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民放ラジオ101局特別番組『WE LOVE RADIO!~山下達郎・星野源のラジオ放談』感想

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 2017年3月20日(月祝)に放送された、民放ラジオ101局特別番組『WE LOVE RADIO!~山下達郎・星野源のラジオ放談』公式ホームページ)を聴いた感想を書いてみたいと思う。筆者は生で一度聴いて、radikoのタイムフリー機能で様々な局のもの(内容同じ)を繰り返し聴いた。
今回の企画が山下達郎との初対談ということで、星野源自身もひどく緊張していたらしく、対談の日まで指折りカウントしていたらしい。親子ほど年の離れている二人ということで、山下達郎が婿と初めて対面したかのようだ、との話も出ていた。お互いのラジオとの関わりのエピソードトークやかけたい曲を1曲ずつ選曲する企画、生歌をそれぞれ1曲披露するなど、1時間ぎゅっと中身の詰まった充実した内容だった。あまりに良かったので、何回も再生してしまったのだ。ネタバレしすぎない程度に感想を書いていきたいと思う。

●山下達郎に認められる星野源のすごさ

筆者の星野源好きは身の周りの人周知の事実なのだが、今回のラジオが放送されたことで山下達郎ファンの中高年世代の知人から”山下達郎に認められている星野源ってすごいんだね”とメッセージがきた(笑)。中高年世代にとっては(若者世代よりも特に)山下達郎はカリスマ的な存在として認知されており、そんな山下達郎も認めるミュージシャンということで星野源のファンの裾野や認知度がさらに高まるような、そんな勢いを感じた。星野が音楽やラジオについて語ると、山下達郎も”まったく同じ意見です。付け足すことはありません”と言ったようなコメントをしていて、星野の物事を的確にとらえるセンスやあらゆる物事の特質を生かした取組・やり方を非常に高く評価しているようだった。

●星野源の唯一無二性は「統合力・融合力」にあり

このラジオを聴いて感じたことは、星野源の他の追随を許さない圧倒的な唯一無二性というのは、「統合力・融合力」にあるのではないかということだった。山下達郎によると、ラジオの番組というと、トークがうまい人(お笑い、アイドルなども含む)のトーク番組か、音楽好きによる音楽番組か、二者択一的なところがあったようである。山下達郎自身のラジオ番組は完全に音楽寄りで、トークが弱いなぁと感じていた部分もあるらしい。一方、星野源のラジオ番組(『星野源のオールナイトニッポン』)は、トークあり、音楽あり、リスナーからの爆笑お手紙ありで、内容もバラエティに富んでいる印象。筆者も毎週欠かさず聴いているが、2時間があっという間で毎週飽きずに楽しんでいる。

山下達郎が評価しているのは、星野源のその「統合力・融合力」だそうだ。トークだけがうまい人、音楽だけを語れる人は多数いるものの、その両方を統合・融合させて、面白い番組を作れている人はそういない。そもそも星野源は職業不定で、俳優業・音楽業・文筆業・コント業(?)を見事にすべて成り立たせている”パラレルキャリア”時代の申し子のような存在だ。ラジオ内で『逃げ恥』の話をすることもあれば、「恋」の解説や『星野源しか出ない夏フェス』をすることもあれば、NHK系コント番組『LIFE』の放送作家が台本に参加した特別コント企画もあった。『星野源のオールナイトニッポン』マルチに活躍する星野源の魅力をこれでもかと詰め込んだ、最強ラジオ番組なのだ。

●面白ネタは楽しんでいるところに集まる

星野源自身が語っていたことだが、”(自分のラジオは)リスナーの投稿が面白いから、自分はただそれを聴いて笑っているだけみたいな印象”、なのだそうだ。『星野源のオールナイトニッポン』を毎週聴いている方にはわかって頂けると思うが、確かにそんなようなところもあり、星野源がとても楽しそうにしている印象だ。同ラジオの投稿は下ネタ系が多く採用されるのだが、どうしようもない下ネタ投稿や男女のイザコザ系のネタに星野がツッコミを入れたり、エールを送ったり、景品を贈ったりするのが、なんか面白いのだ。あの星野源特有の「ガハハハハ…」という笑い声が深夜のリスナーの布団を震わせる。面白ネタ(投稿)は楽しんでいるところ(人)に集まるのだなぁと感じた次第である。

●ラジオというメディアの特殊性とこれから

この番組内で語られていたことでもあり、『星野源しか出ない夏フェス』企画でも感じたことだが、ラジオは”全員が最前列”で、”距離が近い感覚”、というのが最大の特徴なのだということを再度思い知った。山下達郎が語っていたことで印象に残っているのが、”マスじゃないけどマス、マスだけどパーソナルなのがラジオというメディアの特殊性だ”という話。”嘘をつけないし、嘘がばれやすいメディア”という話も出ていた。テレビではないということもあり、ついつい本音をぽろっと言ってしまったり、素の部分が出やすいメディアなのかもしれない。

