まず、何から書いたらいいのかわからない。
時系列に列挙すると、こうなる。

はじまりは台風だった。
9月4日深夜から5日未明にかけて台風21号が北海道のすぐ西を通過。
5日、陽が昇ると倒木で道路は通行できず、看板類は吹っ飛び、プレハブの駐輪場はみるも無残にへしゃげていた。

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信号機が壊れているので警官の手信号に頼って新札幌駅まで愛車で走り、高い駐車料金を支払って地下鉄に乗り換えて出勤。
倒木や土砂や架線への異物巻きつきで鉄道はほぼ終日運行不可能、20時過になってようやく千歳線は数本の快速がよみがえった。

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ああ、よかった、明日は鉄道で通勤だと眠った矢先だった。
6日am3:07、深夜に唐突に目が覚めた。
私は幼少時から、ごくごく初期の微動でも地震発生に気づいて目がさめる。
今回もあれ目が覚めた、と思い近所の犬が深夜にもかかわらずわぉーんと遠吠えするのを聞いたとたん、家屋がキシキシ音をたてだした。
後からタクシードライバーに聞いた話では、深夜なのに札幌大通公園でいっせいに数千羽のカラスがガアガアと飛び立った直後に、激しく揺れたらしい。
震度2くらいなら娘も起きないからそのまま・・・と思ったがあっという間に布団で体がはねるくらいの震動になってしまった。
「地震だ!!」と叫んで、とっさに右で寝ている娘に毛布をかぶせて、おおいかぶさる。
夫が娘の名前を叫んで「毛布を頭からかぶれ」と怒鳴っている。
娘は寝ぼけながらも、まるくなって頭をかかえている。
同時にバァーンと大きな音がして全ての灯が消え、闇の中で不気味な地鳴とともに、あちこちで物が崩れて落下するバサバサ、ドォーン、ガシャーンという音がきこえる。

頭の中を阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震の光景がよぎる。

永遠とも思える長い長い2分間が過ぎ、ようやく枕元のスマホの灯りで廊下の引き出しから懐中電灯を取り出し、家族3人はダイニングテーブルに集まった。
娘は怖くても興奮していて眠れない。
停電しているから、テレビもラジオも使えず、普段はきこえる冷蔵庫やボイラーのかすかな音すらしない。
世界中が闇で無音の中、ダイニングテーブルに偶然にも放置していた娘の工作である手回し発電のダイナモラジオで電波をひろった。

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まるでこの日のための工作かと思えるほど、中学校技術科の実習で作成したダイナモラジオは役だった。
15~20分程度ハンドルをまわし続けると4時間LEDライトが点灯し、NHKラジオの災害放送をクリアにひろった。
娘が実習しているところを授業参観で見ていたが、機械工作が好きな娘は実にハンダが上手だったのを覚えている。
秀作だと今回の停電で判明。

6日am4:00薄明。
am5:00になると陽は昇らないがはっきりと道路が見える明るさになった。
夫は災害時の公立高校教諭の行動原則に沿って勤務先の高校に自家用車で出勤していった。
たぶん信号機は壊れているし、まだ警官も出動していないし、倒木や陥没で危険な道もあるから「気をつけて」と送り出す。

am6:00太陽がのぼってきた。
厚真町で死者がでたこと、火力発電所が全て停止していることがスマホのネットニュースでわかり、停電は数日にわたることを覚悟。
電気が止まった冷蔵庫の中の食品を思いだし3日程度で調理しきろう、米と真空パック餅と乾麺があるから5日くらいは大丈夫と思いつつ、学校は休校かなと考えていた。

am6:30頃からLママ友LINEで中学校が休校だと連絡がまわりはじめる。
7:00過から私のお客様にメールして、面談の約束や訪問の約束を延期していただく手配をした。
みなさんも被災されたので、すんなり延期。
停電だからスマホも無駄づかいできない。
いつものようにバシャバシャ写真とることもできない。
絶え間なくやってくる余震でそれどころではない。
落ちたものをひろい、危ないものを床に降ろして置く。

