January 07, 2004

【1】ブラックバスがいかに大切な魚種か

 まず最初に言っておきたい。ブラックバスのリリース禁止だとか、指定外来魚防止法だとかいう事を抜きにしても、今のままの日本ではバスの個体数がさらに減少していく事は明らかだと思う。
 何故そう言い切れるのかと言えば、バスの本場であり古くからしっかりした管理体制下で育てられてきた、もしくは国内移入が繰り返されてきたアメリカが例となる。これだけ豊かな自然と水域があるのにもかかわらずバスの数はそれほど多くないという事を、長年にわたり各地で体感してきているからだ。
 そうした水域にそれだけの数のバスしか存在していないという事実が、これから先の日本のバスの状態を物語っているようにどうしても思えてしまうのだ。
 確かにアメリカにはバスの天敵となる魚種も場所によってはたくさんいるだろう。しかしこのアメリカの状況から見る絶対数がバス本来の姿なのではないかと思わざるをえない。
 日本でもバスが入って、しかもその後追加放流や、人為的な間引きなどがされていない古くからある湖や池をみてくれ。明らかに安定したと思われているところでも、さらなる減少傾向にあるのではないだろうか。
 今後日本でのバスとバスフィッシングを保つためには、何が何でもバスをしっかり保護、管理していく事が必要不可欠となってくるはずである。そうした事なくして日本で現状のバス人口、バス業界の規模を保てるわけはないし、本来の意味で日本にバスが必要とされる益魚としての経済効果、人員導入が失われてしまう事に問題点がある。
 つまり今後の水域管理体制を考えた時、日本の内水面にとって一番の柱となるべき魚が、気がついたらあまりにも不足していたという状態になってしまう事が懸念される部分なのである。と同時にバスの減少から連動されるバス業界の縮小化や、釣り人の減少は、具体的な水域管理に必要とされる実質的な金銭的な援護をより困難なものへと導いてしまうのである。  

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January 06, 2004

【2】今後の方向性はどうあるべきか

 リリース禁止、指定外来生物被害防止法、etc。バスに対しての環境が悪化していくずっと前からゲームフィッシング制度、ライセンス制度の話を海、川、湖を問わず言い続けてきたつもりだ。プロモーションの場として機会を作ってくれた小売り店やメーカー主催のセミナーにおいても、そうした話に半分以上の時間を費やしてやらしてもらってきた。いつかこの話が現実となる、その日が一日でも早く来れば魚、自然、そして釣りを取り巻く環境の人々だけでなく、そこに住む皆に還元できると信じていたからだ。
 今回のバス騒動の件で、そうした気運が釣り人達、そして環境保全派の人達からも高まってきているように感じられる。それぞれの立場でも、ある意味考えた末、現実的な実例のある方向性に向かい始めたのかもしれない。
 とりわけ、やはりと言うかバスフィッシャーマンを筆頭としてリリースゲームに親しんできたルアーやフライフィッシングのジャンルの人達は、積極的にライセンス制度の話を持ち出している。
 しかしながら現在の日本の中で、その流れが変な方向へ向かって欲しくないと思っているのは私だけではないだろう。この方向へ向かうべき地点は、日本の国の未来を本気で考える多くの人々の出現と方向性を同じくした行政、そして政治家の一体的まとまりなのだから考えるべき中心点は、まわし続ける事が出来る環境保全システムにある。人間がいくら増えても街がいくら出来ても、自然環境が良くなる様に管理していく努力が継続できる金銭面や人員面での実現化なのだから。  
Posted by springer_rr at 10:05Comments(0)TrackBack(0)Edit

January 05, 2004

【3】お金をかけて自然を守る時代

 今は前向きな釣り人達がゴミを捨てないようにしよう、水を汚さないようにしようと言って人の分まで努力しているのが現実だ。しかし本来向かうべき所は、それでも汚れてしまう、なくならない現実をしっかり受け止めて(勿論人々が平気で自然の中にゴミを捨てるのが良いわけではないのだが)そうしたゴミを専門で拾う人々や、水質や周り自然環境を調査してケアを行える人々を地域行政がちゃんとした形で雇用していかなければならないし、十分雇用できなければならない。そこには地域として国としての経済的発展が含まれてくるのは勿論、さらにその事がより良い環境作りに役立つとすれば異論を唱える人はいないだろう。
 そんな考えとシステムが今の日本政府に理解出来るはずはないという人もいるかもしれない。しかしこのまま何も手を下せないでいれば、もっと悪化していくのは誰の目から見ても明らかな事なのだから、環境整備を訴えていく人々はもっともっと増えてくるはずである。さらには日本の中にいる理解できうる釣り人だけを例にとっても政治を動かしうる人数になりえる可能性だってある。
 まず一番の原動力となり、実際水域を利用する人達が、何の為に体長制限や匹数制限といった規定ができるのか、何の為にリリースするのか、ライセンス制度とは何なのかといった目的の真意を理解しなければならないし、理解してもらえるように動かなければならない。
 そして、魚ありき、そして利用する人ありきという事が順番はどうであれ連動していかないと、このシステムはしっかりとした実現的な効力を発揮できない上、何も手に入れなければそのどれもがが悪化の一途を辿っていってしまう事を、最低でも釣り人達は知っておかなければならないのである。
 そのシステムの根本的な原動力となるのが自然環境を利用する人々からのお金なのだ。釣りの場合ならばライセンス料や、釣りをするのに付属する様々な物や事から少しづつでも還元していく形を取るのが普通だろう。釣り人のメリットとすれば、減らされないように管理保護された魚達が(持ち帰りの度合いは別にしても)今まで以上に釣れるようになっていく可能性があるばかりか、回復していく自然さえも楽しめる。自然公園やキャンプ場ならば施設利用料である。基本的には水域も陸地も変わらない。ようは自然環境を利用することに公共の金銭を発生させ、そして行政がより多くの人々が利用して更なる整備基金に充てられるよう面倒を見ていくといったところである。
 自然はタダだからといって育ってきた日本人には解りにくいシステムかもしれない。しかしそこには現実的に稼働させている国々がある事を忘れてはならないだろう。日本は特殊だからなんて言っている場合ではないのだと思う。  
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January 04, 2004