我々は”視覚偏重”的に生きており、目に入る情報の洪水に溺れて窒息寸前気味なところもある。街を歩けば無秩序な看板、テレビは似たようなタレントがとっかえひっかえ、スマホとPCを見すぎて眼精疲労…。スマホやネットの普及によりますます衰退が進むかと思われたラジオも、アプリなどの普及によりかえって身近で手軽なものになった印象はある。多すぎる情報のノイズに疲れた現代人にとって、ラジオというのは程よい情報量で”1対1感覚”を楽しめるメディアとしてじわじわと復興してくるかもしれない。少なくとも今回の特別企画は筆者にとっては大ヒットだったし、テレビだったら繰り返し観なかっただろう。リスナーの心をつかむ面白いコンテンツさえあればいくらでも聴く人は増えるだろうと思う。筆者自身、最近はテレビよりもラジオに心を持っていかれつつある。当番組を視聴し、これからのラジオがどうなっていくのか、そのカギを握っている重要人物の一人が星野源であることは間違いないのだと痛感した次第である。

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flumpool「キズナキズ」を聴いて。



flumpool「ラストコール」のカップリング曲で、NHK系『みんなのうた』にも起用された「キズナキズ」を取り上げてみたいと思う。『みんなのうた』ではほのぼの系のアニメ映像とともに流れるのだが、flumpoolのやさしさやあたたかさが全面に伝わってくるほっこりとしたかわいい曲だと感じた。友達と喧嘩したり傷つけ合ったりもして、ただ楽しく笑い合うだけの日々ではなかったけれど、そんなあれこれ込みでも別れというのは寂しいもの。大人になってからはともかく、子どもの頃は些細なことで喧嘩したり行き違いが起こったりして気まずくなり、卒業や転校で別れが来て初めて素直に謝って仲直りすることもあるだろう。幼い頃や学生時代に、その幼さゆえに本音でぶつかりあえた友人たちと過ごした日々を思い出す、昔の仲間にまた会いたくなるような友情ソングである。

「大好きだった」にちょっと雰囲気が似ていると思った。


●「キズナキズ」(2017年3月15日発売シングル「ラストコール」収録曲)

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ライブなどでのパフォーマンスではおそらくファンの合唱タイムがありそうな、”仲間感”が強いこの曲。ファンとしてはどうしても”flumpool4人の絆”を連想してしまう。LINEのインタビューサイトでも若干触れられていたが、本人たちにも”自分たちと重ねてどう感じたか”というそれぞれの感想はあったようだ。山村、尼川、阪井は幼稚園からの幼馴染であり、幼少期からの友達同士で今もバンドを組んで共に仕事をしているという間柄。ファンの中にはflumpoolの楽曲はもちろん、4人の”仲間感””気心の知れた感”が好きで応援しているという人も多いのではないか。

「サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆

 出会えた日の ドキドキとか
 いつか忘れてしまうのかな?
 一人ぼっちの寂しさでも
 いつかは 慣れてしまうのかな?

 ただ笑い合えてた日々が
 知らぬ間に遠くなっていても
 伝えたくて この胸の願いを

 サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆」(冒頭サビ、1番Aメロ、Bメロ、サビ)

特に説明が必要な難しい歌詞ではないので感想ベースで書いてみたいと思う。サビで繰り返される「サヨナラは悲しいけど その痛みを 喜びと同じように分け合おうよ」、この歌詞はまさにタイトルの「キズナキズ」につながるこの曲のメインテーマである。我々人間はつい、「喜び」は良い感情、ポジティブなこと、「悲し」み、「痛み」はよくない感情、ネガティブなこと、と頭で判断してしまうことがある。「喜び」はどんどん分かち合おう、「悲し」みや「痛み」は表に出さず、押し込めてしまおう。そんなことを無意識的に考えてしまうことがある。表面的なつながりならばそれでも良いかもしれない。しかし、本当に心からの”絆”で結ばれた関係性においては、「喜び」「痛み」も区別なく分かち合いたいし、「どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば きっとそれが僕らの絆」になるのである。

「ただ笑い合えてた日々が 知らぬ間に遠くなっていても」、このフレーズは、大人になるにつれて徐々に「ただ笑い合」うことができる心の底から信頼できる友人が少なくなってしまうというイメージが浮かんだ。LINEのインタビューでも書かれていたが、利害関係なく純粋な気持ちで友人関係を築けるのはせいぜい学生時代くらいまでで、大人になるほど純粋さを失い、下心をもって相手と親しくしようとする人も出てきてしまうものだろう。幼少期のピュアな自分が好きで親しくしていた友人というのは、頭の計算なしに純粋に気が合って楽しいから一緒にいた相手とも言える。そんな相手と一緒にバンドを組んで共に仕事をする彼らは、いったいどんな気持ちでいるのだろうか?

