2005年07月31日
日本に市民参加型ジャーナリズムが根付かない理由はない。(9)_市民記者は暇人の集まりではない。
わたしが考えているのは、駅のホームの階段の下で困っている車椅子の人を、みんなで力を合わせてホームまで持ち上げるようなこと。そんなときに名乗る人なんかいません。誰か人に親切にしたときに名乗るような人は、ちょっとおかしな人。
世の中には、功名心のために動く人もいるでしょう。
でも逆に、立場にしばられて発言できないだけではなく、「目立ちたくないから発言しない」。「売名行為と思われるから発言しない」という人も多い。
匿名にする理由は、名前を知らすことがはばかられる恥知らずのゆえではなく、「名乗るに及ばず」という個人のプライドの現れの場合もある。
☆
市民記者活動を暇人の活動ととらえる人がいる。曰く、市民記者は余った時間に記事を書くから、既存のマスコミと対峙するような勢力にはならない。と。
マズローの欲望段階説をひきあいに出し、衣食足りた人が市民記事を投稿するのであって、記事数が少ないのは登録者が日々の生活に忙殺されているからだと…。
インターネット上で、反論は機能しないが、あえて私は反論を試みる。
作詞家・小説家のなかにしれい氏は、「豊かな世の中でしか芸術は必要とされない」という言葉に反発している。彼は著作の中で次のように述べている。
満州からの引揚船の中で、りんごの歌を聴いた。何もかも失い茫然自失した彼の心は、その明るい歌詞に反発した。だが、それでも尚、あの歌が辛い状況を乗り越えるために、日本中の人たちが必死に歌っていることに気づいたという。りんごの歌が芸術かどうかは分からない。だが、カラオケのCMではないが、辛いとき程うたいたいのだ。
たしかにレーニンは大金持ちだったし、太宰治は東北の金持ちのボンボンだった。だが、それでも尚、生活が安穏としている人しか書かない、書こうとしないというのは、間違っていると思える。そして、ほとんどの場合、国民的な歌や文学作品が生まれるときは、その国家が存亡の危機にさらされたときというのは、歴史が証明している。
いまの日本が平和であり、生活に困らない豊かな社会と考える人も多いだろう。だが、それは一部の富裕層に属している人たちの意見に過ぎない。リストラで自殺する人、会社が倒産して自殺する人。そのような社会の現実を知っている若者たちが大人の社会に入っていこうとせず、NEETを決め込むのも当然のことと思える。
外国と比べることも意味はない。否、外国と比べるならば、私たちの国が理想の国とは程遠いことを、出生率の低下が端的にあらわしていると考えることはできないだろうか。
☆
市民記者の記事の投稿が、自らの自己実現を第一目標にされるなら私の意見は空論だ。しかし、市民記者が社会的有益性を第一目標に投稿されるならば、私の考えも間違っていないと考える。
市民記者とは、誰かに向かって歌いたい人である。
カラオケルームで一人歌いたいような人は、ブログでかまわない。また、沢山の人に向かって歌うための訓練として、ブログで修行している人もいるだろう。
勿論、ブロガーの中にも社会的に意義がある情報発信をしたい人はいるだろうから、それは市民記者媒体とコラボレーションをすればいい。
市民記者とブロガーの違い・位置づけを私はそう考える。
世の中には、功名心のために動く人もいるでしょう。
でも逆に、立場にしばられて発言できないだけではなく、「目立ちたくないから発言しない」。「売名行為と思われるから発言しない」という人も多い。
匿名にする理由は、名前を知らすことがはばかられる恥知らずのゆえではなく、「名乗るに及ばず」という個人のプライドの現れの場合もある。
☆
市民記者活動を暇人の活動ととらえる人がいる。曰く、市民記者は余った時間に記事を書くから、既存のマスコミと対峙するような勢力にはならない。と。
マズローの欲望段階説をひきあいに出し、衣食足りた人が市民記事を投稿するのであって、記事数が少ないのは登録者が日々の生活に忙殺されているからだと…。
インターネット上で、反論は機能しないが、あえて私は反論を試みる。
作詞家・小説家のなかにしれい氏は、「豊かな世の中でしか芸術は必要とされない」という言葉に反発している。彼は著作の中で次のように述べている。
満州からの引揚船の中で、りんごの歌を聴いた。何もかも失い茫然自失した彼の心は、その明るい歌詞に反発した。だが、それでも尚、あの歌が辛い状況を乗り越えるために、日本中の人たちが必死に歌っていることに気づいたという。りんごの歌が芸術かどうかは分からない。だが、カラオケのCMではないが、辛いとき程うたいたいのだ。
たしかにレーニンは大金持ちだったし、太宰治は東北の金持ちのボンボンだった。だが、それでも尚、生活が安穏としている人しか書かない、書こうとしないというのは、間違っていると思える。そして、ほとんどの場合、国民的な歌や文学作品が生まれるときは、その国家が存亡の危機にさらされたときというのは、歴史が証明している。
いまの日本が平和であり、生活に困らない豊かな社会と考える人も多いだろう。だが、それは一部の富裕層に属している人たちの意見に過ぎない。リストラで自殺する人、会社が倒産して自殺する人。そのような社会の現実を知っている若者たちが大人の社会に入っていこうとせず、NEETを決め込むのも当然のことと思える。
外国と比べることも意味はない。否、外国と比べるならば、私たちの国が理想の国とは程遠いことを、出生率の低下が端的にあらわしていると考えることはできないだろうか。
☆
市民記者の記事の投稿が、自らの自己実現を第一目標にされるなら私の意見は空論だ。しかし、市民記者が社会的有益性を第一目標に投稿されるならば、私の考えも間違っていないと考える。
市民記者とは、誰かに向かって歌いたい人である。
カラオケルームで一人歌いたいような人は、ブログでかまわない。また、沢山の人に向かって歌うための訓練として、ブログで修行している人もいるだろう。
勿論、ブロガーの中にも社会的に意義がある情報発信をしたい人はいるだろうから、それは市民記者媒体とコラボレーションをすればいい。
市民記者とブロガーの違い・位置づけを私はそう考える。
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この記事へのコメント
1. Posted by かれんの私生活公開ブログ 2005年08月11日 14:55
これってどう思う??
2. Posted by ヨン様の秘密 2005年08月17日 13:56
世の中なにがあるかわかりません。。。
いかがなもんなんですかね。。。
いかがなもんなんですかね。。。