January 03, 2004

【5】何が害で何をもって善とするのだろうか

 現在日本で展開されている害魚という言葉が在来の希少種を食べてしまう可能性があるというのならば、その希少種の餌となるプランクトンや水棲小動物を食べてしまう、多くの普通種も害魚になってしまう事だってある。その普通種を食べていたバスがいたとしたら善魚になるのだろうか。かなり捻くれた考え回しであることは確かだが、あり得ない事ではない。
 それでは、いったい何が害で、何が善なのであろうか。
 確かに今から導入される魚があるとすれば、そこには細心の注意と研究が必要となってくるはずだし、いっそうの事出来るなら入ってこないでくれというのが本当のところだろう。しかし、既に広い分布をともなって自然界に溶け込んでしまっている魚に対し、害というラベルを無理矢理でも貼ってどうにかしようとするのであれば、それ相応のしっかりとした研究と調査、実例的な改善方法が確信できない状態で、安易に日本全国どこであろうと構わず一般の人々が自然をいじってしまっていいのだろうか。
 同じサンフィッシュ科として産卵時期の誤差や、生息推進の同一性などからバスがブルーギルの日本での数少ない天敵であるのなら、まずはブルーギルをどうやって減らすのかの効果的な方法をしっかり見つけ出さない事には水域によってはバスの存在どころの話ではなくなる可能性もあるだろう。
 さらに根本的な事を言えば、どの場所では何が何をどうしてしまうからこうして自然界が危機となるといったような事を、きっちり検証してからでないとその水域の管理者でもない一般人が動いてしまっても果たして誰が責任を取れるのであろう。ただ単に失敗しちゃったねと数年後、数十年後結果が出た時に言ったところで誰も責任が取れないのである。取りたくても取れないのだ。
 日本の在来でない魚が在来種を一匹でも食べたら許せないなんて言っている場合ではないはずだ。そこから派生する周りへの循環的負要因が解明されないまま全てを害として処理しようとしてしまっては取り返しもつかなくなってしまう事だってある。

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