2010年06月06日

★No.71【悲観論バンザイ】



時代の流れで勝者は変わります。



人が幸せに生きる方法として、「楽観的」であることと言われます。


先々の心配ばかりしていても、心がすさむだけで
決して良いことはないということだと思います。


私はこれを否定するつもりはありません。


確かに何事も悪い方に考えている人と一緒にいると楽しくありませんし、
本当にそうなってしまいそうで、暗い気持ちになったりもします。


それでも敢えて私は「悲観的」であることをお勧めしたいと思います。


時代の大きな流れの中で捉えていくと、
今までは世界全体が右肩上がりであったと言えると思います。


経済は成長し、娯楽は増え、文化は栄えてきました。


これからはどうでしょうか。


経済は停滞、又は下降しています。


娯楽は増え続けていますが、もはや
人間が持つ能力で楽しめる限界に達しようとしています。


情報が氾濫しすぎて、何を持って文化なのかすら分からなくなってきました。


そして、世界的に少子高齢化が進んでいます。


さらに気候変動リスクが高まっています。
(私は地球寒冷化論者なので、温暖化とは言いません)


つまりこれからは、世界全体が右肩下がりへ向かっていきます。



全体が右肩上がりの時は、楽観論者が勝利する可能性が高かったと思います。


そしてこれからは、


全体が右肩下がりであり、悲観論者が勝利する可能性が高まるということです。



「悲観論=マイナス思考」ではありません。



この先どうなるか、と考えた時に、
「悪くなる」という予想から思考をスタートすると言うことです。


その上で、物事を構築していく、そして準備するということです。


いつの時代も流れに乗ることが大切なのだと思います。


■Kiss-FMのことはTwitterで

クリックして下さい→Twitter


2010年05月31日

◎No.7【人生とラグビー】



私はラグビーをやっています。

未だ懲りずに現役です。


それはさておき、


ラグビーという競技は、よく人生そのものに例えられます。


その理由は、


1 基本的に強い者が勝つということ。
  (他のスポーツに比べると強弱がはっきりしている)

2 楕円形のボールが思わぬ動きをすることで、
  ゲーム中には運不運に左右される場面が多々あること。

3 実力が伯仲している場合は、「気合い」とか「油断」といった
  要素で試合結果が左右されること。

4 ルールや動きが複雑であり、工夫できる要素が
  非常に多いこと。


確かに、人生そのものに似ているような気がします。


強くなるために、不断の努力を惜しまず、運不運に一喜一憂することなく、気合いを入れて油断せず、創意工夫を怠らないことが、人生を良い方向に導く王道なのかも知れません。


そう考えるとやっぱり人生は結構大変だと思います。



srcblog01 at 16:20◎閑話な一粒

2010年05月09日

☆No.45【権限や権力】



権力と権限に磨きをかけると言うこと。



権限を振りかざす。

そんな言葉があります。

権力を手に入れる。

そんな表現があります。


それなりにビジネスマンをやっていると肩書きが付くことで
少なからず権限や権力と言われるものを与えられることがあると思います。


身近なところでは、人事権、決裁権、予算執行権などがあるでしょうか。


社長ともなると、その全ての権限を持つことになります。


さらに私のように株式の過半数を持つ所謂オーナー社長と
もなれば、株主の監視からも逃れ、全てを自ら決定することが可能になります。


そして、人はそういったものを与えられると、
その力を自分自身の所有物だと勘違いしてしまうことがあります。


ですから「権限や権力を振りかざす」という愚行に出てしまうのです。


結果は火を見るよりも明らかで、早晩その権限は取り上げられ、
またオーナー社長はその会社を失うことになるでしょう。


そうならないためにどうするべきか。


権限や権力を持ったなら、まず最初に立ち止まって自分自身に伝えることです。


「これは得たものではなく預かったものだ」


主任であれ社長であれ、その権限と権力は、あなたの属する社会から
あなたへ預けられたものであって、決してあなたのものではありません。


預かりものですから、乱暴に扱ってはいけませんし、
また決して壊してはなりません。


その権限や権力が輝き続けるように、大切に大切に扱わなくてはなりません。


そしてその権力や権限はあなたの属する組織や
社会のために正しく使用されなくてはなりません。


そうしていくことでその権力や権限にはいっそう
磨きがかかり、永遠にその輝きを増し続けることになるのです。




あなたの権限は輝いていますか?

2010年04月24日

☆No.44【役割は自ら創るもの】




組織図から飛び出そう




私は普段から、


「人は人として生まれた以上、その役割を自ら創り出さなければならない」


と考えています。


ビジネスの現場で考えてみましょう。


組織の中で、自らの役割を自らの力で創り出して尚かつその役割によって成果を出すことができた人のみがビジネスマンとして成長します。


誰もが社長になれるわけでもなく、誰もがトップセールスになれるわけではありません。


ただ自らのビジネスにおける守備範囲を、組織図の中に求めることだけは避けなくてはなりません。


成長できないビジネスマンは一様にこう言います。


「それは私の仕事ではない」


それは誰が決めたのでしょうか。


上司ですか?

または組織図にそう書いてあるからですか?

与えられた仕事以上のことをするのは損だと思っているからですか?



「それは上司が決めることだ」


「それは経営者の仕事だ」


「それは他部署の責任だ」



そんな気持ちになったら、立ち止まって考えて下さい。



自らの役割としてそれを自らの力でこなすことはできないか。

自らの判断を上司や経営者に納得させることはできないか。


自らの役割を自ら創り出す事が成長の原点であることを
心に留めて仕事に取りかかってほしいと思います。




■Twitter始めました。

※フォロワー100人プロジェクトにご協力を(笑)
Twitter

2010年04月17日

◎No.6【仮面ライダー】



子供の頃に憧れていたもの



何が正しいか正しくないのか。

何が正義で何が悪なのか。


これらの判断を正確に行うことはとても難しいことです。


同じ事でも立場が変われば真逆の判断がなされます。


法律的には正しくても道義的にはそうとも言えないこともあります。


嘘にも良い嘘と悪い嘘があるように思います。


そこで私は、それらを正確に判断する方法を考えてみました。



例えば多数決。



いわゆる民主主義社会ではこれが原則とされています。


ところがこれは、多数にとっては良い結果ですが、少数にとっては悪い結果です。


つまり多数決は、良い悪いの判断基準ではありません。


そう考えると他の方法で決めても同じ事が言えますね。



難しい。



最近の私は、「正義が勝つ」という昔ながらの言葉が良く頭をよぎります。


では、その正義は何にとっての正義なのか。


それは本当に正義なのか。



そこで思いついたのは「仮面ライダー」です。


私の世代的には100%の正義というとやはり「仮面ライダー」です。


仮面ライダーは100%「正義」で、、ショッカーは100%「悪」ですね。


子供の頃は「仮面ライダー」になりたいと思っていました。


果たして今私は「仮面ライダー」になっているのでしょうか。


思い込みをせず、自問自答しながら進んでいきたいと思います。






ふと今「仮面ライダー」って変なネーミングだなと思いました。






■Twitter始めました。

※フォロワー100人プロジェクトにご協力を(笑)
Twitter

2010年03月21日

★No.70【働く覚悟か楽しみか】



仕事の出来る期間は長ければ長い程良いのです。


昨今、年金に関するテーマがマスコミなどで大きく取り上げられ、関心も非常に高くなっています。


そこでよく議論されているのが、何歳からいくらもらえるのか。


といった内容です。


つまり仕事を引退した後に楽隠居が出来るのどうかという問題に終始します。



仕事柄、私は60歳以上のビジネスマンの方々ともお会いして話を聞かせて頂く機会も少なからずあります。


そ殆ど方に対して、あと数年で定年を迎えられるのが非常にもったいなく思います。


気力や行動力、長く深い経験をしてした独特の雰囲気、多大なる尊敬に値する考え方など、ぼちぼち年金をもらいながら生活するなどということはとても想像が出来ません。


彼らがあと数年でリタイヤし、年金生活者になってしまうことは、国家的な損失と言っても良いでしょう。


早期の制度的な改善が求められます。


ただ、何れにしても。


あと数十年先には、70歳であろうが80歳であろうが、働かなくてはならない時代がやってきます。


国家の財政的に年金額が減ることは確実であることもありますが、それにプラスして絶対的な労働力の不足が起こってくるからです。


といいつつ、このことが起こる重要な要素はこういった外的要素によるものではないと私は思っています、


それは、それなりに年をとってもまだまだ働きたいという意欲のある人が大幅に増えてくるだろうと言うことです。


冒頭の繰り返しになりますが、楽隠居が本当に人が望む姿なのでしょうか。


わたしたちはあと何年働けるのか。


その期間が長ければ長い程、充実した人生を送ることの出来る期間が延びるのではないのでしょうか。


定年などのように年齢で仕事期間を計るのではなく、「気力」「体力」「能力」で計るべきであり、年齢に全く関係なくそのレベルに応じた報酬を得られるような仕組みを構築するべきなのです。


年齢で計る定年制度そのものを撤廃しなくてはなりません。


これからの時代は、定年まで働くという辛い覚悟をするのではなく、どれだけ長く働けるかを楽しみに考えながら過ごすことができるように自分の仕事を創りあげていく必要があると思います。




2010年03月04日

☆No.43【仕事力のモノサシ】




仕事力は才能を越える事ができます。



仕事をする力には様々な種類が挙げられます。


営業力
企画力
行動力
指導力
統率力
会話力


そんな中で私が最も重視したい「力」は、「意思力」です。


人が生まれながらに持っている力にはそれなりの差があり、努力によって埋められないものあることは事実です。


但し、ビジネスの現場における仕事をする力は、生まれながらの力を超越することが珍しくありません。


どこでそのような差が生まれるのでしょうか。


人は大きく変わるもので、昨日まで仕事レベルの低かった人が、今日になると見違えるようにバリバリのビジネスマンになっていたりします。


そこでその差を生み出すモノ、それが「意思力」です。


ここで気をつけなければならないことは、「意思力」は「やる気」とは違うと言うことです。


急に妙なテンションだけを上げて、張り切りだしても邪魔になるだけです。


しかも「やる気」はそもそもの問題で、やる気がない人は仕事をしてはいけません。もし「やる気」無しに仕事をしている人がいれば、それは組織や社会にとって罪悪にしかなりませんので即刻仕事を辞めるようにして下さい。


