北の桜日和

浪速っ子なのに札幌で開業している社労士の日々徒然ブログ

2016年08月

午前10時の空。
雲があるも青空が見えて、北海道にしてはめずらしくムシムシとした暑さ。

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午前中は北広島市の都市計画審議会に出席。
その後、ちょっと時間があったので台風前にスーパーで食材を買い出して、お昼前に一旦帰宅。
そして軽く夕食の仕込み(こーゆーのは自営業のフレキシブルな点)。

40分ほどの簡単な調理が終わって事務所に向かったところ、いきなり空がヤバい感じに
ええっ さっきまでの青空は これ、午後1時前の写真なんだけど、結構、暗いよね。

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午後からは事務所でお仕事。
ご予約のご相談、急ぎのメール(離職者が役所に賃金少ないと文句言いに行ったらしいので、最賃を割っていないか計算)。
一息ついて交通関係の運行情報を見たら、東北の鉄道は壊滅していました。
赤い表示は「運行見合わせ」、つまり走っていないところですが、全線です。

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そろそろ北海道のJR線も赤い表示が増えてきました。
 
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そんなこんなで、明日からの帯広出張予定は、新夕張より東側の列車が運休しているので、早々に主催者様からキャンセル決定の連絡をいただきました。 

この事務所は札幌駅北口徒歩1分で、道路を挟んで線路が見えます。
ガタゴトと列車が走る音が聞こえるので、まだ走っていることがわかります。
駅構内アナウンスも聞こえるので、アナウンスが増え出すと列車の運行に乱れがあるとわかります。

さくさくと書類を作って千歳線が止まらんうちに、はよ帰ろ。 
 

地ビール津軽路。
ブラウンエール風。

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なぞのソウルフード「味噌カレー牛乳ラーメン」
なかなかスパイシーでスープカレーみたいな辛味噌味でした。
牛乳味はほとんどわかんなかったなぁ。

味噌カレーラーメン

公式の懇親会が終わった後、地元青森県のシルバー人材センターの職員さんたちと二次会へ。
漁師や連絡船からあがった人たちが集う(いなかっぺいも集うらしい)、路地の名店へ。

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青森っつったらじょっぱり。

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新鮮なホヤ、地元の山菜らしい「あお」という茎もの。

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飲みすぎたかもしれない。
陸奥湾はすごく豊かで、函館と共通することも多々あり、おいしいものも多くていいな。

台風のおかげで搭乗予定をはやめて前日にフライトするなら・・・と早朝から自分がいない間の家族の食事の準備をするも、あっさり青森空港が予定より早く閉鎖されて前日入りができず、当日は予定フライトが欠航になって別便をあわてて予約したり・・・・と紆余曲折ありましたが、無事に青森入りしました。

こちらはJRの青森駅。

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第三セクター青い森鉄道の看板。
マスコットキャラがゆるキャラ系でかわいい。

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青森のローカル線の魅力はこちらで知ることができます。

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お仕事の会場は、ねぶたをみることができるワラッセ。
台風一過で、陸奥湾の空は青く澄み、ベイブリッジもきれいでした。

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お仕事の内容は、東北シルバー人材センター職員研修の講師と分科会アドバイザー、 閉会時の「まとめ」助言ともりだくさんです。

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昨日、8月17日は朝からヤバそうな空でした。

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近場である札幌第一合同庁舎は監督署と需給調整事業課が入っているので、嵐の前にさっさと書類の提出手続をすませました。

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午後イチで帰宅して、まずは夏休み最終日(北海道の夏休みは短くお盆明けが2学期始業式です)に夏期講習に行く娘を愛車で25分かけて2駅先まで送り。
塾前までは何ともなかった空ですが、自宅へ戻る途中からいきなり滝のような雨になり、みるみる視界が奪われていきました。
すぐに土砂災害注意報が発報、夕方には避難準備情報も流れました。

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 自宅から電話でお客様とやりとりしてるうちに、うちの前庭は水たまりだらけになりました。
短時間に集中豪雨なので、土が水分を吸収できないのです。

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夕方には、これまた塾へ行く息子に無理矢理スマホをもたせ駅まで送りました。
息子はゲームも無駄だからやらない、友達のメールやラインで気が散る、と自習室や塾に行くときはわざと自宅にスマホを放置して「携帯だけど不携帯」なことが多いのですが、交通機関が乱れること確実な日はそうはいきません。

案の定、帰宅時刻に「あのさ~、札幌駅なんだけど列車がいつくるかわからんよ~」と連絡が来て、地下鉄の駅まで車で迎えに行くことになりました。

みんなの感想。
始業式(18日)の午前中に台風が直撃してくれたら学校が休みなのに、17日夜のうちに通り過ぎてやんの、役に立たない台風だなぁ。
 

その知らせは、瞬く間に同じ時代を走ってきた仲間の間を駆け巡った。

東京で作家・ノンフィクションライターをしていた5歳年上の女性の盟友が、余命わずかでこれから鎮静剤と麻薬治療により眠る時間が増えること、その前にみんなにメッセージを残したいとフェイスブック・ブログに「ありがとう、さようなら」をアップしたこと。

昨年末に入院し、それから入退院を繰り返していることを聞いて、お見舞いに行ったものか、それとも遠慮した方がよいのか、逡巡していた。
親しい東京の仲間たちからも何の情報もないまま、不気味に半年が過ぎていた。
これからお見舞いに行こうか、いやいや残されたわずかな時間を家族と大切におだやかに過ごしたいのなら、そんなことより静かに見守っていた方がいいのではないか。

今、止まらない涙の向こうで、一緒に深夜まで飲み語り続けた、あの渋谷のきらめく灯がキラキラ輝いている。
着物姿の美しくて若い盟友が笑顔で語りかけてくる。

神様は残酷だ。
どうしてまだ50歳をすぎたばかりの才能を、家族と仲間から奪い去っていくのか。

彼女の余命は、すなわち私自身が「人の命にむかいあう」という答えのない宿題に向かう時間。
遺族年金の手続や、カウンセリングで人の死の痛みと向かい合っているような錯覚を覚えているが、まぎれもなく私には向かい合えるようなスキルはないのだと、こんなことで思い知らされて動揺する。

「慟哭」



 

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