January 05, 2004

【3】お金をかけて自然を守る時代

 今は前向きな釣り人達がゴミを捨てないようにしよう、水を汚さないようにしようと言って人の分まで努力しているのが現実だ。しかし本来向かうべき所は、それでも汚れてしまう、なくならない現実をしっかり受け止めて(勿論人々が平気で自然の中にゴミを捨てるのが良いわけではないのだが)そうしたゴミを専門で拾う人々や、水質や周り自然環境を調査してケアを行える人々を地域行政がちゃんとした形で雇用していかなければならないし、十分雇用できなければならない。そこには地域として国としての経済的発展が含まれてくるのは勿論、さらにその事がより良い環境作りに役立つとすれば異論を唱える人はいないだろう。
 そんな考えとシステムが今の日本政府に理解出来るはずはないという人もいるかもしれない。しかしこのまま何も手を下せないでいれば、もっと悪化していくのは誰の目から見ても明らかな事なのだから、環境整備を訴えていく人々はもっともっと増えてくるはずである。さらには日本の中にいる理解できうる釣り人だけを例にとっても政治を動かしうる人数になりえる可能性だってある。
 まず一番の原動力となり、実際水域を利用する人達が、何の為に体長制限や匹数制限といった規定ができるのか、何の為にリリースするのか、ライセンス制度とは何なのかといった目的の真意を理解しなければならないし、理解してもらえるように動かなければならない。
 そして、魚ありき、そして利用する人ありきという事が順番はどうであれ連動していかないと、このシステムはしっかりとした実現的な効力を発揮できない上、何も手に入れなければそのどれもがが悪化の一途を辿っていってしまう事を、最低でも釣り人達は知っておかなければならないのである。
 そのシステムの根本的な原動力となるのが自然環境を利用する人々からのお金なのだ。釣りの場合ならばライセンス料や、釣りをするのに付属する様々な物や事から少しづつでも還元していく形を取るのが普通だろう。釣り人のメリットとすれば、減らされないように管理保護された魚達が(持ち帰りの度合いは別にしても)今まで以上に釣れるようになっていく可能性があるばかりか、回復していく自然さえも楽しめる。自然公園やキャンプ場ならば施設利用料である。基本的には水域も陸地も変わらない。ようは自然環境を利用することに公共の金銭を発生させ、そして行政がより多くの人々が利用して更なる整備基金に充てられるよう面倒を見ていくといったところである。
 自然はタダだからといって育ってきた日本人には解りにくいシステムかもしれない。しかしそこには現実的に稼働させている国々がある事を忘れてはならないだろう。日本は特殊だからなんて言っている場合ではないのだと思う。

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