そこで重要なのは「意思力」ということになります。


「意思力」とは具体的にどのように力を発揮して成果を残すか。つまりより良い結果を残すための明確なイメージを持って仕事に取り組むと言うことです。


与えられた仕事に対して与えられたとおりに「やる気」を出して取り組むことは当然のことであり、それに加えて顧客や組織の役に立つために自らを研鑽し、求められる以上の結果を残していくことを目指すのが「意思力」です。


「意思力」によって生まれる差は、その人の生まれながらに持つ力の差を大きく越える結果をもたらします。


才能なんか無くても嘆くことはありません。明確な「意思力」を持って仕事に取り組めばそしてそれが「仕事力」の差となり、その結果、あなたを優秀なビジネスマンに育んでいくことでしょう。



2010年02月22日

★No.69【未来を手に入れる】



未来を手に入れること、できます



旬な話題を。


高橋大輔は銅メダル。織田信成は7位入賞。


個人的には何れも素晴らしい結果だと思いますが、明らかに世間の評価も彼ら自身の満足度にも雲泥の差があります。


それは天国と地獄程の差があると言っても言い過ぎではないようにも思えます。


高橋大輔には賞賛と満足。織田信成には同情と後悔。


この差はどこから生まれたのでしょうか。


実はこの二人の思考には決定的な差があるのです。


もちろん私自身は、この二人と話をしたこともなければ、実物を見たことさえありません。


しかし、テレビのインタビューで決定的な二人の差を感じ、何れはこのような結果になるであろう事は、彼らの考え方の中にあったことが分かってきました。


高橋大輔が、4回転ジャンプを失敗し、演技を終了したとき、実況アナウンサーは、

「4回転ジャンプの失敗から見事立て直して高得点を獲得した」と評しました。

しかし、本人は演技後のインタビューで、

「4回転ジャンプを失敗することを想定した練習もしていたので、その後の演技に集中できました」と答えています。


つまり、彼は、「立て直した」のではなく、単に「想定の範囲内」であったに過ぎないのです。


高橋大輔の演技は、自ら想定する未来の中に収まりました。


もし彼が4回転ジャンプの失敗を想定していなかったなら。


結果は想像に難くありません。



そして織田信成は、競技の前に既に靴紐が切れており、応急処置をしています。理由は、「感覚が狂うのが嫌だったから」です。


一流のアスリートの感覚はちょっとしたことで狂うものでしょうから、この判断は正しいものだったのだろうと個人的には理解しています。


では、彼は、「競技中に靴紐が切れたらどうするか」というところまで想定していたのでしょうか。


後のインタビューからは、そのような準備をしていたといった発言は聞くことは出来ませんでした。


織田信成の演技は、想定する未来以外の結果となりました。


もし彼が靴紐が切れることを想定していたら。

感覚よりも切れないことを優先して交換するか、切れても後悔しない覚悟を持って演技に挑んでいたことでしょう。


私たちが生きていく中で、何かに挑戦するとき、また、何かを判断するとき、最も悪い結果から最も良い結果まで、そんなに多くの幅があるわけではありません。


殆どの場合、その結果如何でどうなるかは想像できる範囲内だと思います。


重要な挑戦や判断を行うときに重要なこと。


それは考えうる未来を想定して、対応できる準備をしておくことです。


挑戦や判断が重要であればある程、人は動揺し、緊張し、また失敗を恐れます。


そんな時にこそ、あらゆる場合を想定して準備をしておくこと。特に失敗したときの心の準備が重要です。


先回りして、考え得る未来を手中に収めておくことで、より成功への確率が高まっていくことでしょう。


■Twitter始めました。

※フォロワー100人プロジェクトにご協力を(笑)
Twitter


2010年02月08日

★No.68【建前が本音であること】




意見の違いはストレスではなく楽しみなのです。



人には建前と本音があるというのが一般的な考え方です。


しかし、私には、建前と本音は殆どありません。


こんなふうに書くと、まるで私が、自分自身をまるで聖人君子かのごとく喧伝しているように思われるかも知れませんが、当然ながらそうではありませんし、残念ながら聖人君子にはほど遠い人間です。


では、なぜ建前と本音が無いのでしょうか。


例えば、ある一つの問題にAという考え方とBという考え方があるとしましょう。


私はAを主張する人の前では、そのAに賛同し、Bを主張する人にはBを賛同するということが良くあります。


見方によっては、お調子者とか八方美人といったところでしょうか。


ところが私がある意見に賛同するときには、殆どの場合その意見に心から賛同しています。


その理由は、自分自身の意見がどうであれ、その人の生き方や価値観、さらには目指す目的によって考え方が異なることは明白であることを常に意識をしているからです。


また別のシーンでは、


公的な場である意見に同意しながら、その後の気の置けない仲間達との会合で、その意見を否定するようなことを言っていることもあります。


これも同じくどちらも本音です。


つまり私自身の中でも一つの問題に対して常に2通り以上の考え方を持っているということなのです。


一つの意見や方針は、何を目的にするかによって答えは異なります。また目的は同じでもその達成に向けての手法によって考え方は全く違います。


そう考えると、人の意見を否定すること自体が、無意味だとも言えます。


人の意見を否定すると、相当なエネルギーが必要ですし、否定される側もエネルギーを消費します。


ですから、意見が食い違うときは、否定するのではなく、全てを肯定することから始めてみてはいかがでしょうか。


そして、なぜその意見を持っているのかをじっくりと聞き、分からないところは納得できるまで質問していくのです。


そうすることで人の話は自分の考えを決定づける為の貴重な素材として、あなたの考えを醸成させる糧になります。


そして実際の行動においてどれを選択するかということだけは、自分自身の責任で決めればよいのです。


意見の違いを楽しむ余裕があれば、考え方の異なる人たちとの会合もとても楽しく価値あるものになっていくことでしょう。


■Twitter始めました。

有名人ではないと、なかなかフォロワーが集まらないようですが、個人的にフォロワー100人を目指してつぶやいてみたいと思います。

※yokoyama21で検索できます。100人プロジェクトにご協力を(笑)
Twitter

2010年02月01日

★No.67【火中の栗を拾え】




火中の栗は放っておくと灰になります。



「火中の栗を拾う」という言葉は日常的に良く耳にします。



「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すたとえ」「他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと」といったような意味として辞書に書いてあります。