わが家は暖房と給湯が灯油ボイラー(でもボイラーは電動だから今回給湯できなかった)、調理器具はガス、照明が電気、とエネルギーのリスク分散されているから水道とガスがとまらなかったのは幸いだった。
夫の両親はオール電化マンションの高層階に住んでるから悲惨で、電動ポンプが止まったから水も電気もない、エレベーターも止まっているから昇降も階段になるという。
昼過ぎに勤務先(高校も休校)から帰宅した夫はポリタンク(本来は灯油を運ぶもの)にわが家の水を詰めて、札幌市南区真駒内の両親宅を往復した。

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当日の日没時刻を確認し、晴天ではあるが街灯もないから日没後30分までに戻ってね、と送り出す。
ガソリンも無駄遣いできないから、私のSUVは充電もできるので動かさないこことする。
わが家にSUVという大きな車が2台あってよかった。
夕方、明日も中学は休校だとLINEがまわってきた。

pm4:00過ぎ、北東向で暗くなるのが早いキッチンでキャンプ用の懐中電灯で料理する。
ジャガイモやにんじん、タマネギは常温でも日持ちするからありがたい。
葉物は切り分けてジップロックに空気をぬいて詰める。
お湯をガスで沸かしてタライに入れ、日没までに娘にタライ風呂につかれと言う。

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日没後、懐中電灯で食事し、pm8:00には何もすることがなくなって家族3人布団を並べて和室で横になる。
幸い、暑くも寒くもなく冷房や暖房も不要な気温だった。
娘は怖くて眠れないからハンドルを手で回し続けてダイナモラジオで岡村隆史のオールナイトニッポンを深夜にききはじめる。
平素は深夜に起きていると叱るけど、今回は叱れない。
娘が保育園児だった頃のように、両親の間に娘はねころぶ。なつかしい。
その思春期の心のショックをおもんばかり、家族で布団にまるまって談笑しつつラジオを聞いた。

7日、ようよう空が白みだした頃、みんなで疲れて就寝。
am7:00、夫のスマホに勤務先の教頭先生から連絡が入り、公共施設である高校の電気が復旧したという。
再び、信号はまだ回復しない中、夫は出勤していった。

7日午前中に冷凍庫の中は完全に溶けてしまった。
溶けた肉や冷凍食品を利用して食事を作る。
既に夜明け頃からスマホを中継するNTTの電波塔の非常電源も尽きて、通信できなくなる。
中学校に月曜日の給食について張紙が出ていた。

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7日は札幌に電気が戻ってきたとラジオで放送されるのに、北広島はまだ通電しない。
午前中に札幌市電(路面電車)、お昼に札幌市営地下鉄、午後1時からJR千歳線快速エアポートが運行を再開。
今日も停電のまま夜を越すことを覚悟して、JR北広島駅に電波をひろいに行った。

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鉄道駅に灯がともり、快速列車が間引き運転ながら走っているのを見て、涙がでそうになった。
通電しているエリアではスマホもDocomoの電波を拾うことができて、道外の仕事仲間からのお見舞いメールなどが着信した。

懐中電灯の中で牛乳を使い切るためのクリームシチューを食べ、布団に入って就寝した22:00、突然ポオーンと電子音がして、リビングの灯りがついた。
復旧は予告もなく、いきなりだった。
「きたぁっ」と家族で起きてあらゆる電源を入れて確かめ、時刻設定などを行った。
そして、やっと安心してラジオを聞かずに就寝。

たくさんの方が犠牲になったと、日々、その数は増えて報道されている。
本当に心が痛い。

たった43時間の停電だったのに、とても不自由で長かった。
もっと大きな震災や豪雨災害で自宅をなくされ、転居を余儀なくされた方のストレスははかりしれない。

尊い命、家族の大切な時間を失われた方々に合掌。
そして、カウンセラーとして、未熟ながらまた「聴く」ことをはじめなければならないと思うのだった。