なんだかんだメンバー愛を歌った歌なのだと結論づけたいファン心理。

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「喧嘩した日は ズキズキした
 何故か心は身体よりも
 帰り道が あんなにもさ
 広かったんだね 泣いた夕暮れ
 
 ただ笑い合えただけじゃない
 昨日がそっと胸をよぎるよ
 伝えなくちゃ あの日言えなかった

 誰よりも君をそばで見ていたのさ
 誰より優しい瞳の奥の寂しさも
 時間が過ぎるたびに
 たくさん傷ついてきたけど
 全て僕らの絆」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)

喧嘩して相手をぶって傷つけたり、血を流したりしたとしても、「喧嘩した日は」「何故か心は身体よりも」「ズキズキした」らしい。身体の傷や痛みは数日で癒えるが、かさぶたが剥がれた後も「心」の傷は痛み続けるものだ。その「心」の傷は、”仲直り”することでしか癒えることはない。それは「伝えなくちゃ あの日言えなかった」、といった形でその人を後押しする。喧嘩した直後はお互いに気まずかったり、意地を張ったりして素直になれないこともある。仲直りしたいのに、言い出せない。喧嘩した翌日は、自分の中で2番手、3番手くらいに仲の良い友人と遊んだりする。そんな経験は誰にでもあるのではないだろうか。
「誰よりも君をそばで見ていたのさ 誰より優しい瞳の奥の寂しさも」、恋愛ソングではないのに恋愛ソングみたいな歌詞だ。筆者自身にも幼少期から大人になった今まで仲の良い友人たちがいる。幼いころから自分を知っている人が身近にいるというのは、どんなに心強く、支えになることか、実体験としてわかる部分も多い。友人相手にこんなクサイ台詞を言うことは恥ずかしくて無理だが、こうして歌詞として”表現”に昇華すればできないこともない。ということはやはり、この歌詞にも山村からメンバーへの本音がこもっているのかもしれない。

寂しさを越えて、相手の夢を応援し、相手の幸せを願うこと。それが「キズナキズ」

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「「転んでも転んでも ゼロから歩こうよ
 僕も一緒に歩くよ」
 いつだってさ 辛いとき 思い出すのさ
 君がくれた あの言葉を
 僕も届けたい

 サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆

 倒れても駄目元でも頑張ってみよう
 ガムシャラに夢へと転がってゆくんだ
 どんな傷跡だって 恐れず向き合って進もう
 全て僕らの絆」(Cメロ、ラストサビ)


Cメロの「「転んでも 転んでも」」、ラストサビの「倒れても駄目元でも頑張ってみよう ガムシャラに夢へと転がってゆくんだ」というフレーズ。最後に「夢へと転がって」傷ついても、という意味合いが新たに加わった。友人同士で喧嘩してついた「傷跡」も、「サヨナラ」による「傷跡」も、「夢へと転がって」ついた「傷跡」も、「どんな傷跡だって 恐れず向き合って進もう」と言っている。友人との「サヨナラ」は、片方が「夢へと」旅立つことをきっかけに訪れるものかもしれない。たとえグループやバンドを組んでいても、メンバーの誰かが別の「夢へと」向かっていくこともある。ずっと一緒にいてほしいから、引き止めたくなることもある。そんな「サヨナラ」の悲しみ、寂しさという「傷跡」を越えて、相手の「夢」を応援すること。相手を励まし、相手の本当の幸せを願うこと。それこそが真に強く結ばれた友情であり”絆”「キズナキズ」というタイトルに込められたテーマなのだろう。

「キズナキズ」
歌手名:flumpool 作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

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flumpool「ラストコール」を聴いて。



今回取り上げる「ラストコール」は映画『サクラダリセット』(前篇)の主題歌として起用されている楽曲で、内容も映画のストーリーに沿ったものになっているらしい。筆者は原作のライトノベルを読んだことがなく、ざっとあらすじを読んだに過ぎないのだが、特殊能力を持った人物が多数登場するSFもの(?)のようだ。主人公の浅井ケイ”過去に体験した全ての記憶を保持する”という特殊能力があるという設定らしい。映画スタッフ側からのリクエストもあり、疾走感、力強さ、切なさを盛り込み、重厚なストリングスを加えたアレンジに仕上げたそうだ。歌詞も主人公の浅井ケイの感情をベースに練られているとのこと。映画の簡単な設定も頭に入れつつ、早速歌詞を見てみようと思う。
映画『サクラダリセット』の公式サイト
※公式LINEサイトのインタビューを参考にした。

●「ラストコール」(2017年3月15日発売シングル)



MVに登場するのは映画で浅井ケイ役を演じる野村周平flumpoolと同じアミューズに所属。彼は8年前のシングル「見つめていたい」のMVにも登場していた。MVと曲の雰囲気が非常にマッチしていて、上記の通りの疾走感、力強さ、切なさ、壮大さや重厚さが本当によく伝わってくる。このMVは片島魚雷発射試験場跡の廃墟で撮影されたらしい。戦争を思い起こさせる場所で、”記憶”、”忘れる”、”風化”などのメッセージ性も込められているように思う。Cメロで雨が降り暗くなった後に、ラストサビで輝く海に走ってゆくシーンが印象的。ラストサビのあえてブレブレにしているカメラワークにも、疾走感とギリギリで生きている脆さのようなものを感じた。

