初出掲載
2005年07月07日
郵政法案5票差で可決に思う。(没記事)
小さな政府にすることは国民の負担を減らすこと。郵政民営化になると郵政公社の27万人の公務員がいなくなる。
メディアの論調も郵政民営化に反対するものは少ないので、なぜ5票差などという僅差で可決されたのか、理解に苦しんだ。
だが、評決の内容を新聞で見ると納得した。賛成票を投じたのは自民党と公明党の議員だけだったのだ。
民主党の岡田代表は、「わずか5票差の結果は首相の事実上の不信任だ。首相に求心力はない」とコメントした。だが、それが果たして適切なコメントだったのだろうか。
今回は郵政民営化についての採決であり、首相の不信任を問うたものではない。岡田氏のコメントは、郵政民営化よりも、自分たちの党の政権への執着を優先したものとしか思えない。
思えば、鳩山兄が代表をつとめていたとき、彼は政策の内容が小泉首相とほとんど同じであることを表明し、野党としてのアイデンティティーを失うとともに、自らの求心力を失い代表の座を追われた。そういう歴史があるから、岡田代表のコメントもしかたないといえばしかたないのだが…。
これから参議院での審議もあるし、実現にはまだまだ越えなければならないハードルは多々ある。そのとき反対派はかならず「わずか5票の僅差」という話を持ち出すに違いない。しかし、そのときになぜ僅差になったかを覚えておくべきだろう。
私は、もめにもめた自民党よりも、ひとりの離反者も出さずに反対票を投じた野党議員たちに、現代日本の政治の荒廃を見る。
メディアの論調も郵政民営化に反対するものは少ないので、なぜ5票差などという僅差で可決されたのか、理解に苦しんだ。
だが、評決の内容を新聞で見ると納得した。賛成票を投じたのは自民党と公明党の議員だけだったのだ。
民主党の岡田代表は、「わずか5票差の結果は首相の事実上の不信任だ。首相に求心力はない」とコメントした。だが、それが果たして適切なコメントだったのだろうか。
今回は郵政民営化についての採決であり、首相の不信任を問うたものではない。岡田氏のコメントは、郵政民営化よりも、自分たちの党の政権への執着を優先したものとしか思えない。
思えば、鳩山兄が代表をつとめていたとき、彼は政策の内容が小泉首相とほとんど同じであることを表明し、野党としてのアイデンティティーを失うとともに、自らの求心力を失い代表の座を追われた。そういう歴史があるから、岡田代表のコメントもしかたないといえばしかたないのだが…。
これから参議院での審議もあるし、実現にはまだまだ越えなければならないハードルは多々ある。そのとき反対派はかならず「わずか5票の僅差」という話を持ち出すに違いない。しかし、そのときになぜ僅差になったかを覚えておくべきだろう。
私は、もめにもめた自民党よりも、ひとりの離反者も出さずに反対票を投じた野党議員たちに、現代日本の政治の荒廃を見る。
2005年06月06日
スカイプで変わるコミュニケーション(没記事)
わたしはスカイプをはじめた。
スカイプははSkype社が開発したインターネット電話だ。
専用セットをlivedoorが専売していたが、最近では他の電機機器メーカーも参入しつつあり、日本でも使うユーザーが増大の傾向にあるという。
実際につかってみて感じたことは、まず音質がよいこと。
携帯電話で電波の状態がわるいところに比べたら、数段安定している。もっとも雑音がまじったり、とぎれとぎれになったりすることはあるが、これはスカイプの問題ではないかもしれない。夜の11時前後とか、一番トラフィックの多い時間に使っているのだから、とても優秀だと思う。
スカイプのもうひとつの特徴は、無料であること。インターネットだから無料なのは当然なのかもしれないが、そうなると、コミュニケーションの質も変わってくる。
電話だとあいづちを打ちながら、会話をつなげていくんだけど、そういう必要はない。電話代がかからないのだから、無言の瞬間があってもまってく気にならない。だから、一緒にテレビなんか見ながら、スカイプをしていたら、一緒にいる錯覚を憶えるんじゃないかとも思う。
さて、スカイプには会議というシステムがあり、最高5人までの会議ができる。この間も、東京・大阪・和歌山の合計5人で会議をやった。会議といっても、議題っとか、評決なんてものはない、ただの井戸端会議。