ラ フォンテーヌの寓話をもとにしているということです。


それはともかくとして、「なんでわざわざそんなことするねん」と関西弁で思いっきりつっこまれてしまうようなことに、敢えて取り組むと言うことを私は推奨しています。


推奨していると言っても、一部の辞書の言葉の意味にあるように「ばかなめにあうこと」が可能性として高く存在しますから、表だって勧めると言ったことはありません。


あくまで心の中で推奨し、そして火中の栗を拾う行為を行う人を尊敬します。


もちろん結果として、寓話の猫のように火傷をしてしまうこともあるでしょう。


ただその勇気をもってリスクを取る行為が、結果的に人のためになり、多少の火傷をしてもその経験が自分自身の糧になることがあると思います。


もちろんただ単に火傷をするだけで、結果的に後悔だけが残るということもあるでしょう。


それでも何度も懲りずに拾うことで、稀にとっても美味しい栗を人に振る舞ったり自分自身でもそれを食べることもできるのではないかと思っています。


逆に拾わなければその栗は、灰になってしまいます。


当然ですが、拾い方には工夫は必要です。間違っても何の準備も工夫もなく火の中に素手で突っ込んではいけません。




■Twitter始めました。

有名人ではないと、なかなかフォロワーが集まらないようですが、個人的にフォロワー100人を目指してつぶやいてみたいと思います。

※yokoyama21で検索できます。100人プロジェクトにご協力を(笑)
Twitter

2010年01月21日

☆No.42【仕事力と孤独感】




孤独感を恐れては自らを成長に導けないのです。



一般に仕事の出来る人は、人よりも先を進んでいきます。


例えばビジネスで人より前を走るためには、


より多くの行動をします。

より多くの工夫をします。

さらに新たな取り組みに挑戦します。


これが継続して出来ることと、それに加えて結果を残すセンスが伴えば、いわゆる仕事が出来る人と認識されます。


上記のどれを取ってみても、周りと一緒に仲良くできることはありません。


仕事では、前に出れば出る程、孤独感が生まれます。


仲間が減っていくような錯覚に陥ります。


つまり、本当に仕事ができるようなるには、この孤独感に打ち勝つことが必要です。


優秀なビジネスマンになろうとすればする程、この孤独感レベルは増していくことでしょう。


ところが、この孤独感に打ち勝って、自らのステージを引き上げることができれば、そこに新たな仲間が存在することに気がつくはずです。


自分と同じように孤独感に打ち勝ってきた素晴らしい仲間に出会えるのです。


この仲間は、孤独感に打ち勝てなかった過去の仲間達とは比べものにならない満足感をあなたに与えてくれることでしょう。



ビジネスマンとしての成長はこの繰り返しだと言って良いと思います。


つまりさらに自らのステージを高めるためには、新たに出会った仲間達と別れを告げて再度孤独感と戦う覚悟が必要です。


その戦いが、困難であればある程、次のステージにおける出会いの満足感は高まっていきます。


逆に言えば、孤独感を恐れ、失うことを恐れた時点でビジネスマンとしての成長は止まるということになります。


「失う覚悟」と「得る希望」が成長の原点なのです。




2010年01月13日

★no.66【ときに太陽を考える】





悩み、時々、太陽。



日々様々なことが起こります。

その殆どが自分の思い通りになることではなく、ストレスの原因になっていきます。

時にはそんな自分の存在を嘆くようなこともあるでしょう。


仕事がうまくいかない。

失恋した。

努力が実らない。

受験に失敗した。

将来が不安だ。

友達に裏切られた。

上司とそりが合わない。


このようなことで落ち込んだときに、私は太陽について考える事にしています。

想像も出来ない程の大きさの物体が、まったくエネルギーを補給されるこなく、何十億年も燃え続けている。


この何とも言えない壮大なスケール。


これに比較すれば、自分の悩みなど、砂粒ひとつの存在価値すらありません。

しかも私たちは、その太陽という想像を絶するとてつもないものによってかろうじて生かされている、とても小さく弱い存在に過ぎません。

そう思えば、日々感謝の気持ち意外に湧いてくる感情はないのではと思います。


私は宗教家ではありませんから、日々太陽に感謝しようと呼びかけているのではありません。


ただ、時々、太陽に思いをめぐらせることで、自分自身の悩みの馬鹿馬鹿しさに気がつくことも悪くない事だと思いませんか。



2010年01月04日

★No.65【「誠実に」さらに「誠実に」】




「誠実さ」が「生きやすさ」につながる。



新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


新年最初のテーマは、誠実に生きること。です。

人の生き方として私はこれがいちばん生きやすいと思っています。


具体的には、人に対して誠実であることです。人のことを心から思いやり、嘘偽りなく接するということです。


これはなかなか難しい。


人と接するときは、必ず自分自身にとって有利になるように考え、行動し、時には嘘をついてでも自分の思い通りにしようと思ってしまいます。


また逆にこちらは誠実に行動していても、相手が自分を陥れたり騙したりすることで、こちらの誠実さが萎えてしまうこともあります。


でも、どのようなことがあっても、誠実さを失わないことが、生きやすいと私は思っています。


人はよくストレスを感じます。


あなたが感じるストレスの中には、自分を有利に導く為に、人に対して誠実さを失ってしまったときに大きく感じるものがありませんか。


逆に自らの誠実さに完全な自信があれば、どのような精神的な仕打ちを受けても、意外と平気でいられます。


それは自らの考え、行動に、曇りがないからです。


自分自身の誠実さに常に自信を持つことができれば、日常におけるストレスの大部分は解消していくことでしょう。




2009年12月14日

★No.64【一生懸命をはき違えるな】



一生懸命に何もしないということもあるのです。



一生懸命に努力するとか、いわゆるがんばるという言葉に基づいた行動を行うことでなぜか自分自身や周りが納得してしまったりすることがあります。


例え失敗しても。結果が出なくても。


一生懸命にやったんだから仕方がない。
頑張りは評価すべきだ。


などと一定の価値を認められることがあります。


実はここに大きな間違いが隠れていることが往々にして存在します。


それは一生懸命の意味を履き違えていることが非常に多いからなのです。


あなたにとって一生懸命とは何ですか?


夜もロクに寝ずに勉強したことでしょうか。
休み無しでやたらと仕事をしたことでしょうか。
やたらと営業飛び込みを繰り返したことでしょうか。


客観的に見ると、これらの行動は、一生懸命やっているとか、がんばっているとか見られているケースが殆どだと思います。



これらは一生懸命におけるほんの一部分に過ぎません。



私の考える一生懸命の定義とは、


「求められる結果を出すために最も有効と思われる方法を導き出し、実際に実行し、その結果を鑑みて創意工夫を行いながら、最短距離での結果到達手法を導き出した上で実際に行動していく。そして時には行動しない」


ということになります。


一生懸命やがんばってるが単に「動いている」にならないよう、その中身の検証を怠らないこと。


それが本当の一生懸命なのです。




2009年12月08日

★No.63【人を信用するな】




信用は自らが与えることにより決定される。



過激なタイトルになりましたが。


信じていた人に裏切られたなどと嘆く人をよく見かけます。


はたしてこの裏切られた人は本当にその人を信用していたのでしょうか。


人を信用すると言うことは、大変な労力を伴います。

例えば、あなたが信用している人は多少何かがあってもあなたの望む通り、又は約束通りに行動してくれる人のことと定義していると思います。

そしてその人があなたの望んでいない行動をしたとき、あなたは裏切られたと感じるはずです。


そして嘆きます。


でも何に対して嘆くのでしょうか。

裏切った相手を恨み、または非難することでしょうか。


基本的に人は、自分に有利になることを基準として行動の方向性を判断します。

つまり裏切った相手は、裏切ることがその人にとって有利であることを認識したのです。

あなたの信頼に応えるよりもその人にとって大きな事がそこにあったのです。

単に足し算引き算の問題に過ぎません。

どちらの判断が自分自身のプラスになるのか。


このようなことを書くと、人は損得勘定だけで生きていないと、お叱りを受けそうですが、自分にとって損であることを敢えて選択することもその選択に何らかの損得勘定が隠れていることを理解すべきです。

一時的には損な選択に見えてもそれが結果的に自分自身にとって「得」または精神的に「満足」が得られると判断した時にその方向に行動の選択を行います。

つまりあなたが人を信用しようとするときには、その人があなたにロイヤリティを持った判断をしたほうがその人自身にとって物質的または精神的に有利である要素をその人に提供していなければなりません。

そのことに自信を持ってこそ、初めて「信用する」という言葉を使うべきだと考えています。

自分に都合の良い一方的な信用は、最初から裏切られることが決まっているのです。


2009年11月27日

★No.62【最後に愛は勝つ】




思いを実現するときに第一に考える事



歌の題名ではありませんが、何事も最後に愛は勝つと思っています。


例えばビジネス。


顧客を思いやる心(愛)が、顧客からの信頼を勝ち取り、結果、その心を持った企業や人に多くのファンが集まってきます。

そしてビジネスは成功します。


一時的には、市場における戦略とか、創意工夫のみによって市場を席巻することはありますが、あくまで一時的であり、その戦略と創意工夫に「愛」がなければ継続して市場における優位性を獲得し続けることは出来ません。


目的が「利益を出すこと」で、戦略は「市場占有率を高めるため」のものであれば、その目的は達成しつづけることはないでしょう。

目的が「世のため人のため」であり、戦略は「より多くの人のお役に立つため」のものであるならば、その目的は自ずと継続的に達成されることでしょう。


人間関係や日常生活の様々な場面ににおいてもこの法則は当てはまります。


身近にいる人たちに対しては言うまでもありませんが、会ったことのない人や世間そのものに対しても、常に愛の気持ちを持つことが、結果的に自らの人生は豊かなものにしていくのではないのでしょうか。


創意工夫や戦略、企画、人に対しての物事の伝え方。


それらの中身を考える前に、何に対して愛を追って取り組むのか。そのスタート地点を自分自身の中で明確に持っている必要があると考えています。



2009年11月16日

☆No.41【資本主義は善?悪?】




胸を張ってお金を儲ける。



金儲けと聞くとそれが何か悪いことのように聞こえることがあります。

一方で、

「金儲けの何が悪いのだ」

「いや金儲けが悪いのではない、問題は拝金主義だ」

なんていう議論があったりします。


はたして金儲けは悪なのでしょうか。


金儲けが悪いことなのであれば、資本主義そのものを否定することになるような気がします。

つまり毎日一生懸命はたらいて、お給料をもらって帰ることが悪いことだということになります。


では、金儲けは善なのでしょうか。


実は金儲けには「金を儲けようと思ったら儲からないという」一定の法則があります。

なぜかというと、お金を儲けたいという人はたくさんいますが、人にお金を儲けさせたいと思う人はいないからです。

でも何かを欲しい思う人や、便利なサービスを受けたいと思う人、また何かに困っている人はたくさんいます。

そういった人たちの役に立とうとする気持ちと行動が、結果的にお金儲けにつながるのです。

つまり誰かの役に立ちたい、社会に貢献したいという気持ちが、必然的にお金儲けにつながっていくと言うことなのです。

企業においてCSR活動とか、フィランソロピー、メセナ等の言葉を使って、企業が儲けたお金を社会貢献に使おうなどという動きがあります。

企業人の心のどこかに、お金儲けに罪悪感があり、それをこういった活動で打ち消そうとしているのではないのかと思ったりします。

心から社会や人に貢献したいと思っているのであれば、自らの事業に自信を持って取り組むべきであり、それで得た利益に誇りを持つべきなのではないのでしょうか。

つまり、どれくらいお金が儲かっているかということは、社会貢献のバロメーターであり、儲けたお金は感謝の集まりだと言い換えることが出来ます。


逆に、お金儲けることだけを目的にお金そのものを右から左へ動かすことで儲けているようなビジネスは、一時的に稼ぐことは出来ても、いずれ今回の金融危機のようにおおきなしっぺ返しを食らうこととなります。


金融でビジネスを行うのであれば、それによって社会発展を促そうという根本的にお役立ちの気持ちがなければ継続して利益を上げ続けることは出来ません。

このように考えると、人や社会に対しての貢献度が高い程、お金が儲かるという資本主義の仕組みの根本は善だと言うことが出来ます。

仕事を続けていく以上、お金を儲けようと考えるのではなく、よりたくさんの人々や社会に役立つ行動をしようとする気持ちや行動が、お金を儲けるコツなのだと思います。



2009年11月04日

★No.61【命を考える】




自分の命をどう考えるか。



私事ですが、先日義父が亡くなりました。

亡くなる少し前から、亡くなった直後、通夜から葬儀、初七日から香典の確認、整理まで、私自身は何もお手伝いすることはありませんでしたが、傍からその様子を見させていただくことが出来ました。

この年になるまで、こういったことを一連でかつ間近で経験することは無かったので、人が一人亡くなると言うことは大変なことなのだと改めて認識することとなりました。

通夜も葬儀も大勢の方にお越しいただき、故人にとっても遺族にとってもせめてもの慰めとなったことだと感じています。


ところで、人が一人亡くなると、しばらくの間、その人はこの世にいないのではなく、ここにいないだけなのではないかという錯覚に陥ります。


突然現れても何の違和感もないような感覚を持つのです。


さらに、故人と毎日のように密に接していた人以外は、一通りの儀式が終われば何ら変わることなく日々の生活を続けることとなります。


そしてさらに時間が経つと、故人が存在しないことが当然のこととなり、人ひとりがいなくなったという空間が徐々に他の何かによって満たされていくこととなります。


そして100年も経たずして誰もそのことを記憶している人すらいなくなってしまいます。


そう考えると、人ひとりの命は、とてもはかないものであり、地球というと大げさですが、人類史上全体から見ても殆ど意味のないものであることが分かってきます。

たとえそれが歴史上重要な意味を持つ人物であったとしても、教科書の活字に残るだけのことであり、知識としての意味しか無くなると言うことになります。


こういったことから私は私自身に対して常に言い聞かせていることがあります。


「自分自身の命や人生を大げさに考えるな」


もちろん他人に対してこれを求めるようなことはしませんが、私自身は常に自分自身の存在価値を大げさに考える事はありません。


自分一人いなくなっても100年もしないうちに誰も気にしなくなるどころか記憶にすら残している人もいなくなるわけですから。


ですから私は、目の前のことに思い悩むことより、今自分が存在しているということ一点にのみ感謝の気持ちを持って日々一生懸命生きることに集中していくことを心がけているのです。



2009年10月21日

☆No.40【愛社精神を考える】




愛を語ってみました。



ビジネスマンをやっていると「愛社精神を持て」とか「会社に対してロイヤリティを持て」などと言われることがあると思います。


果たして皆さんは愛社精神を持っているのでしょうか。


愛社精神とは文字通り会社を愛する気持ちのことです。日本の会社内においてはロイヤリティも同じような意味で使われます。


愛するという行為は、自然発生的に生まれるものであり、持てといわれて持てるものではありません。


その愛という尊い気持ちを、会社から強制的に持たされているというビジネスマンが多いのが現状ではないでしょうか。


当然のことながら、組織に属して報酬をもらう以上は、その報酬に見合う仕事をするというのがあたりまえの論理です。


それと愛社精神は異なります。


大抵の経営者は従業員に愛社精神を持って欲しいと願っています。

しかし

大抵の従業員は愛社精神を持ちたいとは思っていません。


このギャップが「愛社精神を持て」という何とも言えない妙な言葉となって宙をさまようことになる原因なのです。


愛は与えるものであり求めるものではありません。


与えられたミッションに対してロイヤリティを求めることは可能ですが、会社という組織体に愛を求めることは出来ません。


組織に帰属意識を持つ人が少なくなってきている昨今であるからこそ、従業員と企業が互いに愛を与え合えるような土壌のある組織であることが、これからの企業に必要とされることなのだと思います。




2009年10月16日

★No.60【志(こころざし)を考える】




あなたに志はありますか?


