2005年08月15日

日本に市民参加型ジャーナリズムが根付かない理由はない。(15)_市民記者は「平和の時の平和論」に参加しない。

終戦記念日である。お盆でもある。平和について戦争について考える日ともいえる。だが、私は平和の時の平和論に参加したくはない。山本夏彦氏曰く、「平和の時に平和を語ることは、戦争のときに戦争を賛美するのと同じくらい楽なこと」だという。

サイレントマジョリティーは良識。そう思いたい。

ところで、そんなことをググっていたら、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」は反戦歌ではないと、山本氏が書いていたという記事につきあたった。
曰く、弟よ。あなたは商家の生まれであり、武士(軍人)ではないのですから、生きて帰ってきなさい。というだけのこと。とか。山本氏は、反戦歌でないものを自らの主義主張のために捻じ曲げて、反戦歌にしたてあげた人たちに我慢がならなかったに違いない。

勿論、平和のために祈ることしかできない人は祈ればいい。だが、平和のために行動できる権力を持った人たちが行動しないで、その優柔不断さを隠蔽するために祈りをささげる場合もある。

平和のために戦うことは、武器を持たずともできる。そして、武器を持たずに真剣に相手と接すれば、より平和に近い状態に近づけるのではないか。
ただし、たった一人でも武器を持ってしまったら、そういう戦いは成立しない。そこが難しい…。

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 鮫島   2005年08月22日 07:18
こういうのをまさしく「平和な時の平和論」と言う。
2. Posted by sponta   2005年08月22日 11:33
コメントありがとうございます。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: