2017年03月03日

☆No.68【神戸市との連携協定について】


2017年3月2日

SRCグループは神戸市と連携協定を締結し、記者会見を行いました。
https://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201703/0009963224.shtml
会見動画はこちらです↓
http://www.city.kobe.lg.jp/information/public/media/movie/mayor/index.html

神戸市は、神戸経済の持続的成長を目指すため、ITを活用したスタートアップ(成長型起業
家)の育成支援を行っており、また、オープンデータの蓄積・公開を推進し、市民・事業者
とICTを活用して地域課題を解決するオープンガバメントを推進しています。

これらに関してSRCグループが持つネットワークを課題解決の手法として提供することや、
起業支援に関して神戸市と連携した取り組みを進めることは、大きな地域貢献につながると
考え、このたび、起業家支援及びオープンガバメントの推進にかかる連携協定を締結するこ
ととなりました。

これまでも神戸市の方々とも長期にわたって様々な協議を行い、いくつかの連携イベントな
ども運営してきました。その結果、今後もこういった起業やICTをキーワードとした地域
貢献を推進していくためにも連携協定を締結することが近道であると考えここに至った次第
です。


会見である記者から鋭い質問がありました。

「他の都市がやっている起業支援とどう違うのか?」

当社グループのような地域企業が、行政と連携することによって生まれる、
他にはない実効性の高いユニークな仕組みを構築していきたいと思います。


■神戸市との連携項目(連携協定書の内容)
(1)スタートアップをはじめとする起業家の育成・支援 
(2)イノベーションを起こし得る創造的人材の育成  
(3)オープンデータをはじめとするICTを活用した新たな市民サービス・ビジネスの創出


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2017年02月08日

☆No.67【起業家の街へ 取り組み方とその課題】



最近国内で起業ブームが再び到来しています。

もちろんいくつか理由がありまして、

*企業のカネ余りで投資に資金が向かっている。
*行政が経済活性化の為に様々な施策を行っている。
*安定的な就職先の減少。
*経済的な余裕から自分探しに起業が選択肢になっている。
*起業経験が就職に有利という噂になっている。
*なんとなく起業が良いという空気感。

などなど、他にもまだまだあると思います。

でもですね。80年代のバブル期の起業ブーム、その後のITブーム、その次の第二次IT起業ブーム、これらと比べると、今回の起業ブームは明らかに違いが感じられます。

それは、なんか「ユルい」。です。

いいか悪いかは別にして、「いっちょやったろか」感が薄いんです。

具体的には、ベタにお金儲けとか、目立ちたい欲求とかでは無く、なんとなくスマートでカッコイイ生き方ということを求めているのかも知れません。

それに加えて官民挙げての起業ブームです。

こういった背景の中で今の時代の起業をこれからシリーズで考えたいと思います。

※このブログは今週の訪問先であるシリコンバレーのGoogle本社で書いています。このようにIT事業の多くが世界的寡占によって巨大企業化した今、起業のあり方を根本から変える必要があると思っています。


2016年06月08日

★No.90【小さな嘘の大きな罪】



日常良く目にする光景に、

「こういうことにしておけば良いんじゃ無い?」

といって、ちょっとした嘘やごまかしを通して言うようなことがあります。

当人達は、

《別に誰かに迷惑かかるわけじゃないし。これで万事うまくいくならそれで問題なし》

と思っているでしょう。

まさか日常のちょっとした嘘やごまかしが、世間を大きく
騒がせるようなことになるとは思っているはずもありません。

しかし、昨今の大企業の粉飾決算の問題や、昨今の燃費偽装、
さらにお金に関する政治スキャンダルなどはこういった小さな嘘を
許容する組織文化がその根源にあるのです。

とても簡単な原理ですが、


組織人が上役のこういった言動を見る
         ↓
迷惑がかからないなら多少の嘘はOKだという合意が形成される。
         ↓
迷惑の範囲がどんどん内向きになる。(内輪に迷惑がかからなければ良い)
バレなければみんな幸せだと考え出す。
         ↓
組織全体がそれを許容し、嘘の範囲がどんどん拡大する。
         ↓
コトが表に出たときには取り返しの付かない状態になっている。


これは以前に書いたカント哲学からくる私の
考え方(どんな場合も決して嘘をつかない)にも共通します。
http://blog.livedoor.jp/srcblog01/archives/1883934.html


例えば、

人殺しは悪いことだが、人殺しをした人は見せしめのために殺しても良い。
とすれば、人殺しは悪いことと言い切れるのか?

つまり、悪は条件を付けることによって善の衣を纏い、どこまでも
拡大、増幅し、そしていつか必ず限界に達し、コントロール不能に陥ります。


これは正義の議論でも当てはまります。正義の判断は一つでな
ければなりません。条件を付ければ何でも正義になってしまうからです。


私の経験では、一つの行為に善悪を定め、それを守ることができれば、世間に
惑わされることなくまっすぐに自信をもって生きていくことが可能になると感じています。


まずは「嘘」

これを無くすことからはじめてみませんか。少しまわりの景色が変わると思います。



2016年01月01日

☆No.66【2016年 年頭所感】


あけましておめでとうございます。

毎年、年初には従業員に向けて各事業の概要や方向性を伝えると共に、年頭所感を発信しています。
今回はその年頭所感の部分を転載したいと思います。

毎年、いいたいことは同じなのですが、前年にあった出来事や、今年の計画や目標などによって
微妙に言い回しが変わっているのが自分でも興味深く、過去の文章を読み返したりしています。

読んで頂いた方には感想などお聞かせ頂けると大変嬉しく思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。


【2016年 年頭所感】


企業の存在目的は、言うまでも無く社会に貢献することです。

社会に対する貢献度を高めることは、即ち、収益の拡大につながります。

収益の拡大はそれを地域に還元し、また再投資することでさらに社会に対する貢献度を高めます。

この繰り返しによって、会社全体にストック(金融資産、ノウハウ、ブランド、事業システム、
企業文化)が積み上がり、結果としてスタッフ全員の幸福につながります。

つまり最終的に求められる結果は、「従業員の物心両面での満足=幸福」ですが、
それを成し遂げるための順序を正しく認識が重要です。

その為には、ひとりひとりが、現状に満足することなく、成長を続け、
社内社外問わず目の前にいる人の為に貢献度を日々高めていくことが必須です

従って、自らの貢献度を常に客観的に捉え、磨いていく努力を怠らず成長することを
ひとりひとりに求めます。人への貢献度を高めていくことが、物質的だけでなく、人の心の
幸福につながることは言うまでもありません。

「人は自らの幸福を求めるが、他者への貢献がそれを成し遂げる最も近道である」
ことを肝に銘じておいて下さい。

もちろん私自身も、地域の為、そして共に働く皆の幸福のために一生懸命行動することで、
結果的に自分自身の幸福を実現できればと考えています。今年も率先垂範にて実行していきます。

平成28年1月1日
SRCグループ会長 横山 剛


2015年04月28日

☆No.65【大学の経営学は役に立つのか?】



「経営学者に経営はできない」
「理論と実際は違う」
「大学の経営学など実際の現場では役に立たない」

昔からよく言われていることです。

例えば、

『理論負荷性を強調する解釈主義的パースペクティブの観点から、マックス・ウエーバーが論じた「価値自由」について、それがいかなるもので、研究者はどう対処すべきかを論じなさい』

これは、先日私が大学院で受けた経営学のある分野における試験問題の一つです。

一見すると、確かに実際の経営に役立つとは全く思えませんね。
しかも専門的な勉強をしていなければ、ほとんど何を言ってるかすら不明だと思います。

これは経営学は実際の経営の役に立たないと言われる原因の一つです。


しかし私は、「経営学は、実際の経営に重要な示唆を与えることができるだけでなく
実際の経営に非常に有益な効果を生む知識となり得る」と考えています。

その理由は大きく分けて3つあります。


第一に、

理論的な背景を知ることによって、行動や決断、また仕組み作りにおいて、
その効果が一定レベルで予測できるようになります。

理論的な背景を知らずに何かに取り組むことは、効果的な結論を導き出すために、
やみくもに数をこなさなければならず、時間的な無駄が生まれます。しかし、数多くの基礎的な
理論的背景を知っていることで、最小限の時間で最大効率を生む判断と行動が可能になります。


第二に、

多くの事例を知ることで、理論を背景とした応用手法についての
選択のバリエーションが増えていきます。

基本理論に基づいて実際の事例を検証分析することで、応用が理解でき、実際の経営判断時の
バリエーションが増え、経営に最適解を与えることができる可能性が飛躍的に高まります。


第三に、

経営者自身の思考レベルの高まりによって、より良い経営についての洞察が高まっていきます。

良い経営とは何か?これは経営者にとって永遠のテーマです。
経営学を学ぶことで様々な角度から経営を観察することができ、経営がもたらす社会的価値
について深く検討し、常に正しく、良い方向へ進むことができるよう指針を得ることができます。


確かに、実際の経営現場を知らない学生が、これらを理解することは大変難しく、
疑問を抱きながら経営学を学んでいる学生は数多くいることも事実です。

結果、単位を取るだけの勉強に終始し、せっかくの学問が社会において
何も役に立たないという悲劇的な結果も生まれています。

大学で学ぶ経営学が実社会で役に立つことができるよう
その橋渡しを現役の「学生経営者」(笑)として取り組んでいきたいと考えています。



2014年10月18日

★No.89【継続する勇気】



「一歩踏み出す勇気」


よく言われる言葉です。

最近では、


「嫌われる勇気」


なんていうのも流行しています。


でも私は、最近(特に若い世代に)必要なのは、


「継続する勇気」


であろうと考えています。

特に若い世代に。と書きましたが、若い世代にかかわらず、常にあふれる情報にアクセスしている全ての人に当てはまることかも知れません。もちろん私も含まれます。

当然ですが、何事も一定期間、集中して継続しなければ、それなりの成果を残すことはできません。

しかし、ここまで情報が簡単に手に入ると、自分のやっていることの正しさを疑ったり、さらに良い方法を見つけようと思ったり、もっとラクに実現する方法を探してみたり、もっと楽しそうなことを見つけたり、もっと簡単に稼げるかもしれない方法がみつかったり、もっと良い会社が見つかったり、もっと良いサークルを見つけたり、もっとイケテル彼を見つけたり、

といったことがあまりにも安易に、容易に、素早く見つけることができる(実際にそうかどうかは別にして)ので、そんなことを探し出したらキリがありません。

当然ながら、集中するよりも目移りしている時間が長くなります。

せっかく何かに興味を持って目標を定めても、インターネットを眺めれば、


「果たしてこれで良いのだろうか」


と言う気持ちが頭をもたげてくることは、想像に難く選りません。

そうなると、気持ちが揺れ動き、集中する気持ちも薄れ、継続して努力することができなくなってしまいます。

そうして、自らの力で何か成果を残すという貴重な経験を通した実力を獲得する前に、違うことに興味を持って行かれてしまうと言う結果になってしまいます。

つまり、人そのものが持つべき力を得る機会を逃してしまうことになってしまうのです。


だから、今必要な「勇気」は、「継続する勇気」なのだと思うのです。


一度決めたことを情報に流されず、一定の成果を生み出すまで努力し続けるという経験は今や相当意識しなければできない程貴重なものになってしまったのかもしれません。




2014年08月25日

☆No.64【起業を勧めない理由】


最近、起業を志す方々の相談を受けたり、お手伝いをしたりすることが多くあります。

その中には、学生もいれば、それなりに社会人経験を積んだ方、
引退後の第二の人生に起業を選ぶ方もいます。

私自身は、学生時代に起業しましたので、どうしても
その体験が、自分のスタンダードになっていて、もし起業するなら、
若い、また、責任もリスクも少ない学生時代が良いのでは無いかと思ったりもします。

また一方では、何も知らない学生が起業するより、ある程度社会や
企業を経験で学んでから実行すべきという考え方もあるでしょう。

実を言うと、私自身は、どのようなケースでも、あまり起業を勧める事はありません。
(既に起業を決めている人にはできる限り応援をしたいと思っていますが)

社会にとって、また経済全体にとって、起業家が多く誕生することは、プラスであり、
個人の経験やスキルを考えても、大きく成長する機会になることは疑いようのない事実です。

しかし、あまり勧めないのです。

理由の一つに、当然ながらリスクの問題があります。リスクというか、成功確率の問題でしょう。

なかなか正確なデータがありませんが、色々調べてみると、
起業から10年以上その会社が存在している確率は、10%を越えることがありません。

私の身の回りの知っている限りにおいても、感覚的にはこの程度です。

つまり、成功というか、10年存続する可能性が、10%に満たないということになります。

まずこの数字をどのように捉えるかは、その人次第ですし、
もちろん能力の高い人が充分に準備をして、取り組んだ場合は確率も変わると思います。

とはいっても、エリート企業家が、充分な資本を調達し、ビジネスモデルに
自信を持って起業しても、成功と言えるレベルに到達することは、非常に希に感じます。

どちらかというと、やむにやまれずとか、成り行きで
起業した人の方がそれなりの成果を残しているような感じさえします。


第二の理由は、精神的な負担です。

起業するということは、つまり自らその責任の全てを背負うということです。

自分自身に対してはもちろんのこと、顧客に対して、従業員に対して、
取引先に対して、投資家に対して、世間に対して、それら全てに責任を負わなくてはなりません。

もちろん言い訳や、責任転嫁は絶対に出来ません。

何かある度に、起業家の精神を叩きつぶすようなプレッシャーに襲われることになります。

眠れない、食べられない、などはもちろんのこと、生きた心地のしないことも必ず起こることでしょう。

これは世間的に成功者とみられる起業家でも同じ事です。

成功者とみられるほど企業を成長させた経営者は、その企業の維持発展へ
のプレッシャーや従業員に対する責任、日々厳しくなっていく世間の目に精神を蝕まれます。
もちろん妬み、僻みの類も数多く受けることになるでしょう。

もちろんそのような苦しさを表に出すことも出来ません。

成功している起業家ですらこのような精神的負担があるのですから、
うまくいかなかった起業家の精神的な苦痛は、想像を絶するものがあります。


とは言え、起業を選択するということは、自分の人生の幅を大きく広げることは間違いありません。


例え失敗してもその経験を糧にすれば、ビジネスマンとして
大きく飛躍することも出来ますし、そのチャレンジ精神を、世間は評価するでしょう。

後の後悔先に立たず。やらなかった後悔は、取り返すことが出来ません。

起業を選択するときは、勢いも、夢も必要です。でも、もしダメだった
ときにそれを受け入れることができる覚悟を持つ事が最も重要だと私は思います。


2014年07月30日

◇No.6【旧運営会社 解散のお知らせ】


Kiss FM KOBEの旧運営会社(「株式会社Kiss-FM KOBE」※平成22年4月に
民事再生法の適用を申請)は、本年4月に民事再生手続終結の決定を受けました。

同社は、この間、元取締役らに対して善管注意義務違反等の経営責任を理由に損害賠償
請求を行い、その結果、元取締役らはその責任を認め、会社に対し順次損害賠償などを行いました。