志とは辞書的には、目標とか信念、また相手のためを思う気持ちといった意味があるようです。


語感的には、何か「おおきく健全で且つ壮大な自らが向かうべき道しるべ」みたいな意味を勝手に想像したりしています。


今回は語感的な「こころざし」をテーマにしたいと思います。


人を動かす原動力は、「欲」以外にもあるのではないか。と常々考えている私は、その一つに「志」を「欲」以外の原動力候補として捉えています。


志の例を考えると、

「政治家になって国を良くしたい」
「地域の活性化のお役に立ちたい」
「プロ野球選手になって子供たちに夢を与えたい」

と、なぜか社会や人の役に立つようなそんなものが志という言葉に合うと感じます。


「お金持ちになりたい」
「プロ野球選手になりたい」
「出世して部長になりたい」


これらはちょっと志という言葉には合わない感じがします。

このように考えると志とは、「人や社会のために何かを成し遂げようと思うこと」という意味だと感じることが出来ました。


その為には、目の前の欲を捨ててその志に向かって行かなくてはなりません。


では、志に向かっている人は欲そのものを捨てているのでしょうか。


そうではありません。


その「志」を成し遂げたいという「欲」があるからです。



なかなか「欲」以外に人の原動力は見つかりません。

2009年10月06日

☆No.39【未来における会社のあり方】




思い切って会社の目的を変えてみました。



ちょっとテーマが重たくて面白くない感じがしますが。

現代から未来における会社はどうあるべきかという観点で書いてみたいと思います。

「会社は誰のものか」というテーマでは以前書いたことがありますが、今回は特に会社で働く人にとってどうあるべきかということに焦点を当ててみたいと思います。

会社で働くと言うことは、過去においては、生活のためであったり、より良い生活を送るためのだけの手段として考えられており、今現在ももその目的に沿って仕事をしている人は多いと思います。

一方で今増えているのは、生活のためと言うより自分自身の満足のためであったり、会社が社会との繋がりを持つためのツールに過ぎなかったりする人たちです。

こういった傾向は今後も間違いなく続きます。

念のためその理由を説明しておきます。

第一に、仕事を一生懸命やることが生活を良くすることと必ずしもイコールではなくなってきていること。

第二に、少子高齢化によって、家の数が余り住むところに苦労しなくなっている上に、親の年金をたよる子や孫世代が増えたことにあります。

簡単に言うと、

「あくせくはたいても先にことは分からない」

と感じていたり、

「たとえ失業しも家もあれば小遣いもある」

といった状態の人が増えていることにあります。


そのような人たちが増えている状況においては、私は、会社の役割を大きく変えていかなければならないと考えています。

具体的に表現すると、

「会社はある共通の目的に向かう為のコミュニティであり、人生を楽しむ場でもあり、大失敗から大成功まで様々な体験を積むことが出来る学習機関であり、生涯の友人を作るサークルとしての機能を持ち、しかも稼ぎたい人や人を動かしたい人、人の力になりたい人など様々な欲求を満たすことの出来る場でもある」

ということになります。

「会社=生活の糧を得るために働く場所」であることはもちろん否定をしませんが、それ以上に多彩な機能を備えた組織を構築していくことが未来の経営には求められるのではないのでしょうか。

もちろん企業の中には、こういった機能を利益追求の結果又は手段として持っているケースも多数存在します。

ただ私が感じる未来の会社というのは、そういった機能を結果として持っている会社ではなく、目的として持っている会社なのです。


つまり会社の存在目的そのものを、「利益」ではなく「組織」に変えていくと言うことです。


今後20年以内に間違いなく世界的に低成長の時代がやってきます。


その時代に生き残る組織というのは「人のための組織構築を目的とした」組織ではないのでしょうか。


「利益」は単なる会社が生み出す副産物のひとつに過ぎなくなるかもしれません。



2009年09月24日

★No.59【コネとか人脈とか】




効果的な人脈の作り方あります。



「コネで会社に入った」

「人脈を活かしたビジネス」

コネ(?コネクションの略でしょうか)とか人脈は何かと役に立ちそうな気がします。
ですから、コネを作るための異業種交流会みたいなものがあったりするのでしょう。

私は良く「ルート」という言葉を使います。
コネや人脈があるではなく「ルート」があると言います。

ルート=道とか経路といった意味です。

何らかの接点があるといったようなニュアンスかも知れません。


それはさておき。


普段から様々な方のビジネスマンとの交流がありますが、人脈やコネがあるからビジネスが成功したという人は見たことがありません。

でも成功した人は人脈とかコネをたくさん持っています。

そもそも人脈とかコネとはいったい何なのでしょうか。


人脈とかコネは人が大切にしたい人との繋がりです。

では大切にしたい繋がりとはどんな繋がりでしょうか。


・役に立つ
・楽しい
・世話になった
・儲かった
・苦楽を共にした
・共通の趣味がある
・好き

なかなか作ろうと思ってできる関係では無さそうですね。

人脈とかコネは作るものではなくできたものなのです。

つまりコネや人脈を作りたい人は、それにつながる行動をすべきだということが分かってきます。


人脈は、目的ではなく結果なのです。


異業種交流会に参加してもコネも人脈もできません。



2009年09月05日

☆No.38【蹴落とす】



ヒーローになろう。



映画やドラマで良くあるシーンですが、自分が勝つためにライバルを蹴落として勝利を掴もうとする。

大抵の場合、ライバルを蹴落とそうとするのは悪役で、自らの力で這い上がろうとするのがヒーローです。

映画では、それがとてもわかりやすく演出されていますが、実際のビジネスの現場でも同じ事が起こります。


課長の悪事をばらして課長の椅子に座ってやろう。

同僚のミスを大げさに報告し自分自身の評価を上げよう。

気に入らない社長のスキャンダルを暴いて溜飲を下げよう。


それぞれの行為の善し悪しはケースにもよりますので、何とも言えません。

ただ、日々組織で働いていると実際にするかどうかは別としてこういった衝動に駆られることは普通にあると思います。


ただその場合、一つだけ忘れてはならないことがあります。それは、人を蹴落としても自分自身の場所は変わらないと言うことです。


例えばロッククライミングで登る早さを競う競争においてライバルを蹴落としても自分自身のいる場所が自動的に上に登ることはありません。

例えそれで勝利しても自分自身の能力が上がっているわけではありません。


つまり絶対的な自分自身の場所は変わらないのです。


私たちは一つの組織の中にいるとどうしても自分自身の価値を組織内の相対的なものとして判断しがちです。


もう少し視野を広げてみましょう。


蹴落とすのことより自分自身の登るスピードを上げることでヒーローを目指す方が仕事は楽しく先は明るいと思います。


2009年09月03日

◎No.5【コープさんの謎】



関西だけの慣習でしょうか。


コープ(生協)には「さん」をつけることが一般的です。

「ちょっとコープさん行ってくるわ」
「これコープさんで買ってきて」

というような表現を日常的に使います。


「なんでコープだけ(さん)つけるん?」


という疑問を投げかけられたことは私自身幾度となくあります。


確かに、

「ダイエーさん」
「ジャスコさん」
「大丸さん」

という人はほとんど聞いたことがありません。

【おすもうさんの謎】に続く日本の二大謎だったのですが、実はここで朗報があります。


謎が解けました!


それは、コープ(生協)の販売の仕組みにあります。

そもそも生協は、宅配や地域への協同購入、協同配送によって商品を安く消費者に届けるというのが基本モデルです。

今でも基本は同じですが、そのモデルから派生した個別宅配の仕組みが構築されており、コープのトラックは街を駆け回り一軒一軒訪問して商品を届けています。


「こんにちは。コープです」


「あ。コープさんが来た」


そうです、もうお分かりですね。

来てくれた人を呼び捨てにできないのが日本人の心情です。でもコープの配送の人の名前は知りません。

だから「コープさん」なのです。

ここからコープに「さん」をつける習慣がはじまったのです。


そういえば私たちも佐川急便の配送担当の方に「佐川さん」って言いますね。



でも「おすもうさん」は謎のままです。




srcblog01 at 10:31◎閑話な一粒

2009年08月17日

★No.58【人生はたった一日でしかない】




一日を無駄にしない。その為の秘策あります。



人は過去に縛られ、未来に悩まされる生き物です。

では過去とは何のことでしょうか。

私は、「過去=昨日までのこと=変えられないもの=死んでいるもの」と捉えています。

また「未来=どうなるかわからないもの」と捉えます。


つまり


「過去は知識に過ぎず、未来は考えるに及ばない」


というのが私の結論です。



生産的な概念からすれば、寝ているときは死んでいるのものも同じです。

そう考えると、朝は、人生の始まりであり、夜は人生の終わりが訪れます。

夜は、今日という人生はどうだったのか、まるで穏やかに死を迎える瞬間のように回想する時だと思っています。

まるで輪廻転生を繰り返すが如く、一日を一人生と捉えて生きてみることが最も心穏やかに生産性高く生きていける唯一の方法ではないのでしょうか。


私たちの生き方を考えてみましょう。


昨日以前の過去を顧みるが故、最も生産性の低い行為である後悔の念に多くの時間を使ったり、明日以降の未来を考えるが故に今日一日を疎かにしたりしていませんか。


人生は今日一日しかないのです。過去も未来も今日一日の出来事です。


そう考えれば、一日をもっと有効に使えるはずです。



2009年08月08日

◎No.4【そこそこ】




あなたの「そこそこ」はどれくらですか?