「世界が昨日を忘れたとしても
 今宵も 抱き続けてたい Memory

 届かない祈りのように
 生きていたいけど
 1つの罪も償えず
 恨めもせずに
 
 今以上に 間違いな自分を
 今以上に 傷つけて
 今日だって 答え探して

 これ以上に 冴えない世界でも
 これ以上に 手を伸ばしながら
 駆け抜ける 答えはきっと
 明日の向こうで 」(1番Aメロ、Bメロ、サビ)


「世界が昨日を忘れたとしても 今宵も 抱き続けてたい Memory」、この部分はまさに浅井ケイの感情に寄せた歌詞だろう。「今宵も」の部分がどこか孤独な、影のある印象を受ける。Bメロ「届かない祈りのように」というのはどういった意味だろうか?普通は祈りが届いてほしいと思うものなので、ちょっと意味がわからない。「届かない祈り」”無駄”なのだろうか、それともある意味”全てが思うようになるわけではない世界”のことだろうか?この辺りは小説や映画を観ればわかるのかもしれない…。

サビは「○○以上に~」のフレーズの繰り返しが畳み掛けるような疾走感を感じさせる。歌詞の内容も、答えを探してもがき苦しんでいる様子と、それでも生きていった先に希望はあるのだと自分を奮い立たせるような気持ちが伺える。過去を忘れられない能力があれば特に、「間違いな自分」を忘れることができない苦しみや、自分を責めたり自分を「傷つけ」たりすることも必然的に多くなるのかもしれない。過去を忘れられないとしたら、”自分はいかに生きていくのか?”という人間の根源的な問いへの「答え」がより複雑なものとなるのだろう。我々人間へのひとつのギフトとして”忘れる”という能力が備わっていると言っても良いのかもしれない。

「期待通り」生きることで失った感情、正直な気持ち。真に「誰かのために生きる」とは!?

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「麻痺していく 感情だけを味方にして
 今宵も 抱き続けている Theory
 
 誰にも見つけられない
 虹になりたくて
 誰かのために 声枯らして
 満たされてても…

 予想外に 残酷な自分を
 予想外に 慰めて
 今日だって ゴール探して
 
 期待通り 感情殺しても
 期待通り 平然なフリで
 手放してく 幼さが消えてゆくよ」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)


「Theory」というのは直訳すると理論とか意見といった意味なので、ここでは”自分自身の考え”みたいなものだと思う。「麻痺してく 感情だけを味方にして」という歌詞にも、どこか”孤独感”が漂う。感情が麻痺するというのは、ある意味人間らしさを失うことでもある。何を見聞きしても心が動かなくなってしまうのは、想像するだけでとても辛いことだ。人間に備わった”忘れる”という能力を失ったとき、それは”感情”を揺さぶられるという人間らしさを失うということでもあるのだろうか?
1番の「届かない祈り」と2番の「誰にも見つけられない虹」という表現はどこか似通っていて、いずれも”無駄”とか”もったいない”ような印象を受ける。おそらく世の中には「誰にも見つけられない虹」というのは多数存在している。そもそも「虹」は”誰かに見つけてもらいたい”と思っているわけではないだろう。自然現象としてただあるだけで、それを見つけた人間が”虹だ!”と言って感動したり、写真を撮ったりするだけだ。”誰かに見てもらうために”、つまり「誰かのために」生きたくはないという気持ちの表れだろうか。いずれの表現も、どこか心を閉ざしていじけてしまっているような、世の中に夢も希望も持てないような、そんな気持ちが読み取れる。

2番サビもどこか暗い。「残酷な自分を」「慰めて」といった表現からも、自虐的であったり、自分を自分で傷つけたりしている様子が伺える。「期待通り」の繰り返しも、「誰かのために」生きて自分を見失っている様子を表している。それによって「感情殺して」生きていくことになり、「幼さ」(=感情をありのままに自由に表現すること)が「消えて」いってしまった、ということだろうか。「誰かのために」「期待通り」「感情殺して」生きていくことが”大人になる”ということなのだろうか?

