flumpool「キズナキズ」を聴いて。



flumpool「ラストコール」のカップリング曲で、NHK系『みんなのうた』にも起用された「キズナキズ」を取り上げてみたいと思う。『みんなのうた』ではほのぼの系のアニメ映像とともに流れるのだが、flumpoolのやさしさやあたたかさが全面に伝わってくるほっこりとしたかわいい曲だと感じた。友達と喧嘩したり傷つけ合ったりもして、ただ楽しく笑い合うだけの日々ではなかったけれど、そんなあれこれ込みでも別れというのは寂しいもの。大人になってからはともかく、子どもの頃は些細なことで喧嘩したり行き違いが起こったりして気まずくなり、卒業や転校で別れが来て初めて素直に謝って仲直りすることもあるだろう。幼い頃や学生時代に、その幼さゆえに本音でぶつかりあえた友人たちと過ごした日々を思い出す、昔の仲間にまた会いたくなるような友情ソングである。

「大好きだった」にちょっと雰囲気が似ていると思った。


●「キズナキズ」(2017年3月15日発売シングル「ラストコール」収録曲)

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ライブなどでのパフォーマンスではおそらくファンの合唱タイムがありそうな、”仲間感”が強いこの曲。ファンとしてはどうしても”flumpool4人の絆”を連想してしまう。LINEのインタビューサイトでも若干触れられていたが、本人たちにも”自分たちと重ねてどう感じたか”というそれぞれの感想はあったようだ。山村、尼川、阪井は幼稚園からの幼馴染であり、幼少期からの友達同士で今もバンドを組んで共に仕事をしているという間柄。ファンの中にはflumpoolの楽曲はもちろん、4人の”仲間感””気心の知れた感”が好きで応援しているという人も多いのではないか。

「サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆

 出会えた日の ドキドキとか
 いつか忘れてしまうのかな?
 一人ぼっちの寂しさでも
 いつかは 慣れてしまうのかな?

 ただ笑い合えてた日々が
 知らぬ間に遠くなっていても
 伝えたくて この胸の願いを

 サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆」(冒頭サビ、1番Aメロ、Bメロ、サビ)

特に説明が必要な難しい歌詞ではないので感想ベースで書いてみたいと思う。サビで繰り返される「サヨナラは悲しいけど その痛みを 喜びと同じように分け合おうよ」、この歌詞はまさにタイトルの「キズナキズ」につながるこの曲のメインテーマである。我々人間はつい、「喜び」は良い感情、ポジティブなこと、「悲し」み、「痛み」はよくない感情、ネガティブなこと、と頭で判断してしまうことがある。「喜び」はどんどん分かち合おう、「悲し」みや「痛み」は表に出さず、押し込めてしまおう。そんなことを無意識的に考えてしまうことがある。表面的なつながりならばそれでも良いかもしれない。しかし、本当に心からの”絆”で結ばれた関係性においては、「喜び」「痛み」も区別なく分かち合いたいし、「どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば きっとそれが僕らの絆」になるのである。

「ただ笑い合えてた日々が 知らぬ間に遠くなっていても」、このフレーズは、大人になるにつれて徐々に「ただ笑い合」うことができる心の底から信頼できる友人が少なくなってしまうというイメージが浮かんだ。LINEのインタビューでも書かれていたが、利害関係なく純粋な気持ちで友人関係を築けるのはせいぜい学生時代くらいまでで、大人になるほど純粋さを失い、下心をもって相手と親しくしようとする人も出てきてしまうものだろう。幼少期のピュアな自分が好きで親しくしていた友人というのは、頭の計算なしに純粋に気が合って楽しいから一緒にいた相手とも言える。そんな相手と一緒にバンドを組んで共に仕事をする彼らは、いったいどんな気持ちでいるのだろうか?

なんだかんだメンバー愛を歌った歌なのだと結論づけたいファン心理。

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「喧嘩した日は ズキズキした
 何故か心は身体よりも
 帰り道が あんなにもさ
 広かったんだね 泣いた夕暮れ
 
 ただ笑い合えただけじゃない
 昨日がそっと胸をよぎるよ
 伝えなくちゃ あの日言えなかった

 誰よりも君をそばで見ていたのさ
 誰より優しい瞳の奥の寂しさも
 時間が過ぎるたびに
 たくさん傷ついてきたけど
 全て僕らの絆」(2番Aメロ、Bメロ、サビ)

喧嘩して相手をぶって傷つけたり、血を流したりしたとしても、「喧嘩した日は」「何故か心は身体よりも」「ズキズキした」らしい。身体の傷や痛みは数日で癒えるが、かさぶたが剥がれた後も「心」の傷は痛み続けるものだ。その「心」の傷は、”仲直り”することでしか癒えることはない。それは「伝えなくちゃ あの日言えなかった」、といった形でその人を後押しする。喧嘩した直後はお互いに気まずかったり、意地を張ったりして素直になれないこともある。仲直りしたいのに、言い出せない。喧嘩した翌日は、自分の中で2番手、3番手くらいに仲の良い友人と遊んだりする。そんな経験は誰にでもあるのではないだろうか。
「誰よりも君をそばで見ていたのさ 誰より優しい瞳の奥の寂しさも」、恋愛ソングではないのに恋愛ソングみたいな歌詞だ。筆者自身にも幼少期から大人になった今まで仲の良い友人たちがいる。幼いころから自分を知っている人が身近にいるというのは、どんなに心強く、支えになることか、実体験としてわかる部分も多い。友人相手にこんなクサイ台詞を言うことは恥ずかしくて無理だが、こうして歌詞として”表現”に昇華すればできないこともない。ということはやはり、この歌詞にも山村からメンバーへの本音がこもっているのかもしれない。

寂しさを越えて、相手の夢を応援し、相手の幸せを願うこと。それが「キズナキズ」

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「「転んでも転んでも ゼロから歩こうよ
 僕も一緒に歩くよ」
 いつだってさ 辛いとき 思い出すのさ
 君がくれた あの言葉を
 僕も届けたい

 サヨナラは悲しいけど その痛みを
 喜びと同じように分け合おうよ
 どんな傷跡だって 二人で持ち寄れば
 きっとそれが僕らの絆

 倒れても駄目元でも頑張ってみよう
 ガムシャラに夢へと転がってゆくんだ
 どんな傷跡だって 恐れず向き合って進もう
 全て僕らの絆」(Cメロ、ラストサビ)


Cメロの「「転んでも 転んでも」」、ラストサビの「倒れても駄目元でも頑張ってみよう ガムシャラに夢へと転がってゆくんだ」というフレーズ。最後に「夢へと転がって」傷ついても、という意味合いが新たに加わった。友人同士で喧嘩してついた「傷跡」も、「サヨナラ」による「傷跡」も、「夢へと転がって」ついた「傷跡」も、「どんな傷跡だって 恐れず向き合って進もう」と言っている。友人との「サヨナラ」は、片方が「夢へと」旅立つことをきっかけに訪れるものかもしれない。たとえグループやバンドを組んでいても、メンバーの誰かが別の「夢へと」向かっていくこともある。ずっと一緒にいてほしいから、引き止めたくなることもある。そんな「サヨナラ」の悲しみ、寂しさという「傷跡」を越えて、相手の「夢」を応援すること。相手を励まし、相手の本当の幸せを願うこと。それこそが真に強く結ばれた友情であり”絆”「キズナキズ」というタイトルに込められたテーマなのだろう。

「キズナキズ」
歌手名:flumpool 作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

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