具体的には、元取締役らからの金銭的弁済と、再生債務者に対する共益債権及び
再生債権の放棄などによって、ほぼ損害請求額相当の賠償を得ることが出来ました。

それらを原資とした債権者の皆様への配当等が終了しましたので、
本年7月22日開催の株主総会において同社の会社解散を決定致しました。

これによりまして、旧運営会社に関する処理実務は全て終了したことになります。

関係各位の皆様には、多大なるご理解ご協力、また、ご支援賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。


※これらは以前ご報告したこれらに関する結論です。
http://blog.src-japan.net/archives/1797666.html

尚、従前よりご案内の通り、現在のKiss FM KOBEは、平成22年10月、総務省の認可を受け、
無線局免許を承継した、「兵庫エフエム放送株式会社」が運営を行っています。



2014年03月04日

☆No.63【毒まんじゅうを食べると必ず体を壊します】



あまりにも当たり前すぎる題名ですが、実はビジネスの現場ではこの
当たり前のことに気がつかずに「毒まんじゅう」を食べてしまうことが結構あるのです。


ビジネスおける「毒まんじゅう」とは、


簡単に言うと、

目先の利益にはなるが、長期的には、
会社やビジネスの価値が損なわれる取引


のことを指します。


例えば、

*製品の原料や材料に価格は安いが粗悪であるものを使う。
*知識のあまりない顧客に高値で商品を売りつける。
*顧客のためにならないとものを売ってしまう。
*ユーザーに不利益があるかも知れないものを売ってしまう。
*誇大(または違法)広告と分かっていながら掲載(放送)する。

こういったものは、ほぼ例外なく利益率が高く、
商売人にとってはついつい手を出したくなるものです。


普通に考えれば、こういった行為が、長期的に、
ビジネスの価値を失わせて行くであろう事は、子供でも分かる話です。

まさに「毒まんじゅう」。食べる瞬間は甘くておいしくても、後々体を壊す代物です。


でも、信じられないことに大のおとながこれをやってしまうのです。


なぜか。


多くの企業が、売上高や利益額などの数字を指標に、経営を行っています。

売上げや利益が、そのビジネスが生み出した付加価値と捉えれば、
このこと自体は、決して悪いことではありません。

しかし、過度に数字を追い求めることで、いつのまにか、
企業の目的が、数字そのものになってしまうことが往々にして起こります。


結果的に目先の利益。「毒まんじゅう」に手を出してしますのです。


少し擁護しましょう。


「毒まんじゅう」を食べてしまうには、


目先の資金繰りをクリアするために必要であったり、
上司からにプレッシャーに耐えられなくなったり、
業績に対する株主の目線が厳しかったり、
そもそも企業や業界の文化が数字ありきだったり、

様々な理由がある事は、想像に難くありません。
「分かっているけど仕方なく」というケースもあると思います。

しかし、少なくとも経営者には、目の前の取引(まんじゅう)に
「毒」が入っているかどうかを見極め、取引の是非を判断することが求められます。

それが全てのステイクホルダーに対しての絶対的な義務であると同時に、
企業の持続性を高める、最低限のノウハウとも言えるでしょう。


■3月20日 神戸市が主催する「デザイン経営者フォーラム」にパネラーとして参加します。
 企業経営の視点から、デザイン都市としての地域発展に貢献したいと思います。
 ご興味のある方は是非ご参加下さい。
 http://www.kobe-hasshin.net/designforum/index.html

■3月27日 「日本マーケティング学会」にて講師を行います。
 パラドキシカルなテーマ設定ですが、逆説的にマーケティングの本質に迫ります。
 http://www.j-mac.or.jp/salon/

2014年02月26日

★No.88【人が称賛より批判が得意な理由】


世の中、新聞やテレビなどの報道を見ても、
批判的な記事や意見が大変多く見受けられます。

ネット上の書き込みなどはその傾向がさらに高まることは言うまでもありません。
(匿名では批判が多く、実名では称賛が多いという傾向はありますが)

総じて言うと、人は、称賛より批判が得意な生き物であるような気がします。


そこで、なぜ人は、称賛より批判が得意なのか考えてみました。


まず第一に、


「嫉妬が称賛を妨げ、批判には優越感が伴う」からです。


これはtwitterでもつぶやきましたが、具体的には
ある著名人が、著名な政治家に対し、批判を繰り返しているtweetを見て感じたことです。

その批判の中には、

「俺の方が分かっている」「俺の方が正しい」と言った、
自分自身を大きく持ち上げるような意図が見え隠れしていました。

心理的には、相当な優越感を感じつつ、嬉々として書き込んでいるような姿が目に浮かびます。


称賛については、プライドが高ければ高い人ほど、それに抵抗があるように感じます。
つまり、「称賛する=自分より優れていることを認める」という式が成り立つからでしょう。

そこには嫉妬が同居していることになります。
つまりは、称賛する行為を妨害する要素が嫉妬であると言えるでしょう。


しかし、こういった人たちでも、上から目線での称賛はよく行います。

「〇〇の割にはがんばってるじゃないか」的な見下し型の称賛です。
ここには嫉妬心が生まれないので、プライドの高い人でも気軽に称賛することができます。


第二に、


そもそも批判は容易であることです。


何を行うとしても、100%完璧に行うことはほぼ不可能です。
かならずどこかに批判できるポイントが潜んでいます。

たとえ90%素晴らしくても、逆に言えば10%至らないところがあるのです。

批判は、その10%を突けば良いのですからとても簡単です。
その批判は、素晴らしいほうの90%を認める必要もそれを行う努力も必要ありません。



私は、いつも、


人を素直に称賛し、批判には対案を持って望むこと。


を「心がける」ようにしています。


人を素直に称賛することは、自分の至らなさを認める勇気が必要であり、
批判に対案を持つと言うことは、常に思考を高め、学習することが必要です。



人は弱いもので、「心がける」ということをしなければ、
安易に人を批判し、悦に入ってしまう生き物です。

そういう意味でも私は自分の弱さを補うために、文章を書き、公開することで、
自分自身を戒め、マネジメントする一助としています。


生きて行くには何かと工夫が必要ですね。


2014年01月20日

☆No.62【なぜ評価には不満がつきものなのか】



【問題1】

例えば、同じ8時間で、「10」の仕事をこなす人(A)と、「2」の仕事しかこなせない人(B)がいます。

あなたは、この二人をどのように評価しますか?


完全なる実力主義で評価すれば、Aの報酬はBの5倍となります。
働いた時間で換算すれば、AとBは同じ報酬となります。

さて、どうしましょう。


【問題2】

問題1と同じ条件で、

Aは、仕事は出来るが、遅刻が多いなど規律を乱します。
Bは、仕事の取り組み姿勢が真摯で、真面目です。時間に遅れたこともありません。

あなたなら、これをどのように評価しますか?


さらに、

【問題3】

Aは、10の仕事を一日8時間、残業無しでこなしました。
Bは、10の仕事を一日10時間、月間残業40時間でこなしました。

結果、残業手当を含めると、Bの報酬の方がかなり高くなりました。

Aはこれに対して不満を持ってきました。
あなたならどうしますか?

さらに、同時期に、

Bは、自分だけが残業をやらされている、と不満を言ってきました。
あなたならどうしますか?


【問題4】

ベテラン社員が年々動きが鈍くなり、生産性が下がってきました。
しかし報酬は高く、他とのバランスが悪くなり、社内に不満が溜まっています。

そして本人にその自覚はありません。
また、過去の貢献があるのだから当然との考えも持っています

あなたならどうしますか?


【問題5】

一生懸命努力して時間もかけて、10の仕事をやり遂げる社員と、
才能だけで、簡単に短時間で同じ10の仕事をこなす社員がいます。

あなたなら評価に差をつけますか?
差をつける場合、どちらを高い評価にしますか?



これらに共通して重要なのは、これらの問題の
解答は、目の前の社員だけの評価に留まらないことです。

その評価を行ったときに、組織全体に
どのような影響が生まれるかをも予測しなくてはなりません。



このような問題は、会社の中では日常茶飯事に起こります。
通常の判断では、「あっち立てればこっち立たず」、で、常に不満が残る結果となります。



果たしてこれらを解決する手段はあるのでしょうか。



そもそも人の評価には、少なからず、哲学的な側面が存在します。

例えば、「人は生まれながらにして平等か否か」という概念です。

もし、平等だと考えるなら、全て、働いた時間で換算すべきでしょう。
評価に差をつけるべきではありません。

また「努力をどう評価するか」ということも課題です。
努力することも才能と捉えれば、それも評価すべきではありません。


しかし、完全に時間で平等に評価すれば、モチベーションの上がらない組織になりかねません。


しかし、これにも異論があります。


「自ら生まれ持って得た才能は、授かり物なのだから、
それを持って世のため人の為に使うことが使命なのだ」


と、


働く人間全員が、そう思えたのなら、完全平等でも
生産性の高い組織が完成される可能性があります。

この場合、組織的に強力な宗教的な概念が必要となるでしょう。
一部非常に生産性の高い宗教団体が存在するのもこれが理由です。



哲学的には、自由主義者は、自分の稼ぎは、自分のものであり、
弱者保護も、慈善活動も、その人間の自由意思によって行われるべきと言う発想をします。

アメリカ合衆国の文化は、こういった思想が強い文化です。
実際に慈善活動に熱心な大富豪は数多く存在します。


逆に共同体主義者は、一定の格差を認めながら、その格差を埋めるために、
組織や国の中でルールを定め、それを埋めることを提唱しています。

日本の資本主義は、これに近い発想です。


所得税の仕組みからしてもこの違いは明確です。


少し、話が飛躍しましたが、個々人の思想に違いがある以上、
どのような評価を行っても必ず不満が残ります。

あなたの周りにも、完全に会社の評価制度に満足している人は殆どいないはずです。


でも、不満を極力減らすことは可能です。

それは、企業の経営側に責任があります。


 1 評価基準と評価思想を明確にすること。

 2 その制度が、最も会社全体の生産性を高めることができる論理的裏付けがある事。

 3 会社の利益の使い方が明確なこと。(一部の利益の為に使われないこと)

 4 評価実務に際して立場の異なる複数の人間が関わること。

 5 その組織で最も評価を受ける人物像を想定し、明示すること。

 6 その評価が、個々人の人生にとってプラスに作用すること。


さらに上記に関して、その考え方が理解されるよう
社内で時間を割いて制度と考え方を伝えていくことが重要です。


そしてもちろん、評価される側の自覚を促す事も重要です。

もしあなたが自分自身の評価に不満を持ったなら、視点を少し上げてみて、


「もし自分が評価者ならどうするか?」


と考えてみることから始めて見ましょう。


必ず何かが見えてくるはずです。


2013年12月23日

☆No.61【なぜ女性の活用は失敗するのか】



最近、様々な形で女性の活用が声高に叫ばれるようになりました。


実はこれ、景気が上向くと必ずクローズアップされるのです。

つまり、景気拡大による人手不足を補いたい企業の論理を、
まるでこれまで女性が差別されてきたことの解決であるかのごとく、
お題目を並べて、女性の活用を声高に言い始めているように感じます。

もちろんそれ以前に人口動態変化による就業人口の減少が長期的要因として存在しています。


「何を今さら」であります。


思えば、バブル絶頂期の1990年頃、同様の理由で女性の総合職採用が進みました。

その後、日本企業の組織はどのように変わってきたか。果たして女性の活用は成功したのか。

その検証が行われないまま、あれから20数年もたった今、またもや同じような現象が起こっています。

バブル時代の女性活用ブームの失敗における反省は行われたのか。
行われてきたとすれば、それを活かした対策はできているのか。

この「2回目」といえる女性活用ブームを、当時と同じく今も経営者として人材ビジネス
に関わっている私から見れば、その反省は全くもって活かされていないように思います。


このままでは、今回の女性活用ブームも失敗する可能性がとても高いように感じます。


それでは、なぜ女性の積極活用が失敗するのか。今回はその要因と対策を提示したいと思います。


まずは、失敗の第一要因


女性活用の為の数値目標やインセンティブを設定する。


女性を管理職の〇〇%にしよう、とか、女性の職場比率を上げよう、
とか、そういった単に数値目標を設定しただけでは、この施策は必ず失敗します。

その理由は簡単です。

ひとつは、「女性」がステレオタイプに規定され、まるで、「女性」が一種類かの如く
扱われることです。「女性」にも、もちろん「男性」にも様々なタイプが存在すること
は今さら言うまでもありません。「女性」を一つの種類かの如く扱うことで正しい結果を
生み出せるかどうか。これは議論するまでも無いでしょう。

また、「女性」を主語にした時点で、女性だから、という理由での特別な目線が生まれます。
また、目標数値を達成する為に優遇を行われる場合もあります。
これは、同じような境遇の「男性」には適用されませんので
結果的に職場に違和感や逆差別が生まれます。

また、女性の管理職を登用した企業に、行政が
補助金(インセンティブ)を出す政策はリスクが高いと考えられます。

なぜかと言えば、これによって、本来の実力によって、
管理職の地位を手に入れたはずの女性も、「補助金枠」管理職と
みられることがあり、かえって肩身が狭くなってしまうことがあるからです。

また、企業が補助金目当てで、実力も意思も無い女性を管理職等に登用すれば、
本人も、周りの従業員も、そのアンバランスさに戸惑ってしまうこともあるでしょう。

それこそ、補助金目当の「名ばかり管理職」を増やしてしまう結果にもなり得ます。



第二要因


本来、女性がこうありたいという希望と相反する傾向が生まれる。


少し前の調査ですが、

※「夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と考える既婚女性の割合がこれまでの低下傾向から一転し、増加したことが31日、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の「第4回全国家庭動向調査」(2008年7月に実施)で分かった。

※2010/05/31 【共同通信】記事より抜粋

となっており、若い世代でこの傾向はより顕著です。

大げさな定量調査なんかしなくても、普段から若い世代と接していると、
異口同音にこういった声を大変多く聞くことが出来ます。

本音でこのように考えている女性に、「無理矢理」負担の大きい
仕事をさせようとしても無駄に終わるであろうことは想像に難くありません。



第三要因


極端な例をマスコミが取り上げすぎる。


マスコミや研究者が、女性の活躍を紹介するとき、多くの場合、
社会的にも大きく成功した女性を例に挙げ、いかにもそれが女性の活用事例のごとく喧伝します。

特にマスコミは、見栄えが良く、成功した女性を取り上げ、それを語ります。

まるで、誰もがプロ野球選手になれるとでも言ってるかの如く聞こえます。

多くの人が気がついているように、その女性達の殆どは、
何らかの制度によってその地位を手に入れたわけではありません。

それをいかにも、「これが見本です」的に紹介することで、普通の女性は、「彼女たちは特別。
私には無理」と感じ、さらに女性が責任ある仕事に就こうとする意欲を削ぐ結果になるのです。