「無機質に降りだす雨に
 聞き漏らした 君の声
 止まったままの悲しみ
 意味があるのならば…僕は今歌うよ

 今以上に 信じ合いたくって
 今以上に 傷つけたって
 明日にしか 答えはなくて
 また探して
 
 今以上に 間違いな自分を
 今以上に 傷つけて
 何度でも 答え探して
 
 これ以上の 平穏な日々を
 これ以上の 幸せを
 最後まで 君の声を 僕が探すよ
 
 僕は探すよ
 ラストコール」(Cメロ、ラストサビ)

 
Cメロで初めて「君」が出てくる。「無機質に降り出す雨」という表現からも、感情を失った感覚が読み取れて切なくなる。雨の音にまぎれて「聞き漏らした 君の声」。声こそ聞こえなかったけれど、そこに何らかの「悲しみ」があったことを感じ取った「僕」「止まったままの悲しみ」という表現は、過去のある時点の「悲しみ」が癒されずに、時が「止まった」かのようにそこにあり続けることを表しているように思えた。「君」「止まったままの悲しみ」に触れた時、真に「誰かのために」生きるというのは、自分を犠牲にして感情を押し殺すことではなく、”誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい”という愛や奉仕の気持ちで生きるということに気づいたのではないだろうか。

音数が少なくなる切ないサビ「今以上に 信じ合いたくって 今以上に 傷つけたって」の部分、この「信じ合いたくって」というのがこの曲全体の本音だろう。Cメロで初めて「君」という他者が登場し、世界に対して心を閉ざして自己犠牲や被害者意識に苛まれていた「僕」が、外に対して心を開き始めた。本当は「信じ合いたくって」という本音や、”誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい”という気持ちに従って生きることが希望であるということに気づき、また前を向いて生きようという気持ちが芽生えてきたのだ。
「ラストコール」というのは直訳すれば”最後の叫び”と言う意味で、”最後の最後の力を振り絞って叫ぶ”といった感覚を受けた。それは生きる希望や活力、情熱ともつながると感じた。世界に心を閉ざし、内にこもったままだった「僕」が、外に向かって思いっきり叫ぶということ。それは、感情をあらわにすることでもあり、自分の気持ちに正直に生きることの象徴でもあると思う。”自分は今確かにここに生きているのだ!”と、明日に向かって叫びながら走り出す「僕」の様子が目に浮かぶようだ。

「ラストコール」
歌手名:flumpool 作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

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星野源「Week End」を聴いて。

YELLOW DANCER (初回限定盤B)
星野 源
ビクターエンタテインメント
2015-12-02


星野源の大ヒットアルバム「YELLOW DANCER」の2曲目に収録されている「Week End」「時よ」でキャッチーでポップな星野源ワールドに引きずり込まれたかと思うと、息つく暇もなく「Week End」というダンサブルなナンバーが続く。一番最初に「YELLOW DANCER」のアルバムを聴いた時のことを思い出す。”え、全曲クオリティが高すぎない!?全部シングルでもいいくらいじゃない!?”と思ったのをよく覚えている。「YELLOW DANCER」はタイアップ曲が多いことも特徴。今回紹介する「Week End」『めざましどようび』のテーマソングとのこと。さすがは「Week End」(=週末)というだけある。休みの日が終わり、週末はどこへ行こうか!?何をして楽しもうか!?というワクワク感に満ち溢れたハッピーソングだ。自然と身体が動いて、聴くとスキップして出かけたくなるような、ライブでも盛り上がること間違いなしの名曲である。

●「Week End」(2015年12月2日発売アルバム「YELLOW DANCER」収録曲)



これぞ星野源がやりたかった”イエローミュージック”なのだろうなぁと感じる曲。なんとなく曲調がひと昔前のダンスミュージックっぽいのだが、それでも古臭い感じはもちろんなく、現代風かつJ-POP感もあるという、不思議なまとまり感がある。星野源は編曲まで自分でやることにこだわりがあるようで、編曲を自分でしていないシングル「ギャグ」は当アルバムには未収録である。この”不思議なまとまり感”こそ星野源の編曲の才能であり、彼が現代日本のポップス界において唯一無二の存在になりえた所以の一つだろう。

「さよなら
 目が覚めたら 君を連れて
 未来を今 踊る
 週末の街角 ここから 始まる

 夢から目が覚めたら 君を連れて
 未来を今 踊る
 週末の街角 朝まで
 身体を交わそう」(冒頭サビ)


さすがは『めざましどようび』のテーマソングというだけあって、「目が覚めたら」「週末」というキーワードが使われている。冒頭の「さよなら」というのは文脈的には意味不明なフレーズ。「未来を今 踊る」という部分にも「未来」「今」という矛盾した表現が使われている。次に「夢から目が覚めたら」というフレーズがあるが、冒頭の「さよなら」と関連させると、「夢」の世界(=あの世、スピリチュアルな次元)に「さよなら」(=目が覚める)、というふうに読めなくもない。「未来を今 踊る」という矛盾した表現も、時空を超えた概念を感じさせ、「踊る」という”肉体感”を持ったフレーズにもかかわらず、どこか抽象的で宙に浮いている感覚さえある。「週末の街角」で粋な男女のカップルが陽気に踊り、その勢いで「朝まで 身体を交わそう」とする様子が目に浮かぶ。なんとなく、ミュージカル『雨に唄えば』で、主人公が街角で歌い踊るシーンを思い浮かべた。