ある人はネットサーフィン(死語?)をしながら、ある人はメイルをかきながら、私はDVDレコーダーの録画した番組を整理しながら、と、ながら族の極地での会議である。
インターネットのツールを使うとコミュニケーションも変わってくる。
いままで遠くに感じられていた和歌山の友人や大阪の友人が身近に感じられる。日本がとっても近く感じられる。こんなにすばらしいことはないと思う。今度は、外国の友達とやってみたい。
※このページは、コメントを受け付ける設定になっております。
スカイプははSkype社が開発したインターネット電話だ。
専用セットをlivedoorが専売していたが、最近では他の電機機器メーカーも参入しつつあり、日本でも使うユーザーが増大の傾向にあるという。
実際につかってみて感じたことは、まず音質がよいこと。
携帯電話で電波の状態がわるいところに比べたら、数段安定している。もっとも雑音がまじったり、とぎれとぎれになったりすることはあるが、これはスカイプの問題ではないかもしれない。夜の11時前後とか、一番トラフィックの多い時間に使っているのだから、とても優秀だと思う。
スカイプのもうひとつの特徴は、無料であること。インターネットだから無料なのは当然なのかもしれないが、そうなると、コミュニケーションの質も変わってくる。
電話だとあいづちを打ちながら、会話をつなげていくんだけど、そういう必要はない。電話代がかからないのだから、無言の瞬間があってもまってく気にならない。だから、一緒にテレビなんか見ながら、スカイプをしていたら、一緒にいる錯覚を憶えるんじゃないかとも思う。
さて、スカイプには会議というシステムがあり、最高5人までの会議ができる。この間も、東京・大阪・和歌山の合計5人で会議をやった。会議といっても、議題っとか、評決なんてものはない、ただの井戸端会議。
ある人はネットサーフィン(死語?)をしながら、ある人はメイルをかきながら、私はDVDレコーダーの録画した番組を整理しながら、と、ながら族の極地での会議である。
インターネットのツールを使うとコミュニケーションも変わってくる。
いままで遠くに感じられていた和歌山の友人や大阪の友人が身近に感じられる。日本がとっても近く感じられる。こんなにすばらしいことはないと思う。今度は、外国の友達とやってみたい。
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2005年06月03日
花田ファミリーに思う。(没記事)
花田ファミリーに思う。
父・二子山親方の死去にともなって、喪主を誰がつとめるかについて、兄弟の確執が再燃したと報じられている。だが、お互いが言いたいことをいい、結果を双方が承諾し、それぞれが記者会見に応じた姿を見ると、花田家がいまだに理想的な家族であることがうかがわれる。
花田家に限らず、兄と弟では親との心理的な距離感も異なる。ましてや家業をつぐのが弟という逆ねじれ現象の花田家なら、そういう摩擦があるのは当然だ。
ふつうなら大喧嘩になり、敗れたほうがふて腐れて葬儀に出ないことも珍しくないだろう。
だが、花田兄弟は違う。それぞれが父親との思い出を語り、いまの心情を吐露した。
兄弟が入門してから、父は師匠となり、兄弟は父親不在の人生を歩んできた。
兄は、「この病気のせいで、この半年でやっと父親のことをおやじと呼べるようになりました」と語り、父親不在の状態から最後の最後で脱したことを明らかにした。
だが弟は、「わたしが師弟関係をかたくなにこだわったために、父にはさびしい思いをさせたかもしれない」と残念がった。貴乃花親方は、いまだに父親不在の孤独なヒーローなのだ。
相撲道の解釈で仲たがいした兄弟。師弟関係とらわれるあまり素直に振舞えないと父親と息子。
そして、女性としての生きかたが、おかみさんとしては不適格と問題視され、家庭を離れざるをえなかった母。
彼女の離婚も、きっと親方が彼女のためを思って受け入れたに違いない…。
無口でがんこなお父さん。明るく元気に家庭を切り盛りをするお母さん。家族に目配りを怠らない長男、きかん坊の弟。そんな家族は、日本中にくさる程あるだろう。