また、活躍している女性がテレビ等で紹介されるとき、紹介に「二児の母」などど
男性では決して使われないテロップが平気で出されることです。これは逆に、子供を持たず
に活躍している女性に対する、大変な差別心が潜んでいるように感じます。



第四要因


極端なフェミニズム


極端なフェミニズム論者が、テレビなどを通じて、女性差別を声高に叫びます。
それを見て、多くの女性達は、「ああはなりたくない」と感じます。

男性が「男らしく」生きたいと思うのと同様に、
女性が「女性らしく」生きたいと思うのは、大変自然なことです。

それを否定するかのような、極端なフェミニズムや
ジェンダーフリー論は、かえって女性の活躍を阻害します。

(もちろんそれら唱えている論者はそう思っていませんが)



これらにはもちろん解決策が存在します。それを提示したいと思います。

(公的な保育所の充実による待機児童の解消等は、行政の義務であり、産休育休などの制度は企業として当然のことですのでここでは触れません)

第一の解決策


社会的背景


国税庁の調査によると、この15年間、給与所得者の平均年収は
平成9年をピークにほぼ減少の一途を辿っています。こうなると、一人で
家計を支えるのは困難となり、自然と女性の就業意欲が高まることになります。

これは解決策と言うより「仕方なく」ですね。


第二の解決策


企業の対策


そんなに難しいことではありません。

上記の所得環境を鑑みつつ、個別の事情に合わせて、
多様な働き方を認める制度を創設し、柔軟に対応することです。

これは十把一絡げのルールだけでは不十分です。

「男女や年齢などにかかわらず」(ここが重要です)、その人の家庭環境や、
向上心、能力、等に応じてどのような働き方でも認めていくということを、ルール化することです。

誤解を恐れずに敢えて極端な言い方をすれば、
「男だって子供を産むかも知れない」
というくらいの想定をしておくと言う意味です。

制度が先に立つと、制度に当てはまらない場合、職場を去らなければならなくなります。
そうならぬよう制度そのものに柔軟性を帯びたものを設け、その都度、権限を持つ責任者が
各自に適応した勤務体系、賃金体系を決めていくことが出来るようにすることが重要です。

これは個別雇用契約(I-Deals)※の概念です。個別配慮契約とも訳せます。

100人程度の会社であればトップの意思一つですぐにでも適応可能です。

大企業の場合は、100〜200人程度の組織単位で、それを
決裁できる責任者を定めることで、この制度は実現可能となるでしょう。

これはダイバーシティマネジメントの一つの解と言えます。


第三の解決策


らしさを認める


女性を活用する。と考えるから無理があるのです。

今まで、男性中心の社会で企業が成り立ってきた歴史は、今さら変えようがありません。
そのような環境に、無理に女性を加えようとしても混乱が生じます。

女性を受け入れると考えるのでは無く、「その人らしさ」を受け入れ、活用すると考えることが重要です。

男性であってもキャラクターとして「女性らしさ」を持つ人はいます。逆も然り。
それと同じようにパーソナリティの一つとして自然に受け入れる意識を持つことです。

「らしさ」を企業の人事評価の基準に加えることは、
既に、いくつかの企業において制度化され始めています。

この考え方と、第二の解決策をミックスすることで、
自然と女性が職場で活き活きと働く企業が生まれる事でしょう。


私は、昔から、男女で仕事の差別を行ったことがありません。
しかし、採用時によく、「らしさの評価はします」と言っています。

それは、男らしさ、女らしさ、である場合もあれば、
逞しさ、しなやかさ、優しさ、厳しさ、といった「らしさ」もあります。


男女や年齢にかかわらず、「らしさ」を活かして「楽しく」働いて欲しいと思います。


【参考文献】※

I-DEALS: IDIOSYNCRATIC TERMS IN EMPLOYMENT RELATIONSHIPS DENISE M. ROUSSEAU Carnegie Mellon University  Academy of Management Review 2006, Vol. 31, No. 4, 977-994.

2013年12月03日

☆No.60【就職活動】



何を隠そう、私は就職活動をしたことがありません。
理由は簡単、学生時代に起業してしまったからです。


そんな私ですが就職活動についてとてもよく考え、また意見を求められる機会は数多くあります。


もちろん仕事柄、その関係に関わることが多いのも事実ですが、
普段から就職活動中の学生諸君の意見や希望をよく聴き、自社の説明会では
語り合う事を重視し、また大学での講義では敢えてこれを話題にすることが頻繁にあります。


そこでよく思う事。


そもそも「就職活動の目的は何か」と言うことです。


大学3回生も後半にさしかかると、何かと就職活動の話題が多くなるのがスタンダードな学生像です。

インターンシップを行う企業が増えるのもこの時期です。

今年からは、「3回生」の12月1日が会社説明会の解禁日。
来年度からは、3月1日に後倒しされます。

過去に遡ると、この申し合わせは、1986年「就職協定」という名の下に、
「4回生」の8月2日会社訪問開始、11月1日内定解禁として協定合意されていました。

この頃これを破る「青田刈り」という言葉が流行しており、
就活解禁日には、既に内定をもらっている学生が多数いました。

そして1996年にこれが廃止されて以来、就職活動は年々早まり、
ついに、「3回生」の10月に主な新卒向けメディアが情報を開示するようになったのです。


そして再び、就職協定(みたいなもの)が生まれ、
今年からは前述のようなスケジュールになっています。


これは、

「学生は学問優先」という意見と、
「時間をかけて就職先を選ぶべき」という意見がぶつかり、

また、企業は、

「出来るだけ早く優秀な学生を取り込みたい」

という意思が入り込みました。

といいつつ、

「企業にとっては出来るだけ公平に」

採用機会が与えられること。等が条件となっていると考えられます。

とても日本らしいバランスを鑑みた制度です。
(ちなみに米国にはこのようなものは一切ありません)


学生諸君は、これらの狭間で、右往左往し、
さらにネットによる情報過多がこれに拍車をかけていくのです。


私は、学生諸君に、


「なぜ就職するのか」


という単純な問いを投げかけることをよくやります。

一番多い答えは、


「生活のため」


です。でも世の中が豊かになった為、生活のために
どうしても就職しなければならないという学生は、実はかなり少数派です。


試しに、


「就職決まらなければたちまち生活に困る人は?」


と、聞くと、殆どいません。


「じゃあ、就職なんかしなくて良いんじゃ無い?」


と、問います。


さて、ここからが議論の始まりです。
様々な回答が返ってきます。


「なぜ就職するのか」


これをよく考え、自分なりの回答を思ってから就職活動を開始すると、
結果うまくいく確率が上がると私は思っています。


今年も、個性的な回答を期待してます。


2013年11月18日

◎No.12【仮面ライダー供




数年前、反社会勢力らと対峙しながら、「正義」について思い悩んでいたときに、
◎No.6【仮面ライダー】
という記事を書きました。


この時、私は、「仮面ライダー=正義」と定義しています。


同時期、米国ではマイケル・サンデルによって"JUSTICE"という本が出版され、
大ベストセラーになっていました。これはその翌年「これからの正義の話をしよう」という題名で
日本でも同様に大ヒットとなっています。

この本の元になった、ハーバード大学での同教授の講義は、NHKで放送され、
その後DVDでも発売されました。

私は、このDVDを何度も繰り返し見ながら、自分なりの正義論を組み立てていきました。

その後も、気になった哲学書を出来るだけ読み、正義だけでなく人間の生きる
根源的な目的などについて思いを巡らす事が多くなりました。

最近では、日本新聞協会広告委員会が「しあわせ」をテーマに実施した
「新聞広告クリエーティブコンテスト」で以下の作品「めでたしめでたし」が最優秀賞に
選出され大きな話題を呼びました。

http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013/no1_b.html

これは、「仮面ライダー=正義」論を真っ向から否定するものです。
桃太郎が悪い奴に見えてきます。

実は、私も、ショッカー側から見たら仮面ライダーが悪なのであり、
正義はショッカーであることに、気がついていました。

私がもし「鬼」一族なら、桃太郎ほどの悪人はいないと思っているでしょう。


これらは極端な例ですが、身近にも様々にこのようなことが存在します。
前回の記事でも、「官僚は悪いのか」ということを考察しました。

例えば、既得権益に群がる悪代官がいたとしても、
彼らにとっては、自分たちが正義であり、水戸黄門や、遠山の金さんは悪者です。

ビジネスの世界でも、競合は、ちょっと悪者に見えたりします。
それは自分たちのビジネスにとっての妨害者に見えるからです。
(実際には、競合はマーケットを拡大し得る原動力となり互いに利益をもたらす傾向が強くあります)

しかし、あまりビジネスの世界では、競合であっても、
人そのものを憎んだり、誹謗中傷などを行うことはありません。

なぜかというと、ビジネスは「マーケット」という公平公正な
土俵で、正々堂々と戦っているからです。

ですからこれは「正義論」とはちょっと違いますね。

つまり、正義を語るときに重要なのは、それによって、
より幸せになるひとがより多くいるか。が議論になってくるようです。


民主主義の根幹もここにあると思われます。


土俵が公正なら、数の大小が正義の意味に近くなります。
土俵が不公正なら土俵をそのものを変える必要があります。


もちろんマイノリティが不幸にならぬよう、
セーフティネットの必要性も論じられるべきです。
しかし、これも正義論の範疇になり得ます。


「部分最適」では無く「全体最適」を重視すべきと
言うのが、私の今の正義論です。

哲学的には、功利主義を肯定した上での共同体主義と言えます。


またもう少し思いを巡らせてみたいと思います。

srcblog01 at 15:06

2013年10月12日

☆No.59【半沢直樹と大和田常務のリーダーシップと官僚的組織構造】



官僚的体質は、悪者か?


ミーハーネタでアクセスを稼ごうという訳ではありませんが、
ドラマの半沢直樹シリーズを組織構造とリーダーシップの観点から論じてみたいと思います。

銀行という組織は、いわゆる官僚的な組織です。

官僚的組織というと、日本では悪い印象があるかも知れません。
ちなみに英語の同義語である「bureaucracy」も批判的な意味が含まれます。

しかし、そもそも官僚的組織とは、
目的を達成するに当たっては、最も優れた組織構造のひとつなのです。

ロバート・K・マートン(1961)は、「形式的組織の理想的なタイプ」とし、
その理想的な組織を評価しています。

しかし同時に、官僚的組織が長期に渡ることで以下の弊害があるとしています。※

〃盈された無能

∈把禝容行動

8楜劼良塰足

ぬ槁乎峇

ジ朕妖成長の否定

Τ弯靴料乏


つまり、はじめは理想的に作られた組織が、長期にわたって
制度疲労を起こすことによって、上記のような弊害が起きることが多く、
それが、官僚的組織が悪く言われる所以だと考えられます。

官僚的組織とは、営利目的では無い行政や、銀行などの行政による許可などが必要な
既得権益的な企業内で生まれる事が多く、本来であれば、外向き(市民や顧客)に
向かうべき目的が、組織そのもの維持することにエネルギーが向かってしまう状態になることです。

つまり、組織内では、市民や顧客よりも、組織内での目の前の部分最適を重視する
大和田常務的なリーダーシップを発揮する人間が出世することとなります。

そして、逆に半沢直樹のような、市民や顧客のためという本来の組織の目的に忠実で、
かつリーダシップを持った人間がかえって排除されるというおかしな現象が起きるようになります。

組織そのものが、上記のきキΔ里茲Δ別簑蠅鮖っているのですから、
いくら半沢直樹がボトムアップで組織を変えようとしても限界があるのはドラマの通りです。

しかしそれは「意図せざる結果としての逆機能」※ですから、もちろん官僚そのものが
悪いのではありません。同じ構造の組織が長く続くことによって弊害が起きるだけのことです。

官僚的組織が、こうなってしまっているケースは日本にも大変多くあるのでは無いでしょうか。
(最近のみずほ銀行の事例もこれらの弊害のひとつに当てはまるかも知れません)

結論を言えば、疲弊した官僚的組織を変革するためには、
官僚的組織出身では無い、「強力且つ正しい理念と実行力を持った
新しい価値観を持ったリーダー」によるトップダウンによる変革が必須となります。

そして、新たな官僚的組織を作り出し、目的を明確化しそれを実現させていくのです。
それによって組織は生き返り、活き活きと人間らしく働ける組織へ変わっていくことでしょう。

もちろん、これもまた時間と共に制度疲労を起こします。
その時には、また再び強力なトップリーダーの出現が必要になるのです。

つまり、官僚的組織は、意図的かつ定期的に変化を起こし、進化させなければならないということです。


みなさんの今の組織はいかがですか?
 銑Δ当てはまっているように感じたならリーダーを変えなければなりません。



野中郁次郎(一橋大学名誉教授)の「経営管理」から引用、この著書でマートンの著書「社会理論と社会構造」に記述されていることを引用し整理している。「意図せざる結果の逆機能」もマートンの言葉である。


個人的には「既得権益」に関して、このような考えを持っています。
No.50【既得権益を守れ

2013年10月08日

No.5【旧経営陣の責任について】



 神戸地方裁判所にて審理が行われていました、株式会社Kiss-FM KOBE(Kiss FM KOBEの前の運営会社で、民事再生手続中※)による同社の元役員に対する損害賠償請求権の査定の申立の裁判は、会社側の損害賠償請求を争っていた元役員が、その「経営責任を全面的に認めたこと」により、平成25年10月3日、神戸地方裁判所において和解が成立しました。

 また、会社において損害賠償請求の対象としたその他の元役員は、既にその責任を認め、各責任に基づき会社に対して弁済等を実施しております。

これらは以前ご報告した下記についての結果です。
http://blog.src-japan.net/archives/1797666.html

 現在、上記和解に基づく弁済手続中であり、同弁済手続が完了する平成26年4月頃には、債権者の皆様に対し詳細をご連絡させて頂く予定です。

 個々の経営責任を明確にする為、大変長い時間を要しましたが、これによって一連の民事再生手続きは完了する予定です。債権者の皆様からご質問などございましたら、メールなどでご連絡下さい。私、または、担当弁護士より返答させて頂きます。

※現在のKiss FM KOBEは、事業譲渡を受けた「兵庫エフエム放送株式会社」により運営されていますのでこの件とは直接の関係はありません。

2013年08月30日

★No.87【謝辞】



受験勉強から、修士論文まで。
約2年間にわたる、学生生活が終わろうとしています。

思えばこの2年間は、人生で最も勉強した期間でした。
高校受験、大学受験など比較にならない時間と量を費やしたと思います。

そもそも、今まで、私は、自分が勉強する努力が
継続出来る人間だとは思っていませんでした。

中学も高校も遊んだ記憶しかありません。

その私が、この2年間、仕事以外の時間の殆ど全てを学問に費やしたのです。
「人間やればできるもんだなあ」と、妙に感慨にふけっているところです。


ところで本題ですが、

論文を書くと殆どの人が、最終章のあたりに、

「謝辞」

という項目を作って、論文作成にあたってお世話になった方や、
指導教員に対する感謝の言葉を書く項を設けます。

学術的には、余分だという意見もありますが、
「謝辞」だけで、5ページを費やしたクラスメートもいます。

当然のように、私も「謝辞」を書こうと考え、色々と思いを巡らせました。

御礼を言うわけですから、

「誰」に「何」を、という当たり前の順序になります。

感謝していることは事実なのですが、
この論文を完成させることが出来たのは、誰の何のおかげか。

考え出すとキリがありません。

まず、この世に誕生させてくれた両親、
いや、両親だけじゃなくご先祖様。(ところでどこまでがご先祖様なんだろう?)

