February 16, 2005

ここが問題点その弐

テキサスのパブリック野池へ行ってきた。(誰でも使える普通の野池のことだけど)周囲2キロぐらいのこじんまりしたレイクとは呼び難い野池だ。名前は、バン・レイクっていう。(笑)
ただの皿池で、最深部は、6mぐらい。半分以上が1mちょっとのシャローワンドだ。ウイードはほとんどなし。カバーといったものはほとんど見あたらない。アメリカ初の野池釣りだ。
トライトン降ろしたけど、エンジンいらないぞってかんじだ。20年ほど前にフロリダバスが入れられた以降、ほとんど手は加えられていないらしい。
最初の1時間ぐらいは全然釣れなかかったが、そのうち所々でシャッドを追ったバスが水面を割り始め、30cmぐらいの小型ながら釣れ始めた。さらにベイトの溜まった場所を発見してからは、800から900gぐらいのバスががんがん釣れだした。バスの体はとても野池のバスとは思えないような太りかたで、しまいには3kgオーバーまで釣ってしまう事となったのだ。なかには針跡のついたバスもいたし、無限にバスがいるわけでもないし、みんなの利用している池だ。
それにしても、そのベイトの量とバスの個体の健全さはどういうことなんだろう。鳥の数も半端じゃない。
はっきりいって俺の野池バスの概念を大きく変えてしまう出来事だった。俺の知っている日本の野池では、繁殖期にはバスはバスを食べれていたので、さほど個体に異常はなかった。安定期後には、水域の規模が小さければ小さいほど、カバーやウイードがなければないほどバスの個体は小さく退化し、しまいには水面の虫を食べている始末。正直小さな水系ではベイトもほとんど食べられちゃったりするのかな、とかさえ思わずにいられないような具合だった。バスがか可哀想だった。
釣りの後、何でこんな池があるんだっていう想いが頭を離れなかった。テキサスだからって気候は夏に日本より暑いぐらいで冬はマイナスにもなる。
その違いはなんなんだっ、とここ3日ほど考えていた。
そしてある一つの仮説にたどり着いた。
もしかして俺がバス少年の頃に釣りをしていた、そしてその後も各地で見てきた野池はもう既に汚染されてしまっていたんじゃないのかって。水の色はともかく在来の小魚や、バスが正常な数値になりえないような水に既になっていたのではないかと。そういえば水鳥だって大していなかったし。
もしかしてやばい国かもしれない。日本は。自分たちが環境なんて物心つく前から環境は壊れていた。バスが入る前から壊れていた。一部の人たちを除いて、何も提議されることなく時は流れていた。
そう思わざる得ない体験だった。

日本は先進国、発展国なんだよって教育を受けて、25年以上前に初めてアメリカに渡った時の事を思い出すよ。文明、あまりの生活レベルの違いにショックだったことを。
あれだけ人の少ないオーストラリアでさえ、環境に対してまだまだ先をいってる。
発達した国だからこそ良い環境が作り出せてる事実がそこにはある。具体的な方法が存在している。
アメリカのバス。オーストラリアのバラ。環境改善に役立っているキーとなる魚が両国にいる。
その中の一種が60年かけて日本で共生しているという事実。活かし切らない方がおかしいだろう。
バスがいなくなったからって何も改善されない。残るのはバスが入る前からすでに壊れていた水域環境のさらなる悪化した姿。
具体的接点がないのにそこにお金を出し合ってでも付き合っていこうとする人が、いったい何人いるんだ。

目指すべき方向性は、みんなの目にも見えてきているように俺には思えるのだが。



2005/2/16 Yahoo!掲示板 バスフィッシング「☆☆☆轟けタナベイズム☆☆☆」#2509

この記事へのトラックバックURL