最近の若者(これを言い出したらおっさんやといわれます)は、人生の目標を尋ねられると、「そこそこでいいです」と答える人が多いようです。

ちなみに私はバブル経済絶頂期に学校を卒業しており、いわゆる「新人類」と呼ばれた世代です。

今の若者は、私より少し年上の世代、新人類初期の子供達で、団塊ジュニアに対して「新人類ジュニア」とも言われているようです。


当時はバブル景気も手伝って、個人主義ではあるが目標も大きな若者が多かったと記憶しています。


その反動でしょうか、バブル崩壊の影響でしょうか。はたまた携帯電話の普及が原因のひとつでしょうか。日本国自体が夢を実現してしまい、国民共通の夢が無くなったからでしょうか。


でも今の世の中。


「そこそこ」はそう簡単ではありません。




srcblog01 at 18:11◎閑話な一粒

2009年08月03日

★No.57【幸せとは何か】




幸せは結果ではなく状態のことを言うのです。



相当に根本的なテーマですが。

最近は選挙も近くなったことで、政治家主導で、国民の幸せを実現する等といった言葉がやたらと聞かれます。

国民やマスコミの側も困ったもので、政治が何をしてくれるのか、みたいな論議に集中しています。


果たして誰かに何かをしてもらうことで幸せは実現するのでしょうか。


「物心両面での満足を得る為に、自らの努力や試行錯誤を繰り返すこと」


私は人間本来の幸せをこのように定義しています。


人間の欲には限りがありませんので、何かで満足を得ると、その状況が当然になり、次の欲求を求めていきます。

それを満たすためにさらに努力をし、到達していく課程そのものが、実は本当の幸せだと言えるのではないのでしょうか。


私自身は経営者でもありますので、従業員の幸せを如何にして実現するかということに日々腐心しています。

但し、その手法においては、私自身が何かを与えるのではなく、ひとりひとりが、自らの努力と試行錯誤によって、自らの物心両面での満足を得られるよう導いていくことであり、その為の環境を整備することだと考えています。


もちろんそれを実現する為の過程に対して努力することができるという状況に感謝し、少しずつ実際にそれが成し遂げれられる過程そのものが、私自身の幸せにつながることは疑いようのない事実です。


現在のように経済環境が厳しい時だからこそ、ひとりひとりが本来の幸せの意味を噛み締めながらさらなる努力と試行錯誤を繰り返していくべきなのではないのでしょうか。



2009年07月30日

★No.56【助けてほしいと思ったとき】




助けて欲しいときにその気持ちを180度転換するのです


仕事がうまくいかない。

彼氏彼女ができなくて寂しい。

お金がない。

仕事がない。

友達がいない。

人間関係がうまくいかない。


ごく普通に生きていても、様々な場面で誰かに「助けてほしい」と思うことは数多くあります。

そのような状況に陥っているときは、ひとは大抵、「助けてもらうための労力」を使ってしまいます。


誰か仕事まわしてくれないだろうか。

彼氏や彼女を紹介してくれる人はいないか。

誰かお金貸してくれないか。

仕事を紹介してくれないか。

誰か友達になってくれないか。

誰か嫌な人を自分から離してくれないか。


とまあこんなことに頭と時間を使ってしまいます。

でも、ほとんどの場合いくらこのようなことに時間を使っても解決することはまずありません。


不思議なもので。


これらの状況を解決するのに最も早い方法は、誰かを助けることです。


仕事がうまくいかないなら、誰かの仕事がうまくいくように手伝ってあげましょう。

彼女がいなくて悩んでいる友達がいたら、自分の知り合いを紹介してあげましょう。

お金に困っている人がいたら・・・。これは少し考えなければなりませんが・・・。


自分が誰かに助けを求める程困っていることが起きたなら、自分自身が誰かを助けることで自然に自分のことを誰かが助けてくれます。

日常生活でも仕事でも同じ事が言えます。

自分が困っているからと言って、自分以外に助けを求めるだけでは、誰も助けてはくれません。

ただ、頭で分かっていても、実際に苦境に立たされると忘れてしまうことがあります。

自分が困ったら人を助ける。

この発想を忘れなければ、あなたの苦境は早晩解決することでしょう。



2009年07月18日

◎No.3【悲しみは娯楽か】



松本零士氏の「銀河鉄道999」で、主人公の鉄郎がある星にたどり着きます。

そこでは、お葬式が最高の娯楽として行われています。お葬式をするために人を殺し、悲しみを作りだしてお葬式という儀式を楽しむという設定です。

子供の頃、これを見て以来、悲しみというのは人の娯楽のひとつではないのだろうかと思うようになりました。

これを言うと反発する人がほとんどですが。


「では、なぜ映画や演劇の悲劇をわざわざ見に行くのか?」
「また悲劇的な書物を好んで読むのか?」


という質問をするとその反発は消え去ります。

自らに影響のある不幸な出来事や、身近な人に降りかかった悲劇は、息苦しくなる程の苦しみを感じます。

一方で、わざわざそのような感情を求めて、映画館などへ足を運ぶ自分がいます。


不思議です。



srcblog01 at 17:48◎閑話な一粒

2009年07月08日

☆No.37【世界一カンタンな経営感覚】




経営感覚なんて実に単純なものなのです。



「もっと経営感覚を磨け」とか、
「経営感覚が足りない」などとよく言われたりしませんか。

そもそも経営感覚とは何のことでしょう。

辞書を調べてみましたが、出てきませんでした。


となると分解するしかありませんので「経営」に「感覚」が付いたもの。

ということになります。



経営感覚は経営能力とは違う感じですね。


ということは、先見性とか、指導力、勘、経験、度胸、知識等ではないと言うことは分かります。


よく考えると経営感覚なんてチョーカンタンであることが分かってきました。


それは「経営感覚=足し算と引き算」ということです。


そうやって周りを見渡してみますと、経営能力はあるのに経営感覚の無い人はたくさんいることに気がつきました。


優れたアイデアを持ち、人間的魅力にあふれ、指導力も資金もある人でも、「足し算と引き算」ができない人はたくさんいます。


会社には、売上があり、原価があり、経費があり、そして利益が出ます。


実は、経営者自身の力が強ければ強い程、この足し算と引き算の作業を怠ってしまう傾向があるようです。


つまり、理想やこだわりが強く、自分の力に自信があるのでついつい目の前の単純な計算から遠い世界で仕事をしてしまい、ごく初歩のところでつまずいてしまったりします。


つまり経営感覚とは、「売上−原価−経費=利益」であり、利益がマイナスでは経営が成り立たないということをきちんと理解し、常に日常のビジネスにおいて、行動の判断基準としてその感覚を持っているということなのです。


「経営感覚がある=優れた経営ができる」と言うことでは決してありませんが、ビジネスマンにはこの「足し算と引き算を常に意識する」能力は必須です。



ところで、あなた自身は差し引き+ですか?



2009年07月04日

☆No.36【成功者になる可能性の見分け方】




成功するか失敗するか。その違いはとても単純なことです。


ある人がビジネスマンとして一定の成功を収める可能性が高いか低いか。

実のところこれを見極めるのは比較的簡単です。


分かりやすく確実な要素を一つ挙げてみたいと思います。それは、


【同じ給与でより多くの仕事を与えられたときにどう思うか】


ということです。


あなたはどう考えますか?

「同じ給与なのだから、働いた分損している」

と思いましたか?


それとも、

「それだけ期待されているということだから嬉しい」

「仕事が増えればその分成長できる」

「仕事は多い方が、時間が早く経つから良い」

「仕事は楽しいので増えれば増える程良い」

「これをこなすことができれば認められて給与が上がるかも」

などと考えましたか。


どちらにビジネスマンとして一定の成功を収めるための素養があるかは言うまでもありません。

ただ、私自身が経営者であるが故、このようなことを書くと、「労働強化を目指している搾取型の経営者だ」と一部の方から時代錯誤とも言える指摘を受けそうです。


でもよく考えてみて下さい。


会社という組織に所属するひとりひとりが、ビジネスマンとして成功できる素養を身につけていれば、必然的にその組織は発展し、結果的としてそこで働く皆に大きな利益を還元できます。

もちろんそれは経営者自身にとっても同です。

つまり現代の経営にとって、従業員の幸せ(物心両面で満足を得ること)は、経営者の幸せと同義でなくてはなりませんし、またそれは必然でもあるのです。


経営者も含めて、全員がビジネスマンとして成功する素養を身につけていること。


永続的に発展する組織とはこんな組織です。



2009年06月26日

★No.55【考えが足りない】




あなたはあなたが思う以上に考える力を持っています。



普通ひとは考えが足りません。


何かを興そうとするとき。

判断を迫られたとき。

将来を考えたとき。


自分が行動することによって何がどうなるかを深く真剣に考えることはあまりありません。


とは言うものの、何かする度に真剣に深く考え込まれてもまわりは迷惑ですが。。。


でも、


とっても大切なことなのにその時の気分やまわりの雰囲気に流されて、深く考えないままに物事を決めてしまって、後々で後悔することってありませんか。


ありますよね。


実はこれは、習慣とか本能の問題です。

ほうっておくと、何事に対しても深く考えないで本能的に結論を出してしまうのが人の自然な姿です。


となると、後悔しない決断のためには、自らに深く考えさせるという能動的な働きかけが必要になるということになります。


一度何か決断の前に、深く深く考えることを自らに課してみましょう。


悩むのではないですよ。

ロジカルに考えるのです。



「本当にそれでよいのか」



繰り返しますが悩んではいけません、全身全霊を持って深く論理的に考えるのです。



自分自身に深く考えるよう指示を出します。



そして答えを導き出しましょう。



これであなたは自分の結論に後悔することはありません。


考えに考えた結論を実行して、起きた結果を残念に思うことはありますが、それ以上の結論を持っていなかったのですから、諦めるより仕方ありません。


時々でいいです。深く考える事を実行すること。


そうすることで、自分が気がついてない自分の力を発見することができることでしょう。


2009年06月12日

☆No.35【企業は人をどのように捉えているか】




自らを大切にされる存在であり続けさせること。



厳しい時代になりました。


あくまで一般論ですが、一昔前、経済が右肩上がりに順調に発展しているときは、普通に仕事をしていれば、個々人の能力や努力に関わらずそれなりに給与が上がり、年と共に肩書きが重くなり、仕事人生を全うすることができました。