先生、友人、上司、部下、家族、同僚、クラスメート、、、、、、

それ以外に私にとって嫌な思いしか残っていないような人たちも、
(それによって、自分が成長できたこともありますから。)


そうです。「謝辞」を書き出すと、それだけで論文の文字数を超えてしまいそうです。

結果、私の「謝辞」は、とても短くまとまりました。


『本稿を完成に導いて頂いた全ての方々に心から感謝する』


「感謝する」ということを、一度落ち着いて、
書き残すことを考えてみることはとても良いことかも知れません。


2013年06月25日

◇No.4【役員人事と取組のご報告】


平成25年6月21日、兵庫エフエム放送株式会社の第三期株主総会が行われ、
取締役の変更等の決議と取り組みの報告などが行われました。

新しい経営陣は以下の通りです。(既に正式なプレスリリースを行っております)

代表取締役 横山 剛
   取締役 石井 博之  株式会社エフエム東京 常務取締役
   取締役 長谷 邦男  日本電波塔株式会社(東京タワー) 常務取締役
   取締役 叶屋 宏一  株式会社ケーブリッジ 代表取締役社長、元ヴィッセル神戸社長
   取締役 山本 晋也  株式会社レセオ 代表取締役社長
   取締役 滝岡 晃   株式会社エフエム東京 関西支社長
   監査役 関田 好久  シグノシステムジャパン株式会社 常勤監査役


新たに、元ヴィッセル神戸社長の叶屋氏、また樫野孝人氏の後任として、同じく神戸大学出身のITベンチャー起業の経営者で神戸大学起業家精神育成ゼミの講義も務める山本氏、加えて、エフエム東京からは、関西支社長の滝岡氏が就任するなど強力な布陣をもって引き続き地域に無くてはならない放送局を目指して全力を尽くしていきます。

また先期は下記のような取り組みを行って参りました。
結果、売上は、前年比109.3% 経常利益は同320.1%となりました。

今期はこれらをさらに発展、充実させていく予定です。


◎新体制からの新規クライアントは大手企業、地元企業併せて累計205社に達しました。
新しい画像 (4)











◎アクティブリスナーは継続的に増加しています。
新しい画像 (2)










◎主催・後援・協賛イベント件数も大幅に増加しました。
Kiss1











◎KissPRESSのウェブサイトもリニューアルしました。→KissPRESSのウェブサイトへ
kisspress_website[1]















◎新しい取組も続々開始しています。
kiss2










今期も引き続き全力で取り組んでいきたいと思います。
ご意見ご要望などお気軽にお寄せください。


2013年03月02日

◎No.11【宣伝です。】



もう一昨年前になりますが、神戸を代表する経営者のみなさんと共に
神戸大学の大教室でリレー講義をさせて頂きました。

この講義を企画担当頂いた経営学部の栗木教授は当時、通常の講義だと、回を追う毎に
出席者が少なくなっていくのに、この講義は、逆に増えていっている。こんなことは非常に珍しい。

と、大変感心されておられました。

私の担当講義の時も、GWの谷間という日程で、
さらに大雨という天候の中にもかかわらず、400人収容できるはずの
大教室は座りきれない生徒であふれ、床や、窓枠に座ったり、それでも足りず
立ち見の生徒もたくさん来てくれていました。


そして、この度その内容が一冊の本に著されました。

「ビジョナリー・マーケティング」 これがその本の題名です。

IMG_0793














はしがきから抜粋します。

「本書は以下のような方たちを念頭に執筆されています。もし、あなたが、ビジネスパーソンで、日々現場で実務に関わっているのであれば、本書を手にすることは、企業の経営者の視点でマーケティングに挑む論理を考えるよい機会となるでしょう。あるいは、これからのマーケティングのあり方に頭を迷わしているのであれば、本書を手にすることは、今の日本の企業におけるビジョンの役割に目を向けるとともに、これからの自社にとってのマーケティングの構図を骨太に考え直すよい機会となるでしょう。そして、もし、あなたが、これから社会に出ようとしている若い方なのであれば、本書を手にすることは、社会のなかで働くことや生きる意味を、リアリティを持って考えるよい機会となるでしょう。」

「ビジョナリー・マーケティング」
栗木契(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
岩田弘三(株式会社ロック・フィールド 代表取締役社長)
矢崎和彦(株式会社フェリシモ 代表取締役社長)
編著

※弊社にお越し頂ければ、先着若干名様限定でサイン入り(笑)にて差し上げます。

IMG_0791


srcblog01 at 21:52◎閑話な一粒

2013年01月06日

☆No.58【年頭所感】


あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりありがとうございます。

昨年後半は、なかなか時間がとれず、
ほとんどブログを更新することが出来ませんでした。

個人的は、今年前半も、時間の足りない状況が続きますが、
何か良い情報や考え方などが、見つかり次第更新したいと思います。

今回は、社内向けに広報した方針確認と所感をほぼそのまま、紹介します。
社内向けの文章ですので、言葉遣い等に違和感があるかと思いますが、
これらよって私たちの日頃の行動指針などご理解頂ければ大変嬉しく思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

簡単に今年の方針を伝えます。

目の前の、顧客、読者、生徒、リスナーの満足を徹底的に追求し、
地域に豊かさをもたらすという役割を果たすことで、
会社が正しくかつ有益に存在し、
それによって得た収益を長期的視野を持って地域と従業員に還元していくこと。

結果として、個々人が自らの成長を楽しみ、
また、豊かな人生を送ることができる。

今年も変わらずこの方針で運営していきます。

今年3月で、2010年に策定した3カ年計画「3Tプロジェクト」最終年度となります。
事業毎に濃淡あるものの皆の努力により全体としては達成する見込みです。

新経営計画は、超長期的視野(10〜50年)から中長期(1〜3年)、
そして短期(月〜四半期)に落とし込んで、各事業毎に行動計画の策定を行います。


ここからは所感になりますが、

ひとりひとりにとって興味あること。
それは、健康で豊かな人生をおくることに他ならないと思います。

まず健康は、非常に大切でありその為に自己管理は徹底して行わなければなりません。
でもそれだけではどうしようも無いときもあります。

しかし、豊かな人生は、自らの努力で切り拓いていくことが可能です。

些か宗教的な物言いになりますが、自らの豊かな人生は、
他の人の豊かさに貢献できた総量によって決定づけられると私は信じています。

それが真実であるならば、我々の行動すべき方向は自ずと定められます。

企業の成長も同じ事が言えます。

少なくとも私の根本にある考え方は上記であり、
私の全ての言動はこれらに帰結すると考えて下さい。

質問などあればいつでも気軽に。



※最近になって、これらの考え方は、学術的にも認められるようになってきました。
興味のある人は、以下の文献を読んでみて下さい。

■「経営の精神」加護野忠男(神戸大学名誉教授 甲南大学客員教授)
※日本で最も著名な経営学者の一人。長期にわたる継続した研究から日本の経営の正しさを示唆。
■「百年続く企業の条件」(帝国データバンク 史料館・産業調査部)
※調査会社らしく客観的指標で企業継続の条件を示す。
■「企業生命力」アリー デ・グース (the head of Shell Oil Company's Strategic Planning Group and is a public speaker) ※50年以上存続している企業に共通する4つの特徴を明らかにした。
■「幸せな資本主義」(日経ビジネス2013年1月7日号特集記事)
※今現在の、世界の優良企業の事例から模索する「幸せな資本主義」に迫る。

2012年05月15日

★No.86【なぜ嘘をついてはいけないのか?】


カントはいかなる場合も嘘をついてはいけないと説きました。

カントの道徳理論はともかく。
なぜ「嘘」をついてはいけないか。
ということについて考えてみたいと思います。

嘘に関する問答を行う場合、必ず問題になるのは、

「嘘も方便」

という言葉です。

「嘘」が、相手の為になるのであれば、それは許容されるという考え方です。

■末期がんの患者にショックを与えないように事実を語らない。
(※最近は、本人の希望を事前に確認した上で告知するのが主流になっていますが)

■ストーカーから友人を守る為に嘘の居場所を伝える。

■人を傷つけない為に本当のことを言わない。

等々。

「嘘=悪」とは言い切れないことが往々にしてあります。

そして嘘にはいろいろな種類があります。

1 陥れる為の嘘
2 利益を求める為の嘘
3 傷つけない為の嘘
4 守る為の嘘
5 楽しませる為の嘘
6 悲しませる為の嘘

その他にもあると思います。また、状況に応じて、
上記の複数が組み合わされる事も起こることでしょう。

しかし、実は大きく分けると嘘は2種類しかありません。

それは「自分の為」か「他人の為」かです。

ちょっと自分自身に照らし合わせて
今まで付いた嘘について考えてみましょう。

「自分の為に付いた嘘」がその後どのような影響をもたらしたか。
「他人の為に付いた嘘」がその後どのような影響をもたらしたか。

少し考えてみるとすぐに分かるのですが、
「自分の為についた嘘」が長期にわたって自分自身の為になっていることは殆どありません。
「他人の為についた嘘」もよくよく考えてみると、本当に他人の為にはなっていないことも多くあります。

理由は二つです。

まず、殆どの場合「嘘」はばれます。
嘘は永遠に嘘なので、永遠にばれる可能性がいつまでも残るからです。
その場で逃れる利益よりも、先にばれる不利益の方が大きかったり、
良かれと思ってついた嘘が、かえって物事を悪い方向へ導いて
しまったような経験が、殆どの人にあると思います。

もう一つは、精神的な問題です。

自分でついた「嘘」はいつもでたっても自分自身の心に傷(罪悪感)を残します。
たとえ、他人にばれていなくても、自分自身にはばれているからです。
だから嘘はいつまでも頭にへばりついて離れてくれません。


「だから嘘はついてはいけないのだ。」


などと大上段から宗教家のごとく言うつもりは全くありません。

でも、「嘘」は本当のことを言うより、エネルギーが必要であり、
精神的な負担をもたらすことに違いはありません。


これはビジネスの現場にも共通します。


おだてるマネジメントはうまくいきません。
指摘するマネジメントが重要です。

その場でうまいこと言う営業は長期的にはマイナスの成果が生まれます。
事実に基づいてしっかりと提案する営業が必要です。

粉飾決算は、企業を窮地に陥れます。
正確な経理が企業に利益をもたらします。


ノウハウ本に「褒めて伸ばす」と書いてあるからと、
褒めるところも無いのに褒めてもうまくいくはずがありません。

目先の利益を追っていい加減なことを言ったら、
二度と発注はもらえません。

正確な数字にのみ、経営の神様は微笑みをもたらします。
(根拠はありませんが、なぜかそうなるのです。税理士や会計士に聞くと異口同音に「正確な経理を行っている企業ほど利益を計上し、伸びていく」と言います)


テクニックにさえ、嘘があってはうまくいかないのです。

つまり、ほとんどの場合

「嘘をつかないこと、が、結局は自分自身の為になる」

と、考えて間違いないと思います。

嘘をつかずに自分を守る。
嘘をつかずに人を傷つけない。
嘘をつかずに人を指導する。
嘘をつかずに人を守る。

安易に嘘に頼る前に、立ち止まって考えたいと思います。



2012年05月13日

◇No.3【訴訟リスクとは何か】


数年前に、ある新聞記者が私に、こう言いました。

「事実である事が明確なのに記事に出来ないことがあるんです」

私はその理由を尋ねました。すると、

「訴訟リスクがあるからです」

私は、さらに尋ねました。訴訟されても事実であれば問題ないのでは?

「訴訟されることそのものがリスク、なんですよ」

と、その新聞記者が答えました。

まったく釈然としませんでしたが、いくら聞いても
それ以上の理由が出てこないので、私はそれ以上聞き出すことを諦めました。

しかし、最近、その新聞記者の言った意味をようやく理解することができました。

今回はその理由を説明します。

第一の訴訟リスク。それは大変な費用がかかることです。

例え、自分(又は自社)自身の行為が正しく、かつ事実であっても、
訴えを起こされた段階で、対応しなければなりません。

なぜ、対応しなければならないかというと、もし放っておけば、
相手の言い分の真偽がどうあれ、そのまま通ってしまうからです。

では対応するとはどういうことか。

基本的には弁護士に代理人をお願いして、対応することになります。
もちろん弁護士を代理人とすることは必須ではありませんが、訴訟に対応するには、
複雑且つ正確な手続きが必要であり、素人には事実上不可能に近いと考えられます。

まずここで、弁護士に支払う費用という経済的リスクが顕在化します。


第二の訴訟リスク。それは時間と労力です。

裁判には、非常に長い時間がかかります。相手方の主張に対し、
しっかりと証拠を積み上げて対応しなければなりません。ひとつひとつのやりとりに、
その都度数ヶ月単位で時間を要します。

相手方が、まともであれば普通に対応すれば良いのですが、
その都度様々な証拠をでっち上げるような人物の場合、それが「偽」である事を
客観的視点から、いちいち証明しなければなりません。
さらに相手方が所謂グルの場合は「偽」を証明するのも非常に困難となります。

このような場合、結審まで最低でも数年の時間がかかります。

つまり大変な時間と労力が必要となります。


第三の訴訟リスク。それは結論です。

結論を出すのは、基本的に裁判官です※。つまり結論は、最終的には、
裁判官の「その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束され」出されるもので、
結論は、その裁判官個人が持つ、一般に「心証」と言われるもので左右されます。
※近年では裁判員制度を用いるケースもあります。

つまり裁判官という「人」やその「視点」によって最終的な判断が異なると言うことです。


私の個人的なケースも、まさに上記の三つのリスクを全て抱え込んでしまっているケースです。

できるだけ客観的にみてみれば、

仮に、「相手方が、反社会勢力で、人を騙すことを生業としている人物」、と考えた場合、全面的に私の主張を認めた、第一審の判決は妥当であると思います。

逆に、「相手方が、一般人で、かつ、まともな仕事で普通に生活をしている人物」、と仮定した場合、相手方の主張を一部認めた第二審の判決もあり得るかもしれません。

※相手方に関する情報はこちらです。また裁判の詳細は、裁判所に行けば全て閲覧可能です。

※また相手方の一人はカンボジア国籍を取得した以下の人物です。

投資詐欺容疑、カンボジア国籍の男を国際手配(産経新聞)
不動産詐欺容疑でカンボジア国籍の男を国際手配(朝日新聞)