「花が色づく頃は
 心も浮ついて
 誰かに声をかけて
 無茶な口説き方して
 
 今を踊る すべての人に捧ぐ
 俯いた貴方の 腕を掴み 音に乗って

 夢から目が覚めたら 君を連れて
 未来を今 踊る
 週末の街角 朝まで
 身体を交わそう」(1番Aメロ、Bメロ、サビ)


「花が色づく頃」だろう。不謹慎な話だが、小学校の頃など”春は不審者が増えるから気をつけるように”とよく言われていたものだ。春はたくさんのいのちが冬からの目覚めを迎え、生き物全体が浮足立っている。もちろん人間も例外ではなく、寒く閉じこもってしまう忍耐の冬を越え、春の陽気に誘われて「心も浮ついて」しまうのだ。時に、「無茶な口説き方して」しまうこともあるのだろう。
「今を踊る すべての人に捧ぐ」という表現がとても気に入った。「今を踊る」というフレーズは、「SUN」の歌詞の中にもある。Cメロのラストサビに向かう、「踊る いま いま」の部分だ。「今を踊る」というのは、”今を生きる”という表現よりもより”肉体感”をもって、”生を楽しんでいる”という感覚を受ける。「俯いた貴方の 腕を掴み 音に乗って」というフレーズは、”これはまさに世の中にとっての星野源のことじゃないの?”と思った。星野源の奏でる音楽に世の人々は大いに救われたし、いつも元気をもらっていると思う。どんなにつまらない毎日、うまくいかない日々でも、星野源の音楽や番組を視聴して笑って元気になり、また明日からも”生を楽しもう”と思える。「俯いた」我々の「腕を掴み」「恋」ダンスを踊ろうと誘ってくれたのは紛れもない星野源である。もちろん、「恋」の方が後発なので、これも予言的ではあるのだが。

君にしかできないことがきっとある。「君だけのダンス」を世間にアピールしよう!

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「木の葉色づく頃は
 心に穴が開いて
 指の先少し冷えて
 貴方の温度探す

 今を生きる すべての人に捧ぐ
 俯いた貴方と 靴を鳴らし 昔を飛べ

 夢から目が覚めたら 君を連れて
 未来を今 踊る
 週末の街角 朝まで
 言葉を交わそう」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)


「木の葉色づく頃」=今度はだ。季節がうつろい、春から秋になった。春は浮足立っていたが、秋は「心に穴が開いて」、人肌恋しいことを口実に女性に声をかけるらしい。2番では「俯いた貴方と 靴を鳴らし 昔を飛べ」というフレーズになっているが、ここで気になるのは「昔を飛べ」だ。夢と現実、肉体感と浮遊感、今と昔と未来。様々な次元を交錯するような歌詞が面白い。「昔を飛べ」というのは、なんとなく”過去はすべて忘れて”という印象を受けた。いつまでも過去に縛られず、「今を踊る」のだ。2番のサビのラストは「言葉を交わそう」となっており、単におしゃべりするという意味だとしても、なんとなく色っぽいような、夜の大人の雰囲気を感じるのが不思議だ。1番の「身体を交わそう」からの流れがあるからだろうか。

「今を踊る すべての人に捧ぐ
 君だけのダンスを 世間のフロアに出て叫べ
 
 夢から目が覚めたら 君を連れて
 未来を今 踊る
 週末の街角 朝まで 夜を抱いて

 さよなら
 目が覚めたら すべて連れて
 未来を今 変える
 週末の街角 朝まで
 電波を 世間を 未来を 踊ろう」(ラストBメロ、サビ)

 
ラストBメロの「君だけのダンスを 世間のフロアに出て叫べ」の部分は、いろんな次元の意味にとれて面白い。なんとなく思い出すのは、『星野源しか出ない夏フェスinいつものラジオブース』(2016年夏のラジオ『星野源のオールナイトニッポン』内での特別企画)。”全員が最前列”のコンセプトで、それぞれが思い思い自宅(なり他人宅)でラジオを聴き、思い思いに踊り楽しんだ名企画。人目を気にせず、思い思いに踊って良い時空間。ライブに行くと、どうしてもファン同士での決まった振り付けや手拍子などがあり、それに同調することが多い。しかし、日本人はそういう共通の振り付けのようなものがあったほうがライブで楽しみやすいし、”みんなで同じことをしている”ことにファンとして、イベントとしての一体感を感じたりする人が多数派なのではないか。「君だけのダンス」というのは、”周りを気にしなくていい状況だった時に、君が本当に踊りたい動きが出るよね?”ということを暗に言っている気がする。
もう一つ、昨今よく言われている”好きなことをして生きていこう”というメッセージも感じた。”君だけにしかできないことで、世間と勝負してみよう!”と背中を押されている感覚。君が本当にやっていきたいことを世の中に宣言していこう、そして実現していこう、という星野源なりの応援歌なのかなという気もする。