【4】ゲームフィッシュとしての資質

 話を水域の保全、ゲームフィッシュ制度に戻すとそこにあるべき中心はゲームフィッシュである。ゲームフィッシュとは、その魚がライセンスを購入してでも釣りたくなるような魅力を持った魚達の事である。勿論人によって釣りたい魚に求める目的は異なるので、食べる事が目的のイワシや引き味のあるボラだってゲームフィッシュといえない事はない。水辺に立って釣り竿を持てば対象魚が何であろうとライセンスは必要となるし、そこにはそれぞれの魚に対しての規定が発生する事となる。
 まあ、実際面で言えば人を集める能力を持った魚達がゲームフィッシュの代表となってくるわけだしタックルや釣り方すべて含めた上でより面白く、それ故に経済効果が発生する魚種がなくてはならないゲームフィッシュとなるわけである。
 そこで重要となってくるのが需要と供給のバランスである。その水域に人々を集める事の出来る人気のある魚種がいない限り、そこは寂れたただの水たまりになってしまう。お金も発生しなければ何も起こらない。その水域に生産性を持たし有効利用するのであれば、その水域の気候や水温、立地や水質に見合った利用価値のある魚が存在してくれる事が前提となる。
 勿論その中には人を集める事が出来なくても希少種に適しているとか、類い稀な水質と水生植物の宝庫だと研究されたのなら、その分の保護管理まで行く届くように他からの収入源に力を入れればいい。
 ところで現在、日本の内水面においてどのような魚達がゲームフィッシュとしての大きな資質を持ち合わせているのだろう。そう、皆が思うようにブラックバスを筆頭として、へら鮒やトラウトがその三強である事は間違いないだろう。その事は、そうした魚種に関わる専門誌の数が物語っている上に、メーカーや釣り具店、地域に連動した経済効果が発生しているという事で証明されるだろう。
 確かにっこれらの魚種達は外来だったり国内外来魚だったりする。しかし今現在、今後も含めてこれらの魚種がいなかったとしたら、果たしてどれだけの人々が内水面水域に訪れるだろうか。しかも、お金を払ってまで利用するだろうか。
 はっきり言って今後の水域環境保護に当たってとにかく必要となる魚は、しかももう既に日本の水域で共生している魚においては、外来、在来を問わず本当に大切にすべきではないだろうか。
 魚の住めない水域、誰も利用しない水域をこれ以上増やすべきでないというのが本当のところだろう。  
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January 03, 2004

【5】何が害で何をもって善とするのだろうか

 現在日本で展開されている害魚という言葉が在来の希少種を食べてしまう可能性があるというのならば、その希少種の餌となるプランクトンや水棲小動物を食べてしまう、多くの普通種も害魚になってしまう事だってある。その普通種を食べていたバスがいたとしたら善魚になるのだろうか。かなり捻くれた考え回しであることは確かだが、あり得ない事ではない。
 それでは、いったい何が害で、何が善なのであろうか。
 確かに今から導入される魚があるとすれば、そこには細心の注意と研究が必要となってくるはずだし、いっそうの事出来るなら入ってこないでくれというのが本当のところだろう。しかし、既に広い分布をともなって自然界に溶け込んでしまっている魚に対し、害というラベルを無理矢理でも貼ってどうにかしようとするのであれば、それ相応のしっかりとした研究と調査、実例的な改善方法が確信できない状態で、安易に日本全国どこであろうと構わず一般の人々が自然をいじってしまっていいのだろうか。
 同じサンフィッシュ科として産卵時期の誤差や、生息推進の同一性などからバスがブルーギルの日本での数少ない天敵であるのなら、まずはブルーギルをどうやって減らすのかの効果的な方法をしっかり見つけ出さない事には水域によってはバスの存在どころの話ではなくなる可能性もあるだろう。
 さらに根本的な事を言えば、どの場所では何が何をどうしてしまうからこうして自然界が危機となるといったような事を、きっちり検証してからでないとその水域の管理者でもない一般人が動いてしまっても果たして誰が責任を取れるのであろう。ただ単に失敗しちゃったねと数年後、数十年後結果が出た時に言ったところで誰も責任が取れないのである。取りたくても取れないのだ。
 日本の在来でない魚が在来種を一匹でも食べたら許せないなんて言っている場合ではないはずだ。そこから派生する周りへの循環的負要因が解明されないまま全てを害として処理しようとしてしまっては取り返しもつかなくなってしまう事だってある。  
Posted by springer_rr at 11:23Comments(0)TrackBack(0)Edit