もちろん、人間である以上、その人が、どのような人物であろうとも、
人権や名誉は存在しますので、裁判所の判断は尊重しなければなりません。

私は上級審がどちらの判断をするか見極めてみたいと思っていましたが、
結果上級審は上告そのものを受理しませんでした。

これにより大変残念ですが、上告審で裁判自体がが行われることはありません。

※このあたり非常に分かりにくいとは思います。民事訴訟の場合、一審は口頭陳述を含む詳細な裁判を行い、二審は、原則として書類のみで審理を行います。そして余程の重大事件や憲法違反に関する事案で無ければ、最高裁判所は裁判自体を行いません。
(民事訴訟についての流れの詳細は様々な情報がありますので調べてみて下さい)

しかしながら、大変幸いなことに、私が支払った損害賠償金の元本は、既に、相手方によって投資詐欺被害に遭ったとされる被害者の方々によって裁判所を通じて全額、差し押え、また仮差押えがなされており、相手方には一切支払われておりません。また、裁判の結果相手方は詐欺の事実を認定されを敗訴していますので、お金は彼らには支払われることはありません。

つまり(あくまで結果論ですが)お金が相手方の行った投資詐欺行為による被害者の方々の救済の
一部にあてられることとなるので、そうであれば好ましくも思っています。

結局のところ、事実がどちらであるかは読者の皆様の判断に委ねたいと思います。
(また、相手方は、私に対し刑事告訴も行っていましたが、「当然ながら」不起訴となっています)

事業再生にあたってきた私たちの行動が、結果的に
彼らが行おうとした「組織的な行為」を妨げたことになったことは想像に難くありません。

しかし、彼らにその意趣返しに腐心するような暇があるならば、
まずは自らの行動を戒め、改めることにその時間を費やすべきでしょう。


これらの件に関し、ご質問などございましたら右上にありますアドレス宛にメールを頂くか、
こちらから【Kiss FM KOBE 再出発への軌跡と総括】の記事ブログへ入って頂き、コメント欄にご記入下さい。


最近手を変え品を変え、投資詐欺、振り込め詐欺が頻発しています。
迷惑メールなどもこの類だと言われています。

十分にご注意頂きたく思います。


2012年03月21日

★No.85【女子学生の就職は不利?】



女子学生が就職に不利である現実を取材した本日の日経新聞電子版の記事より。

>ある素材メーカーの人事担当者からはこんな本音が漏れた。

>「今年春に採用する女子学生も、10年後には育児や
>介護の制度を使って休職や時短勤務になっている可能性が高い。
>採用を絞り込んでいるので、戦力がそろわないのは正直痛いんですよ」


一方で女子学生の本音を取材した別の記事より。

>「私にできることは、支える仕事」「転勤しながら子育ては無理」「ノルマが
>ある営業職はイヤ」。都内のある女子大では、「一般事務職セミナー」を開くと、
>事務職志望の学生ですぐに埋まる。



この二つの記事から何を感じるでしょうか。

前者は、人事担当者の偽らざる本音だと思いますし、
現実的にその時点で企業の戦力はダウンし、
組織力の低下に悩まされる事になるのだと思います。

それを事前に避ける意味でも、積極的に総合職で
女子学生を採用しないという選択肢をとることになるのでしょう。

そして女子学生の就職難は続いています。


一方、後者も女子学生に多く見られる意見です。

数年働いて、結婚する。子供が出来たら育休と産休を
とって同じく一般職で復帰。もしくは夫の稼ぎで専業主婦。

と言うパターンを選びたい女子学生が今も非常に多いのです。

ところが一般職の求人は業務IT化に伴って減少する一方です。

そして同じく女子学生の就職難の原因となっています。


これを言うと怒られるかもしれませんが、
このような傾向はごく自然に起きる事であり、男女の性差や
人間という生物の特性から導かれる傾向であろうと考えられます。

また、少なからず国の文化にも左右されるでしょう。


昨今、企業は、自社の事だけを考えるのでは無く、
社会全体の事を考えて企業責任を全うべきと言われています。

一般的にはそれらはCSRという言葉で言い表せられ、
日本語では企業の社会的責任と訳されています。

私はそれらに加えて、

企業が社会の構成要素の一つである以上、
その存在が、人間そのものの豊かさや子孫繁栄にとって、
有益でなければならい。

とのスタンスを持っています。

それが結果的に利益が生まれる源泉となり、
その利益を通じてさらに人間社会に貢献していくのが、
企業の正しい姿だと認識しています。

この立ち位置から考えると、企業の採るべく姿勢は、
これまた昨今の言葉であるダイバーシティ(多様性)となるでしょうか。

ダイバーシティは、CSRの一環として論じられる事も
ありますし、企業繁栄の一手段として論じられる事もあります。

私は、ダイバーシティは、本来の人間社会への
貢献を目的としなければならないと考えています。


企業の都合と社会の都合、また人間本来の生存に関する都合。

企業の本音と女子学生の本音。


つまり企業はこれらを総合的に組み合わせて、
最善の策を常に考え取り組んでいく事が重要なのです。

最善の策とは、「人間そのものの豊かさや子孫繁栄
にとって、有益かどうか」ということに向って結論を導き出され
た策のことを指すのだと、個人的には結論づけています。



2012年03月10日

☆No.56【会社は誰のモノか】



会社が誰のモノであるか。それを決めるのは誰か。


と言う議論は経営層だけで無く組織で働く人全てが関心を持っていると思います

もちろん法律的には株主のモノである事に疑いの余地はありません。
株主がいなければその会社は存在し得なかったのですからこのことはある意味当然といえるでしょう。

ところが昨今の考え方では、その会社の利害関係者、
所謂ステークホルダーのモノであると言われる事が一般的となりました。

但しこれには、法や制度に基づく明確な根拠はありません。
つまり会社がステークホルダーのモノであるというのは単に「考え方」にすぎないということなのです。

では、何故考え方に過ぎないものが一般的になったのか。

その背景を理解する事が企業を健全に運営していく鍵になると思います。

高い経緯成長が終焉を迎え、国際的な厳しい競争にさらされるようになると、経営者の考える企業環境に於ける最も強力な武器は従業員の自ら発する動機である事に気がつくようになりました。

従って現在のマネジメントには、「モチベーション」(動機)という言葉が頻繁に使われるようになってきたのです。

従業員にととっての「動機」は様々ではありますが、その中でも特に重要なのは,帰属意識です。

従業員が企業に帰属意識を持つ事は、
企業間競争に大きな優位性を持つ事になるのは間違いありません。

つまり企業が誰のモノであるかという議論は、企業間競争の激化に
よって生まれた企業の戦略的思想だと置き換える事ができるかもしれません。

過去に於いては、年功序列と終身雇用がこの帰属意識から発生するモチベーションの源泉となっていましたので、マネジメントの現場に於いて、それ以外の動機付けを意識する比率は今よりも低かったと思われます。

そしてこれらの制度が過去の物になってしまった結果、
従業員に対し新たなモチベーションを持たせるための施策が必要になってきたということです。

ビジネスマンにとって最もモチベーションにつながるのは自らが働く会社と自己を同一化、とまでは行かなくとも、共同所有物として見なす事が出来る事です。

つまり会社に守られているのでは無く、会社は皆の所有物なのだから、
自分も含めて皆で支えていこうという動機が生まれてくるように思います。

もちろん現実的に考えても、会社は株主のものである
という法的な規定のみによって定められるほど単純ではありません。

また、ビジネスモデルだけで利益が生まれる事もありません。

当然ながら、その会社の社会に於ける位置付けや、存在意義、
社員一人一人、取引先、これらの存在が無ければ組織は成り立たたないのです。

大切なのは、株主がこういった意識を持つだけで無く、発信し続ける事だと思います。

例え社長一人が株式を持つようなオーナー企業であったとしても、会社は本来誰のものであるか。という意識と言葉を持って社会や社員と向き合う事で、高い動機を持ったすばらしい組織へ会社を導く事が出来るのでは無いでしょうか。



2012年02月26日

☆No.55【会社を辞める】



入社した会社を辞める。


とても勇気のいる事だと思います。

辞めるのが正解なのか。
タイミングは今なのか。
次の仕事は決まっているか。
隣の芝が青く見えるだけなのか。
独立してやっていけるのか。

しかも辞める前には、様々な理由を考え、
当たり障りの無いようにしようと思い悩みます。

特に昨今の様に一概に何が正解と言える経済環境では無い事が、
さらに悩みを深くしていきます。

特に若い時は、刹那的な感情に左右されて、短絡的に物事を
決めてしまいがちにあることも否めません。

何が正解かをここで示すことは全く持って不可能ですが、
もし転職を条件に考えるならそこには一定の傾向がある事は事実です。

それは在職期間についてです。

企業の人事担当者が、履歴書を見て最初に判断材料にするのは、
前職の在職期間です。理由はともかく、前職の在職期間の短い転職はかなり不利です。

それと古い考えと言われるかもしれませんが、転職回数です。
あきらかなキャリア形成を伴った右肩上がりの転職履歴であれば話は異なりますが、
一般的な人材選考の場合、転職回数が多ければ多いほど不利に働きます。

理由は3つです。

我慢が足りない人物では無いか。
何か問題のある人物ではないか。
うちの会社に来てもすぐ辞めるのでは無いか。

大半の企業の選考担当者は同じ様な意見を持っており、
理由の如何を問わず書類の時点で選考から外されることもあります。

また、「○年以内の退職履歴のある人は採用しない」とか、
「転職歴○回以上の人は採用しない」といった内規を設けているケースも散見されます。

「石の上にも3年」

古い言葉ですが、今でも同じ事が言えるということでしょう。


もちろん企業には、一度入社した人がしっかりとやりがいを持って成長できるよう、
制度の整備と適切なマネジメントを行う必要がある事は言うまでもありません。


先日、とある大企業の責任ある立場の人が、
社員に対してかけているという、とても良い言葉を聞きましたので紹介します。

「卒業は認めるが退職は認めない」

会社を辞める時は、単に辞めるのでは無く、何かそこで得たものを持って、
次のステップへと飛躍する事が、退職の条件だと言っているように聞こえます。



2012年01月16日

☆No.54【生産年齢人口の罠】



生産年齢人口という言葉を聞いた事があるでしょうか。


経済の議論が行われる時に共通の認識としては、一般に15歳から64歳までのことを指します。

この生産年齢人口が減っていくのだから、経済構造の変化に伴って社会保障関係費は増加し、結果的に国家の財政は破綻に向かうという方向であるという議論が最近最も強力であると感じます。


私は、ここに生産年齢人口の罠が存在すると考えています。


江戸時代、人生50年と言われていたそうです。
今は、人生80年から90年くらいでしょうか。


時代と共に、寿命が延びます。


生産年齢はどのように変化するのでしょうか。


65歳を過ぎても充分に「生産年齢」である人の比率はどうでしょうか。


65歳からは仕事をしないと決めつけていませんか。


70歳でも、80歳でも、「生産年齢人口」の一翼を担う事はできませんか。


前節で書きました、「終身雇用を目指せ」も
議論の出発点は、この「生産年齢人口」です。


年齢で、生産的かどうかを定義づける現在の認識そのものを変化させなければ、社会保障費の問題など解決するはずがありません。

「生産年齢人口=仕事に対する能力と意思がある人」と定義づける事はできませんか。

これができれば、社会保障の問題などすぐに解決します。

さらに高齢者の社会的存在意義の高まりによって、
生き甲斐にあふれた元気な社会が創造されるのでは無いでしょうか。



私がこれに関して考えを巡らせ始めたのは、きっかけがあります。


私の父は、健在で、75歳を超えていますが、まだまだ元気です。今は年金生活者です。

その父親が先日、

「生きていてハリが無い」と言います。

ハリとは何かと、訪ねると。

「責任も無い、やりがいも無い、朝起きる事に意味を感じない」

などと言います。



父は、現役時代はバリバリのビジネスマンでしたから、余計にそう思うのかもしれません。



しかし、誰でも人は、元気で、仕事ができるうちは、「誰かに頼られたい」とか「何かに貢献したい」という意識が無くならないのではと思います。


それを、「生産年齢人口」という、作られた定義の元で、奪い去っているのではないか。
そしてその定義に振り回され、社会運営そのものを困難にしてしまっているのではなか。


私は、「生産年齢人口」にとらわれない発想を持ちたいと思います。



2012年01月12日

☆No.53【終身雇用を目指せ】



なんとも時代錯誤な題名です。


近代の経営にとって終身雇用ほど悪者扱いされていたモノはありません。

様々な経営環境の変化に伴って、終身雇用を
伴った企業運営はもはや過去の遺物扱いされています。

最近では公務員ですら政治家の交代でその保障を奪われかねない状況になりました。

これらは、経営に於ける課題を終身雇用制度そのものの
否定によって解決しようとしているかに見えます。

しかし、私は、これからの企業運営こそ終身雇用を目指すべきだと考えています。

経済構造の変化や、株主重視の経営によって極限までの経営効率を求められた結果、いわゆる「デキる」人材だけを残そうとする「習慣」が昨今の経営のスタンダードとされていました。

そして、物理的に経営効率を高めた経営者が賞賛される事となりました。

私は、今、物理的にと書きました。

数字的にと表現した方が分かり易いかと思いますが、いずれにしても、人間が持つ数値化されない価値を無視したところで欧米的な価値観を評価しているようにも思います。

これは日本に於いてはまもなく限界を迎える事になると私は考えています。

理由の一つは人口構造の大幅な変化です。
言うまでも無く、急速に高齢化が進んでいます。

もうひとつは経済構造の変化です。
人口減によって土地の価値は下がり続けます。
不動産をベースとした経済構造は終焉を迎えます。

そして家が余ります。

何が起きるかというと、生活のベースとなる居住にかかるコストが大幅に下がるということです。

このような環境下では今までよりもさらに生活が多様化していきます。一般的に思われてきた標準的な日本人の生活パターン(というか人生のパターン)は、逆にマイノリティとなっていくでしょう。