ラストは「未来を今 変える」となっており、今の行動次第で未来はどうにでもなるのだということを言っているのだと思う。未来には無限の可能性がある。「電波を 世間を 未来を 踊ろう」というフレーズでは「電波を」という表現だけなんとなく異質な感じがする。「電波」というのはテレビやラジオ、ケータイなどを連想させる言葉だ。ここでもまた、”肉体感”「電波」という”目に見えないもの”のちぐはぐ感がある。「電波」には現代の風を感じるし、インターネットやSNS、目に見えない仮想現実の世界で「踊る」というのは、肉体的イメージとはかけ離れた感じもする。そこがこの歌詞の面白さで、時空間を、次元をも超えた概念をイメージすることにつながっているように思う。

「時よ」のラストは「バイバイ」という歌詞で終わり、次の曲は「さよなら」で始まるというのも偶然ではないだろう。遊び心がいっぱいで、ノリノリでダンサブルな軽いナンバーかと思いきや、いつもの星野源らしい世界観は健在で、時空間や次元を超えた不思議な歌詞の世界に人々を誘ってくれる。この世は夢か現実か、過去と現在と未来の時間軸、仮想空間と肉体感の実在感…などなど、短い歌詞の中にも様々な要素が詰まっている。何気ない歌詞だけどよくよく読むと実は深い、そんな星野源の表現の世界に誰しも「腕を掴」まれて、「未来を今 踊」ってしまうのだろう。

「Week End」
歌手名・作詞・作曲:星野源

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[Alexandros]の代表曲、「ワタリドリ」を聴いて。

ワタリドリ/Dracula La
[Alexandros]
ユニバーサル ミュージック
2015-03-18


映画の主題歌、CMソング、USJのアトラクションのテーマソングに起用されるなど、[Alexandros]が広く世に出るきっかけとなった「ワタリドリ」。今でも”[Alexandros]の代表曲と言えば?”と聴くと、この曲を挙げる人が多いと思われる(たまに”コウノドリだっけ?”と言うnotファンもいる…)。この楽曲はユニバーサルミュージックと契約後初のシングルで、メジャーとしては初のリリース作品。メジャーになってすぐこの曲がヒットしたので、メジャーになることを意識して曲を作ったかと言えばそういうことではないらしい。『rockin' on JAPAN 2016年12月号』のインタビューではこんなことが語られている。

「”ワタリドリ”は、実はメジャーデビューが決まる前からあった曲なんです。で、メジャーデビューする時に、もうこれしかないでしょと思いましたね」

●「ワタリドリ」(2015年3月18日発売シングル)



イントロの調子が良くていきなりノリノリ、テンションがあがる。PVでは恒例の美女が2人登場。二人で紙飛行機を持って別れを惜しみつつ、お互いに頑張ろう、と言っていそうな様子が描かれている。この曲のテーマは”慣れ親しんだ場所や人との別れと旅立ち”だろうと思う。これは[Alexandros]が慣れ親しんだインディーズからメジャーへと飛び立つこととも重なる。渡り鳥は越冬や繁殖のために長い距離を移動するものが多い。ある時期は遠く離れた場所で過ごしても、また時が経つと故郷に戻ってきたりする。また、渡り鳥は群れで行動することが多く、隊列を組んで効率的に飛行したりもする。海を越えることが多いためか、水鳥、海鳥も多い。長距離飛行する渡り鳥には強靭なスタミナと体力が必要だ。そんな渡り鳥の特徴も踏まえつつ、歌詞を読んでみよう。

 「I wanna fly so high
 Yeah, I know my wings are dried
 「翼仰げば」って人は云う
(僕は天高く飛びたい
 そうさ、僕の翼が乾いてるのはわかってる)
 
 その向こうにあるは無情
 飛べる者 落ちる者

 誰も見てない
 気にも留めない
 それでも飛び続けた

 傷ついた言葉乗せ
 運びたいから」(1番Aメロ、Bメロ 筆者意訳)


冒頭の「my wings are dried」はちょっと意味が分からない部分もあるのだが、おそらく渡り鳥に水鳥や海鳥が多いことやPVに海が登場することを踏まえると、”飛び立つ準備ができた”という意味かと思う。羽が濡れたままでは羽の重みで飛び立つことができない。翼が乾いていると言うことは、”いつでも飛べる”ということだろう。「「翼仰げば」って人々は云う」は、”そろそろメジャーデビューしたら?”と言われてきたいう意味かもしれない。しかし「その向こうにあるは無情」で、「飛べる者」もいれば「落ちる者」もいる、体力(実力)勝負、弱肉強食的な世界。「誰も見てない 気にも留めない」というのは、今までの日の目を見てこなかった活動のことだろうか。誰にも注目されていない時期も、もがきながら曲を作り続けてきたのだろう。「傷ついた言葉乗せ 運びたいから」、この部分は今まで悔しい思いをしてきた経験をバネに、それすらも大きな糧にしていきたいといった感覚を受けた。かなり感覚的な歌詞だと思う。

「追いかけて 届くよう
 僕等 一心に 羽ばたいて
 問いかけて 嘆いた夜
 故郷(まち)は 一層 輝いて

 ワタリドリの様に今 旅に発つよ
 ありもしないストーリーを
 描いてみせるよ」(1番サビ)


