大人」、素敵な男性・女性で通っていても、大切な人の前ではつい自分が出てしまう。星野源が男女の関係と「子供」を重ねているのは、おそらくそんな感性があるからだろう。仲が良く、長く連れ添ったカップルであればあるほど、相手の前では「子供」みたいな自分が出てしまうものだ。「子供」は親に愛されたい、「大人」は異性に愛されたい。愛されたいと思う人の相手の前では、どんな立派な人であっても子どもの自分が顔を出す。星野源なりの「子供」観というのは、”愛されたいと思う人の前で見せる素の自分”みたいなニュアンスがあるのではないかと思う。そしてその相手には、”気を許していて、誰よりも大切な人”という意味も含まれている。大切な人と過ごす何気ない日常、ダラダラと過ごすなんてことない休日こそ、本当にリラックスして自分らしくいられる最大の幸福なのだと、そんなような曲なのではないだろうか。

「KIDS(House ver.)」
歌手名・作詞・作曲:星野源

歌詞サイトはこちら

※「ばかのうた」収録の「子供」も!
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※「Family Song」収録曲もどうぞ
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