このような社会環境の変化に伴って企業はその社会的役割を見直さなくてはなりません。

日本人の価値観の大幅な変化は既に若者から始まっています。

その価値観とは「豊かに生きる事」です。

「豊かに」とは、「お金を儲ける」ことではありません。
「豊かに」とは、その人の「存在意義を際立たせる」ということです。

企業に於いても同じ価値観を共有する事で、終身雇用を目指すべきだと考えています。

簡単に言うと、金銭的価値をもたらす生産性と、
人としての存在価値を全く別の視点で、また同時に評価するということです。

これを制度として昇華させるにはもう少し研究と実証が
必要ですが、企業を一つの国と捉えれば取り組みやすいかもしれません。

これらを実現するには相当の努力と時間が必要ですが、次世代の企業思想を
伴ったあるべき姿とその仕組みをできるだけ早く構築し実証していきたいと思います。



2011年10月09日

★No.84【自分を疑え】




疑うことが成功の確率を上げていきます


人間は誰しも経験を積み、また知識を蓄えていくと、
ついついそれを自分自身の完成形だと思い込んでしまうことがあります。

特に成功体験は今後も同じようなことが
何回あっても同じように成功できるような気持ちになります。

また、その成功体験を他人に
押しつけてしまうこともよくあることでしょう。


また、経験は、その期間が長いだけで、自信になってしまうこともあります。


「俺はこの業界で○○年やってるんだ」


とか威張って言う人がいます。
私はひねくれているので、ついつい。


「それがどうかしましたか?」


と、聞いてみたくなります。
そして実際に聞いてしまったこともあります(笑)。


知識に関してはどうでしょうか。


勉強家であることも、多くの情報を持っていることも
素晴らしいことですが、それだけでできることは限られます。


「知識があること」と「出来ること」は全く違うからです。


そんなことは分かっている。と叱られそうですが、
そのことを常に頭の定位置に置いているでしょうか。


自信があること、知識があること、経験があること。


それらが未来に与える確証は一つもありません。


自信や知識が経験で何かを興そうとするとき、
それが本当に正しいかどうか、一歩立ち止まって考えること。



自信、知識、経験、

その何れもが過ぎ去ったものでしかありません。


それらは当然活用するのものではありますが、
果たして未来に通用するかどうか「常に疑うこと」が重要です。

疑いが修正をもたらし、さらに慎重さを生むことで
ものごとの成功の確率を上げていきます。


自分を信じてはいけないのです。



2011年08月25日

☆No.52【ビジネスにおける数値目標とは】



目標数字をそのまま目標にしてはいけません。


ほとんどの会社は、売上げ目標や利益目標なるのが存在します。

3年以上の長期に渡るケースもあれば、
今日、明日と言った目の前の数字を設定することもあるでしょう。

目標数字を目の前にすると、やる気が出たり、
悲壮感が生まれたり、はじまってもいないのに達成したような気分になってしまったりと、
そのときの状況に応じて様々な感情が生まれます。

ところがほとんどの場合数字に対しての感想には意味も根拠もありません。

そして根拠の無いままに数字を追いかけ、また追いかけられる日々が始まります。

数字を求めることが目標に変わってしまう瞬間です。


果たしてビジネスにおいて数字は目標なのでしょうか。


大抵の場合、数字を追いかけるだけでその数字が実現できることはありません。

ところが、数字の目標というのは、現在の実力よりも少し上のところを目指すのが常套ですから、とにかくもうちょっと頑張ったら到達すると思い込んで、気合い一発でスタートしてしまいがちになります。


そして日々数字を目の前にして、進捗を見ながら
期限か近づいてくる頃にはだんだんと顔が青ざめていく結果となります。


そうならないためにどうしたら良いのでしょうか。


まず、数字の目標が提示されたら、それをすぐに結果に置き換えるという作業をします。


第一に、結果から逆算して、KPI※を決定します。

ここまではよく行われます。

主に行動の種類と量から逆算して結果を求める手法です。

この場合得られる結果は、過去に、これらの手法を行ってこなかった場合に有効に機能する場合がありますが、これらが既に習慣化されていくことで、徐々に意味を持たなくなってきます。

しかも、これだけをやっていたら、永遠に行動量を高めなくてはならない悲壮な状態が生まれます。


したがってKPIが着実に実行される風土が完成したら、次にKQI※を設定します。

設定と書きましたが、QはQualityですので
設定というよりも、向上の方が分かり易いかもしれません。

個々で需要なのは、そのQualityが何かと言うことです。

もちろん販売する製品であったりサービスであったりすることは
言うでもありませんが、実はそれをコントロールできない営業現場でもQualityは存在します。

一般的に指標として明確に出されることはありませんが、簡単に言うと人の質そのものです。

行動量が全く同じでも、その人のQualityで大きく結果が異なることを恐れずに直視し、各々が自覚することが重要です。そして人そのもののQualityを向上させることを指標に入れ込むと言うことです。

企業においては数字上の目標達成と人材育成を個別に考える傾向がありますが、混ぜ込んでしまうのが正解です。


最後に、KPI※を設定します。同じKPIですがここでのPは、Processです。

KPIやKQIで設定した項目を実行するためのProcessを設定します。同じPerformanceでもProcessを変えることで結果は大きく変わります。

これらの3つをindicatorとする。つまり目標を「数字」ではなく「目標」はあくまでも「結果」に置き換え、これら3つのindicatorを成し遂げることを「目標」に置き換えるという作業が重要となります。


つまり、「目標数字」を与えられたら、それをすぐに「結果数字」に
置き換える癖をつけることが、目標達成のコツなのです。


ちなみに後述の2つのindicatorは、専門的にはCSF※に含まれると考えられますが、個人的な意見として2つを抽出してみました。さらに言うとこの2つは、私の造語で、一般的な経営や業績の管理指標として用いられている言葉ではなく、英語表現として正しいかどうかも疑わしいものです。


※KPI(Key Performance Indicator)
※KQI(Key Quality Indicator)
※KPI(Key Process Indicator)
※CSF(Critical Success Factors)



2011年07月06日

◎No.10【よくある質問】



この時期、毎日のように来年度の新卒採用の説明会や選考を行っています。


とてもありがたいことに、毎年とても多くの学生諸君に来て頂き、
リクナビで案内している説明会も選考会もあっという間に満席になります。

企業研究を詳しく行ってから、説明会や、面接に臨む学生諸君なら、
当社を受ける場合は、私のこのコラムに立ち寄ることが多いでしょう。

そこで今日は、説明会や選考会で私によくある質問を、
ここで発表し、先に回答を出しておきたいと思います。

(ちなみに学生諸君からよくある質問は、
普段のおつきあいの中でも良く聞かれる質問と一致しています)


,覆竺慇源代に起業したのですか?
 またそのリスクを負う決心はどうやって付けたのですか?



まず第一に、私自身の性格的なものがあると思います。

元々、私は、植村直己さんのような冒険家になりたかったのですが、
それほどの根性も、孤独に耐えられる精神力も無く断念。

でも人と同じような道を歩むのもおもしろくない。

そこで起業することを思いつきました。

商売がうまくいってお金が儲かれば女の子にモテるかも。
なんていう下心も満載でした(笑)

リスクといいますが、学生時代の起業ほどリスクの少ないものはありません。
失敗しても取り返しが出来ますし、ダメだったら普通に就職したら良いんですから。

年を重ねていろんな責任が出来てからの起業の方がリスクは遙かに大きいです。


△覆嫉業を兵庫県下にこだわっているのですか?


理由は大きく分けて2つあります。

ひとつは、私自身が最もお世話になった場所であり、社会人として育てて頂いた地であるからです。
また、海、山、街、スポーツ、文化、などがバランス良く存在します。

心から好きと思えるバラエティ豊かな地域です。

もうひとつは、街の大きさ(経済規模とも言えます)です。

私たちが、微力ながらこの地域がより発展していくことに貢献することで、
私たち自身も充実した人生を送ることが出来る。

そんな実感を得ながら仕事ができる、そんな大きさだからです。


C楼茵癖叱妨)をどんな地域にしたいのですか?


そんな大それたことは全く考えていません(笑)

地域で生活したり、商売したり、また非営利ながらも盛り上げようと
している人たちの個々人、または企業一社一社の進もうとしてることの、
お手伝いをすることで、それぞれの分野での成功の後押しをしたいと思っています。

私たちの小さな活動が、結果として多種多様な成功があちこちで
生まれるきっかけになり、それによって街が豊かになっていく一助となれば、
私たちにとってそれ以上の満足はありません。


ず8絏饉劼鬚匹Δ靴燭い里任垢?目標や方針を聞かせて下さい。


既存の事業の維持発展は言うまでもありませんが、
業種業態にかかわらず、地域に貢献できる仕事や事業で、
それらに関わらせて頂けるチャンスがあれば何でも取り組むつもりです。

私たちは、事業そのものを発展させていくことで、
当社の従業員がいい人生を送ることができるように努力していくことは言うまでもありませんが、
それが地域の発展と同期していなければ存在している意味がありません。

今取り組んでいる事業も、将来取り組もうとしている事業も
全て同じ哲学を持って成長を目指しまた、新たな展開を行っていきます。


イ匹鵑平雄爐魑瓩瓩討い泙垢?


私がこのコラムで過去様々なことを発信しています。
まずは、それらに共感できることが条件になると思います。

会社にとって最も大切なのは理念であり哲学です。

その理念と哲学に共感し、共に会社を成長させていくことができる
仲間を求めている。というのが、当社の採用の目的です。



これら以外に、質問があれば会場でどんどん受け付けます。
遠慮無く手を上げるようにして下さい。


私が思わずたじろいでしまうような質問も大歓迎です(笑)



srcblog01 at 14:16◎閑話な一粒

2011年06月26日

◇No.2【Kiss FM KOBE 再出発への軌跡と総括】お知らせ


既に各新聞紙上でも発表されていますが、

株式会社Kiss−FM KOBE(Kiss FM KOBEの旧運営会社で民事再生手続中)は、
平成23年6月21日、民事再生法に基づき、「元」社長らに対して損害賠償請求権の査定を
神戸地方裁判所に申し立てました。

申し立て金額は、1億9746万5031円です。

代理人弁護士による厳密な精査の結果、申し立て金額を決定致しました。

今後、裁判所によって査定金額が認められ、損害賠償が行われた場合、
その金銭は債権者の方々への弁済原資となります。

また、他の旧経営陣につきましても、その責任の所在について
精査が行われており、順次それに対応した手続きを行っています。


また、前述とは別の「前」経営陣(A氏、K氏)ら、並びに彼らが代表を務める企業は、
「未公開株に関する組織的な投資詐欺事件に関わった」として、
詐欺被害者から提訴され、以下の二事件において、損害賠償等を命じる判決が言い渡されています。
>平成24年1月25日東京地裁【平成22年(ワ)第37512号】
>平成24年12月14日神戸地裁【平成23年(ワ)450号】


さらに、両氏及び両氏が代表を務める企業は同社の社員権を高値で買い取るから購入してほしい等と持ちかけ、多額の金員を詐取される、いわゆる「社員権詐欺商法」に関与しているとして、
>静岡地裁浜松支部【平成23年(ワ)第836号】
>静岡地裁浜松支部【平成24年(ワ)第587号】

にて被害額約4,660万円の損害賠償を請求され、提訴されています。


現在、Kiss社並びにその関連企業が、未公開株などの売買などを行うことは一切ありません。
充分にお気をつけ下さい。

これらの件に関するご相談は、最寄りの国民生活センターもしくは、警視庁渋谷警察署(03−3498−0110内線3510)までお問い合わせ下さい。


尚、現在のKiss FM KOBEは、事業譲渡先である、兵庫エフエム放送株式会社により
運営されており、この件は現在の放送事業とは関係ありません。


この件に関し、ご質問などございましたら右下にありますアドレス宛にメールを頂くか、
こちらから【Kiss FM KOBE 再出発への軌跡と総括】の記事ブログへ入って頂き、
コメント欄にご記入下さい。



2011年06月10日

☆No.51【建前が本音であること】



大人の世界では、必ず本音と建前があります。

お世辞なども、建前の一種かも知れません。

政治家の演説における建前、企業の運営方針における建前、男女の間にもあるでしょうか。


人は普段この建前を自然に使っています。


おなかの中では「バカヤロー」と思っていても、
面と向かって「バカヤロー」と怒鳴ることはあまりありません。

暇な人だと分かっていても、「お忙しいところ恐れ入ります」と言ったりします。


建前にも種類があって、

自分自身が好かれたいから言う建前。
人をマネジメントするための建前。
何かを売り込む為の建前。
人を傷つけまいとする建前。

人間関係をスムーズにするためには、建前は必要です。

でも、同時に、本音と建前の落差は、なるべく小さくすることをお勧めします。


建前は、(当たり前ですが)本音では無いので、状況に応じて
言うことが変わったりします。

さらに、時間がたつと自分が言った建前を忘れてしまい、
同じ状況で従前とは違った建前を言ってしまうこともままあります。


つまり建前が多くなると本人に悪気は無くても
周りからは自然と嘘つきだと思われてしまうのです。


私自身は、建前が大嫌いなので、極力使わないようにしています。


交渉や、営業、講演などの場面に於いても、基本的には建前を抜きに話をするようにしています。

但し、工夫もあって、話をする前に、「私はついつい本音を言ってしまう性格なので、もしご気分を害されたらすみません。」と、断りを入れたりすることもあります。

聞く側も大抵の場合、建前は建前として聞き流す事が多いですから、
特にビジネスの現場では、建前を減らしていくことが望ましいと考えます。


逆に、


建前は、立派なことを言うことが多いと思います。それを言い
続けていくことで、自らの考えを立派なものにしていくという一種の洗脳効果もあります。

建前を貫くことで自分自身の考えを立派で尊敬されるものへと変えていく。

つまり、建前を本音に変えていくということも自らを磨く為の一つの方法となり得る
ということも頭の隅に置いておきましょう。



2011年06月04日

☆No.50【既得権益を守れ】



世の中には様々な既得権益があります。


代表的なのは、今話題の電力関係などインフラ関連企業や政府や地方自治体が抱える外郭団体などもこれにあたります。

もちろん民間にも様々な既得権益があります。

例えば、大企業から委託されている仕事を持っている企業や、ある商品の販売権、もちろん放送局が持つ電波を使うことができる権利も既得権益と言えるでしょう。

また、一般的には既得権益は団体に対して用いられる言葉ですが、会社や団体の中で管理職等が持っている権限に伴う利益(所得)なども既得権益のひとつと言えるものかもしれません。

長期に渡って既得権益を持つ団体はその権利に甘え、生産性を高めることや本来の目的であったはずの社会貢献の役割を果たすことに熱心ではない傾向が見られます。

人間は、自分自身に対しては甘くできていますから、長年の安定的な既得権益に慣らされてしまうことで、その既得権益を世のため人のために使うことよりも、「既得権益そのものを守ること」に熱心になっていきます。

ですから普段はあまり仕事熱心では無いにもかかわらず、
既得権益を失う危機に直面したときには、ものすごい力を発揮する傾向があるのです。


私は、「既得権益=悪」という発想は全くありません。


ただ、既得権益を持つ団体が、その権利と利益を活かして世のため人のための活動を精一杯やっていないのであれば、その既得権益をもっと有効に使える方々に譲るべきだと考えています。


ですから、既得権益を持つ団体や人は、その権利を守るために、それを活かした社会に貢献する活動をめいっぱい行うことでその権益を守って欲しいのです。


繰り返しになりますが、既得権益を持つ団体や人は、それそのものを守るのでは無く、それを有効活用することで、立派な社会的な存在価値を確立し、結果としてその既得権益が守られているような存在であるべきだと思っています。