花田家も、日本中の注目と国技・大相撲がなければ、もっと明るくて楽しい家族の営みをつづけられたはずだ。
お通夜で藤田憲子さんが発した「私たちは、世界一理想の家族だといわれましたが、世界一辛い家族でもありました」という言葉が切ない。
父・二子山親方の死去にともなって、喪主を誰がつとめるかについて、兄弟の確執が再燃したと報じられている。だが、お互いが言いたいことをいい、結果を双方が承諾し、それぞれが記者会見に応じた姿を見ると、花田家がいまだに理想的な家族であることがうかがわれる。
花田家に限らず、兄と弟では親との心理的な距離感も異なる。ましてや家業をつぐのが弟という逆ねじれ現象の花田家なら、そういう摩擦があるのは当然だ。
ふつうなら大喧嘩になり、敗れたほうがふて腐れて葬儀に出ないことも珍しくないだろう。
だが、花田兄弟は違う。それぞれが父親との思い出を語り、いまの心情を吐露した。
兄弟が入門してから、父は師匠となり、兄弟は父親不在の人生を歩んできた。
兄は、「この病気のせいで、この半年でやっと父親のことをおやじと呼べるようになりました」と語り、父親不在の状態から最後の最後で脱したことを明らかにした。
だが弟は、「わたしが師弟関係をかたくなにこだわったために、父にはさびしい思いをさせたかもしれない」と残念がった。貴乃花親方は、いまだに父親不在の孤独なヒーローなのだ。
相撲道の解釈で仲たがいした兄弟。師弟関係とらわれるあまり素直に振舞えないと父親と息子。
そして、女性としての生きかたが、おかみさんとしては不適格と問題視され、家庭を離れざるをえなかった母。
彼女の離婚も、きっと親方が彼女のためを思って受け入れたに違いない…。
無口でがんこなお父さん。明るく元気に家庭を切り盛りをするお母さん。家族に目配りを怠らない長男、きかん坊の弟。そんな家族は、日本中にくさる程あるだろう。
花田家も、日本中の注目と国技・大相撲がなければ、もっと明るくて楽しい家族の営みをつづけられたはずだ。
お通夜で藤田憲子さんが発した「私たちは、世界一理想の家族だといわれましたが、世界一辛い家族でもありました」という言葉が切ない。
2005年05月20日
提言:ギター侍よ。そろそろ波田陽区に戻れ。(没記事)
テレビを見ている。お笑いブームはまだ続いていて、お笑い番組の勢いは衰えていない。
最近では、青木さやかや長井秀和などのお笑い番組で知名度を得た芸人たちが、バラエティー番組やドラマにキャスティング。あらたな魅力が引き出され、テレビに出続けられる既得権を獲得している。
さて、このお笑い芸人の出世コースから外れてしまっているのが波田陽区だ。彼は、いまだに着流しにギターというスタイルでしか、テレビに出演していない。ブレークしているときは、それでいい。どんなに毛色の違う番組でも、着物姿の異形のタレントが登場すれば、場の雰囲気は一変する。
スタジオも視聴者もギター侍の「斬り」を期待しているから、それでコーナーが成立する。だが、ブレークが終わったとき、彼の旬も終わってしまう。
「なんでだろう」で一世を風靡したテツ&トモが、いつの間にかテレビで見かけなくなったのは、そういう理由。
彼らと同時期にブレークしていまだに生き残っているのが、はなわだ。彼は、佐賀県ネタを都道府県ネタに発展させ、さらに、ガッツ石松伝説、そして、輪島功一ネタと、次々に新ネタを発表しつづけて人気を保っている。
勿論、一度ブレークしてしまえば、営業で数年は食べていけるだろう。つぶやきシローは一時期死亡説が流れたが、引退もせずに仕事を続けているという。だが、波田陽区がそれではちょっとさびしい。
最近の彼の斬りネタは、考え落ちや言葉遊びが主流になり、ひと頃のような毒舌は影を潜めている。彼が有名になり、芸能界の知人が増えたため、彼本来のやさしさが斬れ味を鈍らせた理由のひとつかもしれない。
波田陽区よ。そろそろ、着流しとギターを捨てよう。
だって、その扮装がつらくなっているのは、観ている視聴者の側ではなくて、やっている君のはずなんだから…。
新しい波田陽区が注目されるには、いまがギリギリのタイミングかもしれない。
最近では、青木さやかや長井秀和などのお笑い番組で知名度を得た芸人たちが、バラエティー番組やドラマにキャスティング。あらたな魅力が引き出され、テレビに出続けられる既得権を獲得している。