言うまでもなく今はそういう時代ではありません。


市場のニーズは複雑且つ多岐にわたり、企業の人を見る目が厳しくなり、より一層人を見極め、選別を強化するという状況にあります。


昨今のように不況期に突入すると、さらにその傾向は強まります。

人材に関わるビジネスをやっているとこのあたりの変化が手に取るように分かりますので、「厳しいなあ」と心の中ではいつもつぶやいています。


ただ、私は経営者を20年以上やっていますので、経営側の理屈も良く分かります。


実は企業は人を「人材、人財、人在、人罪」とに分けて判断しています。


□人材「材料としての人」
 企業を営むにあたっての要素として人、頭数。

□人財「財産としての人」
 まさに企業にとって宝となる財産のような大切な人。

□人在「いるだけの人」
 企業にとって害にもならないが益にもならないという人。

□人罪「いるだけで罪な人」
 企業の活動を妨げたり雰囲気を悪くするなどマイナスの作用をもたらす人。


言うまでもなく今、企業が求めているのは「人財」のみです。

ですからビジネスマンは、自分自身が企業にとって如何に財産になるべきかということを念頭に置いて日々努力をしなければならないのです。


私自身も会社にとって「人財」と呼ばれる経営者でありたいと思います。



2009年06月08日

★No.54【幸せのレベル】



実はあなたはすでに充分満たされているかも知れません。


人間の欲望には限りがありません。

何かを達成すると、すぐに次の何かを求めます。

これは、一般に言う「金銭欲」とか「名誉欲」また「食欲」「性欲」「睡眠欲」といったような人間本来が持つ基本的なものだけではありません。

「もっと遊びを楽しみたい」
「時間を有効に使いたい」
「人気者になりたい」
「趣味を充実させたい」
「自分の時間が欲しい」
「友達がたくさん欲しい」
「センス良くなりたい」
「賢くなりたい」
「座り心地の良い椅子に座りたい」
「癖毛を直したい」

といったような日常的なことに至るまでどんどん出てきます。

これは一見成功者で、全てを満たしているような人でさえ、共通に、というよりもさらに多くの欲を持っていると場合すらあります。


これらの欲に対して、それらをひとうひとつ満たすための過程を楽しみながら進んでいくと言うのが理想であり、毎日をそのように過ごしているのであれば何ら問題はありません。


ところが、


これらの欲はそう簡単に満たされることはありません。しかも満たされないこと自体が人生の苦しみとなり、日々生きていくことに苦痛を感じることもあるでしょう。


そんなときに私は、幸せのレベルを一旦下げることをお勧めしています。


方法は簡単。あなたが健康なら、1日食事を抜いてみて下さい。


「ごはんがおなかいっぱい食べられるってなんて幸せなことなんだろう」


と感じるはずです。

これがきっかけで、日常の些細なことに「大きな幸せ=欲を満たす出来事」たくさんあることに気がつくはずです。


欲が満たされない苦痛を感じたら、日々満たされている自分に目を向け、そこから上の欲(=目標)にむかって楽しみながら向かっていきましょう。


満たされない自分を嘆いていても、日々おもしろくないだけです。



2009年06月01日

★No.53【信ずる者は救われない】




人の言うことを信用してはいけません



ちょっと過激なタイトルですが。


近年ネットの普及も手伝って、様々な人が様々な意見を自由に言うことができるようになりました。

これ自体は、全く否定するものでもなく、逆に素晴らしいことだと思っています。

言うまでもなく私自身もこうやって自ら情報を発信しています。


今回のテーマは、ネットの書き込みだけのことではなく、どちらかというとしっかりとした肩書きを持った方々が発信する情報や、意見についてです。


例えば、経済や投資に関する情報を発信する立派な肩書きを持ったアナリスト。

私の興味ある分野における個人的な調査(ある予測が出たときに、それらをファイルしておき、時が経って実際にどうなっかを検証する)では、彼らの言うことは90%の確率で「はずれ」です。


つまり10回に9回は「はずれ」ということです。


そしてたまに(ほんの10%の確率で)「あたり」がでると、いかにも自分がそれだけを予測していたかのごとく大げさに自慢したりします。


また別の分野では、著名な方によって、「人間こうあるべきだ」とか、「これが成功へのプロセスだ」みたいな情報が本や雑誌、またまたテレビなどでも紹介されることがよくあります。


ほとんどの場合それを真似しても成功しませんし、立派な人間にもなれません。


なぜでしょうか。


私たちは、やはり活字とかテレビに弱く、ついついそう言った「メディアの発信=本当のこと」と思いがちです。


そしてそれをまるまる信用して鵜呑みにする傾向が強くあります。


しかしながら実際には正確に事実を伝えてるケースのほうが少ないと考えて良いでしょう。

なぜかというと、全てのメディアは、まず「結論ありき」で文章を書き、番組を制作し、発信するという傾向が強いからです。


つまり「その結論」と違う結論が出そうな現象、意見、情報などを極力無視して、最終的に作り手や書き手の思う方向へ持って行くからです。



だから彼らを絶対に信用してはいけません。



では、どうすれば良いのでしょうか。


唯一の方法は、それらの情報に対して、「信用」するのではなく「消化」する習慣を持つことです。

自らの経験や、知識に合わせて、自分のおなかの中でしっかりと消化することで、いらないものは排除したり、危険なものは最初から食べないという意志を持つことが大切です。


例えば、経済や市場の先行きに関するアナリストの予測意見は読まないし、聞かないというのが正解です


90%外れの人の話を聞いても仕方ないですから。


但し、なぜ彼らがそう思ったかという根拠に関してのみ耳を傾け、また目を通し、自分自身の判断の一要素とすることは良い習慣でしょう。

また、著名な方々の成功体験にまつわる書物や情報は、知識として蓄えるに留め、猿マネは決してしないようにすべきです。


それは、あなたにはあなたにしかないオリジナルな能力があるからです。



人は「信用」するのではなく「教材」としてみては如何でしょうか。



2009年05月26日

☆No.34【戦争と将棋とビジネス】




仕事を将棋だと思えば新たな発見があるかも知れません。



仕事をしていると毎日のように判断を迫られるときがあります。

例えば、営業現場では、


顧客に要望を言われたとき。

クレームが発生したとき。

競合優位性を問われたとき。

戦略を考えるとき。


起こった問題や事柄に対してできるだけ早く対処する事も重要ですが、対処によって何が起こるかを予測することがもっと重要です。


例えばクレーム発生。


まずはすぐに対処することを優先しながら。

考え得る対処法を全て考える。

その全ての対処法に対し、相手側が考え得る反応を全て予測する。

この全てとは、


最悪の場合〜最良の場合までのことです。

とにかく考え得る全てを想定します。


そしてその反応に対してそれぞれどのように対応するかを決めておきます。


これで大丈夫。その先までは考える必要はありません。


つまり、ビジネスの現場では、営業であれ開発であれ、「先の先」まで予測することが重要です。

先の先と言っても、一つ目の先が3つであれば、その先は、最低でも6つ。場合によっては9つくらいにに広がります。

意外と大変な作業です。


しかもそれだけ考えても役に立つのは1つだけ。もしかすると1つも役に立たないかも知れません。


でもそれで良いのです。


戦争や将棋に例えると分かりやすいと思います。敵がいて、どう出てくるかは分からない。情報にも限界がある。

その状況で勝利を収めるには、ありとあらゆる敵の動きに対して対処方法を考えなくてはなりません。

最低限「先の先」まで予測しておかないと、勝ちはおぼつかないでしょう。

「先の先の先」までいくとそれだけで数十通りのものパターンが必要になるので、ビジネスの世界ではそこまでは必要ありません。

「出直す」という方法がありますから。


このことはあたりまえのようで意外とできている人は多くありません。


「先の先」


意識して考えてみましょう。





2009年05月21日

☆No.33【批判にさらされる】




自分自身を批判にさらしてみましょう。



普段の生活の中で、人から直接批判されることはそう多くはありません。

特に私のように経営者だと面と向かって批判されることはまずありません。(もちろん陰ではそれなりに批判されていることは容易に想像できますが)

逆に言うと人を批判すると言うことは、自分自身に対して大きなリスクを伴います。

批判されることが好きな人はいませんから「批判をする=その人から嫌われる」という可能性があるからです。

一般に批判好きと思われている人も、人に面と向かって批判するのが好きな人は殆どいません。


もちろん面と向かって批判するのが好きな人の周りには誰も近寄りませんが・・。


そして、社会的立場が高ければ高い程、批判されることは少なくなります。

そしていわゆる「裸の王様」になっていくのです。


裸の王様は、自分が裸であることに気が付かないが故に裸のままです。


ビジネスマンにとって大切なのは、自分自身が知らぬ間に裸の王様になっていないかを自分自身で意識してチェックする必要があります。


その方法は容易ではありません。
自分自身に対しての批判など人に聞いてもなかなか教えてくれないからです。


私は一つだけ有効な方法を実践しています。


それはネットの掲示板です。


いわゆる匿名で書かれたあらゆるものに対する無責任な批判や誹謗中傷のオンパレード。(幸か不幸か私自身を批判する書き込みは見つけたことがありませんが)


どんなジャンルのことでも関係ありません。それらに書かれていることがもし自分自身に言われたことであれば、それに対して明確に説明ができるかどうか。


「そんなものを相手にするのか」


そう思われるかも知れませんが、もちろん相手にすると言うわけではなく、それがどのような内容であってもそれぞれにきちんと説明をしたり、裏付けを持った反論をしたりできるかどうか。時に痛いところを突かれたら素直に反省できるかどうか。


もちろん実際に説明や書き込みをするのではありません。頭の中でシミュレーションします。


そうすることで、自分自身の普段の行動や発言が「裸の王様」になっていなかをセルフチェックするのです。


まずは何かの力を借りて自分自身を批判にさらしてみましょう。


何かが見つかるかも知れません。



2009年05月11日

◎No.3【正しい日本語】



正しい言葉は進化していくのです。



以前【お相撲さんの謎】という閑話を書きましたが、さらに新しい事実(?)発見しました。


それは、

「お医者さん」です。

同じ先生と呼ばれる職種でも「医者」だけは特別扱いです。

「お弁護士さん」
「お税理士さん」
「お代議士さん」

とは言いません。さらに謎が増えてしまいました。


それはさておき、

最近正しい日本語がどうしたこうしたと言って、専門家の人や知ったかぶりの人が言葉をやたらと訂正するケースが増えています。

代表的なのが、

「ら」抜き言葉です。

食べれる。(これを変換すると「ら抜き言葉」とご丁寧にパソコンが教えてくれました)

正確には「食べられる」だと言われます。

でも、でも、ですよ。

「食べられる」には、いわゆる「食べることができる」という意味の他に、何者かに「食されてしまう」という意味もありますね。


「私は昨日ライオンに食べられました」

とか。


また、正しいかどうか知りませんが、時に敬語としても使われます。

「社長が昼ご飯を食べられた」

みたいな感じで。

使いますよね。ね。ね。


でも、「食べれる」という言葉には、可能だという意味しかありません。


だからこれは、聞く者に誤解を与えないための進化した正しい日本語だと私が個人的に断定しておきましょう。


また、ビジネス用語で、


「本日○○は、お休みを頂いております」


これも間違いだと言われています。

正しくは、

「本日○○は休みを取っております」

だって。


どちらが聞いていて丁寧で気持ちよく聞こえますか?