既得権益は安定的に楽して儲ける為にあるのではありません。



2011年06月01日

★No.83【良いこと。それは欲求が満たされること】



前回「良いこと」が起きると書きました。


良いこととは欲求が満たされることだと私は考えます。


人間の三大欲求は、「食欲、性欲、睡眠欲」と言われています。その他様々な説がありますが、これに加えて人間が持つ最大の欲求があると私は考えています。


それは、「人のために役に立ちたい欲求」です。


この度の東日本大震災では、多くの方がボランティアとして現地で活動されています。報道によるとゴールデンウイークだけでも8万人もの方々が参加されたようです。


彼らは、誰かに頼まれたわけでもなく、決して金銭的メリットがあるわけでもなく(金銭的には明らかにデメリットしかありません)、社会的地位の向上も、自己顕示欲が満たされることもありませんし、それを目的としている人もいないでしょう。


唯一、「人の役に立ちたい」という欲求が満たされるのみです。


このように考えると、ビジネスでも同じことが言えます。


立派な企業が、よく本業以外での社会貢献を標榜しますが、事業が長く継続し、本業以外に社会貢献ができるような、大きな利益を得ている会社は、その企業が本業で充分に社会貢献(人の役に立つこと)を実現しているケースが殆どです。

敢えて本業以外で社会貢献を行おうと思わなくても、立派にその役割を果たしているのだろうと思います。

だからこのような企業で働いている人々は、やりがいが大きかったり、顧客や取引先から感謝される機会が多かったりといった「良いこと」が訪れます。
(昨今話題の作られた既得権益でインフラを担っているような会社は違うかも知れませんが)

つまり「人の役に立ちたい」という三大欲求に匹敵する本能とも言える気持ちが満たされること。

それが「良いこと」だと私は考えています。


従って詐欺師や泥棒が、一時的に大金を手にしても、決してそこに「良いこと」が生まれることはありませんし、本来の欲求が満たされないのでいつまでも不幸であるとも言えると思います。


と、そんなことを考えていると、アダム・スミスの著書、「道徳感情論」(1759年)の中に

「人間の本性には明らかにいくつかの原則があり、その原則ゆえに、人は他人の幸せに関心を寄せ、そうした他人の幸せから自分が得るものといえばそれを見て楽しむ以外何もない場合でさえ、他人の幸せを自分の幸せのように感じるのである」

という一文がありました。


私が考えてることなど、遙か昔に既に明らかになっていたことでした。





※東日本大震災チャリティセミナーにパネラーとして参加させていただくことになりました。仙台の有名な税理士先生を講師にお迎えしています。司会進行は元スケバン刑事の森川あやこさん http://osaka-seminar.com/


2011年05月28日

★No.82【起きていることは全て正しい】?



勝間和代さんのベストセラーの本の題名を拝借しました。


私はこの本を読んでいませんが、大変インパクトの
ある題名で、この題名だけで何か期待させられるような感じがします。

本の題名というのは、それだけで相当売れ行きが変わるそうですが、この題名は、
私のように読んでいない者にとってもとても考えさせられる秀逸なる題名だと思います。


もちろん目一杯誤解が生まれる題名でもあります。
(ただ彼女に不謹慎な意図がないことは十分想像できます)


今回敢えてパロディでコラムを書きたいと思いいます。


題名は、「起きていることは全て正しい方向に向かう」です。


これを書くに当たってまずは何が正しいかを定義しなくてはなりません。

以前、神様について書きましたが、最近、さらに神様の定義を明確にすることができました。


神様は、「人の善意の集まりのことである」。


これが私の神様論です。


つまり神様は、人間社会の中だけに存在し、人が本来持つ「善意の集まり」なる
ものによって社会を正しい方向へ導いていくということです。


世の中には、神様が関与しない天災や事件、事故など不幸なことが起こりますが、
何があってもその後においては、それらを正しい方向へ導こうとするのが神の役目です。


では善意とは何か。

私はこれを、「人が人のことを想う気持ちやそれに伴う行動」と定義しています。

人が人を思いやり、人の為に何かをすることが善意であり、
それが集合して大きな力となったとき神が力を発揮します。

自分さえ良ければいいという発想では、神はその人の味方をすることはありません。

だから自分だけ良ければいいと思ってる人には良いことがおこりません。
人を思い、人の為に生きている人の元には、良いことがおこります。


良いこと?


「良いこと」とは一体どんなことを指すのでしょう。

これは次回に。





※東日本大震災チャリティセミナーにパネラーとして参加させていただくことになりました。仙台の有名な税理士先生を講師にお迎えしています。司会進行は元スケバン刑事の森川あやこさん http://osaka-seminar.com/


2011年05月13日

◎No.8【イマドキの学生】



先日、とあるきっかけで、神戸大学で正式な講師として教壇に立ちました。


経営学部の3回生、4回生の約400名を前に私の経験や学んできたこと、
私が経営する会社の成り立ちや目的、さらには神様?の存在に関して迄、幅広く講義を行いました。


私の学生時代の経験からすると、大教室の場合、先生が一人で講義をし、学生たちは、仕方なく出席している様子で講義の間中私語満載でざわついているといったことが多かったという印象があります。

しかも、このとき大教室は満席で立ち見や地べたや
窓枠に座っている学生も大勢いて全く隙間が無いような状況です。

なんとかざわついた空気の中での講義だけは避けたかった私は、いわゆる話の
「つかみ」を事前に一生懸命考え、講義の最初のところで学生たちの興味がこちらに向け
られるように考え、「ネタトーク」からスタートさせました。

しかし、わたしの「ネタ」に学生たちは全く無反応。

とても大きな教室内はざわついたままです。


若干焦りつつ本題に入っていきました。


するとどうでしょう。さっきまでざわざわと私語に埋め尽くされていた教室が、
水を打ったように静まりかえり、学生たちの真剣な眼差しが私に集中してきたのです。


そして最後までそれが変わることはありませんでした。


さらに講義終了後の質問コーナーでは、積極的且つ的を射た質問や興味深い質問が多数。私もそれに対してワクワクしながら回答することができました。


後で担当の教授に聞いてみました。


「イマドキの学生はこんなに皆集中して講義を聞くのですか?」


教授曰く、


「ネタとかには学生はあまり反応しません。ネタはネタとして受け流します。本題に入ると静かになることが多いです。但し、本題に入って聞く価値がないと判断すれば再度ざわつき始めます」


なるほど。ということは、学生は私の話に結構興味を持ってくれたのか。と喜んでいたら、


教授が一言、


「あと、皆寝てる時は静かですね」


。。。



srcblog01 at 17:03◎閑話な一粒

2011年04月20日

★No.81【やっぱり頑張らなくていいんです】



このテーマは以前にも書いたことがあります。
またこのコラムのサブタイトルは「今日も一日がんばらなくてもいいんです」でした。


最近「がんばる」という言葉がとても多く使われていますのでまた書きたくなりました。


私は基本この言葉を使いません。(ついつい出てしまうことはありますが)


とても辛い思いをされた方がたくさんいます。


そんな人たちに「がんばろう」などと声をかけることは私にはできません。


成果が上がらない営業マンにも「がんばれ」とは言いません。


なぜか。


がんばるは続かないからです。
がんばるには無理があるからです。
がんばるには実態が無いからです。
がんばるは辛いからです。
がんばるには結果が求められるからです。


何か成果が得られた時に、「がんばったね」とねぎ
らいや、ほめ言葉の意味でこの言葉をかけることは良いと思います。


でも、「がんばる」という「経過」を求めてはいけません。


「今、目の前にある自分に出来ることを粛々とやる」


いくらがんばろうと思ってもこれ以上のことができますか。


出来るか出来ないか分からない先々の「結果」を求め、
気持ちにプレッシャーをかけてやっても心が折れてしまうだけです。


ですから、



「今日も一日がんばらなくていいんです」


2011年04月13日

★No.80【政治家は他者批判をし経営者は自社優位性を語るの法則】




批判に耳を傾けず、本質を見抜け。



テレビや新聞を見て、思うことはありませんか?


政治家は、他者批判ばかりしている。


経営者は、自社優位性や将来性の話ばかりしている。


もちろん100%ではありませんが、そういった傾向が顕著であることは間違いありません。


何故なのでしょうか。


経営者が自社優位性や将来性を語ることは会社のブランディングを考えれば必要なことです。


しかし、個人的には、政治家こそ自らの優位性や将来性を
メインにアピールをすべきであり、他者批判は極力避けるべきでは無いのかと考えています。



経営者が他社批判をあまりしないのは、
日本に於いては他社の批判はタブーとされており、
逆に自社の価値を下げてしまうことを知っているからです。


日常生活においても他者批判はあまり歓迎されるものではありません。


他人の悪口ばっかり言っている人には人望がありません。


でも、政治家は他者批判を頻繁に行います。
重箱の隅をつつくようなことばかり行い、あら探しをします。


何故なのでしょうか。


彼らの目的というところから考えてみました。


本来、政治家の目的は、国や自治体を良くすること(のはず)です。


そして選挙で票を取ることは手段です。


その手段であるはずの票を取ることをが、実は目的化していると言うことではないのでしょうか。


ある政治家の演説を聴いていて思ったことです。


自分に何ができるかと言うことよりも大きな声で他者批判をすることの方が、
自分自身の価値を簡単に持ち上げることができるのです。


それが票につながります。


「あいつは悪いやつ、あいつは能力が低い、あいつは誠実では無い、あいつはリーダーシップが無い」


結果どうなるか。


人は、それを聞くと、まるで言っている人が、逆に、

「良い人、能力が高い、誠実だ、リーダーシップがある」

と思い込んでしまうのです。


一種の集団催眠でしょうか。


その勘違いや思い込みが票につながり、結果その人がリーダーとなることになります。


つまり人の批判が得意な人がリーダーになる。


その人がリーダーになって初めて人は気がつくのです。


「言ってた本人は何も出来ないじゃないか」


批判ばかりしている人は、実は自分自身に何ももっていない。


今の日本のリーダーを見ていていればよく分かります。


政治家が目の前の票に目を奪われているのを見ると、
経営者が目の前のカネばかり追いかけていると必ずどこかで躓くことと似ている気がしています。


常に本質を見抜くことを意識しなければなりません。







まあ人の悪口を聞くのが好きという人が多いのも事実ですが・・・。

2011年04月10日

☆No.49【経営は「効率化を考えると効率が上がらない」の法則】




なぜ効率化を第一に考えると効率が上がらないのでしょうか。



今回は、私が知る経営ノウハウの中で最も肝となるものを公開します。


経営を長くやっていると、必ず


「如何に生産性を上げるか」とか

「経営効率を高める方法」


などについて様々な角度から検討し、またいろいろな方々から提案を頂いたりします。


会社は利益を上げるのが本分だと考えれば、
いかにもこの視点は正しいかのように見えます。


そしてその手法と言えば、顧客を、モノやサービスを売る側がら選別し、どうすればモノやサービスが「効率的」に「高生産性」をもって売れるようになるかを考えます。


そして、それが実現されれば、大きな利益が生まれ、
会社がグングン成長していくような錯覚に陥るのです。


実際、殆どの場合、この考え方で効率的に高生産性が実現されることはありません。


もっと分かりやすく言えば、もし効率化の計算式通りにやって利益が上がるのであれば、
世の中の会社はもっと成長し、また儲かっているはずです。


こういった間違いが生まれる背景には、どうしても成功した会社の「やっていること」に目が行きがちで、その背景や思想、また経営者の人格や普段の言動を検証することが難しいからだと思われます。


多くの経営者の方々と直接接して思うことは、


ちょっとしたアイデアや時流に乗ったり、
モノマネ事業を効率化することによって一時的な成功は生まれます。


しかし、長期的な成長や成功は、それ以前の思想が明確であることが求められます。


効率化や高生産性を求めるところの思想の出発点が、


「会社が成長するため」ではなく、
「顧客満足のため」であったり「社会貢献のため」であるということです。


世界一の自動車メーカーが、効率化を行って車の価格を下げるのは、

「価格を下げて世界的なシェアを拡大して儲けるため」

ではなく、

「よりリーズナブルな価格で、高品質な車を楽しんで欲しい」

という顧客本意の思想からくる戦略なのです。


新聞記事などを見ると、


「○○自動車がコスト削減による低価格戦略で世界シェア拡大へ」


といった記事が踊ります。


まるで、○○自動車が自社だけのことを考えて、
経営効率化を行っているかのような錯覚が生まれます。


その裏にある、経営思想を読み解くことが、経営を学ぶと言うことだと考えています。


つまり、経営者がその思想を会社の隅々まで浸透させることが真の効率化を生み、真の効率化が顧客満足と社会貢献を実現することで、利益という名の「感謝」がその会社にやってくるのです。



2011年04月02日

☆No.48【新入社員へのメッセージ】




ビジネスマンとしての人生を充実したものにする為に。



今年も数多くの企業で新入社員が入社しました。

SRCグループでも全社で新卒、中途合わせて29名が入社しています。例年に無く多い人数ですが、新規事業の成長によるものと今後10年単位での事業計画を実現するための人材育成を考えて先行投資として採用を行いました。

1000人を上回る応募者から選りすぐった精鋭ですので、
今後の活躍に大いに期待したいと思います。



さて、


「期待と不安」


一般的すぎる言葉ですが、世間一般の新入社員の心理を表すとこうなるでしょうか。

「これでよかったのだろうか」

そんな後悔に似た感情もあるかもしれません。


高度成長期や、バブル時代までの就職と今の就職は
全くその様相を変えてしまった感があります。

バブル時代までの就職は、終身雇用が原則であり、
ある程度の会社に入ってしまえば一生安泰的な空気が残っていた時代です。

それが今や、どんな会社に入っても、何が起こるか分からない時代です。

超優良企業だと思って入っても、経済状況の劇的な変化は容赦ない組織再編やリストラを生み、大手銀行や日本一の航空会社でさえ倒産してしまうような市場環境になりました。


そう考えると、就職先によって人生そのものが影響を
受けることは否めませんし、それ自体は事実として存在します。


しかしながら、自分自身がどのような環境に置かれても、
しっかり立ち直る人材とそうでない人材ははっきりと分かれます。


その差は何か?


一番大きな考え方は、根本思想が「自己責任」か「タコ責任」かです。


タコ責任?


「自己」の反対語は「他者」ですが、
「他者責任」ではインパクトが弱いので「タコ責任」という造語を作ってみました。


何か悪いことが起こった時に第一に「自己責任」からスタートするか、「タコ責任」からスタートするか、その思考の習慣がビジネスや人生における成功と失敗を振り分けます。


もちろん自分自身が関わらないことで、自分自身に大きな影響があることは多々あるでしょう。


それでも自己責任を第一に考えるのです。


なぜか?


答えは簡単です。

そのようなあなたの思考習慣を周りの人が見ているからです。


つまり、


何かが起こった時に、「タコ責任」を最初に考える人を
周囲の人がどう見ているかを考えてみれば分かります。


あなたは、「自己責任」最初に考える人と「タコ責任」を
最初に考える人とどちらが好きですか?どちらを応援したいと思いますか?