さて、このお笑い芸人の出世コースから外れてしまっているのが波田陽区だ。彼は、いまだに着流しにギターというスタイルでしか、テレビに出演していない。ブレークしているときは、それでいい。どんなに毛色の違う番組でも、着物姿の異形のタレントが登場すれば、場の雰囲気は一変する。
スタジオも視聴者もギター侍の「斬り」を期待しているから、それでコーナーが成立する。だが、ブレークが終わったとき、彼の旬も終わってしまう。
「なんでだろう」で一世を風靡したテツ&トモが、いつの間にかテレビで見かけなくなったのは、そういう理由。
彼らと同時期にブレークしていまだに生き残っているのが、はなわだ。彼は、佐賀県ネタを都道府県ネタに発展させ、さらに、ガッツ石松伝説、そして、輪島功一ネタと、次々に新ネタを発表しつづけて人気を保っている。
勿論、一度ブレークしてしまえば、営業で数年は食べていけるだろう。つぶやきシローは一時期死亡説が流れたが、引退もせずに仕事を続けているという。だが、波田陽区がそれではちょっとさびしい。
最近の彼の斬りネタは、考え落ちや言葉遊びが主流になり、ひと頃のような毒舌は影を潜めている。彼が有名になり、芸能界の知人が増えたため、彼本来のやさしさが斬れ味を鈍らせた理由のひとつかもしれない。
波田陽区よ。そろそろ、着流しとギターを捨てよう。
だって、その扮装がつらくなっているのは、観ている視聴者の側ではなくて、やっている君のはずなんだから…。
新しい波田陽区が注目されるには、いまがギリギリのタイミングかもしれない。
「踊る大走査線」のスピンオフ。そして、学芸会。(没記事)
映画「踊る大走査線」がヒットしたのは記憶に新しいが、いまユースケ・サンタマリアが主役を演じる「交渉人・真下正義」という映画が封切られている。今年の夏には、柳葉敏郎が主役を演じる「容疑者・室井慎次」も公開を控えているといい、主役を主人公にしない続編・番外編がつくられるというのは目新しいことで、スピンオフという言葉を最近知った人も多いのではないだろうか。
さて、「踊る大走査線」大ヒットの最大の要因は、織田裕二演じる青島刑事の魅力だったに違いない。
だが、このようにいくつものスピンオフが成立するところをみると、実は、この作品の本当の魅力は、湾岸署に集まっていたさまざまなキャラクターたちの魅力だったのだと思えてくる。
キャラクターの魅力とは何か。それは、キャラクターがそれぞれの人生を一生懸命生きているかどうか。彼の情熱や辛さ、苦闘を見ることによって、観客は感動を得る。
黒澤明は映画「七人の侍」において、主要な登場人物の数だけシナリオを書いたという。倉本總は、すべての登場人物の履歴書を書くことから仕事を始めるという。
登場するキャラクターのすべてに命が吹き込まれていることは、ドラマ作りにおいて当然のことだろうが、主人公を引き立たせるために、輝きを失ったキャラクターがご都合主義で登場することも多い。
「世界にひとつだけの花」というスマップの歌がヒットした。その歌詞は、人生において誰もが主役であることを謳っている。主役と脇役。そんな固定的な概念が一連のスピンアウト作品によって壊れていくなら、こんなにすばらしいことはない。
わが娘の小学校では、秋に学芸会がある。前回、彼女の役は街の人。一言セリフを言う以外は、主役を演じる同級生たちをつまらなそうにながめていた。客席で見ていた私は、指導する教員たちが主役にしか目配りが行き届いていなかったことを感じた。
今年も娘が主役を張るようなことにはならないだろう。だが、「踊る大走査線」のスピンオフを観た教員たちが脇役の魅力に目覚め、いままでの指導が変えるようになったら…。
ステージの上のすべてのこどもに愛情を注ぐ。教室では難しいことかもしれないが、2年に1度のステージでなら可能なはずだ。
さて、「踊る大走査線」大ヒットの最大の要因は、織田裕二演じる青島刑事の魅力だったに違いない。
だが、このようにいくつものスピンオフが成立するところをみると、実は、この作品の本当の魅力は、湾岸署に集まっていたさまざまなキャラクターたちの魅力だったのだと思えてくる。
キャラクターの魅力とは何か。それは、キャラクターがそれぞれの人生を一生懸命生きているかどうか。彼の情熱や辛さ、苦闘を見ることによって、観客は感動を得る。