どちらがお客様に対して良い印象があるでしょうか?

前者ですよね。

だから間違っていると分かっていても、私は前者を使います。

これは進化を遂げた正しい日本語なのです。と、これも個人的に断定しておきます。


だから私の文章の日本語が間違っていても、それは進化した日本語だと思って許してやって下さい。


でも、


「お医者さん」


謎です。



srcblog01 at 16:55◎閑話な一粒

2009年05月07日

★No.52【自分の心を支配する】




心は頭ではコントロールできません。



「ストレス」「欲求不満」「イライラ」「もどかしさ」

予測される「怒り」「悲しみ」「悔しさ」


人はある一方に引っ張られるマイナスのベクトルによってこういった感情が生まれてきます。

よく「感情をコントロールする」という表現が使われますが、なかなか自分の意志だけでこういった感情を抑えることは難しいですね。

なぜ難しいかというとそれは、頭の中だけでコントロールをしようと思っているからです。

感情は必ずある現象によって生じます。

仕事がうまくいかないとストレスが発生します。

好きな異性が振り向いてくれなければ欲求不満になります。

全てにおいて現実に起こっていることがそれらの感情発生の原因になっているはずです。


ですから自分の心を自分の支配下に置くためには、今、発生している感情の逆の感情を生み出す現象を意識的に作り出すことが必要です。


最近の技術では騒音防止には防音ではなく、逆位相の音を人工的に発生させることで騒音を打ち消すということが可能になっています。

まさに、このことを自らの心を支配するために応用するのです。

マイナスの気持ちに陥ったら、それと逆の感情を呼び起こしてくれる行動に踏み切るのです。

自分の得意な仕事だけしてみる。

自分のことを好きな異性に声をかけてみる。

そうすることで、現象によって発生する感情を逆位相の現象によって打ち消すという作業をしていくのです。


心が平穏でなければ何事もうまくいきません。


マイナスの現象にはプラスの現象をぶつけることで打ち消しながら自分の心を支配していくことが日々良く生きる最善の方法でしょう。


2009年05月03日

◎No.2【世界と日本のタブー】




ちょっとひねくれて見てみましょう。



・本当は地球温暖化なんて進んでいない。

・日本にはテロの危険など全く無い。

・日本は実は資源大国である。

・原子力発電は100%安全である。

・ODAなぞ10年以上前から全く必要無い。

・政治家に二世は必要だ。

・豚インフルエンザより車に乗ることの方がよっぽど危険だ。


これらのことが全て本当であってもそれはタブーです。

これらのことが本当であることがいくら立証されようとも、大きな力は最終的にそれを認めることは無いでしょう。

なぜかって。

それがメシの種だという人が沢山いるからです。

・エコロジー技術などが元となる次の経済発展のためには、地球は温暖化で無ければなりません。絶対寒くなってはいけません。

・テロの脅威がなければ安全対策の産業が火の車です。ですから常に危ないと言い続けることが大事です。

・日本に資源が無いが故にそれ自体がビジネスの元になっています。何があっても日本に資源があってはならないのです。

・原子力が100%安全なら自然エネルギーの技術が育ちません。そして原発のある地域へお金もばらまけません。だから原子力は危険なのです。

・経済的に急成長している国や地域にもODAです。必要なんです。

・先祖代々恩恵を受けている人たちの既得権はこれで守られています。親父さんにお世話になりました。わかってますよね。

・豚インフルエンザで日本に死者はいませんが、毎日交通事故で10人以上死んでいます。そんなこと比較して言ったら車が売れません。


お断りしておきますが、ここに書いていることは空想であり根拠も何でもありません。


ただ世間をこういうふうに見るのも面白いと思っています。


GWは、ちょっとひねくれた目線で世の中を見てみませんか(笑)。


マスコミ流されないための頭の体操です。



srcblog01 at 21:54◎閑話な一粒

2009年04月27日

☆No.32【転職を成功させる方法】




あなたは履歴書を書いたことがありますか。



転職するときに履歴書を書きます。そんなことはお昼にお昼ごはんを食べるかの如く当然のことです。

何を今さら。

でも、転職しようかなあ。と考えていたり、会社や仕事、待遇などに不満があって日々悶々と過ごしていたりしたら。

会社を辞める決心をする前に履歴書を書いてみましょう。


なぜって?


それを書く理由を考えてみれば分かります。

ビジネスマンにとって履歴書(職務経歴書を含む)は転職するときに書くものです。すなわち履歴書は自分自身の現在や過去の経験や実績、仕事に対する取り組み姿勢などを表現するものです。

つまり次の会社で自分自身が如何に役に立つかをアピールする文書です。


「自分自身が如何に役に立つかをアピールする」


これが履歴書の最大の役割です。

翻って考えると、自分自身が、今現在所属している会社でどのように役に立っているかを考えなくてはなりません。

一つの組織で役に立つことが出来ない人が別の組織に行って急に役に立つビジネスマンになるわけがないからです。


今、役に立ってないならステップアップや今より良い会社への転職なぞ望むべくもありません。
(仕事や待遇のレベルを落とす場合は別です)

したがって、転職を考える前にしなければならないことは、今いる会社で誰もが認める活躍(履歴書に書けるレベルの)をするビジネスマンになることなのです。


そしてそれは結果としてそれはあなたの転職を成功に導くことになるしょう。
(そうなった時には転職そのものを考える必要が無くなっているかも知れません)

履歴書を書くことで自分自身のビジネス力を知ること。

それが転職成功へのスタートラインです。

応募先を決めてから履歴書を書いているようではお話になりません。


2009年04月21日

★No.51【安定なんてつまらない】




究極の安定に向かって人は生きています。



基本的に人は安定に向かおうとします。

収入

仕事

恋愛

家庭

健康

人間関係

これらが安定するようにと日々努力しています。

でもなかなかうまくいかないもので、仕事も収入も安定していると思ったら、家庭が不安定になったり。

幸せな家庭になったと思ったら健康を害したり。

健康になったと思ったら職を失ったりするのです。

でも奇跡的にこれらが全て安定したらどうなるでしょう。(そんな人は殆どいませんが)

そう、趣味に走ります。

趣味と言えば、そうですね、

ゴルフ

盆栽

釣り

絵画

音楽

etc.

どれもなかなか奥が深くて安定してうまくいくものでありません。


不思議なもので、人間は安定に向かいながらもその一方で不安定や困難を求めるという性質を持っているようです。

言い換えると不安定を安定に変えていくことが人生そのものだと言えるでしょう。

そう考えれば普段の不安定も少しは楽しめるかも知れません。


そして最後に究極の安定「=死」を迎えるのです。


2009年04月13日

☆No.31【乞食になるな、ビジネスマン】



あなたは知らぬ間に乞食になっていませんか。


乞食(こじき)という言葉は差別用語らしく、マスコミなどではホームレスと言われています。

しかし、これは明確な誤りで、乞食とホームレスはその意味が全く異なります。

乞食は、「食物や金銭を人から恵んでもらって生活すること。また、その人。ものもらい。おこも。」と辞書には書いてあります。

一方ホームレスは「住む家をもたない人。公園や駅・地下道などに住みついている人。浮浪者。」

つまり、乞食=ホームレスではありません。

家(ホーム)のある乞食も存在しますから、明確に区別しなければなりません。

このあたりは、分かっていながら批判を恐れて表現できないマスコミと、異常とも言えるヒステリックさで差別用語(実は差別でも何でもない)に反応するエセ人権団体のなせる技でしょう。


そんなことはさておき。


ビジネスマンの中にも乞食は存在します。


「なんもしてないのに給料もらったと喜んでいるビジネスマン」

「義務を果たさず、また、成果を出さずして権利だけは人一倍に求めたがるビジネスマン」

「ラクで給料が高くて安定しているという理由で公務員になることを選択した人たち」


全く個人的な意見ですが、これらは乞食と言っても決して言い過ぎではありません。

そして普通の乞食よりも問題なのは、彼ら自身に自らが乞食であるという自覚がないということです。

最近の社保庁の怠慢ぶりや農水省のヤミ専従問題などでは、当然ながら彼らは乞食でありさらに詐欺師であるとしか言いようがありません。

そもそも乞食根性で職を選んでいるからこういうことになるのです。


マスコミは彼らにこそ「乞食」という言葉を当てはめるべきでしょう。


私は諸々の事情によって乞食を生業としている人そのものを否定するつもりも差別する意識もありません。

しかし、ビジネスマンやそれに類する人たちが、乞食根性を出し、そのことに自覚のないといったことが増えている現実は、大げさにい言えば、日本国の先行きが非常に暗いものであることを表しているしているように感じています。


あなたは乞食ではないですか?



※一粒万倍では、ビジネスマンのマンを、「男」ではなく「人」という意味で使用することにしました。「ビジネスパーソン」ってなんか違和感がありますので。

2009年04月02日

◎No.1【おすもうさんの謎】



閑話な一粒をお届けします。不定期です。



「おすもうさん」

相撲取りのことをこう呼びます。

なんか変です。

「おすもうさん」

相撲してる人のことは、おすもうさん。

でも、野球してる人は、「おやきゅうさん」とは言いません。

サッカー選手のことを、「おサッカーさん」とも言いません。

日本のスポーツだから?

