flumpool「ラストコール」を聴いて。



今回取り上げる「ラストコール」は映画『サクラダリセット』(前篇)の主題歌として起用されている楽曲で、内容も映画のストーリーに沿ったものになっているらしい。筆者は原作のライトノベルを読んだことがなく、ざっとあらすじを読んだに過ぎないのだが、特殊能力を持った人物が多数登場するSFもの(?)のようだ。主人公の浅井ケイ”過去に体験した全ての記憶を保持する”という特殊能力があるという設定らしい。映画スタッフ側からのリクエストもあり、疾走感、力強さ、切なさを盛り込み、重厚なストリングスを加えたアレンジに仕上げたそうだ。歌詞も主人公の浅井ケイの感情をベースに練られているとのこと。映画の簡単な設定も頭に入れつつ、早速歌詞を見てみようと思う。
映画『サクラダリセット』の公式サイト
※公式LINEサイトのインタビューを参考にした。

●「ラストコール」(2017年3月15日発売シングル)



MVに登場するのは映画で浅井ケイ役を演じる野村周平flumpoolと同じアミューズに所属。彼は8年前のシングル「見つめていたい」のMVにも登場していた。MVと曲の雰囲気が非常にマッチしていて、上記の通りの疾走感、力強さ、切なさ、壮大さや重厚さが本当によく伝わってくる。このMVは片島魚雷発射試験場跡の廃墟で撮影されたらしい。戦争を思い起こさせる場所で、”記憶”、”忘れる”、”風化”などのメッセージ性も込められているように思う。Cメロで雨が降り暗くなった後に、ラストサビで輝く海に走ってゆくシーンが印象的。ラストサビのあえてブレブレにしているカメラワークにも、疾走感とギリギリで生きている脆さのようなものを感じた。

「世界が昨日を忘れたとしても
 今宵も 抱き続けてたい Memory

 届かない祈りのように
 生きていたいけど
 1つの罪も償えず
 恨めもせずに
 
 今以上に 間違いな自分を
 今以上に 傷つけて
 今日だって 答え探して

 これ以上に 冴えない世界でも
 これ以上に 手を伸ばしながら
 駆け抜ける 答えはきっと
 明日の向こうで 」(1番Aメロ、Bメロ、サビ)


「世界が昨日を忘れたとしても 今宵も 抱き続けてたい Memory」、この部分はまさに浅井ケイの感情に寄せた歌詞だろう。「今宵も」の部分がどこか孤独な、影のある印象を受ける。Bメロ「届かない祈りのように」というのはどういった意味だろうか?普通は祈りが届いてほしいと思うものなので、ちょっと意味がわからない。「届かない祈り」”無駄”なのだろうか、それともある意味”全てが思うようになるわけではない世界”のことだろうか?この辺りは小説や映画を観ればわかるのかもしれない…。

サビは「○○以上に~」のフレーズの繰り返しが畳み掛けるような疾走感を感じさせる。歌詞の内容も、答えを探してもがき苦しんでいる様子と、それでも生きていった先に希望はあるのだと自分を奮い立たせるような気持ちが伺える。過去を忘れられない能力があれば特に、「間違いな自分」を忘れることができない苦しみや、自分を責めたり自分を「傷つけ」たりすることも必然的に多くなるのかもしれない。過去を忘れられないとしたら、”自分はいかに生きていくのか?”という人間の根源的な問いへの「答え」がより複雑なものとなるのだろう。我々人間へのひとつのギフトとして”忘れる”という能力が備わっていると言っても良いのかもしれない。

「期待通り」生きることで失った感情、正直な気持ち。真に「誰かのために生きる」とは!?

