2005年12月15日

メディアを支える個の役割(東吾氏と、PJと)

マスコミでは性善説で法律がつくられているから、今後は性悪説でつくらなければならない。などという言説が流れている。そんな悠長な話だろうか。

藤田東吾社長は、悪事に遭遇したときに、命を守ることを最大限に考え、内部告発に踏み切ったという。

そして今、命の危険を感じているという。つまり、人の命を自分の命と同等に考える。そういう勇気を彼は持っているのだ。

12/4だったか、彼はサンデー・プロジェクトの田原総一朗氏の番組への出演要請を断った。だが、事件のすべてを田原氏に語った。その理由は、命の危険を感じていることもひとつだが、テレビに出ると、あいつはテレビに出て浮かれていると批判されるからだ。と、語った。

非マスコミ人が、マスコミに登場すると、その理由に関わらず、必ずそういう批判がでる。藤田氏の命を賭した勇気と私を比べるのは御恥ずかしい次第だが、わたしがライブドアPJで記事を書き始めたときに、バッシングを受けたのも、同じ理由だろう。

そこでどうしたか。

田原総一朗氏は、藤田氏の話を聞き、すべてを納得し、テレビ番組にふさわしい情報露出の仕方を勘案し、番組を構成した。つまり、藤田氏の情報をテレビ朝日の田原氏がオーソライズした。

藤田氏は口頭で田原氏に伝え、田原氏は言葉と映像でテレビから情報を発信した。だから、きわめてオーソライズしたことが明確になった。

これがもし、藤田氏が記事を書き、文字メディアで発表されたら、オーソライズされた印象は弱くなる。これがもし、藤田氏がビデオインタビューを受け、映像としてテレビで放送されたら、オーソライズされた印象は弱くなる。だが、今回はそうではない。田原総一朗氏であり、テレビ朝日がオーソライズした。それがメディアの本質である。

「記事の責任は、記事を書いた記者にあり、記事を載せたメディアにはない」などという条文は事実上無意味。コンテンツとは無関係なサーバーの運営者が運営責任を問われるのだから、疑問の余地はないのだが…。

いま日経BPとライブドアとの間で摩擦が生じたようだ。日経BPにとってみれば、ライブドア本体とライブドアニュースが違うこと。ライブドアニュースとライブドアPJニュースが違うこと。そして、ライブドアPJニュースとPJライターたちが違うことをきっと理解できていないだろう。もし、全面戦争にいたるならば、その構図が社会的に見て有効なことなのかどうか、ぜひともトライアルして欲しいものである。

演出家の私は、当該記事が、報道精神とは別な演出的な意図で写真が撮影されたことに納得をする。ただ、それがいいことなのか悪いことなのかについては、あえて言及しない。

なぜなら、それよりも重要なことは、当該記事が、ライブドアPJニュースという文脈の中で掲載されたこと。日経BP側は、自らの行為よりも、イエローな文脈なメディアに論じられることに憤慨していると思えてならない。

個もメディアも文脈である。その文脈がブランドをつくるし、そのブランドにぶれがあるものはブランド力を消失する。

私の文脈からいえば、ブランド力を失ったメディアは名前を変えればいい。かなしいかな、私は私の文脈の奴隷でもある。



sponta0325 at 10:10│Comments(0)TrackBack(1)

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1. 最新投稿アダルト動画情報  [ エロ動画掲示板管理人のマサ ]   2005年12月15日 10:20
突然すみません、すごい動画が投稿されたのでトラバさせてちただきました、【1○才、鬼畜レイプ】個人撮影の動画のようで、まだ毛も生えそろってないような女の子を5人の男が車で拉致→廃墟へ→犯しまくります、その辺に落ちているボロ雑巾を口に押し込まれながら知らない男...

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