黒澤明は映画「七人の侍」において、主要な登場人物の数だけシナリオを書いたという。倉本總は、すべての登場人物の履歴書を書くことから仕事を始めるという。
登場するキャラクターのすべてに命が吹き込まれていることは、ドラマ作りにおいて当然のことだろうが、主人公を引き立たせるために、輝きを失ったキャラクターがご都合主義で登場することも多い。
「世界にひとつだけの花」というスマップの歌がヒットした。その歌詞は、人生において誰もが主役であることを謳っている。主役と脇役。そんな固定的な概念が一連のスピンアウト作品によって壊れていくなら、こんなにすばらしいことはない。
わが娘の小学校では、秋に学芸会がある。前回、彼女の役は街の人。一言セリフを言う以外は、主役を演じる同級生たちをつまらなそうにながめていた。客席で見ていた私は、指導する教員たちが主役にしか目配りが行き届いていなかったことを感じた。
今年も娘が主役を張るようなことにはならないだろう。だが、「踊る大走査線」のスピンオフを観た教員たちが脇役の魅力に目覚め、いままでの指導が変えるようになったら…。
ステージの上のすべてのこどもに愛情を注ぐ。教室では難しいことかもしれないが、2年に1度のステージでなら可能なはずだ。
2005年05月05日
提言・JR西日本ができること。(掲載)
連日の鉄道事故のテレビ報道を見ている。
遺族たちが自らの怒りをこらえて「息子の死を無駄にしないでほしい」と発言する姿に心を動かされる。だが、JR西日本はそうした遺族たちの思いにまったく応えていない。
安全対策の担当者は、事故後に再開する路線に新型ATSが導入されないことを発表しながら、安全に全力を尽くしますと頭を下げるだけ。彼のような決定権のない人間ならいざ知らず、決定権を持つはずの社長も、具体的な保障案や今後の対策を明らかにしていない。
私には硬直した組織が今回の事故の原因と思えてならない。
ならば、どうするか。
JR西日本の組織を変える以外に有効な手立てはない。
そこに手をつけずに、新型ATSの導入を急いだり、時刻表に手をつけても、場当たり的な対応にしかならない。
国鉄がJRに変わっても、組織は変わらなかった。国鉄時代は利用者へのサービスがないがしろにされ、大量の赤字を出した。赤字克服のためにJRになったら、安全がないがしろにされた。いまこそ組織を大きく変えないと、どうどうめぐりになるだけ…。
組織病に陥った会社の復活例が日産にある。カルロス・ゴーン氏のようなまったく異なる経営哲学を持った人間を経営トップにすえることにより、巨大な組織といえども短い期間で大きく変われることを日本社会は体験している。ソニーも、社外取締役としてゴーン氏が加わることによって変革を余儀なくされたことは記憶に新しい。
巨大な組織では、カリスマ経営者でない限り、たとえ社長であろうと決定権の範囲はとても限られる。だから、今回の事件において、社長以下の経営陣の引責辞任を行ったとしても、あまり意味はない。このような事件を再発させないためには、巨大な組織が、法人とよばれるようなひとつの人格として機能するようにしなければならないのだ。
事故の記憶が鮮明ないま、組織改革に取り組むことに違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、組織的な問題で具体的な対策が何もとれないJR西日本なのだとしたら、それしかやるべきことはないと考える。
遺族たちが自らの怒りをこらえて「息子の死を無駄にしないでほしい」と発言する姿に心を動かされる。だが、JR西日本はそうした遺族たちの思いにまったく応えていない。
安全対策の担当者は、事故後に再開する路線に新型ATSが導入されないことを発表しながら、安全に全力を尽くしますと頭を下げるだけ。彼のような決定権のない人間ならいざ知らず、決定権を持つはずの社長も、具体的な保障案や今後の対策を明らかにしていない。
私には硬直した組織が今回の事故の原因と思えてならない。
ならば、どうするか。
JR西日本の組織を変える以外に有効な手立てはない。
そこに手をつけずに、新型ATSの導入を急いだり、時刻表に手をつけても、場当たり的な対応にしかならない。