でも、

「おじゅうどうさん」とは言いません。

相撲という競技名を擬人化してさんをつけて、相撲取り(相撲の選手?)のことを表しているのです。

どうも納得がいきません。

どうでもいい話のように思ったりもしますが、実は10年程前からものすごく気になっているのです。

答の分かる方、是非教えて下さい。

おすもうさん。

謎です。


srcblog01 at 19:24◎閑話な一粒

2009年03月24日

★No.50【もっと悲観的になろう】



あなたには、まだまだ悲観度が足りません。


「悲観的」

とてもマイナスのイメージのある言葉です。

「悲観的に考えるな」

落ち込んでいるとこんな風に励まされたりします。

私は思います。

「もっと悲観的に考えよう」

悲観的な考えに出会うために、私自身は、とても嫌な気分になります。それは大抵の場合、悲観的の度合いがめいっぱい悲観的だとは思えないからです。

悲観度が足りないと言えるかもしれません。

なぜかというと、悲観的な発言をする人は、そこに慰めや励ましを求めていたり、言い訳を作ろうとしていることがよくあるからです。

本当に真剣に悲観的になっているか。

では、その悲観的な結果になったときに自らがどのような行動をするかというところまで考えているか。

自分の心が悲観的になったら、徹底的にホントのホントに悲観的になり、その悲観的な結果がもたらす状況を想像してみて下さい。

どうなりますか?

拷問にかけられますか?

生きていくことが出来なくなりますか?

その後もずーっと悲観的な結果しかありませんか?

徹底的に悲観的になり、本当にその結果訪れることを想像してみれば、意外と希望が見えてきたり、違う道筋がそこに表れたりするものです。

悲観的になっている自分に気がついたら、徹底的に悲観的になってみましょう。そしてその結果を想像し、現実として受け止めてみましょう。

そこには何かしら光が見えてくるはずです。

そもそも悲観的になる必要すら無くなるかも知れません。



2009年03月18日

☆No.30【「会社」とは誰のことか】



やっぱり会社は生き物です。


ビジネスマンたちの間で、

「それは会社の決めることだ」
「会社の指示に従う」
「会社はそう思っている」

といったような表現が良く使われます。

何れも主語は会社です。

でも会社って誰なのでしょうか。

逆にこういうケース。

「それは社長の決めることだ」
「部長の指示に従う」
「主任はそう思っている」

主語は明らかにある人物を指しています。

主語を会社にする場合、誰か特定の人物を指していない場合が殆どのはずです。でもまるで会社というものに意志があるかのような表現をするのはなぜなのでしょうか。

ビジネスマンたちは普段、特に意識することなく「会社」を主語に語っています。

当然ながら、明らかに「誰か特定の人の意志」があるときにはわざわざ「会社」を主語にすることはありません。

長く経営をやってきて分かることがあります。

それは会社ある時期を過ぎるとそこに特定の個人にコントロールできない意志が生まれてくるということです。

そして会社そのものにひとつの人格が備わります。

「法人」とはよく言ったもので、まさに会社に人としての機能が備わると言って良いでしょう。

ではどんな機能が備わるのでしょうか。

ひとつは病巣やばい菌の除去です。

組織における病巣やばい菌とは、

・バランスの悪い組織構造
・意思の疎通が図れない仕組み
・組織の目指す方向に同意しない従業員
・働かずして、また義務を果たさずして報酬だけを得ようとする従業員
・秩序を乱す従業員

などです。

これらを排除するのに、会社は意志を働かせます。誰かではなく自然とこの病巣を取り除く作用が働くのです。

こういった作用の働かない会社は、病巣が広がり、ばい菌に冒され文字通り「死」を迎えます。

もうひとつは進むべく方向です。

もちろん会社の目標とする到達点は、社長であったり経営陣が決定します。

ここで言う方向とは、目標に向かう為の道筋のことです。

この道筋は、その時の外部環境や組織力によって様々に変化し、結果自然とその道筋が決まっていきます。

つまり会社という組織が意志を持って動いていくということです。

その力が弱い会社は弱い人格になり、その力が強ければ立派な人格になります。

やがて、これらの会社の持つ人格は、その会社の生い立ちや外部環境などにより様々な性格を持つこととなります。


2009年03月03日

★No.49【不安を歓迎しよう】



不安がない人に不安な結果が訪れるのです。


最近人の話を聞いても、テレビを見ていても「不安だ不安だ」の大合唱です。

煽りすぎ煽りすぎ。

第一今までの人生の中で不安の無い時があったのでしょうか?「仕事の不安」「健康の不安」「恋愛の不安」「友人関係の不安」「人間関係の不安」「死への不安」「生活の不安」「将来への不安」等々、いつも不安を抱えていたはずです。

もっと言えば、生きていくことそのものが「不安との戦い」だと言ってしまっても良いでしょう。

過去を振り返ってみましょう。

不安があるから頑張れたのではないですか?

将来に不安があるから勉強して学歴や資格を築いて来られたのではないですか?
健康に不安があるから食生活に気を遣って健康でいられるのではないですか?
生活に不安があるから仕事を一生懸命やって今の地位があるのではないですか?
人間関係に不安があるから嫌われないように努力して、多くの友人が出来たのではないですか?

不安のある人は先を見通せる人です。
不安のある人は準備が出来る人です。

不安が無く、のほほーんと生きている人は、準備も心構えも出来ませんから、現実に悲惨なことが起こってから慌てふためいてしまうのです。

そうなってしまっては後の祭り。取り返すことができません。

つまりあなたが日々抱えている不安は、将来にわたって幸せに生きていくための必要不可欠な感情だということです。

不安を歓迎し、その不安を現実のものにしない為に日々努力していきましょう。


2009年02月25日

☆No.29【会社は社員を守れない】



社員を守るのは誰なのでしょうか。


会社が社員を守らない?!

こんな事を書くと「経営者として如何なものか」などと言われてしまうかも知れません。しかし我々が現代のビジネスパーソンとして生きていく以上、最も必要な感覚であると感じていますので、敢えてテーマにしたいと思います。

このことを論じる前に、
_饉劼話のモノであるか。
会社の最も大切な使命とは何か。
という問いかけに答えておきたいと思います。

,亡悗靴討蓮∈鮑では全てのステークホルダー(利害関係者=株主・従業員・顧客・経営者・地域etc.)のものであるというのが最も近代的であり、当を得た答えだと思います。

では△呂匹Δ任靴腓Α

それは「企業として存続していくこと」です。

現代にように経済成長率が低迷、またはマイナスである経済環境下の中では、年単位の先を予測した経営は難しく、経営者は長くても4半期単位の戦略のもとで経営を行っていかなくてはなりません。

そのような中で経営者の第一の使命は、企業を如何に存続させていくかということであり、その為には全てのステークホルダーに最大公約数での責任を果たす選択を行わなくてはなりません。

もちろん従業員は会社が守るべき重要なステークホルダーです。しかしながら第一に優先されるものとは決まっていないということです。

ではどうすれば良いのか。

全てのビジネスパーソンは会社を守るために仕事をするべきであり、経営者は、そういう人材を育てることで、従業員を守るべきなのです。

全ての従業員が、会社を守る使命の元で組織を支えていけば、結果的に組織は従業員を守ることが出来るのです。

よく巷の経営者が雇用確保などを理由に「私は社員を守っている」などと言いますが、従業員ひとりひとりの自らの努力で組織が守られていることを理解していない発言であり、恥ずべきことだと個人的には思っています。

従って、組織の従業員(経営者も含め)は、会社に守られるのではなく、自らを会社を守る人材に鍛え上げることで、それが最良の武器となり、結果的に自らを守ることになることを理解すべきなのです。


2009年02月16日

★No.48【自分らしく生きなくてもいいんです】



自分らしくという言葉に悩むことはありません。


「自分らしく生きる」

この言葉ってなんか魅力的ですね。人は人、自分は自分。それで良いじゃないか。

でも、よーく考えてみて下さい。それで良いはずはありません。

何をするにしても、人との関係は欠かすことは出来ません。人の感情を無視する事もできません。人との繋がり無しに生きていくことは困難と言うより不可能でしょう。

当然のことながら様々なシーンで自分自身を押さえることが必要になってきます。本当は違うのに。とか、殆どの人はそんなことを思いながら日々過ごしているのではないでしょうか。

自分らしくと言う言葉に、個性とか、存在意義とかを重ね合わせることで、さらにプレッシャーを感じてしまったりしているかもしれません。

私たちが大切に理解しておかなくてはならないことは、人は無理して個性を出さなくてそれぞれ充分に個性的だということです。

「無理しなくてもいいから、自分らしく生きればいい」などという言葉に振り回されることはありません。なぜなら本当に自分らしく生きるためには、相当「無理」をしないといけませんから。

私は、「自分らしく」ではなく、「一所懸命」に生きることをお勧めしています。


2009年02月04日

★No.47【間違いだらけのワークライフバランス】



ライフの中にワークがあるのです。


最近ワークライフバランスという言葉が流行り出していますが、日本においてはその意味が完全に間違って使われているケースが数多く見受けられます。

確かに言葉だけを見れば、仕事と生活のバランス?というように訳すことが出来でしまうが故に、仕事と仕事以外の時間のバランスをとりましょう。とか仕事をしすぎないように注意しましょう。みたいな間違った使い方をされるケースがあります。というよりも残念ながら殆どの日本人は間違った使い方をしています。

実はもともとアメリカの労務管理の一策として導入されているもので、現在では

「企業から必要とされる人材になるためにはスキルアップが必要であり、そのためには自分で勉強しなければならないと従業員の心が変わってきた。自分の身は自分で守るしかないと考えるようになったのである。そのために早く帰宅して勉強したり、家族との関係を密にすることで満足度を高め、さらにそれによって仕事の生産性が上がれば、結果的に会社にメリットをもたらすことができる」

と言う考えを表す言葉です。

ですから訳すとすれば、「つまり生活の中での仕事のバランスまたは位置づけ」とすれば近いでしょうか。

以前からの私自身の考え方でもありますが、人には、まず生活があって仕事とはその中の一部なのです。ですから「仕事とプライベート」などという言葉には大変な違和感を持っています。

人は、活動する時間の多くを仕事に振り分けているわけですから、仕事そのものもあなたの個人の生活(プライベート)の重要な一部ではないのでしょうか。

つまり、仕事を充実されるためにも、仕事以外の時間を有効に使うべきであり、仕事以外の時間のためにも仕事の時間を有効に使うべきなのです。

豊かな人生を送るためには、仕事もそれ以外も充実させることが出来るように努力を続けて行かなくてはなりません。

仕事と生活を切り分けて、仕事は適当にやってプライベートを充実させようなどという考えでは、どちらも充実させることは出来ないでしょう。


最新記事
※このアドレスは横山本人に直接届きます。できる限り返信させて頂きます。
Archives
QRコード
QRコード
RSS