この曲で気になるのは「僕等」という歌詞。群れを成して「一心に羽ばたいて」いく「僕等」バンドメンバーのことのように思える。「羽ばたいて」ふと「故郷(まち)」を見下ろすと「一層 輝いて」いた。これは、これまでのサラリーマン時代や、プロになってもバイトしたりしてきた頃のことを振り返っているようにも見える。”そんな過去もあった。それはそれは良かったのだ。輝いている。”という気持ち。「ワタリドリの様に今 旅に立」ち、メジャーデビューして大活躍してやるよ!という決意表明だろう。

誰とのお別れソングだろうか。相手は最愛の人?地元の親友?それとも…?

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「I wanna fly so far
 away with my guitar
 「一人じゃない」って人々は歌う
(僕はずっと遠くへ飛んでいきたい
 ギターとともに)

 間違いじゃない 理想論でもない
 ただ頼って生きたくはない

 誰も聴いていない
 気にも留めない
 それでも歌い続けた

 傷ついた あなたを
 笑わせたいから」(2番Aメロ、Bメロ 筆者意訳)


2番は「「一人じゃない」って人々は歌う」という歌詞からの流れが印象的。「間違いじゃない 理想論でもない ただ頼って生きたくはない」というフレーズは「一人じゃない」にかかっているのだろうか。”あなたは一人じゃないんだから、頼ったっていいんだよ”、そんな優しい言葉をかけてくれる人もいるのかもしれない。それはわかってるけど、自分は「ただ頼って生きたくはない」のだと。「ワタリドリ」体力(実力)勝負で、自分がへばったらそこで死んでしまうこともあるだろう。代わりに誰かが運んでくれるわけではないのだ。
「傷ついた あなたを 笑わせたいから」、ここで初めて「あなた」が登場。サビの「僕等」の中に「あなた」は含まれているのだろうか?「あなた」は自分ではない誰かなのか、それとも自分自身なのか。いろんな読み方ができる。PVの映像を参考にすると、故郷や地元やこれまでの人間関係との別れが描かれているので、そういった故郷にまつわる全般やこれまでの傷ついてきた自分といったものすべてを指すのかもしれない。

「追い風 届けるよ
 僕等 一心に 羽ばたいて
 遠い過去を 背負ってた
 あなたを未来へ運ぶよ

 ワタリドリの様に 今 群れをなして
 大それた四重奏を 奏で終える日まで

 All this time we come and we grow
 Now it's time that we should go
 But we both know that this is for sure
 It's not the end of the world

 Well, see you one day
(僕等はこれまでずっとともに歩み成長してきた
 いま いよいよ飛び立つ時が来た
 それでも 僕等二人ともわかってるんだ
 これが世界の終わりではないのは確かだってことを

 そうさ、またいつか会う日まで)

 追いかけて 届くよう
 僕等 一心に 羽ばたいて
 問いかけて 嘆いた夜
 朝焼け色に 染まっていく
 
 ワタリドリの様に いつか舞い戻るよ
 ありもしないストーリーを
 いつかまた会う日まで」(2番サビ、Cメロ、ラストサビ 筆者意訳)

2番サビでも「あなた」が登場する。「傷ついた」「遠い過去を背負ってた」誰か別の人に対して歌っている可能性もあるが、やはり過去の自分自身という読み方がしっくりくるかもしれない。「ワタリドリの様に 今 群れを成して 大それた四重奏を 奏で終える日まで」、この部分はまんま本人たちのことだ。
Cメロの英語の部分は、「we both」に注目。「both」というのは”両方とも”という意味なので、ここでの「we」はサビの「僕等」(=バンドメンバー)のことを指しているわけではなく、「僕」と「あなた」「both」であることが伺える。「僕」(=飛び立つ自分)と「あなた」(=「傷ついた」「遠い過去を背負ってた」自分)は共に歩み成長してきたけれど、ここで「僕」は旅に立つと。
「朝焼け」というのは”夜が明ける”ということ。つまり、長い下積み時代(=「嘆いた夜」)との対比表現だろう。いよいよ日の出を迎えるのだ。「ワタリドリの様に いつか舞い戻るよ」というのは、過去の下積み時代を見捨てたり否定しているわけではないということだろうか。過去の自分が聞いたら泣いて喜ぶような「ありもしないストーリーを」語るのを楽しみにしてくれよ!というメッセージだろう。
この曲のテーマは”慣れ親しんだ場所や人との別れと旅立ち”であることに間違いはないが、それと同時に、”自分自身の過去との決別”でもあると思う。ちょうどメジャーデビューのタイミングと「ワタリドリ」の歌詞が重なり、熱い思いが込められた彼ら自身の決意表明にふさわしい名曲に仕上がったのだろう。

「ワタリドリ」
歌手名:[Alexandros] 作詞・作曲:川上洋平

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