国鉄がJRに変わっても、組織は変わらなかった。国鉄時代は利用者へのサービスがないがしろにされ、大量の赤字を出した。赤字克服のためにJRになったら、安全がないがしろにされた。いまこそ組織を大きく変えないと、どうどうめぐりになるだけ…。
組織病に陥った会社の復活例が日産にある。カルロス・ゴーン氏のようなまったく異なる経営哲学を持った人間を経営トップにすえることにより、巨大な組織といえども短い期間で大きく変われることを日本社会は体験している。ソニーも、社外取締役としてゴーン氏が加わることによって変革を余儀なくされたことは記憶に新しい。
巨大な組織では、カリスマ経営者でない限り、たとえ社長であろうと決定権の範囲はとても限られる。だから、今回の事件において、社長以下の経営陣の引責辞任を行ったとしても、あまり意味はない。このような事件を再発させないためには、巨大な組織が、法人とよばれるようなひとつの人格として機能するようにしなければならないのだ。
事故の記憶が鮮明ないま、組織改革に取り組むことに違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、組織的な問題で具体的な対策が何もとれないJR西日本なのだとしたら、それしかやるべきことはないと考える。
2005年04月22日
中山文科相が中学生に謝罪した。(没記事)
中山成彬文部科学相が4/21の「スクールミーティング」で水戸市の茨城大教育学部付属小、中学校を訪問し、ゆとり教育について「導入は拙速すぎた」とゆとり世代の中学生に謝罪した。(日経新聞4/22朝刊)
記事では、意見交換で中3の男子生徒が「僕たちの代だけ上や下の学年に劣ることになるので心配」と訴えたという。
朝、小5の娘と話をした。娘はクラスメートに、キロとメートルの位取りの関係を教えているという。昨年、私と娘は進学塾の自習プリントを前にその勉強で格闘した。いま、クラスメートに教えることやさしさが、結果として娘の復習にもなっている。
もし、いまのこどもたちが公立学校の教育だけで勉強しているなら、中学生の言うとおり、その学年だけの学力が低下していることになる。しかし、現実には、私の娘が通っているような進学塾だけではなくて、学習塾や通信教育もある。
問題は、こどもの教育に関心のない親のこどもたちだけがおいてけぼりにされる現状なのだ。
平成14年3月、私は完全週休2日制になる直前の小学校の新指導要領に関わる説明会に出席した。当時もゆとり教育の施行には賛否両論だった。数百人の保護者が集まっている会場で、私は疑問を呈してみたが納得できる回答は得られなかった。
帰り際に知り合いのお母さんから、「学校になんか期待しちゃだめ。学習塾に通わせるしかないのよ。もうお金がすべてなんだから…」とのねぎらいともつかない言葉をかけられた。彼女のお子さんはその年にちょうど高校受験があり、そのことを身をもって体験していたのだ。
ゆとり教育は学力低下につながっているけれど、もっと重要なのは学力格差が広がることではないだろうか。
優秀な人材が一握りでもいれば日本の産業界はやっていける。でも、良質な市民が沢山いなければ日本の民主主義はだいなしになる。
義務教育の意義について、もう一度考えてほしいものだ。
記事では、意見交換で中3の男子生徒が「僕たちの代だけ上や下の学年に劣ることになるので心配」と訴えたという。
朝、小5の娘と話をした。娘はクラスメートに、キロとメートルの位取りの関係を教えているという。昨年、私と娘は進学塾の自習プリントを前にその勉強で格闘した。いま、クラスメートに教えることやさしさが、結果として娘の復習にもなっている。
もし、いまのこどもたちが公立学校の教育だけで勉強しているなら、中学生の言うとおり、その学年だけの学力が低下していることになる。しかし、現実には、私の娘が通っているような進学塾だけではなくて、学習塾や通信教育もある。
問題は、こどもの教育に関心のない親のこどもたちだけがおいてけぼりにされる現状なのだ。
平成14年3月、私は完全週休2日制になる直前の小学校の新指導要領に関わる説明会に出席した。当時もゆとり教育の施行には賛否両論だった。数百人の保護者が集まっている会場で、私は疑問を呈してみたが納得できる回答は得られなかった。