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「麻痺していく 感情だけを味方にして
 今宵も 抱き続けている Theory
 
 誰にも見つけられない
 虹になりたくて
 誰かのために 声枯らして
 満たされてても…

 予想外に 残酷な自分を
 予想外に 慰めて
 今日だって ゴール探して
 
 期待通り 感情殺しても
 期待通り 平然なフリで
 手放してく 幼さが消えてゆくよ」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)


「Theory」というのは直訳すると理論とか意見といった意味なので、ここでは”自分自身の考え”みたいなものだと思う。「麻痺してく 感情だけを味方にして」という歌詞にも、どこか”孤独感”が漂う。感情が麻痺するというのは、ある意味人間らしさを失うことでもある。何を見聞きしても心が動かなくなってしまうのは、想像するだけでとても辛いことだ。人間に備わった”忘れる”という能力を失ったとき、それは”感情”を揺さぶられるという人間らしさを失うということでもあるのだろうか?
1番の「届かない祈り」と2番の「誰にも見つけられない虹」という表現はどこか似通っていて、いずれも”無駄”とか”もったいない”ような印象を受ける。おそらく世の中には「誰にも見つけられない虹」というのは多数存在している。そもそも「虹」は”誰かに見つけてもらいたい”と思っているわけではないだろう。自然現象としてただあるだけで、それを見つけた人間が”虹だ!”と言って感動したり、写真を撮ったりするだけだ。”誰かに見てもらうために”、つまり「誰かのために」生きたくはないという気持ちの表れだろうか。いずれの表現も、どこか心を閉ざしていじけてしまっているような、世の中に夢も希望も持てないような、そんな気持ちが読み取れる。

2番サビもどこか暗い。「残酷な自分を」「慰めて」といった表現からも、自虐的であったり、自分を自分で傷つけたりしている様子が伺える。「期待通り」の繰り返しも、「誰かのために」生きて自分を見失っている様子を表している。それによって「感情殺して」生きていくことになり、「幼さ」(=感情をありのままに自由に表現すること)が「消えて」いってしまった、ということだろうか。「誰かのために」「期待通り」「感情殺して」生きていくことが”大人になる”ということなのだろうか?

「無機質に降りだす雨に
 聞き漏らした 君の声
 止まったままの悲しみ
 意味があるのならば…僕は今歌うよ

 今以上に 信じ合いたくって
 今以上に 傷つけたって
 明日にしか 答えはなくて
 また探して
 
 今以上に 間違いな自分を
 今以上に 傷つけて
 何度でも 答え探して
 
 これ以上の 平穏な日々を
 これ以上の 幸せを
 最後まで 君の声を 僕が探すよ
 
 僕は探すよ
 ラストコール」(Cメロ、ラストサビ)

 
Cメロで初めて「君」が出てくる。「無機質に降り出す雨」という表現からも、感情を失った感覚が読み取れて切なくなる。雨の音にまぎれて「聞き漏らした 君の声」。声こそ聞こえなかったけれど、そこに何らかの「悲しみ」があったことを感じ取った「僕」「止まったままの悲しみ」という表現は、過去のある時点の「悲しみ」が癒されずに、時が「止まった」かのようにそこにあり続けることを表しているように思えた。「君」「止まったままの悲しみ」に触れた時、真に「誰かのために」生きるというのは、自分を犠牲にして感情を押し殺すことではなく、”誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい”という愛や奉仕の気持ちで生きるということに気づいたのではないだろうか。

音数が少なくなる切ないサビ「今以上に 信じ合いたくって 今以上に 傷つけたって」の部分、この「信じ合いたくって」というのがこの曲全体の本音だろう。Cメロで初めて「君」という他者が登場し、世界に対して心を閉ざして自己犠牲や被害者意識に苛まれていた「僕」が、外に対して心を開き始めた。本当は「信じ合いたくって」という本音や、”誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい”という気持ちに従って生きることが希望であるということに気づき、また前を向いて生きようという気持ちが芽生えてきたのだ。
「ラストコール」というのは直訳すれば”最後の叫び”と言う意味で、”最後の最後の力を振り絞って叫ぶ”といった感覚を受けた。それは生きる希望や活力、情熱ともつながると感じた。世界に心を閉ざし、内にこもったままだった「僕」が、外に向かって思いっきり叫ぶということ。それは、感情をあらわにすることでもあり、自分の気持ちに正直に生きることの象徴でもあると思う。”自分は今確かにここに生きているのだ!”と、明日に向かって叫びながら走り出す「僕」の様子が目に浮かぶようだ。

「ラストコール」
歌手名:flumpool 作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

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