人は人との関わりの中で生活しています。あなたが人から応援される
人であればあなたの人生は、何があっても人の力で立ち直ることができます。


そうでなければ、思わぬ事が起こった時に誰もあなたに
手を貸さず、立ち直ることがとても困難になってしまいます。


何かが起こった時に全てが自己責任では無いことは当然です。


しかし、「最初に自己責任を考えることで、自然と自分自身に対して自己解決を促す思考習慣」があなたの人生をより充実したものにしていくことは間違いありません。




2011年03月31日

◇No.1【Kiss FM KOBE 再出発への軌跡と総括】Vol.0


「Kiss FM KOBE 再出発への軌跡と総括」に関する記事は、
以下のURLにて開始することとしました。


http://ameblo.jp/yokoyamanote

※最近KissFMの記事が帝国ニュースに掲載されました。リンクのURLを見つけましたので参考に貼っておきます。(いつまでここにあるかわかりませんのでリンク切れの節はご容赦ください)

http://kobeinfo.web.fc2.com/pdf/teikokunews_kissfm.pdf


2011年03月18日

★No.79【マスコミ情報とデマ】





マスコミは信用できないとデマを無条件に信用する危険




この度の大震災では、大変な思いをされておられる方がたくさんいらっしゃいます。


私自身も阪神淡路大震災を経験していますが、
それを遙かに超える被害状況に日々心が痛み、殆ど何もできない自分に大変なもどかしさを感じています。


今、私たちができること。本当に役に立つこと。
を日々考えながら、行動していきたいと思います。


そんな中で様々な情報が飛び交い、
何が正しいのか分からなくなっている方も大勢いらっしゃると思います。


阪神淡路大震災当時とは異なり、現在では誰もが情報を手軽に発信できるようになった結果、
様々な情報が巷にあふれ、何を信用して良いのか分からなくなっています。



マスコミは信用できない。
大本営発表に過ぎない。



などと思い込み、ネット上のデマをそのまま信用してしまうこともあります。



当然ながら、所謂大手マスコミから流れる情報が、
全て正しいなどと言うつもりはまったくありません。



彼らは自らの意図する方向へ世論を操作したがったり、
意図的に取材内容を取捨選択したり、
伝えたいイメージで写真を選択したり、


これらは事実としてあります。


また極端に反権力であったりすることもあります。


そのなかでも最も気をつけないといけないのは、

「〜という」

この表現です。


新聞やテレビによる報道を注意深く見聞きすると、
「〜という」という表現が多用されていることが分かります。


例えば、

「相撲界では八百長があったという」

といった具合に使います。


自ら得た確信のある情報でもあくまで第三者が
言ったこととして万が一の責任を逃れます。


また確信のない情報でも「〜という」という表現で
情報の不確かさを醸し出したりします。


というわけで、こういったことがクローズアップされることで、
マスコミは信用できないとし、デマが正しいと思い込んでしまう事があるのです。


しかしながら、彼らの取材能力が非常に高いことも事実です。


マスコミの取材記者は、自らの直感や情報網で正しいと判断したことでも、
客観的な裏付け無しには決して記事やニュースにすることはありません。


逆に言うと、確からしい情報でも、
裏付けがなければ、情報として出すことをしません。


つまり私たちは、裏付けのあるマスコミ情報と、
裏付けのないあふれる情報を両方見比べながら、
自らの判断で何が正しいのかを理解しなければなりません。



もちろんそれらの情報にはデマも含まれていますが、
情報を組み合わせていけば、自ずとデマと正しい情報を
自らの判断で区別することが可能になってきます。



偏った情報に振り回されないようにしたいものです。




2011年01月15日

★No.77【信頼を定義する】



信頼は一日にして成らず。


日々生きていくことに最も神経を使うのが「信頼」です。


「信頼」は「信用」とはちょっとニュアンスが違います。


敢えて辞書を引かずに全く個人的にイメージで表現すると、


「信頼」=時間をかけて培ってできる人と人との基本的な関係

「信用」=社会的背景や客観的データに基づいて判断される指標


辞書には違う答が書いてあると思いますが・・・。


また違う側面から、


「好き嫌い」と「信頼のあるなし」には関係がありません。


嫌いだけど信頼できる。
好きだけど信頼できない。


恋愛関係で考えればよく分かります。


恋人のことは大好きだけど、行動が信頼できない。
ということはままありますね。


また「信頼」を構築するには、時間がかかります。


「信頼」はその人の普段行われている言動の繰り返しが、
長期的に評価されて初めて生まれるものだからです。


短期的な、有利不利で判断して行動していると、
決してそこには信頼は生まれません。


そして「信頼」は「思想」とも関係ありません。


考え方は全く違うが信頼はできる。ということもあるからです。


そこで信頼を私流に定義してみました。


「社会において《正しいこと》を《長期的》に《継続》して行っている様」


でしょうか。


こうして得られた「信頼」は、ちょっとした誹謗中傷や、攻撃にも揺らぐことはなく、またビジネスを成功に導く大きな要素の一つになります。


そして「信頼」には、これで充分といった基準もありません。


日々「信頼」を育てることを忘れぬよう、
精神レベルを高め、普段の言動に活かしていこうと思います。




2010年12月02日

☆No.47【下手な鉄砲は当たらない】



時代は変わってしまいました。



下手な鉄砲数撃ちゃ当たるなどと言います。
今でも言う人は大勢います。


当たりませんよ。


当たりません。


でも昔は当たったのです。
ほんの15年前くらいまでは本当に良く当たってたのです。


でも今は当たらないのです。


なぜ当たらなくなったか。


一言で言うと余裕が無くなったからです。


昔は、人も企業も多少は無駄遣いしても、
右肩上がりでまた儲ければ良いと言った考えが支配的でした。


今は違います。


右肩が下がろうとしている経済状況の中では、
人も企業も多少の無駄遣いすらできなくなってきたのです。


充分すぎる情報が誰でも即座にしかも簡単に手に入るので、
一か八かというお金の使い方も殆どなくなりました。


人も企業も下手な鉄砲を簡単に避けることのできます。


ですから下手な鉄砲しか撃てない人には、仕事は回ってこなくなりました。


本来の仕事。つまり、本当に顧客メリットのある仕事しか成り立たなくなり、それができる人と企業しかビジネスの世界では通用しなくなりました。



上手い鉄砲しか当たらなくなったのです。



今後もこの状況はさらに強まっていくことでしょう。



「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」



あなたの上司は言ってませんか?



2010年11月29日

★No.76【捨てるということ】




残すことに意思は不要ですが。



先日財布を落としました。


なんとも間抜けなことに、セルフサービスのガソリンスタンドで給油をしたときに、車の屋根に財布を置き、そのまま走ってしまったのです。


気がついたときには既に遅し。


同じ道を繰り返し走りましたが影も形もありません。



こんな馬鹿な人間はそういないだろうと思いながら警察に届けを出したところ、

「あーそれって良くあるんですよね〜」

といわれました。


ちょっとほっとしてしまいました。


ちなみにいまだ戻ってきません。


気になったので、ごく身近な人たちにアンケートをとったところ、財布を落として戻ってくる確率は、20%くらいであることが分かりました。


世の中はこんなものでしょうか。。。。。



前置きが長くなりましたが本題です。


財布をなくしてみると、免許証やクレジットカードなどを
再発行したこと以外には殆ど困ることがありません。

(幸いお金が少ししか入っていなかったこともありますが)


お金以外の様々なものが入っていた分厚い財布だったのですが、
今や何が入っていたのかさえ思い出せません。


そう考えると私たちの周りに大事にしまってる
ものたちの如何に無駄が多いかということが分かります。


1年以上見ても触ってもいないものがたくさんありませんか?


それらは無くて良い物です。


少なくとも日常生活には関係ありません。


分かっていてもなんとなく残してしまっているものはありませんか?


そんなときは捨てる事に積極的になってみましょう。



「なんとかこれを捨てることは出来ないか」



と考えるのです。


手元にあるものに対して、積極的になるのです。


残すときは積極的にな意思は必要ありませんが、
捨てるときには積極的な意思が必要です。


何かを仕舞うときにそれにたいして必ず捨てることを問いかけることで、様々な無駄が省かれることでしょう。



今目の前にあるもの。それを捨てることはできませんか?



2010年10月16日

★No.75【努力は偉いのか】



持っているものを見直してみましょう。



「持って生まれた才能、または親から受け継いだものや立場」


「自らの意思と努力で手に入れたものや立場」



前者は、あまり尊敬もされず、妬まれたり、時にはそれを蔑んでみたりすることさえありますが、逆に後者は、賞賛のみを得ることが殆どです。


有名なスポーツ選手でも、才能の部分よりも隠れた努力にスポットが
当たることにより、その実績をより素晴らしいものに感じたりしてしまいます。



果たしてそれは正しいのでしょうか。



私は持って生まれたものも自らの努力で
手に入れたものも同じ価値だと考えています。



持って生まれた才能は、先祖の遺伝子により恵まれたものであり、
立場やお金も先祖より引き継いだものです。


それでは努力をする力はどうですか。


これも先祖より授かった力なのではないでしょうか。


「自らの意思で自らを向上させることのできる才能」


と言えばわかりやすいかも知れません。



したがって努力をして何かを成し遂げた人を賞賛するのであれば、
同じように生まれながらの才能や立場も賞賛されなくてはなりません。


生まれながらの才能や立場を妬むのであれば
努力している人も妬みの対象となるでしょう。



問題は、才能であろうが立場であろうが、お金であろうが、
努力する力であろうが、それを持って生まれているのに
使い切らずにいることなのではないのでしょうか。


自分に才能があれば使わなくてはなりません。


自分に立場やお金があればそれを活用して世の中に貢献しなければなりません。


自分に努力する力があれば、努力しなければなりません。


先祖から与えられた力を世のため人のために
一生かけて使い切ることが、私たちの使命なのだと私は考えます。



あなたは与えられたもの無駄にしていませんか?


2010年09月04日

☆No.46【コネをこねるな】




コネなど無い方がよいのです。



仕事を進めていく上で、よくコネを探すということをすると思います。


「誰かあの会社の決裁者を知らないか?」

「あの社長と話したいのだけどコネはないか?」


さて、この場合コネは必要でしょうか?



また、成功者に対してこんあなことを言ってみたりします。


「彼はコネがあるからうまくいったんだ」


さて、本当でしょうか。?



結論から言うと今時のビジネスに人のコネは必要ではありません。



決裁者に会いたいなら、決裁者に会いにいけばいいのです。


社長と話をしたいなら社長に話をしにいけばよいのです。



今の世の中、会いたいと思っても会えない人は世界的スーパースターか総理大臣くらいでしょうか。


上場企業の社長や政治家や芸能人ならその気になれば必ず会って話ができます。


条件は二つ。


自ら会うための行動をすること。


会う目的がその人物や企業の為になること。


この二つを誠実に実行すれば、必ず会いたい人に会うことが可能です。


中途半端なコネを使った場合のほうが時間はかかるし、かえって会える確立を下げていきます。


自分で行動して自分で作る。


これがもっとも強力なコネクションとなり、あなた本来の人脈となります。



コネは使うモノではなく作るモノ。



このことを忘れなければ、あなたのビジネス力は飛躍的に高まります。


2010年08月14日

★No.74【失敗を恐れろ】




あなたは既に失敗しているかも知れません。



物事を起こそうと思った時に、どの程度失敗を恐れていますか?


「若いうちは失敗を恐れるな」

とか

「失敗を恐れていれば何もできない」


という事はよく言われますが、私は思います。


「失敗を恐れない人は成功しない」


では失敗を恐れるとはどう言ったことを言うのでしょうか。


2つあります。


一つは、これから起こすことの結果を恐れること。

もう一つは、今現在が失敗ではないのかという恐れを持つこと。



これから起こすことの失敗を恐れるということは、先例とか、マーケティングとか、最悪の事態に対する対応など、しっかりしておくという意味で、恐れることは当然です。


大切なのは、自らの失敗のパターンに入り込んでしまう恐れがあるかどうかの見極めです。


人には、癖があり、失敗にもパターンがあります。


過去に失敗した同じ考え方や行動をしていないか。


それを確認することが、これからの失敗を恐れることの最も重要な要素です。



そして、今が失敗ではないのか。



今現在、順調に見えることが、ビジネスでも、生活でも、これは失敗ではないのだろうか。


常にその疑いを持つことは、順調を維持するのに欠かせない思考ルーチンであることを覚えておいて下さい。


必ず変化は起こります。その時の見極めをしておかなければ、今現在の選択が将来の失敗の原因となってしまうのです。



ただ、あまり考えすぎるのも良くありませんね。




2010年07月12日

★No.73【見られたいように見られる方法】



あなたはどのように見られていますか。



人は必ず「△△のように見られたい」という思いがあります。

特に初めて会う人の前ではその思いがよく生まれます。


格好良く見られたい。
知識が豊富なように見られたい。
真面目に見られたい。
仕事ができるように見られたい。
謙虚に見られたい。
おしゃれに見られたい。


さらに、それが発展すると、


格好良く見せる。
知識が豊富なように見せる。
真面目に見せる。
仕事ができるように装う。
謙虚さを醸し出す。
その時だけおしゃれをしてみる。


と自らを偽るようになっていきます。


ところが、「見られたい」という欲望も、
「見せる」という詐欺的行為も殆どの場合簡単に見破られてしまいます。


つまり、装っている本人だけがそのことに
気がついていないという喜劇的な現実がそこに存在するのみとなるのです。


格好良く生きてきた人は格好良く見えます。
勉強してきた人は知識が豊富に見えます。
真面目な人は真面目に見えます。
仕事ができる人はそのように見えます。
謙虚な人は謙虚にしか見えません。
おしゃれな人はやはり洗練されています。


つまりその人そのものを越える見かけなどは存在しないのです。


だから私たちは、「見られたい」と思うときは、無理に装う必要はありません。


ただ単に「そのように生きる」ということを選択すればよいのです。


とても簡単なことだと思いませんか。



2010年06月20日

★No.72【四十にして惑わぬように】




惑うことに終わりはないですが。



四十歳は不惑の年と言われます。


「論語」の為政にある言葉で人は四十ともなれば、
ものの道理を理解し惑わないという意味です。


この言葉のように四十になれば惑わずに済むのかと思っていましたが、
果たしてそうはならず、日々惑うことばかりの連続です。


実際、いくつになっても惑うことは終わることなく
延々と死ぬまで続くことだと思います。


ただ四十にして惑うことがあってはいけないのは、生き方だと思います。


漠然と年を重ね、四十になったとき、


「これからどうやって生きていくか」


てなことを考えても後の祭り。時既に遅しです。


四十歳は誰がどう見ても大人です。
ビジネスの世界でも若手という言葉が通用しなくなる歳です。


つまり四十の歳になるときには、自分の生き方に惑いがあってはいけません。


なぜなら四十になってから生き方や目標を決めても
残された時間でその目的にを成就するには時間が無さ過ぎるからです。


四十でも五十でも六十になっても惑うことはいくらでもあると思います。


でも生き方だけは惑うことがないよう、
四十までに決めておくことが必要なのではないかと思います。


自分が四十になったとき生き方を決められているか。


それをひとつの区切りとして人生設計をしてみるべきだと思います。



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