帰り際に知り合いのお母さんから、「学校になんか期待しちゃだめ。学習塾に通わせるしかないのよ。もうお金がすべてなんだから…」とのねぎらいともつかない言葉をかけられた。彼女のお子さんはその年にちょうど高校受験があり、そのことを身をもって体験していたのだ。
ゆとり教育は学力低下につながっているけれど、もっと重要なのは学力格差が広がることではないだろうか。
優秀な人材が一握りでもいれば日本の産業界はやっていける。でも、良質な市民が沢山いなければ日本の民主主義はだいなしになる。
義務教育の意義について、もう一度考えてほしいものだ。
2005年04月14日
随想・日本人であること。
随想・日本人であること。
今年ほど花見に恵まれた年はないと思う。週末と満開が重なり、天気も暖かい。桜をめでる心。日本人でよかったと多くの人が思ったと思う。
さて、同じ頃。海を隔てた国で抗日デモが繰り広げられている。いままでの歴史や教科書や総理大臣の靖国問題など、さまざまな原因がとりざたされている。無名の一市民にできることは限られているし、何かをすると火に油を注ぐことにもなりかねない。ならば、われわれは今回の件でもう一度考え直さなければならないことがある。
それは、インターナショナリズムは、ノンナショナリズムではないこと−−−。
もし、国際的な人材をめざすために、こどもたちが日本人であること忘れていったなら、国際社会に出たこどもたちは自分のアイデンティティーをどこにも持つことができなくなる。
幼児期からの英語教育が盛んである。
日本語もおぼつかないのに、英語の挨拶ができるこどもも珍しくはない。その一方で、七五三を行わない家庭もある。
英語の勉強で苦労すると「どうして日本人なんかに生まれてきちゃったんだ」と誰もが思う。イギリスやアメリカで生まれていたら英語で苦労しないですんだのに…。でも、金髪に染めようが、カラーコンタクトを入れようが、生まれ変わることはできない。
ならば、日本人としての自分を肯定したうえで、国際性を身につけることが重要なのだろう。
娘の幼馴染はドイツで暮らしているが、ドイツの日本人家庭では日本の伝統行事をきちんと行うという。ドイツ人社会の中で異分子である自分の民族性を肯定するためには、日本の伝統行事を行うことが重要であることを、母国を遠く離れた親たちが実感しているからだろう。
2005年、春。日本人であることを考えさせられている。
今年ほど花見に恵まれた年はないと思う。週末と満開が重なり、天気も暖かい。桜をめでる心。日本人でよかったと多くの人が思ったと思う。
さて、同じ頃。海を隔てた国で抗日デモが繰り広げられている。いままでの歴史や教科書や総理大臣の靖国問題など、さまざまな原因がとりざたされている。無名の一市民にできることは限られているし、何かをすると火に油を注ぐことにもなりかねない。ならば、われわれは今回の件でもう一度考え直さなければならないことがある。
それは、インターナショナリズムは、ノンナショナリズムではないこと−−−。
もし、国際的な人材をめざすために、こどもたちが日本人であること忘れていったなら、国際社会に出たこどもたちは自分のアイデンティティーをどこにも持つことができなくなる。
幼児期からの英語教育が盛んである。
日本語もおぼつかないのに、英語の挨拶ができるこどもも珍しくはない。その一方で、七五三を行わない家庭もある。
英語の勉強で苦労すると「どうして日本人なんかに生まれてきちゃったんだ」と誰もが思う。イギリスやアメリカで生まれていたら英語で苦労しないですんだのに…。でも、金髪に染めようが、カラーコンタクトを入れようが、生まれ変わることはできない。
ならば、日本人としての自分を肯定したうえで、国際性を身につけることが重要なのだろう。
娘の幼馴染はドイツで暮らしているが、ドイツの日本人家庭では日本の伝統行事をきちんと行うという。ドイツ人社会の中で異分子である自分の民族性を肯定するためには、日本の伝統行事を行うことが重要であることを、母国を遠く離れた親たちが実感しているからだろう。
2005年、春。日本人であることを考えさせられている。
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2005年04月08日
PJインタビュー:中本賢...その6(最終回) (没記事)

このところのテレビを見ていると、あいつの眼は人生をかけている眼だ。それは、もう片一方のトップとはまったく違う。野生動物の眼を観察することをずっとやってきたから、ボクの審美眼は信じていい。
いまの勢いであと10年やれたら、ほんとうに素敵な奴だと思う。そして、あと20年やったら、お坊さんみたいな人になっていると思う。
彼を見ていると失敗してもOKだし、成功してもOK。そう思える。
いま、明治維新以来の大きな価値観の転換点に来ている。そういう時代だからこそ、ホリエモンみたいな人が出てきたんだと思う。
新しい価値観を作ろうとする人は変人だと私は思っている。だから、ホリエモンも振り返ったらダメ。振り返ると自分を見失う。
個人の情熱と純粋さで突っ走って欲しい。
やっぱり自分と似ているのかもしれない。
2005年04月05日
オピニオン・格差社会に思う。
オピニオン・格差社会に思う。NHKの番組「格差社会」に、堀江氏が出演した。スポーツ新聞にも、「貧富の差は当然」。世界にひとつだけの花になぞらえて「自分らしく生きること」が大切などとの発言があったと記載された。
私は、3月21日のPJニュースにて、「広がる格差」というそのテーマがすでに時代遅れのものだと感じる。と書いた。
経済的に恵まれたほうがいいのは当然のこと。とはいえ、すべての人が経済的に恵まれる職業を選ぶとは限らない。
◇
私は、ある評価軸について勝ち組と負け組は存在するが、負け組になった人は別の評価軸にトライすればいいと思う。
たとえば、運動会。運動会の個人競技は徒競走しかない。一等賞になった子供は得意満面。ビリになって落ち込んでいる子は、勉強でがんばりなさいと周囲から言われる。
テレビの「筋肉番付」では、スプリント系の種目とパワー系の種目がある。運動会でもパワー系の種目をつくってあげれば、徒競走で負け組だったこどもも脚光を浴びることができる。
学歴社会についてもまさにそうで、偏差値偏重になっている。
卒業後、どのような職業につくかに関わらず、偏差値と総合大学という制度によって一緒くたにされる。
そのことが、何かの分野で勝ち組になれなかった人が、他の分野で新たな挑戦を始めることを難しくしている。
◇
私は人の数だけ幸せの尺度があると思う。そして、自分の幸せと他人の幸せを比べるなどにあまり意味はないと感じる。勿論、社会として格差社会を是正する対策は必要である。
しかし、それは格差をなくすことで達成されるのではなく、多様な尺度・評価軸を社会に誕生させることによってしか達成されないと考える。
私は、3月21日のPJニュースにて、「広がる格差」というそのテーマがすでに時代遅れのものだと感じる。と書いた。
経済的に恵まれたほうがいいのは当然のこと。とはいえ、すべての人が経済的に恵まれる職業を選ぶとは限らない。
◇
私は、ある評価軸について勝ち組と負け組は存在するが、負け組になった人は別の評価軸にトライすればいいと思う。
たとえば、運動会。運動会の個人競技は徒競走しかない。一等賞になった子供は得意満面。ビリになって落ち込んでいる子は、勉強でがんばりなさいと周囲から言われる。
テレビの「筋肉番付」では、スプリント系の種目とパワー系の種目がある。運動会でもパワー系の種目をつくってあげれば、徒競走で負け組だったこどもも脚光を浴びることができる。
学歴社会についてもまさにそうで、偏差値偏重になっている。
卒業後、どのような職業につくかに関わらず、偏差値と総合大学という制度によって一緒くたにされる。
そのことが、何かの分野で勝ち組になれなかった人が、他の分野で新たな挑戦を始めることを難しくしている。
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私は人の数だけ幸せの尺度があると思う。そして、自分の幸せと他人の幸せを比べるなどにあまり意味はないと感じる。勿論、社会として格差社会を是正する対策は必要である。
しかし、それは格差をなくすことで達成されるのではなく、多様な尺度・評価軸を社会に誕生させることによってしか達成されないと考える。
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